じじらぎ

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ゴミ

DSC01006 (640x447)     小宝の接岸港には北ごちの風が吹きこみ、波立っていた。 

港内の一角にはゴミが吹き寄せられていた。 誰が捨てたのか、蛍光管まである。 ゴミ溜めのなかをウミガメが4匹泳いでいた。 

日没と朝の蝶、鷺

DSC01004.jpg     1825時、接岸港から。
 
DSC01056.jpg DSC01025.jpg    朝、パパラギの庭のハンダマ(スイゼンジナ)畑と南原(はえばる) 牧場。ハンダマが花を咲かせるとアサギマダラが寄ってくる。 島の蝶は人をあまり恐れない。

牧場には数日前からアマサギの群れが遊んでいる。 きょうは20羽ずつほどが二手に分かれていた。 合わせて41,2羽。 

アマサギは去年、おとどしと少ない年が続いた。 20羽を超す群れを見るのは久しぶり。  

アマリリス

DSC00964 (640x480)    表の通りのアマリリスがほとんど咲き終わったころに玄関わきのアマリリスが開いた。 この花だけは赤一色。 別種なのか突然変異なのか?

周りのピンクの花は月見草。 いま島のあちこちで咲き誇っている。 アマリリスと同じころ、昭和50年代に持ち込まれたと聞いている。

また日の出

IMG_0411.jpg   0541時、湯泊の露天から。 左手の岩の上の鳥はイソヒヨドリ。

 

日没と月の出

★s-DSC00946    1900時、接岸港から望む日没。

DSC00957 (1024x768)    1928時、方向を転じると入れ替わりに満月が顔を見せた。

日の出

IMG_0396.jpg     0545時、パパラギのベランダから。

憲法記念日の紙爆弾

DSC00702.jpg    きょう着く船には荷物がないはずだった。 念のため港には行ってみる。 ひととおりの確認をして帰りかけたとき書籍小包を渡された。 

中身は植村雄太朗編著『「昭和」への紙つぶて』 (2012年5月3日刊、西田書店)。


序文を読んで息をのんだ。 居ずまいをただして、もういちど読む。 

夕食の支度をしていた女将を無理やり椅子に座らせて、音読してみる。 強引な読み聞かせに、はじめ迷惑そうにしていた女将が無口になった。  

これほどに力強くせつせつとした言葉は、久しく聞いたことがない。 心の奥から発した生の声が修辞と感傷を排してそのままつづられる。 

小細工はない。 どまんなかに力いっぱい投げ込まれた直球。 今どきばやりのライターたちが逃げてきた力仕事。




それを紙に書きとめたものを編著者は「紙つぶて」というが、読む者が信管をつければ、いつでも爆弾になる。

人を殺さない爆弾。 殺してはいけない、と訴える爆弾。 



昭和87年の日本は昭和10年代と同じ轍(わだち) を踏んでいる。 殺さない、死なせないという願いと祈りを“凶器” のように危険視しして排除する…いつか来た道。 



 

村の2大失政

5月の小宝島はネット不通、通信途絶で明けた。



小宝島の「結(ゆい)ネット」は1日夕、突如切れ、間を置いて一時的に開通したのち深夜から2日午前まで不通状態が続いた。

この状態なら以前、鹿児島大学の共同研究機関などが実験的にやっていた方式の方がまだましではないか。


“結ネット” またも切断

村会議員選挙の開票状況を見るためインターネットにつなごうとしたら、またも切断中。 

結ネットが無為ネットになった。 

昨夜来の風雨のせいか? それにしても雨が降るたびに切れるのでは困る。 

投票日

DSC00586.jpg    世はなべて こともなし…。

きょうは村議会議員選挙の投票日。 久しぶりに村のホームページを開いてみた。 村役場、村会議場とも海のかなた、320キロ北方にある。

★s-DSC00539   0554時、湯泊湾から小島の日の出を拝む。 日が昇る位置は少しずつ北、写真では向かって左に動いている。

不通

DSC00524.jpg   1611時、波しぶきのかかる岸壁で村議会議員選挙の立会演説があった。 荷卸し用のバースとして使われている岸壁は、実は防波堤を少し拡張しただけのしろもの。

波しぶきを浴びながら3人の候補者が数分ずつ所信を語った。 聞く方も波の飛沫を浴びて塩漬け状態。


候補者は3人ではない。 きのう告示されて、なんでも8の議席に10人が立候補したらしい。 この時点で、候補者の顔ぶれを知っている村民は何人いるんだろうか?


十島村が日本国の自治体であることはだれも疑わない。 しかし、ちゃんとした自治体であるはずの村は、選挙をやるのに選挙公報を出さない。 

なぜそうなのかは不明。 わざわざ岸壁まで濡れにやって来たお婆さんは、立会演説もいままではなかことで、今度が初めてという。 10人のうち3人でも来てくれれば有り難いと思わないといけない。



こんな時こそ村ご自慢の愛称“結ネット” つまり部分的な光ファイバー敷設と無線をつなぎ合わせた自称ブロードバンドの出番ではないか。 


コンピューターの電源を入れてみたところ、確かに電気は通じているのにネットにつながらない。

かなりの時間、不通状態が続いた後、ようやく村のホームページを開くことができたが、選挙関係の情報は何も出ていない。



これが9億円以上ものお金をつぎ込んだ“結ネット” の実態。 

もともと、島の選挙に鹿児島市にある十島村役場は関心が全くないようにも見える。 

3期つとめてリタイアした村長さんはじめ村の職員はおおむね鹿児島市か姶良市民で、十島村民ではない。 当然、選挙権もない。 やっぱり、遠い島のことと関わり合いをもちたくないのだろうか?

混線しました

パパラギの女将の書き込みが、こちらのブログに出てしまいました。 削除すべきかもしれませんが、ひょっとしたら、あんまりサボリがひどいので助けてくれたのかも??

お急ぎでない方は「全文表示」どうぞ……。

出港延期

今日出港予定の村営船「フェリーとしま」 は悪天候のため明日に出港延期になった。

小宝島に直接の関係は本来ないけれども、きょうはアドルフ・ヒトラーの誕生日。 忘れることは出来ない人物だが、愛読している「暦のページ」 にはなぜか出ていない。

日の出

★s-DSC00415   0557時、日の出の位置が北に動いて、小島から顔をのぞかせる。 湯泊の温泉は熱めの適温。

15日の日曜日に「生き生きとから教室」 があった。 16日月曜日は授業参観。 ……お急ぎでない方は「全文表示」 をどうぞ。

村からの贈り物

13日深夜に鹿児島港を出港する村営船に乗り、14日昼過ぎ小宝島に上陸した。


島も結構あわただしい。 24日告示の村議選に出るという人たちの訪問を受けた。 

みなさん、みやげはなく手ぶらでの戸別訪問。 よろしく…とおっしゃるだけ。 

……念のため、“みやげ”というのは金品のことではなく、公約。 

その場限りの口約束でもいい。 よろしく…という型通りの挨拶だけでなく、抱負のようなものを語ってほしかった。 





金品は好きだが、かと言って無暗にものを贈られるのも面白くない。 十島村民になってうんざりするのがそれ。 ……見境のないバラマキ村の豆鉄砲。

120.jpg   机の上に妙なものが置いてあるので確かめると、村から届けられた日本復帰60周年の記念品だった。 物件はデジタル時計と記念アルバム。 これを全世帯に配ったらしい。


刻(とき) のとまる島…を売り物にしている村が送りつけてきたのは、時間を数字の細片に切り刻む文字盤のない時計だった。 

こんなものを呉れと頼んだ覚えはない。 もらってくれと頼まれたこともない。 




記念アルバムというのは各島の村民の集合写真などを載せた写真集。 余命いくばくもない爺ぃにとっては初めからゴミ同然のしろもの。


前に集合写真を撮るから集まってくれと言われたことがあった。 写真を撮るのは好きだが、撮られるのは嫌いである。

むやみに集まり、徒党の構成員や準構成員になるのも好きでない。 写真を撮るから集まれ…という号令がかかったとき、あえて出向くことはしなかった。

宿の女将も集合写真に写っていない。 庭でサン婆とじゃれ合うのを中断してまで写真を撮られに行くのは気が進まなかったらしい。 

犬のサン婆を含めて辺境の島の極北に居をなすパパラギ族にとってはなじみのない、なんの記念なのかよく分からない印刷物。 豪華なように仕上げられていても、ちっとも嬉しくない。


長い年月をかけて集めた資料や本のたぐいは、推定余命に照らすと生かし切れそうにないものがほとんど。 未練を残しながら順次処分しているところに、実用の役に立たない印刷物をことわりなしに送りつけてくる。 

余計なお世話である。 

村は、こんなことで村民が喜ぶと思っている。 はした金を投げ与えられた乞食のような気分にさせられた。


……それにしても、十島村民・トカラの島びとにとって祖国復帰とはいったい何だったんだろう。 これをキチンと説明してくれる人はどこにいるんだろう。





空襲

126∇…      3.10…東京大空襲の日。 鹿児島最大の空襲は6.17になる。 

甲突川左岸を歩いたら、お地蔵さんが目についた。 まだ新しい。 どんな祈りが込められているのか?


127∇…    上の写真の左下、青いシャツの女性が歩いていたあたりに近づくと、地神・水神、仏像の“墓場” のような区画だった。

“神々の墓場”。 自然石のものを含めて63柱を数えた。 

仏さまは2体、いずれも首から上がこぼたれている。


神々は黙して語らないが、明治以降のこの街のすさまじい歴史をしのばせる。


鹿児島詣で

128∇…     8日夜、鹿児島入り。 久しぶりに満開の桜並木を歩いた。 写真は甲突川左岸。 

新学期

入学式262
分校で始業式と先生たちの新任式があった。 午後からは中学に進学する1人の子のための入学式も。


校舎と周りの景色は同じだが,中身が変わった。  

始業式にはパパラギにホームステイすることになった山海留学の少年につきそった。 落ち着いていたように見えたが,あとで本人に聞いたら,コチコチに緊張して痒くなった顔をかくのもジッと我慢していたという。

教師・大人への不信をかかえて辺鄙なところにまで流れてきた少年。 島の分校から帰った顔をあらためて見ると,表情が明るくなっている。


担任については「怖い顔をしているけど,やさしい先生だった」 との評。 その逆,やさしそうな顔をしながら怖い人でなくて良かった。 


【写真は午後からあった入学式】
  

先生着任

先生5人    新年度になって初めて島に接岸した船で新任の先生5人(写真右の5人) とあたらしい山海留学生2人がやってきた。 

島がにぎやかになった。 十島村立宝島小中学校小宝島分校は,児童生徒13人(小学生9人,中学生4人)先生9人の陣容で動き出す。