じじらぎ

  

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キニョニョ続き

∇…042

キニョニョ続き…? 脳の血管がはじけて言語中枢に異常が生じたらしい。きのうに続いて身辺雑記を書き留めようと思ったら、頭の中でつぶやいた「きのうの」の音がキニョニョと響いた。

ついにここまで来たか…と、蒼くなって「きのうの」という音を声に出してみた。ちゃんと言えた。「キニョニョ」「きのうの」ともに発声可能。あわてて、あたりを見回した。ありがたいことに民宿の女将も留守中。ブツブツ独り言を言っている図を見られたら余計な心配をかけてしまう。

考えてみたら、鹿児島の方言では、きのうのことを「キヌ」と発声する。キニョニョでも構うことはなかろう。細かいことをクヨクヨ気に病むと認知症がまた進む。

ひとり合点して自らを慰めていると、玄関先で声がした。歌うような柔らかい抑揚。声の主がだれなのかはすぐ見当がついた。小宝島特有と思われるアクセントを守っている住民は、確認できた限りでは4人だけ。いずれも私より年齢の進んだご婦人である。

顔を出すと、予想した通りのオバァ。……念のため、ここでオバァというのはキニュと同じ、私の創作方言である。島の人は固有名詞の略称にバという音をつけ、〇〇バ、△△バ…と呼ぶ。この場合のバ(バァと聞こえるときもある)は婆さんということだけではなく、小母さんの意味でも使ったらしい。二十歳を過ぎたばかりの女性でも、出産を機に〇〇ネー(姉)から〇〇バに昇格したという。

玄関先のオバァは先日、留守中にニンニクを置いていった人。今度はニガゴイ(苦瓜、沖縄で言うゴーヤ)を持ってきてくれていた。食うてくれるか…などという遠慮は無用のこと。ニガゴイなら大好物である。

代わりに宿の裏の畑で摘んできて持て余していたピーマンとオクラを押しつけた。迷惑かなと思ったが、ことしはピーマンが根付かなかったという話にウソはない様子。とにかく、喜んでもらって良かった。

島では食糧もほとんどが外からの持ち込みである。魚は漁獲に過不足があり、必要な時にしかるべき人手がいないことがある。また、かりに資金があっても相応の投資効果を期待しにくいという問題もある。わずかに拓かれた水田もつくり手がいなくなった。さいきんは麦もつくらない。せめて野菜だけでも…とオバァたちが頑張っている。

小宝島の野菜づくりは、南太平洋あたりのキチン・ガーデンに似ている。宅地が狭いために、台所と「ガーデン」との距離が多少あるのはやむを得ないが、基本は自家用である。特産に仕立て上げて出荷するには条件がきびしすぎる。薄い表土の下は珊瑚礁の岩盤である。

はた目には失礼ながら実験にも見える。ささやかで必死の挑戦。人口規模が倍あったころに比べて進歩があったのかどうか確認はできないが、追い詰められたところで、ほんものの島おこし。オバァたちが元気なかぎり、自給農業の可能性はひらけていると思っている。

【写真はニョニョ貝(?)。温泉センター近くの道を横断中だった。ヤシガニににしては小さすぎ、ヤドカリにしては大きすぎる。ひとまずニョニョ貝ということにした】
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∇…2008年08月30日_DSC01255

湯泊の入り江に泳ぎに出かけた。着いてみると、宿の食堂から見た海の景色と違ってうねりがあった。北東の風が吹き込み、湾口を波が洗っている。水遊びは控えて、そのまま温泉にはいることにする。服を脱いであたりを見回すと、小島と悪石島の間に虹がたっていた。

3つ並んだ湯舟のうち、きょうは真ん中が適温だった。じっと我慢して最低10分つかるのが努力目標だが、落ち着きのない性分、なかなかそうはいかない。6、7分して浴槽を出、あらためて外をながめたら虹はあとかたもなく消えていた。

ほどなく雨になった。空は明るいいまま。風上の方角で虹をつくっていた雨雲が動いてきたらしい。温泉の塩気を洗い流すのにちょうどいい。

濡れながら宿に戻ると、盟友の三太郎が首紐をいっぱいに引っ張って門口で待っていた。ふだんは水を嫌うのに、きょうに限って雨をよけない。濡れるのが構わない同士、そのまま散歩に出た。分校のあたりを行き過ぎてのんびり帰ったら、帰り着くのを待っていたように雨はやんだ。

小宝島はやはり船だった。船首を風上に立て、風を切り、波を分けて進む。全速前進ゼロノット、巡航速度もゼロノット。機関がないから騒音をたてない。石油高も響かない。

【写真は湯泊♨から見た虹。島では虹をよく見る。島のあちこちでたつ虹は現われてはすぐ消える】

こだわりへのこだわり

∇…028 (2)

島内放送があった。それを聞きながら思い浮かんだ言葉は「こだわり」であった。放送の中身については気分が躁、ないし爽になったときに語った方がいいと思うので後に回すにするとして、私の貧弱な外来語の知識で判断すれば「こだわり」は「コンプレックス」という言い方に置き換えるのがぴったりする。

たまたま耳にとびこんだ拡声機の声が、かねて思いつかないことに気づかせてくれたわけだが、はて、「コンプレックス」とはいったい何なのか?

辞書を引くと「複合」とある。要するに骨がらみ、くんずほぐれつ絡み合って糸口が見つからない、筋道も道理もない状態。英語のコンプレックスを「複合」と翻訳した事例では、米国のドワイト・D・アイゼンハワー元帥の大統領辞任演説を思い出す。産業界と軍部が癒着し、結託して米国の政治、外交、軍事を壟断することに非を鳴らし、「軍産複合体」が米国の未来を危うくする…と警告した。至言であった。

今や米国のコンプレックスはやりたい放題。仁義もへったくれもない。言いなりにならない国には無差別に爆弾を降らせ、言いなりになる国の軍隊は装備、配置まで意のままにしようとする。「国際貢献」の実体は、世界に冠たる産軍複合体への隷属、と言って悪ければ忠義だてではないか? 日本の政治家が「…貢献」をやたらにことあげするのは、皇祖皇宗の遺訓を明徴にすべき本分を忘れた、非国民、売国奴のなせる業ではないのか?

精神医学が深遠な学問かもしれぬと思ったのは、優越感も劣等感もコンプレックスと言っているらしいこと。難しいことは分からぬが、感じとしては納得できる。昔からなじんできた「こだわり」に近づいてきた。そう。こだわりというのは本来、厄介なこと難儀なことであった。まともな人間なら、こだわりを持たぬに越したことはない。

ところが最近、「こだわり」が大手を振ってのし歩くようになった。観光案内の類をみると、「こだわりの店」だらけ。因業因果でいらぬこだわりに絡めとられた料理人が世間様へのおわびのためにタダ同然で給食しているのかと思うと大間違い。この言葉を惹句(じゃっく)、売り文句にして、ひと稼ぎしようという魂胆である。

どうやら、面倒な手間暇をかけていると言いたいらしい。でも、料理というのはもともと手間のかかるものだ。客に喜んでもらおうと思えば仕入れにも気を使うし、下ごしらえも手抜きできない。場数も要る。手痛い失敗を重ねないと当たり前のことを当たり前にできない。こだわりの入り込む隙なんぞない。

下積みからたたき上げた昔の料理人や面倒をかけることを当たり前にしてきた主婦は、手間をかけたこと、工夫をこらしたことをいちいち口に出さないものだった。よそとは一味違うとも言わない。それが今は絶滅危惧種。嘘でも出鱈目でも、詐欺まがいでも構うことはない。能書き無しでは始まらないご時世になった。

なぜそうなったか? おそらく、食うことに妙なこだわりが生じたせいではないかと考える。普段は食べるもの、食べることを粗略に扱いながら、うまいものを食いたい…というこだわり。人よりもいい目をしたい…というこだわり。とやかく言うのは年甲斐のないおせっかいかもしれない。しかし、ここまで行きすぎると黙っていられない。

死に損ないの爺ぃの悪態を許してもらえば、ものをつくる人間の苦労を知らない、味覚音痴のやからが美味いものを食うことはない。半人前の若造がいっぱしの講釈なんぞして食道楽を気取ったりすれば、昔なら「お前が美味いものを食う理由がどこにある」とどやしつけられるのがオチだった。人並みの苦労をしないで、うまく立ち回って自分だけいい目に遇おうなどというのも心得違いであろう。

かつて豊葦原瑞穂の国では、働くことと食うことには祈りがともなった。うまいまずいをとやかく言うまえに、食べるものに恵まれること、食卓につけること自体が畏れ多い日々の僥倖だった。そんな心もちがまっとうな味覚を育てた。身びいきかもしれないが、今どきのグルメ志向を気取る手合いよりも、古い人間の方が誤魔化しのきかない確かな味覚を持っていたように思う。

余計なことを言い捨てる形になるけれども「お袋の味」はもはや手遅れ。私の世代から言っても「婆さんの味、曾婆さんの味」でなければならぬ。まぁ、無いものねだりしても仕方がないか……などとひとり憮然としていると、頭上の空気をすさまじい爆音が引き裂いた。

あっという間に黒い影が上空を通りすぎるので素性を確認したことはない。気がつくと所属を示す標識を確認できない距離を飛び去っていて、やがて空の中に吸い込まれる。未確認飛行物体…。空飛ぶ円盤は静かでおとなしいといわれるが、家を揺るがす轟音で寝ている赤ん坊がひきつけを起こすという。

島の人の話だと米軍の戦闘機らしい。軍産複合体の余剰兵器が、何の用事で足しげく小宝島上空を往来するのかは誰も知らない。

【写真は島のあちこちで根付いたテンニンギク。正確なところは不明だが、島の人はそう言う。とすれば「特攻花」と呼ばれたものと同種。北米原産という】

怠けものの多忙症

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ここ数日いそがしかった。と言っても、仕事を手際よく片づけたわけではない。気ばかり急いて、はかどらない。こんな状況から逃げるために島まで落ち延びたつもりなのに、人は来なくても用事だけが舞い込み、用事が用事を誘い込む。

つまらないから全部忘れようか…と思ってみる。そう思いながらも踏ん切りがつかず、くよくよする。だんだんと鬱屈してくる。

こんな状態に陥ると、水に触りたくなくなる。狂犬病の症状に恐水症というのがあると聞いたことがあるけれども、朝起きて、いつ顔を洗ったのかも定かでない。温泉にもいかない。海にはいる元気なぞとてもない。きょう一日でやったのは、狂犬病になりかけた人間が正常な犬に連れられて散歩の真似ごとをすることだけだった。

そんなところに、お医者さんが巡回診療に来てくれた。治療を受けたわけではない。同宿の縁で焼酎をのみながら、愚痴を聞いてもらった。いくらか気分が軽くなった。

その医者どん、「私もはやく定年になって、のんびり過ごしたい」と言う。私を励ますつもりで言ってくれたのかと思ったら、しみじみとした調子でくりかえす。時間外に頑張って気鬱の年寄りをボランティア治療しているだけのことでもない気配。

実はこの人、まだ40歳前。外国で見習い奉公のようなことをしていて、これから一人前の職業人になろうとしている自分の子と変わらない年代である。隠居は早すぎる。

聞いてみると、生まれも育ちも鹿児島県内の離島。都会で地球資源と結構な身分を浪費する生活にどっぷりひたったあげくに、「地球にやさしいエコライフ」や「田舎暮し」を気取る贅沢な人種とは違う。子どもたちはまだ小さく、これからが大変…とも言う。楽隠居できる身分でもない。

さて困った。こんな厄介な人をなだめる方法は思いつかない。しかし、焼酎の杯をながめながら、ある部分では私の方が医者よりも一日の長があることに思いついた。人の病気を治した経験がないかわりに、病気の経験ならくさるほどある。

「健康も大事だけど、病気も大事。人生設計をキチンとたてて、40代の適当な時期に大病をなさい」。仕事は誠実で有能な人に集中する。そうなると人並みに休めない。そんな人が40代の半ばから50代になってもバリバリ働くのは異常である。健康であることが病気なのだ。

一時「働き中毒」が問題になった。そんなことでもない。働き過ぎは個人の嗜癖や病理の問題でなく、社会、組織そのものが働き過ぎの人たちによって支えられている現実がある。社会全体が「働き中毒患者」に依存しながら、同時に忌避する。労働省という役所まで加担し、働く人間でいじめやすい部分を狙い撃ちしたこともある。

最近、階層分化が進み、はっきり三つに分かれた。懸命に働く人、働くふりをする人、働くふりさえしない人。前の層は「負け組」、真ん中と最後の層は「勝ち組」と言うらしい。お上は「負け組」に情けをかけるふりをしてきたが、最近はなりふりに構わなくなった。

こんな世の中で「負け組」が生き延びるためには、ゴムが延びきってはじける前に病気になって退避、あるいは逃亡するしかない。「中毒患者」が病人の扱いを求めて何の不都合があろう。

健康を商売にしている人に病気を押し売りする始末になった。彼は黙って聞いていた。否定も肯定もしない。翌朝、身の回りの品も商売道具も一緒くたに放り込んだような布のバッグを担ぎ、海浜用のゴム靴でフェリー「としま」のタラップを駆け上がっていった。悪酔いしたわけでもないらしい。

【写真は記事と関係はない廃屋。と思ったが、人の家を勝手に撮って廃屋は無礼だった。今は蔓草が占拠しているが、人が住めば家に戻る。蔓はサルトリイバラとは違う。調べてみると、ガガイモ科のキジョランという。島でよくみる蝶・アサギマダラの食草らしい】

行き別れ

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島では十字路を見ない。道路の交差は基本的にT字型、三叉路をなす。一周道路がぐるりと帽子の頭の部分・竹ん山を囲んでいて、支線は一周道路と会うところで行きどまり。外側に向けては海で行きどまりになるから十字路にはならない。

三叉路で特記されるのは、分校前の「文陽通り」と「中央道路」(一周道路)が交わるところ。ここは集落の中心部で、東京なら銀座。村の掲示板も三叉路の突き当りにある。ただ、鹿児島県本土なら必ず「石敢当」があるはずだが、それらしいものは見当たらない。

古老に確かめようと思いながらまだそのままだが、しろうと考えで風水の世界は四辺四角だと思い込んでいる。小宝島の麦わら帽子はまん丸。中心に竹ん山ががっちり構えているから悪い気もやんわり受け止め、受け流すのかもしれない。四角四面はどこかで力をいれて支えないといけないが、丸はそれ自体でおさまり、まわりまでおさめる。

島が丸いということが小宝の小宝たるゆえんであり、トカラ七島のなかで際立った特徴である。この島にいると座標軸でものを考えないですむ。思考は周回し、螺旋を描いて天空に舞い上がる。益体もないことをあれこれ夢想し、時間を費やしても、それを悔やんだり、イライラしたりすることはない。

帽子のつばの部分はあくまで平坦である。フェリーの船着場から牧場、集落、温泉場、発電所、横瀬海岸、ヘリポートをまわってまたもとの港に戻る。距離にして約2.6㌔。この間、登り坂も下り坂もない。

トカラの島々はどこも港から集落までの道が険しいが、この島だけは健康な人ならのんびり歩いて回れる。歩行障害の病人にとっては有り難い地形。もっとも、どこに何があるというわけではない。商店は一軒もなく、海と空だけがある。

島の三叉路で、私の知る限りひとつだけ、名前のついたところがある。だれがつけたのか「行き別れ」。本当は行き別れにならない。港の方から道なりに北に向かえば一周道路だから、どこまで行っても元に戻る。

海岸よりの右手に行けば、私が逗留している民宿「パパラギ」から湯泊温泉を経て、再び一周道路につながる。道は海と山に遮られて必ず一周道路に戻る。この島で道に迷うのは難しい。

例外もある。民宿の女将が車を客の青年に貸したら、相応の時間を経たのち挨拶もせずに宿の前を通りすぎたことがあった。ようやく庭先に車を止めたのは、ご丁寧にも、それからもう一度島を回ってきてからのこと。

青年は、女将の「お帰りなさい」という声も耳に入りそうにない切羽詰まった表情。そして、いわく「ここらに民宿があるはずですが…そろそろ着いてもいい頃合いなんですけど…」。SF映画「猿の惑星」と一緒。元の場所に戻ったことに気がついていない。

この青年、島の土を踏んだとたんに螺旋思考にとりこまれてしまったらしい。放っておけばいつまでも島を回り続けていたかもしれない。宿の方ものんきで、こんなことがあってもなお看板を掲げない。

【「行き別れ」の三叉路。名前はさびしい響きだが、実際には行き別れにならない。かつて分校の生徒がつくった田の神は草藪の陰で笑っていた】

テレビ

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島にもテレビはある。そして島で見るテレビもやはりつまらない。のんびり日を暮らす隠居の身でも、自称他称の有名人同士のなれ合いや、下積みの苦労を知らぬ政治家のおしゃべりにつき合っている暇はない。

オリンピックぐらいは見てもいいと思って受像機の電源を入れてみる。日本放送協会(NHK)で実況放送の前宣伝をやっていた。女性アナウンサーが「期待しましょう」などと言う。

余計なお世話である。うかうか口車に乗せられて時間をつぶしたあげく期待を裏切られたら、だれが責任をとるんだ。そう思い始めると、不機嫌の虫が騒ぎだし、やたらに当たり散らしたくなった。

オリンピックは、本来の趣旨と違って大国小国の国家意識むき出しの場になった。北京五輪の正体は中華五輪。そのなかで、日本のようなスポーツ団体大国(念のため、スポーツ大国ではない)になりあがった国がメダル争いにムキになるのは見苦しい。

気持ちは分からないでもない。うかうか自分までそんな気持ちになってしまうから、なおのこと腹が立つ。

競技種目自体、首をかしげざるを得ないものが多い。競争にそぐわない本来は気楽なお遊びや見世物だったものに点数をつけて喜んだり、悔やしがったりする。女性が力技を競う図も見たくない。

水泳の平泳ぎ、それに平泳ぎの反則技を思わせるバタフライ、背泳ぎなどで速さを競うのも変だ。短距離を速く泳ぐなら断然クロールだろう。自由形で速さを競うなら分かるが、「不自由形」で速く泳いで何の得になる。

クロールは遠泳にも向いているが、波が穏やかな時は昔ながらの横泳ぎもいい。でも、遠泳を種目に取り入れたら見る方も途中で飽きそう。水練をナマかじりしている病人があまり勝手なことを言わない方がいいかもしれない。

珍妙なのはビーチバレー。海辺でもないところで水着の若い女が風船玉を突っつき合う。それに、シンクロナイズド・スイミング。決まった型があるらしく、2人そろった選手が機械仕掛けのように動く。あれを振り付けというなら、下品極まる。

それなのに審査項目には「芸術点」というのがある。もともと下品だということを棚に上げても、芸術と点数は本来そぐわない。思わず「なんでこれが芸術か」とうめき声が出た。

芸術点といえば女子体操も変だ。昔と同じつもりで見たら、いたいけな子供の軽業だった。「芸術」などというまがまがしいものを成長過程にある子供に仕込むのは虐待ではないか。21世紀の人類はこんな因果なものを見て喜ぶほどに異常進化したらしい。

野球が五輪種目にあるのも不思議だ。プロの興行が成功し、社会的に定着している種目をオリンピックが取り上げるとプロとアマの境目がますます分からなくなる。その前に、野球を取り上げるなら、なぜゴルフを外す。ゴルフは嫌いだけど、筋が通らない。女子ソフトが次回からなくなるというのも分からない。

愚痴のついでを言えば、わが国の国営放送(?)は画面の隅に「アナログ」という文字を入れるようになった。「お前んチのテレビは時代遅れのボロ。日本人ならみんなデジタルだぞ」という声が聞こえてくるのは気のせいか?

宿のテレビは確かに映りが良くない。しかし、それは電波状態が悪いせいで、受像機自体はどこも悪くない。まだまだ十分に使える。これを早々とゴミに出して新製品に買い換えても事情は変わるまい。島ではデジタル放送をまだやっていない。


【写真は妊婦の顔(うね神)を宿のベランダから望んだところ。裏側、つまり右の横顔はもっと美人だった。記事とは関係がない。最初の写真が削除された恐れがあり、念のため再掲しました】

8月19日☀…竹ん山(標高102.7)に登った。分校の窓まではっきり見えた

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小宝島は麦わら帽子のような形をしている。帽子のツバにあたる部分はドーナツ状に広がり、標高はゼロ+アルファ。端は円形を描く。

島の周囲は4.7㌔という。車で回るとそれより小さく感じる。珊瑚礁に囲まれていているので、満潮になると海がうんと迫ってくるのかもしれない。大きさが変わらないのは帽子の頭の部分で、そこが竹ん山。

空気がきれいなので登ってみることにした。案内はいらないようなものだが、救護要員の必要は情けないことながら認めざるを得ない。宿の女将に先導を頼み休み休み登った。所要時間は40分余、普通の人の倍ですんだ。

山頂からは島の南部、東部が展望できた。人の居住区のすべてが見える。水平線が丸い。分校前の公園で遊ぶ子どもたちの姿は木陰の下で見えないが、歓声が響いてくる。

浜田ひろすけの詩「みぞれ北風ぼうず山」を突如思い出した。状況、季節は全く違うけれども、ここで初めて見る風景もまた、ふるさとの原風景だった。

【真下に見える分校。校庭をだれかが通っていた。思い切り声をあげれば聞こえるはずだが、用事のある人に用事のないものが声をかけるのははばかられた】

お盆明けの海

∇…入江と小島

∇…入り江の海

お盆の間控えていた水中散歩にでかけた。場所は宿に近い湯泊の入り江。距離は百㍍もない感じ。べらぼうに近いが、連続歩行ができない私にとってはこれが限度。

腰は2つの医療機関で診断を受けた。見立てはやはり同じ。ただ、手術を先延ばしにした場合、どの程度悪くなるのか…などについては見解にズレがあった。

体は1つしかないから所見にわずかでも違いがあると困る。2つの意見の中間点をとるというわけにもいかない。かくて「サード・オピニオン」。結果的には老練な専門医3人を煩わせた揚句、自分の病気を自分の身の内に抱え込んでだれにも渡さないまま、手術台に乗る寸前に逃亡した。

いつ死ぬか分からないのだから、嫌なことは後回しにして、まず楽しいことをしたい。3人目のお医者さんには具体的な遊びの計画を披露して陳情した。「夏は病院より海がいい。しばらく泳がせてください…」。

そんなわけで今、仮釈放中の身。存分に泳がせてもらっている。

小宝島で泳ぎの拠点としたのは4カ所。分校が海水浴場として使っている場所は除外した。ここは海べに行き着くまで歩く距離が長すぎる。途中、牧場を突っ切るので自転車も自動車も使えない。いきおい足場の悪い湯泊の入り江に入り浸ることになる。

湯泊の足場の悪さは私にとっては有り難い。普段でも這って歩きたいのだが、険しい岩場では白昼堂々と四つん這いが出来る。入り江の端には露天の温泉があって、体が冷えたらゆっくり温まればいい。

この年で海に入る目的は、まず筋力維持のための水練。もうひとつある程度の治療効果が認められているのは温泉。つまり「姑息療法」のふたつの柱が手近なところで用意されていた。

辛気臭い話が長くなった。「海がそこにあるから」などと気取ってみたい気持ちもある。それも、ただの海ではないから放っておくわけにいかない。水面からのぞく海の風景は格別である。珊瑚礁を縫っていろんな魚が泳いでいる。魚種の豊富さ、魚の密度は水族館の大水槽を思わせる。顔をあげると小さな熱帯魚の群れが蛍光を発しながら鼻の先で遊んでいる。

盆明けに久しぶりに泳いでうれしい発見があった。郷里の海ではお盆を過ぎたら湧いてくるイラ(アンドンクラゲ)がいない。子どものころ、イラの姿を見るのを機に海水浴をあきらめるものだったが、これが出ないのならば海遊びをこの先も当分は続けられる。


【写真上は湯泊の入り江。左端のコンクリートに囲われたところが露天温泉。手前中ほどに見える浴槽は前触れもなく熱湯が湧いてくるので浴用には適しない。写真下は上から覗いた水面。普段はモンツキハギやチョウチョウウオ、ベラなどの姿を陸上からも見ることができる】

ボゼを見に行きました

∇…089⇒400

悪石島は小宝島のすぐ北にある。南北に連なるトカラ列島のなかで、小宝…悪石の間の隔たりが最も大きい。いわば近くて遠い島。筆者の気持ちの中では悪石から北は北トカラ、小宝から南は南トカラと区分けしている。場合によっては北トカラに青森、北海道まで入れてもいい。南は国境を越えるかもしれない。

さて、話はボゼだった。悪石島に伝わるという奇習・ボゼは前から気になっていた。日本人の血と意識の底にある古い美意識に、南方由来のものがあるのは確かだけれども、その濃さはどの程度のものなのか? 

しかし、こんなことに拘りをもちすぎてはいけないという気持ちもある。以前、民俗学の研究者を怒らせたことがあった。ご先祖が捨てきれないでいたガラクタを古い長持ちの埃を払ってぶちまけ、仕分けしてみたところで何になるんだ…。半分は本気でそう考えているから相手が怒って当然だった。

16日はお盆の最後の日で、小宝では「浜降れ」(御霊送り)があり、これに出さしてもらうつもりだった。それが村営船「としま」の出港時間がせまる頃になって心変わりし、気がついたら船に乗っていた。顛末を語るとまた話が脱線しそうなので控える。

とにかく、ボゼ見物に行ってきた。幸せな気分になって帰ってきた。

ボゼが乱入する前と後で土地の人が歌い踊る。単調で、言ってみれば芸がない。それが良かった。数年前の写真では踊り手はみんな浴衣姿だったが、ことしはズボンの人の方が多かった。それも良い。よそから来た見物客に余計な気をつかうことはない。

島の人が思い思いに祈り、心を浮き立たせる。それだけでなく、よそから来た人にも楽しんでもらう。そんな気持が自然に伝わってくる。焼酎と弁当は船に置き忘れてきたけれども、ビール、焼酎は島の人が盆に載せて運んでくる。手作りの豆腐や野菜を煮込んだ「煮しめ」も振る舞われた。手間と時間を存分にかけ、キチンと下ごしらえがなされた料理だった。

収支決算を言えば間違いなく赤字。「島おこし」などというケチな話ではない。心のあり様の問題だ。古式を失いながらも、その意味で祭りは今に生きている。宴のあとにも島の人たちが幸せな気分でいられるのを祈るばかり。

翌日の早朝、小宝に帰った。島は「褻(け)」に戻っていた。「これで良いのだ」。浜降れは心残りがするけれども、腰を据えていれば小宝の「晴れ」と「褻」の場面転換もまた、穏やかで心のこもったものであることを知ることができるはずである。

【祭りの写真にはどうしても人の顔が映ってしまうので、サムネイルで出したら、なるほど小さい。見る人がクリックして画像を大きくすれば、同じことなのか? サムネイルならいささかでもプライバシー保護効果があるのか分からない。暇な人がいたら教えてもらえれば幸甚】

終戦記念日

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8月15日(土)☀
……テレビをつけなかったので式典の模様は知らない。島の15日は、カンカン照りの太陽に蝉の声。鹿児島で何度も過ごした終戦記念日と同じ。ただ鹿児島市では正午にサイレンが鳴らされるのに、島ではそれらしいものに気づかない。

12時半を過ぎて、道路ぎわの高い柱に取り付けられた拡声器が「防災十島村」を流した。「フェーリーとしまは、口之島港を、午後零時30分、鹿児島港に向け、出港しました…」。
村の「防災」情報のほぼすべては村営フェリーの運航にかんするもので、これは普段に聞きなれている。

かつて小宝島も戦場になった。旧暦4月の祭りの日にグラマン2機がやってきて、機銃掃射で男女2人が負傷、ササやぶに曳光弾が撃ち込まれ15戸数十棟が全焼したという。この記録を確認するために先日、島の古老を訪ねた。焼失家屋の数と草木に覆われた現在の風景との差がありすぎると思ったからだ。

古老は誇張ではないことをうけあった。大日本帝國の東条英機首相兼陸軍大臣の金切り声が届かないところで、静かで確かな暮らしがあった。それが瞬時に灰燼に帰し、63年たった今、草藪と樹木の勢力に席捲されながら10棟ほどが復旧している。戦闘機2機が周囲4㌔余の島を低空で往復するのに何分かかったのだろう?

島にはラジオがなく、玉音放送も知りようがない。島びとが終戦を知ったのは8日後。名瀬から来た舟が伝えたという。                                     (^-^)/`

【写真は分校前の「文陽通り」。掲示板がある突き当たりの三叉路で島のメーンストリート「中央道路」(一周道路)とつながる。文陽通りの左側の区画が草木まで焼けたという】

未明の登校

湯泊♨の近くから小島にかかる日の出を望む

8月14日(木)☀
……昨日の夕方、復旧を確認した回路(無線LAN)が夜になって切れた。未明になっても回復していない。原因不明、姑息ながら対処法はある。この装置の心臓部にあたる椀型電波感知器(パラボラ・アンテナ)に繋げた増幅器 ( ?__そうであろう思っている。違うのかもしれない。人に聞けば難しいカタカナを並べるに決まっているから聞かない) の電源を一度切ってしばらく休ませると、機械はしぶしぶ動き出す。

装置一式は宝島小中学校の小宝島分校に置かれているので、懐中電灯を用意し、自転車を漕いで登校する。夏休み中にせっせと精勤する定時制の生徒になった気分。……分校からの帰り道に空は白んできて、小島の真中から日が昇る。この光景を言葉で説明するのは難しい。(__写真は湯泊温泉がある入り江で撮影)

今日は空と海の境目がくっきりしている。宿の2階の食堂から悪石島、諏訪之瀬島の先に平島、さらに臥蛇島、中之島まで見える。ここは小宝丸の艦橋(ブリッジ)。西北西の方位に竹ん山(標高102.7㍍)が迫るが、ほかには視界を遮るものがない。                          (^-^)/`

「小宝丸」

8月12日(火) ☂⇒☀⇒☂⇒☀……風は激しく変化するも多忙とズボラのため記録せず……城之前港内で泳いでみる。藻が発生して視界不良。波が穏やかな日に珊瑚礁の岩場周辺で潜る方がずっといい。

……未明まで一時は土砂降りといっても良さそうな雨だった。ほどなく本物のカンカン照り。「熱帯性」という人がいるけれども、確かに…小宝島では雨は長く続かない。日中も二回ほど雨に見舞われた。通り雨というよりスコール。

……はて? スコール? うっかりこんな言い方をしたが、実のところ「熱帯性」というくくり方もしっくりこない。だいいち熱帯がどんなものか知らない。若い頃、フィージーの首都スバあたりで1週間ほど過ごしたことはある。あちこちに加工用のココナツが干してあって、その饐えた臭いが満ち、風景は乾いていた。それなのに湿度は結構高かった。

これに比べれば、小宝島の空気の方がよっぽどカラリとしているかもしれない。日差しの強さ、気温の高さもひけをとらない

……それでも小宝島を「熱帯」「亜熱帯」と呼ぶのには違和感がある。気象や生物相をみれば確かにそれらしい趣だけれども、住んでいる人は熱帯人でも亜熱帯人でもない、おおむね日本人。琉球奄美系の人もいるが、やはり日本人としか言いようがない。みんな東アジアに特異な文化文明の香りと垢にまみれた体臭が染み付いている。

人間というのはしょうもない生き物で、気象まで手なずける、と言って悪ければ、とりこんでしまうようなところがある。生物相に至っては勝手に動植物を持ち込んで生態系を変えてしまったりする。

自然を畏れぬ大ボラとハラカク人もいるかもしれないが、怒る前に今はやりの地球温暖化問題に思いを及ぼしてほしい。南太平洋やインド洋の小さな国は海にのまれるらしい。東京でマラリアが流行ったりするかもしれぬ…という。熱帯の、温帯の…とのんきなことを言っておれない。

……そのへんの事情を考えると小宝島は熱帯でも亜熱帯でもない。海に没する事態を早取りしたわけではないけれども、気象については「海洋性」といった方がしっくりするような気がしている。もっとはっきり言えば、小宝を陸だと思うのが間違いだと考えている。

海洋性の気象にさらされたサンゴ礁の突起…。そこまではすぐに思いつくが、はて? 島は本当に陸なのか? 住んでみると一艘の舟のような気がしてくる。穏やかな日和なのに波が激しくぶつかったり、雲が走ったりする。船の甲板からみる風景と同じ。ひょっとしたら、1平方㌔という面積は、客室や船員の仕事場・居住区域が幾層にも重なりあっていたであろうタイタニック号より狭いのかもしれない。

小宝丸はみんなが船員で、みんなが乗客で、乗員乗客およそ50人。1等、2等の区別はなく、みんな3等。決まった針路もない。船長もいない。推進用の機関もない。巡航速度も最高速度も同じ0ノット。( …船長と機関長はいるゾ…という人がいた。よくよく糺すと「仕事はセン長、人の言うことはキカン長」とか )。

……ことのついでに「大日本國」を船にたとえれば、いちおう船長がいて、動いているはずなのに針路が見えない。船底は水漏れだらけで沈没寸前。そんな「日本丸」からそう遠くない日に「小宝丸」に有無を言わさぬ号令がかけられることになるかもしれない。

…………ここまで書いて気分が萎えた。この先を語ると、どうにか押さえこんできた鬱の虫が騒ぎだしそう。そんなわけで、気鬱の前兆がおさまるまで、想定される号令についてはブログを読んでいただ
いた方に勝手に考えてもらうことにする。今のところは平にご寛恕を乞うのみ。
              
【写真は「小宝丸」。妊婦があおむけに寝た姿を連想させる。胎内回帰するのはいいけれども、母体が妊娠中毒を起こさないようにせねばならぬ⇒⇒写真は新しいものと入れ替えました。以下の「全文表示」にあります】

ジンベエと三太郎

∇…jin and san

 自分を大人と自覚せざるを得ない年齢になって、生き物の類は飼うまいと決めた。甲斐性なしで家がない。狭い借家で動物を愛玩すること自体、許しがたい虐待だと考えた。

 娘は並はずれた動物好きで、家で飼えない代わりに通学路周辺の犬猫とはすべて仲良しになっていた。彼らの出自はもちろん、飼い主および愛玩動物の性格、異性関係(念のため、この場合、飼い主は含まれない)にまで通じていた。口にこそ出さなかったが、自分の父親を鬼だと思ったことが幾度もあったはずである。

 鬼畜の親が、気がついてみたら畜生と良い仲になってしまっていた。ケ死ん前の人間のやることだ。許せ! 
 あえて弁解すれば、掟は破っていない。動物を飼うのは絶対の禁忌(タブー)であることは揺るがない。でも、自分が動物から飼われる分にはさしつかえはなかろう。もともと、というか今でも、人の家の犬と猫。彼らの友人であることで、その家では私も友人としての処遇を受けている。

 猫のジンは今、鹿屋にいる飼い主の家族のもとに身を寄せている。生まれつき耳が聞こえず、動作もにぶい。それでいて不思議な威厳があった。
 犬のサンは一緒に小宝島の民宿暮らし。彼もどこか高潔な魂をもっている気配。人にたいしてことを構えることはせず、吠声を発しない。先日は彼の喉からかすかに唸り声が漏れているのを初めて聞いた。

 と思う間もなく、ハイビスカスの根元に飛び込んだ。なんと中にトカラハブがひそんでいて、大格闘のすえ見事に退治した。芝生に長々とのびた一件をみると、なんと1メートル50センチ近い大物。これまで島で見たもののなかでは、群を抜く大きさだった。
 その際、サンも名誉の負傷をおった。この報告はいずれ…。


【写真向って左が居眠りジンベエ。右はハブ狩り三太郎。ジンは人が好きなくせに嫌いなふりをしている。サンはだらしないほどの人間好き。番犬にはならない】
 

牛の整列


  小宝島の港のとっつきに南風原(はえばる)と呼ばれるところがある。ここの住民は20頭ほどの肥育牛。住民の業務はみんな一緒で、いつ見ても草を食うのに余念がない。

サンゴ礁を覆う広い草原で思い思いに草を食んでる。……と見たのは、こちらの思い込みだった。よくよく見るとみんな同じ方向に体を向けている。一種の秩序がある。

∇…DSC00582 (2)

 牛の棟梁がいて号令を発している気配はない。合図を交わしあっている風にも見えない。それでいて、みんな頭を同じ方向に向けて、モクモクと草をはむ。

 立ち止まって風の動きを探ってみた。今日に限って風が動かない。動いているとすれば北ごちだろうか。とすれば牛たちが頭を向けているのは風上の方向。なぜ風上なのか…? 結論は急ぐまい。いずれ牛が教えてくれる日もあるだろう。

島流れ

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