じじらぎ

  

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自給自足

∇…018


アダンさんのコメントを受けて、前回の補足をする。

おっしゃるとおり栄養士さんは確かに仕事をしている。ただ、私の場合は横になって時が過ぎるの静かに待つという病人の心掛けが守れなかった。病院の車いすを無断借用し、別棟の病棟まで遠征、巡回査察した。栄養士さんが想定しない代謝があった。 

だから、ちょっと物足りないと思ったのは自分の責任。この問題、もうひとつ我儘を通すことで解決した。早めの退院を請願し、焼酎を基礎摂取量(?)に加える元の生活に戻った。ただ、病院の食事体験を胸に刻んで、食糧確保にあたっては無駄を省くよう心がけるようになった。

さて「メタボ」問題…。島の暮らしに肥満軽減の効果があることは期待していいのかもしれない。若いころ船で南太平洋に行ったことがあるが、このときの船上での食生活を思いだす。食いたいだけ食った。それでも太らない。

船の生活は、揺れに対抗するために絶えず全身の筋肉を使う。退屈しのぎに当時の「船員法」をめくってみたら、乗員には1日4000㌔カロリー以上の食事を提供せねばならぬ…と書いてあった記憶がある。法律が大食を保障している。

その船では凪の日も嵐の日も食事は日に4回。航行中の船は夜一斉に就寝ということをしないから、24時間を4つに分けて、食事も6時間ごとに供された。時化の日は船酔いで寝込んでいる人の分にまで手を出した。それでも太らない。

「小宝丸」は洋上に浮いている趣ながら、ほとんど揺れない。それなのに、うっかり食い過ぎ、飲み過ぎしたと思っても体重にただちに反映することはない。 

眼の先まで迫る海と上空を覆う大気は絶えず揺れる。これに抗して島は懸命に踏ん張っている。乗員乗客も知らず知らずのうちに島の踏ん張りを手伝っていて、それに伴う熱量の消費があるのか? あるいは潮風にメタボに効く未知の成分が含まれているのか? 

「自給自足」は夢の夢。しかし、目標をはるか遠くに望みながら、せめて今できることないか考えるだけでも楽しい。 現実にはコメも買う。お金さえあれば、全国各地の特上米を選り取り見取り。しかし、わざわざ「××産コシヒカリ」より高い値段で、お隣の宝島の米を特注する人がいる。

もちろん懐にゆとりがあるわけではない。「おいしいんだよ」という。手近なところで見知った人が手塩にかけてつくったと思えば、それだけで味が違ってくるということか。自給自足は共鳴支援することさえも一種の贅沢かもしれない。

島では、なにもかも成長が早い。定宿の女将はパパイアの苗を植えたから、来年はこの実を漬物にして奄美の名物料理「鶏飯」(けいはん)が作れるという。あとシイタケの菌とヒヨコが自給できていない。これの調達をどうするかについては聞いていない。


【写真は分校の隅に生えていたキノコ。うまそうにも見えるが、島の人は食べないという。とにかく潮風のあたる珊瑚礁の上でも菌類が自生できることだけは確認した】
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栄養士さんご苦労さん

∇…2008年01月10日_病院の朝飯
【朝】卵、納豆、ご飯、具と味噌を控えた味噌汁
∇…2008年01月10日_昼
【昼】パン、ブロッコリー・ニンジン・茸類の煮物、海藻ともやしの和え物、ジャム、牛乳
∇…2008年01月10日_夜
【夕】鯖の照り焼き風煮物にオクラ・トマト、サラダ、ご飯、豆腐とエノキ茸らしきものが浮遊した吸い物

今日は吐火羅(とから)7島から200㌔あまり隔てた、列島の尻尾の病院に入院していたころの話。面白くもなんともないが、九州島の中都市で久しぶりに過ごしたら風邪をひいた。無菌地帯で過ごした者が街にでると病気にかかりやすいのかもしれない。 具合がわるくなると、三度々々の賄いが面倒になる。上げ膳据え膳の病院の飯をなつかしく思いだした。

特段においしかったということではない。以前、循環器、消化器の病気で入院した2つの病院に比べると、盆の上の風景が見劣りした。が、まずかったとも言わない。

眼で食う…というけれども、この辺は最初からあきらめるべきだろう。この病院は低コストで大量生産したことを上手に隠す工夫までは手が回らない気配。ともかく「健康で文化的な最低限度」の食事の水準は超えているであろう。つまり、これが日本国民の標準食。ずっとつましい食生活をしている人はいくらでもいるはずである。

栄養士さんが厳密なカロリー計算をしたと見えて、こっそり間食をしなくてもお腹がすくということはなかった。自分で食事をつくるときは手近な物産館などで地場の材料を調達しており、この病院よりむしろ薄味だが、飯を食うために入院したわけではない。贅沢を言える立場ではない。

前の病院でもそうだったが、8時の朝食までが待ちどおしかった。夕食の6時は普段の生活の時間割りより早い。初めのうちは賄いの人たちが早じまいできるように夕食を早くしてあるのでは…と勘ぐったが、これは邪推だった。

夕食は早めに済ませて、寝るとき消化器に負担がかからない状態にした方が身体の具合がいい。朝は英語では breakfast という。ファストというのは断食のことらしい。体調のためには断食期間を長くおいて朝飯が待ちどおしいくらいが良いということも身をもって学んだ。

まぁ、それだけの話。この日の食事は特に貧弱でも豪華でもなかった。半年以上も前の話で、記憶は不確かだが、昼食の品数は普段より多かったのかもしれない。病院の経営は余程むずかしいとみえて、三度とも、コスト削減の努力の跡をしのぶことが出来る。これをとやかく言わないのが崩壊寸前の健康保険制度の恩恵にあずかっている国民の心がけであろう。

しかし、好き嫌いはありませんと言い切ったことを後悔することもあった。旧日本人には牛の乳を消化する酵素が少ない。人種的な特性をいかして牛乳は下剤として使っているから昼より朝に添えてもらった方が好都合である。薬と思えば鼻をつまんでも飲むけれども、毎日は要らない。
 
ジャムは普段食べない。焼酎でカロリーをとっているからには甘いものは控える。病院で焼酎を注文する訳にはいかないので、ジャムも食ってみた。

入院中はほかに仕事がない。とにかく完食に努めた。それで体重は減りも増えもしなかった。顔を見たこともない栄養士さんが頑張っているらしい。ありがたいことである。

先日うたた寝から覚めたら、つけっぱなしのテレビに「ギャル曽根」とかいう、顔に下品な塗装を施した娘が出ていた。むかし似た名前の首相がいたから、爺さんが芸のない孫娘をテレビ画面に押し込んだのかと思ったら、恥さらしの大食の芸(?)を売り物にする「有名人」という。

彼女などはこの病院に強制入院させて、ありがたい思いを味わってもらいたい。それが法律上無理というなら、罰あたりの大食娘を食いものにしているテレビ各局は、今から彼女の医療費をまかなうための積み立てをしておくべきである。

健康にかんする私のささやかな知識では、彼女はほかの故障がでなくても、いずれ人工透析を受ける。必死に働いて律儀に税金などを払ってきた挙句、年をとって暮らし向きが窮迫すると健康保険証を取り上げられる病人がいることを伝えたのもテレビ。そのテレビが、まさか彼女にかかる高額医療費を公的な扶助制度に押し付けるつもりではないだろう。

トカラ サンライズ レストラン

∇…2008年09月11日_DSC06141


以前、アンジさんが問題提起した言葉の問題について少し考えてみる。言葉は生き物だから時代によって変わって当然…という考え方は当たり前のことだから異論はない。この間、物故された金田一春彦さんもそう言っていた。

もちろん、この人とは面識がない。知人に国語学者がいて恐ろしい人だという話を聞いたことがある。学会での研究発表のあとには質問の時間が設けてある。ひととおり質問が出て、そろそろ次の発表に移ろうかという頃合いになって金田一さんが手を挙げる。ついに来た…という感じで、発表者は震え上がったとか。

そんな人がテレビでは好々爺然として、言葉の乱れは今にはじまったことではありません、そんなに目くじら立てることもないでしょう…とおっしゃる。これをそのまま真に受けてはいけない。おそらく、テレビのおしゃべりではひとまず、呑気な話をしておいて文章ではもっとキチンとしたことを書いていたのではないか? 

ひねくれ爺ぃの推測では、三流の研究者や似非学者がテレビの画面にしゃしゃり出て偉そうな講釈を垂れるのを皮肉っただけのことではないのか。そして一般の視聴者には、やたらに難しいことを、もったいぶって話をする人にだまされてはいけませんよ…と言いたかったのではないか。

なんにつけても話は難しくない方がいい。難しいことを知ったうえで難しい言い方を避ける金田一さんと難しいことを知らないまま難しいもの言いを嫌う私とでは、月とスッポン。大変な差があるけれども、結論がいっしょなら構うことはない。話を難しくしてもロクなことにならない。

上の写真は、日本でいちばん移動距離が長く、時に及んで床が傾くことでも追随をゆるさない村名物の食堂の看板。村営船「としま」の最上階の甲板にある。「サンライズ」といっても今の運行時間では日の出を拝める時間帯にはたいてい閉まっている。

「レストラン」というのもご愛敬。献立はカレー、焼き飯、あとスパゲッティの類もあるかどうか忘れた。町の大衆食堂の方がよほど品数が多いと思うが、とやかく言うつもりはない。持ち込み自由で、私も弁当はもちろん、ビールまで好みのものを持ち込んで、有り難く使わせてもらっている。文句を言える筋合いではない。

ともかくカタカナの「トリプル・パンチ」と相なった。まるで電文のようだが、トカラを漢字にしなかった点には賛同する。今、「吐●喇」という漢字表記が9割方を占めている。ところが私の汎用演算機(コンピューター)では●の文字が手書き入力でも出てこない。島の人でもソラで●を書ける人は少ないだろう。

この看板では、そんなもったいぶった漢字表記は使わなかった。字画が多いから重みが加わるという浅知恵にくみせず、あっさりカタカナでかたずけたところは見識と言うべきであろう。

「吐●喇」が圧倒的な勢力になったのには、県外の広告業者が絡んでいるとみている。島で暮らす人間の不自由に配慮がない。口へんが三つも並ぶけれども、島の人びとが、取り立てて口数が多いわけではない。むしろ口をだすのを控えすぎて、はたから見ていてもイライラする。

トカラ列島を漢字で書くなら、むかし使っていた「吐火羅列島」でも「宝列島」でもいいと思う。「吐●喇」と比べてどちらが由緒があるかどうかは、そんなことが飯の種になると勘違いしている雲の上の三流学者が争いの種にすればいいので、島で暮らす人間の知ったことではない。とにかく島の不便さはできるところから取り除きたい。
 

詣らん神ナ祟らん

出来ごころを起こして墓参りにいった。墓所は東シナ海を見下ろす高台にある。そのてっぺんにつくられた狭い駐車場まで行くのに気をつかった。そこに至る細い道のあちこちに車が止めてあって、それをすり抜けたと思うと対向車がやってくる。どうにか駐車場に車を押し込んだときは正午をまわっていた。

祖父が生前に建立した墓はこのあたりでいちばん古い。墓石を支える納骨堂だけが立派なのは、墓石屋さんにも律儀な人がいて「お父さんにはお世話になったから」と、相場の半額でつくり変えてくれたおかげである。墓は見晴らしのいい格別に目立つところにあるのに、納骨堂にヒビが入り、雨漏りしているのを見かねていたらしい。

私が納骨堂の相場なんぞ知っていたのは、以前に出来ごころを起こした時にお座なりな墓参りが終わるのを待ちかねたように、隣町から来たという業者が寄ってきて見積もりをしたからである。当方は親鸞聖人が「私の骸(むくろ)は鴨川に放り込んで魚の餌にしろ」と言った話を半ばまともに信じているので、そのときは断わった。しかし、毎日のように墓の前を通る地元の石屋さんからの申し出となると断わりきれない。

墓石本体はすでに苔と馴染んでいて、これをこそぎ落とすとただでさえ貧弱な石がなお細る。土地の人がいう「墓こしたえ」、つまり墓石の苔落としはしないから墓参りには時間がかからない。粗略かつ手短で、こんなのを土地の訛りでは「テゲテゲ」(大概々々)という。テゲテゲは近年になって悟りをひらいた私の信条。実は、言い訳半分、居直り半分の屁理屈。

墓参りをやっつけて駐車場に戻ると、残っていた車は愛用の軽自動車を除けば1台だけ。道路わきに止めてあった車もほとんどいない。なにぶん、この炎天下では日陰のないところに長くいられない。昼飯どきになったのを潮に、みんな引き揚げていったらしい。

帰りの車のなかで、生まれも育ちも東京の友人の話を思い出した。私たちの世代までのことかもしれないが、東京の人間には意外に律義なところがある。節目々々の儀礼や行事をおろそかにしない。妙に迷信深いところもあった。

その男が言うには、墓参りは午前中に済ませるものと決まっていたらしい。やむなく、昼を過ぎたときは墓前の土を手のひらで2、3度たたいてから帰る。そうしないと地下でゆっくりしていた霊が動きだすから、あとしばらく静かにしていてちょうだいナと諭す…。ご先祖の霊がおでましになっても何の不都合もないし、ご先祖に下知ができる立場ではないのだが、真面目に生きてきた古い人びとのこだわりに口をはさめる立場でもない。

ふるさとの浦浜ではそんな話を聞かなかった。しかし、私が聞かなかったと思うだけで、本当は同じような俗信があったのかもしれない。そんな俗信も慌ただしい今どきの暮らし方では実用の役には立たない。陳腐に見えて、いつしか忘れら去れたのかもしれない。そのへんのところは未確認。

昔の人は俗信、迷信へのこだわりを捨てきらないまま、距離をおいてつき合ってきたところもある。子どものころ、墓に上る坂道で母が転んだ。それを見ていた伯母が間髪をおかず茶々を入れた。「そら見やい。詣(め)らん神(かん)ナ祟らんチ言うもんじゃ」。それ見たことか、お詣りをしない神仏は祟らないと言ってきたではないか…というのである。

かく言う伯母だってご同類。墓参りはテゲテゲに済ませたいという心掛けがなかったとは言えまい。墓参りの行きがけ、難儀な坂をのぼるときに発せられた軽口だったからこそ面白い。これが帰りがけだったら、おどろおどろしい憎まれ口になる。帰り道で誰かがズッコケたら、ひょうきんな伯母だってとっさにいたわりの言葉をかけたに違いない。

村の風景

20080921174044

上の写真もまたトカラ列島の風景の一つ。携帯電話に写真機の機能がついていることは知っていたが、初めて使ってみた。ところが室外では液晶画面が暗くてよく見えない。いい加減のところでシャッターを押したら、空はどっからみても空ながら十島村役場が傾いていた。

右下の黒々と映っているのが4階建ての村役場、このビルのなかに村議場があり、隣のビルには教育委員会がある。すぐ左に明るく映っているのは通りの向かいにある第十管区海上保安本部、左端の山は桜島で4㌔の海を隔てている。

事情を知らない人には奇異な風景だろうが、村役場は鹿児島市にある。かつて中之島にあったのを移転して半世紀以上。そのせいかどうかは知らないが、村の財政は傾くだけ傾いた。

揺るぎのないのは役場の上の空だけ。小宝島の雲と違ってせわしなく動くことはなく、空に張り付いているようにも見えた。

「格子の眼」

∇…2008年09月04日_DSC06073~1

何日か前の「星とスケベ(?)」をアンジさんが「半端者」のブログでひきとってスケベ論を書いていた。ああいうのを「カムアウト」というのかな? 居直った風に受け取れないこともないが、それが今風の感覚なんだろう。話をジジむさいところに引き戻さない方がよさそうに思った。

しかし、心のこもらない懺悔を装いながら、スケベは古今東西、世代時代を超える普遍的な問題であると暗に指摘している趣もある。ならば、ジジが口出しをしても構うことはないと考えを改めた。

実は加齢にともなって存分に中性化した私もスケベ問題から解放されていない。不覚にも女性の尻に視線が走ることがある。あわてて目をそらす。そして、おもむろにあたりを見回し、誰にもバレなかったことを確認して胸をなでおろす。

こんなことで忙しい思いをしてはいけないと反省する。それでいながら、二度とやらないことを請け合う自信もない。 かつて人間のオスであった名残を示す罪のない習性…とも考えてみる。しかし、どこかやましい思いは消えない。

盟友のサン太郎と一緒に散歩して閉口することがある。他の犬と行き会うと尻の臭いを嗅ぐ。犬だけならいい。ついでに人の股間に鼻面をもっていく。相手が女性の場合はあわてて首紐を引っ張るのもはばかられる。さりげなく視線を外し、空を仰ぎながらお天気の話などをしながら引き離す。

サンは、とりたてて女好きというわけではない。実は生まれたときの性は牝だった。ほどなく人の手が加えられ性は中立化した。いまでは本能的欲望は食に収斂している。人間界の常識では時に礼を失する奔放な振る舞いは好奇心に由来すると思われる。ほんらい罪のない行動である。

ものの本によると、犬が人の股間を嗅ぐのは個体識別のためという。私の見るところでは、それだけでもない。とうに識別済みの私の股間も嗅ぐ。声を出さないはずの急所がサンにたいして何か語りかけているとしか考えられない。 退屈しのぎにサンにいたずらを仕掛けることがあるから「アホ爺ぃが悪さを企んでいるぞ」という警報が股ぐらから出ていないか確認しているのかもしれない。

さて、話はスケベ問題だった。 私だってスケベには違いないが、劣情をもって人さまの尻を見たつもりはない。ひょっとしたら表層の意識の及ばぬところで女性の尻と会話を交わしている可能性がある。となれば、私の方は積極的に話をしたくなくても向こうの方から話しかけてくる場合だって想定していい。私ひとりが一身に罪を負う必要はないのだ。

……中途半端ながら、おしゃべりはここで一区切りにする。犬畜生に劣る人畜生の極道がキリストについて語りたくなった。敬虔な信者の逆鱗に触れないではすまぬ。愚にもつかぬおしゃべりに付き合わされ、清らかな眼を汚されたことにたいする怒りで目の前が真っ赤に燃え、ジジが地獄に落ちるよう神さまに祈りたくなるのは必定である。そんな不穏当は私も望まぬ。くれぐれも自己責任をご承知のうえで続きをご覧ください。

情報過疎の島の不思議

∇…∇…010


島では情報が正確に伝わらない傾向がある。よくデマが飛ぶ。デマは罪のないものと、迷惑なものの2通りある。原因は調査中だが、社会心理学的な法則性を認めることはできる。ひとつは不完全な情報は単純な誤報以上の印象を与え、台風と同じく暖かいほど勢力を増すということ。もうひとつは、デマは事実よりも早く広く伝わるということ。

島は28世帯だけだから、誤報がこの範囲に封じ込められるかといえば、安心はできない。他の島に親戚や知人がいるので海を越えてトカラ列島全体に一挙に広がる恐れがある。遠いところから伝わった珍奇な情報ほど語り草になりやすい。

【写真は島の公共情報機関である拡声器。時にはこれが伝える情報も不完全なことがある】

【追記】このおしゃべりを公開直後に出した「お詫びと訂正」を削除しました。台風13号は悪女の深情けのような始末の悪い動きをしており、このままだと「訂正の訂正」を出さなければならない雲行き。情報が正確に伝わらない現象にあらたな実例を加えた……という見方もできますが、この問題は後ほど整理しなければ…と考えています。すみません。このおしゃべり自体が情報としては不完全なものになりました。

☀……(七島灘)……☂

有線電話を通じて得た情報によると小宝島のきょうは一日中晴れだった。きのうまで2日間雨模様で鬱気味だったサン太郎も元気を取り戻したという。夜は村の住民センターに集まって敬老会があるという話は聞いていた。さぞ賑やかなことだろう。

島から300㌔ほど離れた鹿児島は雨。サンより感覚がにぶい私も鬱になった。雨だけのせいではない。きょうが国民の祝日だったことを忘れて片付けるつもりにしていた用事が何もできない。敬老の気持ちがあるなしにかかわらず病院も役所も休み。かくて鹿児島在の老人は独り雨に降り籠められてふさぎこんだ。

島なら雨にもそれなりの面白みがある。たまには傘なしで外に出るのもいい。本土ではそういかない。温度湿度が違うせいではない。島より空気が汚れているということでもなさそう。どうも雨のタチが違うような気がしている。どのように違うのか、なぜ違うのかは、まだ見えてこない。

島の住民センターには17日夜にも人が集まるという。これは年間計画にない臨時の使用。ここにはついでのときは無断で入って空気を入れ替えてやったりした。ふだん使われないので畳が干からびていくのが目に見える。畳だって外の風と人の肌のぬくもりがほしいはずである。

17日の使用目的は台風13号でケガをしないための避難である。島の人たちは台風がこの日の昼過ぎから直撃ないし最接近すると決めた。この決定にはしかるべき手順が踏まれたわけではない。みんなそう思っており、異議を唱える者はいない。

島の人たちの天気予報は気象協会あたりの発表より早い。狂いも少ない。観天望気の達人がいるというわけでもない。みんなが何となく肌で感じるところがあるらしい。そういえば子どものころ郷里の漁村で妙な夕焼けを見た。どういうことだろうと思っていたら3日後に台風がきた。島で暮らす人たちがいわく言い難い感覚を身につけていてもおかしくない。

島の台風は足が遅い。その分、暴風雨にさらされる時間が長くなる。吹き返しもきつい。吹き飛ばされそうなものを屋内に取り込み、あとは耐えるしかない。煙草のみの人たちは2,3日前から吸殻をためておくようになったとか。あと出来るのは長期の停電に備えて冷凍庫のものを腐らないうちに処分することくらい。

宿の女将は食いしん坊のサンにも手伝ってもらうという。そして、いよいよという時は痛み止めの膏薬を腰に張って風を止める、と息巻く。 ……いくら体重に自信があっても、少々の食いだめで重しをつけたくらいでは台風に立ち向かうことはかなうまい。

台風13号

はるか南の海で台風が発生したという。熱帯低気圧に毛が生えたようなものだろうと思っていたらあっという間に935(…単位がミリバールからヘクトパスカルになった。今まで馴染んできたものを、わざわざ音節の長いむずかしい言い方に変えた。面倒を好む人たちにくみしたくないから省略…)の強い台風に変わった。

このまま北上すると七島灘は大シケになる。船が日程を繰り上げるというので、あわてて11日午前の宝島折り返し便に乗った。これに乗りはぐれると、あとは17日。この日に台風が絡むと23日に延びる。季節が季節だけに23日も船が必ず来るとは限らない。グズグズすると命の綱の薬が切れる。雑用もたまっている。

鹿児島港には12日午前零時半に着いた。当座の拠点は長いこと留守にしていた鹿児島市内の借家。よんどろころのないことで、「小宝島日記」は当分お休みにせざるを得ないことになりそう。
この間、番外編「カゴ島日記」でつなぐかどうか…。カゴ島も本州も北海道もトカラ列島のシッポではないかという気は前からあったから、「トカラ列島 カゴ島日記」でもおかしくないのかもしれない。

トカラハブ

おおかたの人は長い生き物を嫌う。理屈の問題ではない。どうも、ご先祖さまが長いものに余程いじめられたのか、あるは、いじめすぎて後ろめたい気持ちをもったか、そんな記憶が末代までこびりついていて離れないということかもしれない。

生きていくうえではご先祖から相続したものを放棄した方が便利なこともある。嫌悪や恐怖は精神衛生上よくない。過剰なもの無用のもので行動をしばられるのも面白くない。自分で自分を納得させ、慣れてしまえばいいのだ。

この知恵は子どものうちから自然と身についた。小学生のころ、土手の目の高さのところでマムシと向き合ったことがある。飛び上がる思いだったが、向こうの方も驚いたらしい。ただし、足がすくんで突っ立ったままというような間の抜けた行動はとらず、即座に草藪のなかに退散した。テキの方が道理をわきまえ沈着であった。

トカラハブも私より賢いことを期待している。こちらだっていくばくかの知恵はついたから、藪に入るときは棒を携え派手な音をたてる。とにかく、今までのところは不用意かつ不幸な出逢いをする機会はなかった。

∇…∇…ハブ[1]

先月の話になるが、図らずもハブに警告なしの先制攻撃をかける始末になった。当方は先のない身なので無益な殺生は控えているが、連れのサン太郎がいきなりハイビスカスの根元の草藪に飛び込んだ。

ほどなく引きずり出したのが、前にも話したことがある大ハブ。黒系と白系があると聞いていたが枯れ草色をした白系。またも、間の抜けた話で計測も写真記録も思いつかなかった。(上の写真は別の小さなハブ)。
とにかく通学路にあたる場所だったので、気の毒ながら遺体はそのまま道路わきにさらしものにした。いつも通る道の草むらにもハブがいるゾ……という警告のつもりである。

葬儀埋葬のために腰をあげたのは翌々日になってからのことだった。現場に行ってみると、遺体はほとんど骨になっていた。主犯はハエらしい。ほかにアリの類も遺体処理に加わったもようである。手際の良さに舌を巻くばかり。

葬儀を思い立つのが遅かった。言い訳を許してもらえば、それどころではない事態が出来した。ハブ狩りサン太郎が口のなかを噛まれていたらしい。しばらくして下顎から喉にかけて膨れ上がり、血液の混じった唾液を流す。

∇…∇…名誉の負傷[1]

かくて御覧のとおり、ウツボのような御面相になった。

∇…2008年09月04日_DSC06076

ずいぶんと心配したが、翌日になると持前の食い意地がもどった。3日たつと腫れがひいて、もとの凛々しい顔だちをとり戻した。懲りた様子はなく、怪しげな草むらに出くわすと目の色を変えて、あたりを嗅ぎまわっている。

なるほど、トカラハブは奄美のハブに比べるとよほど毒が弱かった。島の人はハブにかまれた時は診療所で血清を打ってもらうことはせずに、もっぱら安静する…という話を聞いた。血清の毒の方が強いと思っている気配である。

2万年前まで奄美と宝、小宝は陸続きで、その後に海によって隔てられたという。本家から孤立した環境で分家を構えたトカラハブはいくらか穏健な性質を相続してきたらしい。ものの本には、トカラハブは世界中でこの2つの島しかいない貴重な種と書いてあった。サン太郎が攻撃を仕掛ける素振りを見せたら首紐を引き締めなければならぬ。

ウミツクジ

∇…2008年09月06日_DSC06752

島の一周道路をサン太郎と散歩していたら自転車に乗って家路に着く牛飼いのHさんと出会った。互いに自転車に乗ったまま道の真ん中で立ち話になった。

気になっていたイソヒヨドリの方言名を聞いてみると「ああ、あれはヒヨドリ」。さらに言葉を添えて「昔の年寄りは海ツクジと読んでいた」という。オスメスを言い分けないか問うと、「そう言えば、形が同じで色が違うのを山ツクジと言っていたと思う」。色が茶色っぽく地味なのが山ツクジ、青黒くて腹の方が赤っぽいのが海ツクジ…とか。

自分の目に触れた限りでは海に近い民宿の庭や港の築堤付近で「山ツクジ」が飛び回っている。「海ツクジ」は波打ち際の溶岩の上でさえずっているのを見た。海岸の岩穴に巣をつくり、子育てのときはオスとメスが交互に餌をヒナに運ぶというから、すみ分けしているとは考えにくい。

思い出したのがカワセミとヤマセミ。これは別種だが、イソヒヨドリのオス(海ツクジ)はカワセミ、メス(山ツクジ)はヤマセミに似ている。この連想が働いたのでは、とも考えてみたが、海と言えば山と応じたくなる合い言葉のような軽い気持ちからの命名だったのかもしれない。

【写真は山ツクジ(イソヒヨドリのメス)】

星とスケベ(?)

∇…2008年09月06日_DSC06800

またも午前零時過ぎに目が覚めた。昨日もそうだった。5時ごろまでゴソゴソ読みかけの本をあさって、くたびれて寝たのが5時ごろ。二度寝の起床時間はちょうど8時。これ以上寝坊すると、遅い朝飯と一緒に宿のやかましい(注)女将の小言も食わねばならぬ。

書物にかかわり合いになると、また夜と昼がひっくり返ることになる。その代わり、宿の書庫から「コル星座盤」なるものを持ちだし、ベランダに出た。年代物の紙製である。「1等星~3等星はかすかなライトでくっきり見える蛍光色です、見やすさ最高の星座盤」 という。

懐中電灯の光をあててみたら能書きと違って、どこも光らない。みんな等しく真夜中の劣等星。悠久の大宇宙を相手にする道具に使用期限があるらしい。やむなく、懐中電灯の光で星座表を読み、目ぼしいところを頭の中にいれてから天を仰ぐ。

目が空の暗さに慣れ、星が輝きを取り戻すまで時間がかかった。その間に、いま見たばかりの星の配置が記憶から消えている。頭のなかは元の暗闇。

惚けを思い知らされるような作業を懲りもせずに繰り返しているうちに、天の川に白鳥の姿がくっきりと浮かびあがってきた。羽の先をたどると、琴座の一等星があった。そこまでは分かったが、子どものころからなじんできたカシオペアが見えない。

覚悟を定めてベランダにじかに寝転んで一服。北極星とおぼしき星から逆にたどってみたら、星屑のなかから「W」の大きな文字が姿をあらわした。白鳥の頭からずっと先、天の川を出たところにある明るい星の塊りは、やっぱり「ぐやぐや星」(すばる)であった。

おうし座も見えた。近くに光るのがオリオン座の一等星に違いない。ちょっと動けばオリオンの全容がポッカリ空に浮いているはずだが、ひとまず引き揚げた。無防備のまま外に出てしまった。夜風も冷たいが、これ以上蚊にエサをくれてやる義理はない。

部屋に戻って、へりの破れた星座盤をあらためたら、空には「いるか」も「くじら」もいる。「南のうお座」というのもある。ひょっとしたら「とびうお座」や「かつお座」も天文学者に認められないまま、どこかに潜んでいるのかもしれないが、深入りはすまい。

鹿児島県在住の詩人О氏が酔眼朦朧としながらうめいたことを思い出した。「星やら草花やらが好っじゃチ言うやつはスケベじゃ!」。 彼自身が嫌いなはずはないので、何か個人的な遺恨、あるいは深く悔いるところがあるらしい。私もまたいろんな方面に未練をもつけれども、それを支え切れる気力、体力がなくなった。

【写真はサン太郎。彼は食うこと以外に未練も恨みもない】
【注】この場合の「やかましい」はほめるつもりではない。けなしているわけでもないが、手続きや決まりなどに厳しすぎるのを揶揄する気分を含んでいる。私が大臣になったら公式の場では使わない。




イソヒヨドリ

∇…2008年09月06日_DSC06760

宿の向かいの道路に立てられた電柱に鳩と雀の間くらいの大きさのがとまり、しきりに鳴いている。姿は地味だが転がすようなきれいな声でさえずる。そう言えば、村営船が着く港周辺でもよく見る。セキレイと並んで、小宝島では今、一番ありふれた

に詳しい友人にメールで尋ねると、間をおかずに返事がきた。イソヒヨドリという。なるほど、胸のあたりのうろこ状の斑紋、大きさもヒヨドリを思わせる。決定的に違うのは鳴き声で、ヒヨドリと違って美声。本当はコマドリ、ノゴマ、アカヒゲなどと同じツグミの仲間らしい。

「オスはきれいだよ」と教えてもらった。そういえば、湯泊の入り江で暗青色の体に胸から腹にかけてレンガ色をしたをみた。渡りかと思ったが、留。フナムシ、トカゲ、昆虫類などなんでも食べるというから小宝島は天国、この島に住まいを定めたら飢え死にはしたくてもできない。

分校の水泳大会


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十島村立宝島小中学校小宝島分校の水泳大会がきのうあった。夏休み明け恒例の行事という。全校児童生徒に全教員が勢ぞろい、児童生徒の家族も炎天下に応援に来た。

勢ぞろいの内訳は中学生4人、小学生3人の計7人。うち4人は島外からきた山海留学生である。だから「真っ黒に日焼けした子どもたち」という決まり文句はあてはまらない。色をすこしさましてきた子どもたち。元気なことに変わりはない。

先生も7人。数だけみると「マン・ツー・マン」。だからといって、余裕があるわけではない。中学になると教科別に専門の教師が教えるのが建て前だが、ここではかけ持ち。並みの教師ではこなせない。

7人のうち、正教員は教頭を含めて2人だけ。それに、いったん教職を退いたのち再雇用で学校現場に戻ってきた人が1人。あと4人は正式採用待ちの若者である。若い人でないと出来ないことがある代わりに、若いがゆえに難儀なこともあるにちがいない。

水泳大会では少人数教育の手厚さを見ることができた。小学1年のK太君に担任のY先生が最後まで付き添って泳ぐ。おかげでK太は、25メートルのコースを泳法を変えて3回泳ぐという厳しい課題を達成した。

何度も沈みそうになった。そのたびに、炎天にあぶられた岩場から島の人たちが声援を送る。途中、投げ出して当然、だれも文句をつけられまい。それを乗り切った。K太が、またひとつ大きくなったことをみんなが見届けた。

【平泳ぎのスタートを切るK太君。ほぼ真ん中の黄色い水泳帽】

こだわりのこだわりへのこだわり

∇…jin and sun

「軍産複合体」の表記については過去2件の記事を訂正しておきました。いったん公開したものを後になってからこっそり手直しできるのが、ブログの便利、かつ気が咎めるところでしょうね。私のような、いつまでも煮え切らない性分のものにとっては、なかなか使い勝手がよろしい。

「こだわりへのこだわり」については、ほかのところも言い回しに手直しを加えました。アイゼンハワーは私の記憶の中で増幅されたものよりもの、もっと穏やかな語り方をしている。やはり元帥閣下。それなりの遠慮があったらしい。

ついでに補足……。

食事に祈りがともなう…ということについては「いただきます」という食前の挨拶を思い出す。これは日本人に特異な心もちかもしれない。朝鮮語に、似たような言い回しがあると聞いたことはあるが、ズボラで未確認のまま。

キリスト教徒の家庭では食前の祈りをする。一度、夕食をごちそうになったことがあるが、食前の長い祈りには閉口した。自分ひとりだけ除けものになった感じ。礼を失してもいけないので、最後の「アーメン」のところだけ唱和するふりをする。そのあとで門徒でもないのに「アーメン」と発するのは僭越ではないか…と、また悩んだ。

「いただきます」と同じように「アーメン」の一言だけで済ませられないかとも思ったが、2音節では短すぎて物足りない。「アッラー アクバル」なら頃合いの長さかな? でも、信心が希薄、かつ淡白な日本人の感覚では、どっちにしても落ち着かない。 

カトリックのお坊さんのなかには本当に立派な人がいる。イスラム教徒とは来日のたびお会いする縁に恵まれた人がいる。この人も人格者である。そんな人たちには申し訳ないのだけれども「アーメン」も「アッラー アクバル」も、新興宗教くさい響きがある。

もっとはっきり言えばうさんくさい。唱和しないものを排除する仲間内だけの合い言葉のように聞こえてくる。そこにもっていくと、「いただきます」は中立的で、妙な臭みがない。いい加減で意味が分からない。そこが良い。

最近びっくりしたのは、「いただきますは、生きとし生けるものの命をいただくという敬虔な心から生まれた挨拶です」という者がいたこと。ペラリとした顔で、断りもなしに人の家のテレビ画面にしゃしゃり出たあげくに、どうだ知らなかったろう…とでも言いたげ。

冗談いっちゃいけない。これまで、何千回、何万回も飯を食ってきたけれども、一度だって殺してすんません…などと思ったことはない。食事を粗末にすると罰があたる…とは言われたけれど飯を食ったために罰を受けた覚えは一度もない。

あらゆる生き物は生きていく限り、ほかの命を犠牲にする宿命があることは子どもだって知っている。三度々々「私は因果な殺し屋でございます。きょうもお米さまの命を絶ちました」と懺悔することにどんな意味がある? 殺すのが後ろめたければ食わなければいい。

命をいただくのであれば、食い終わったあとで「ごちそうさま」はつじつまが合いすぎて凄まじい。免罪符ということにしても、あまりにもタチの悪いご挨拶である。

いただく…は謙譲語であって、もったいぶって意味をつけるとウソになる。由来は漢字表記の「頂く」「戴く」がそれとなく物語っている。抹香くさい説教をたれて、これ以上、新興宗教をつくるのはやめてほしい。祈りも正義も過剰になると平気で人を殺すようになる。

【ジンベエは猫族で、聴覚障害のせいか寡黙である。食前も食後もニャンとも言わない】

世界はマルなのだ!

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午前2時半ごろ目が覚めた。未明の小宝島はもう秋だった。もの思ふ秋である。以下、気がついたこと、思いだしたことなど……。

※秋がきた
……風が爽やかなのをとおり越して、冷たい。夜が明けてしばらくは鳥の声だけだった。日が昇ってしばらくしすると朝寝坊の蝉たちが鳴きだした。気がつけば、やっぱり強烈な夏。

※ほしいものは手元にある
……言葉では表現しにくいが妙な感覚である。もちろん、悟りをひらいたわけではない。もっと現実的、即物的なこと。

たとえばサン太郎もそうである。起きぬけに目を合わせたら、ものほしそうな顔をして落ち着かない。ためしに庭に連れ出してみると、水のあるところに駆け寄ってガブガブ飲む。サンにとって私が思いを多少とも叶えてくれる世話人。目で訴えるだけでことが済む。とすれば、私を助けてくれている存在はいったい何なのか。念のため…、神仏は敬意をはらっても、頼りにしてはいけないと思っている。

渇きを癒したサンは自分で定めた場所に放尿した。それにつき合う。「関東の連れ〇〇〇」ならぬ「小宝の連れ〇〇〇」。見上げると星空があった。

※ものの本質は〇である
……自分には似合わない哲学的な大発見! 〇は丸、円のつもりだが、ゼロと読んでも差支えなかろう(ゼニと読んではいけない)。 この種の予感については前にも2度ほど触れたが、あらためてそう思う。なぜそう思うか説明はむずかしい。

〇は証明になじまない。間違っているか正しいかの判別も意味がない領域。〇を実生活の用に供する場合は、いわゆるアナログ方式ということになるんだろう。これよりも実用のさいの機能性に優れ、速いのが、いわゆるデジタル方式。デジタルは〇でなく四角、どんなに複雑になっても理屈で説明できる。

古い時代の日本人はアナログ思考だったらしい。デジタル方式は知っていながら道具としてもあまり関心をはらわなかった気配。西サモアの酋長にして「パパラギ」の語り手だったツイアビもそうだった。オグララ・スー族の戦士にして呪術師、ブラック・エルクもそう。ブラック・エルクは言葉にして「世界は円だ」と喝破している。

※うっかり忘れていて思い出したこと
……出てくるわ、出てくるわ。面倒だからしばらく忘れたままにしておく。

【写真は〇のイメージ。関東在住の友人の連れ合いは黒いレトリバーである。名前を「マル」という】

【お詫びと訂正】⇒⇒前の回で「産軍複合体」と書いた。ほかのことで気になったことがあって回線を巡察したらアイゼンハワーの辞任あいさつの全文があった。デジタルはやはりすごい。それを見ると military-industrial complex とある。「軍産複合体」と訳すのが正しい。「軍」を「さん」のあたまに置き換えると敬称のようで嫌だけど、訂正します。

飽きられたおもちゃ

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真夜中に目がさめた。日付は翌日に変わっていた。消し忘れたテレビは相変わらず間の抜けた番組をやっている。一瞬、時差ボケしたのかと思ったが、小宝島は西に寄っていても日本標準時。東京とも北海道とも時差がないまま一律に時を刻んでいるはずである。

枕もとの時計が狂っていないか確かめるために、汎用演算機(コンピューター)の電源をいれてみたら、福田首相が辞めるのだという。おやまぁ、そういうことか…と独り嘆息した。

親たちの地盤や金づるを相続し、赤じゅうたんを踏むのは当たり前だと思っているらしい2世、3世は、責任を感じる能力が鈍磨する傾向がある。政権を急に投げ出して平気な顔。まるで甘やかされ放題に育ったボンボンが、飽きたおもちゃを放りなげる図である。もっとも、いつまでも政治をおもちゃにしていじくり回されても困る。

潔いところなぞどこにもない。ことがうまく運ばないのを他の政党のせいにする。最後まで見え透いたウソをつきとおす。日本の男もここまでふやけてしまった。「国民目線」とか「国民生活第一」とか、そんな空々しい文句がどこをたたけば出てくるのだろう。

この人は、歴代ボンボン内閣の方針を引き継いで国民生活を窮迫に追い込んだ。本人はババをつかまされたような気持ちかもしれないが、政治が流されていく方向は以前から明々白々だった。ひょっとしたら小宝島の雑犬・サン太郎の方がずっと分別があるのかもしれない。サンは悪さをして怒られたらこの世の終わりのような悲しい目をする。居直ったりはしない。

首相は若いころ民間会社に勤めていたと聞いた。よその飯をくったのなら世間並みの苦労をしたのかと思ったら違った。勤め先は石油会社だったというから油の値段が上がっていく仕掛けについては熟知しているはずである。投機屋がだぶついた資金をニューヨーク市場につぎ込めば原油相場があがって当たり前。しかし、それが末端のガソリン値上げに即座に連動することはあり得ない。妙なことになったら、そこが政治の出番であろう。

以前、太平洋上を村営船「としま」よりも2回りほど小さな船で漂ったことがある。あちこちで日の丸を掲げた巨大な油槽船がプカプカ浮かんでいるのに出くわした。甲板の片隅でゴルフ用打棒をふりまわしているのを見たことはあるが、ほとんど人影はない。いわゆる洋上備蓄。いったいあの船はどこに行ったんだろう。

鹿児島県内では串木野と喜入に備蓄基地がある。ニューヨーク相場が高騰したとたんに空っぽになったという話は聞かない。昔の話を蒸し返せば、小泉政権のときにハリケーン被害救済とかで石油を米国に放出した。米国は産油国である。当時、この国のガソリン価格は日本の3分の1より安かった。それにしてもインド洋で米国の軍艦に給油する油はどこから買うんだろう。なんとも豪気な話である。

後釜には2人が有力という。どちらでも同じこと。これまでの言動を見る限り、軍産複合体の統べる宗主国への忠義だてをキッパリやめる気概は、この人たちにもうかがえない。

【写真は黒瀬の方角から見た小島と、右側に見える奇岩は左から中の門、沖の門。2008年の二百十日撮影】
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