じじらぎ

  

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ガンギイ猫再登場

∇…2007年06月04日_野良2

腹カッボ(怒りん坊) のガンキイ猫、不本意ながらも再登場! 一昨日の夕方、宿の女将が岩盤浴の場として使っている湯泊露天へ通じるなだらかな坂に県外ナンバーの軽自動車が乗り入れられ、男女3人がくつろいでいた。翌日早朝の村営フェリー「としま」で引き揚げる1泊2日の日程という。

「夏にもキャンプにきて、1週間ほど小宝島の自然を楽しんだ。こんなすばらしい所はほかにない」と絶賛する。 そういうことなら一晩限りの我儘なら許容限度か…と思うことにした。問われるままに島についての情報を与え、「ごゆっくり楽しんでください」などと似合わない挨拶をして別れた。

昨日の朝、露天に入りに行くと、思いがけない風景があった。たばこの吸い殻、紙屑、割りばしなどが広い範囲に散らばったまま。湯泊の入り江にはビニール袋が浮き、噴気が出る岩穴には煙草の吸い殻と野菜くずが放り込んである。

「すばらしい、美しい」と思うものを虐待する…。これでは、タチの悪い家庭内暴力である。それを家庭外でやるんだから、もっとタチが悪い。

同じナンバーの軽バンは夏に湯泊温泉に近い空き地に駐車し、若者もまじった男だけ6人が野営したのを覚えている。野営の仕方の下手な人たちだと思ったが、一定の統制はとれていたらしい。この時は帰りの船便が夏時間で早く、未明から撤収にかかる必要があったにもかかわらず、ゴミを残さずに立ち去った。

今回はこのうち年かさの男2人に、新たに40代にみえる女性を加えたメンバーだった。夏のキャンプでは指導的な立場だったはずの年恰好の人たちで「それいらい小宝島に病みつきになった」というから、こんな事態は想像していなかった。

心理学の専門家に聞いてみたいが、同性だけだと維持できた秩序が、異性がまじるとなぜ崩れるのだろうか? それと、50歳前に見える分別盛りの男2人がいて、どうしてこんなことになるのか?

普段でもこんなことがあるのに、来年夏の皆既日食の時が気がかり。村から丸投げを受けた旅行代理店は島の人に迷惑はかけません…という。しかし、半端な天文マニア、野次馬の襲来の時よりも彼らが去った後の方が問題。代理店は後始末要員を残留させるつもりなのかどうかは聞き洩らしたまま。

この件については村当局と旅行代理店には聞きたいことが山ほどある。三猿、三猫状態のままで養生に専念すべきなのか? ガンギイ猫になって化けて出るべきなのか?

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ヘリ搬送

∇…2008年10月27日_DSC06624
10月27日午後3時半ごろヘリコプターがやってきた。島の海岸上空から宝島方向まで旋回したり、竹の山の上空を横切ったりする。村営フェリー「としま」の接岸港から一周道路を北に向かう海岸寄りにヘリポートがあり、時どき訓練、調査などで立ち寄るけれども、どこか様子が違う。

∇…2008年10月27日_DSC06622
ヘリポートに行ってみると、宝島を望む一角にたてられた鉄柱に風力風向を示す吹き流しが付けられていた。ほどなく十島村小宝島出張所の車を先頭に島びとの軽自動車、軽トラック5,6台が列をなしてやってきた。 島のオバアが夕べから激しい腹痛に襲われ、翌々日の「としま」上り便まで応急処置ではしのげない状態らしい。

∇…2008年10月27日_DSC06633
∇…ヘリ搬送
出張所の普通バンに寝かされていたオバアを海上自衛隊のヘリに運び込む。ヘリから降りてきた白い服に赤い装具を背負った人は日本赤十字社のお医者さん。自衛隊員は操縦士2人に、救急要員の計3人。召集を受けた小宝島消防分団員たちは青い制服に着替える余裕があったらしい。手早く静かにことが運ばれていく。

∇…2008年10月27日_ヘリ離陸
ヘリの羽根が起こす風に身構えるのも忘れて立ちつくす息子さん(右端)。いまの季節は、昼は牛の世話と畑、夜はイセエビの素潜り漁で忙しい。搬送の付き添いは働き者の嫁さんに任せた。
オバアは島で指折りのご老体ながら先日の露天風呂清掃では加勢を申し出てきた人。前日の島内一斉清掃にも出てきて、元気にたち働いていた。
…この2日ほど風は鎮まっていた。夜半になって思いだしたように吹きだした。

日没

2008年10月25日_DSC06581

なんという日だろう。小宝島にも秋があった。きのうまで強いこち(東) の風で荒れていた海が嘘のようにしずまった。

サンと一緒に夕方の散歩をした。一周道路を道なりに行くと、いつの間にか島の西側にまわっている。

波はもっと穏やかである。島の人はまだ、牧草を刈ったり、菜園の手入れをしたりしているが、お日さまは先に沈む。

村営フェリー「としま」の接岸する港から久しぶりに丸い形のまま海に沈む日を見た。風もいちだんとやさしくなってきた。昼間のカンカン照りを思うと、同じ日に起きたこととは思えない。

……西暦2008年10月25日、土曜日。平成20年、月齢25.8、長潮。旧暦9月25日戊戌(つちのえいぬ)、 大安。 身の回りではだれの誕生日でも命日でもない、ただの日。

極楽気分♨

∇…2008年10月25日_DSC06982

∇…2008年10月25日_DSC06988

掃除の済んだ露天温泉に行った。上の槽がややぬるめの適温。これまでにない爽快感がある。久しぶりに10分以上湯船につかった。

やがて東の空がいちだんと明るくなった。このところ水平線の際は雲が這っていたいたり、靄がかかっていたりしてして、日がそのままの形で海から出るのを見るのは久しぶり。空も澄んできた。

三助暴走

∇…2008年10月23日_DSC06515

湯泊の露天温泉にある3つの浴槽のうち適温は真ん中の槽だった。夏の盛りが過ぎると上の槽が熱めの適温になった。温度計を入れてみると47度前後。短時間で腰に効く。

その代わり真ん中の槽がぬるくなった。下の槽はもっとぬるい。三助の使命感がうずく。
液体は低きに流れる。ならば下と真ん中の槽をかき出せば、ぬるめの湯を好む人も極楽気分になるのではないか?

思いたったが百年目。バケツに昇格させたゴミ箱を得物に水をかき出しにかかった。腰をかばったつもりでも、やはりこたえる。養生にきたのが腰をいじめる始末になった。 
…どうにか目につく程度の水位の差ができたのが上の写真。

∇…2008年10月23日_DSC06528
帰り道に土地の人に武勲を申告したら、あまり喜んだ顔をしない。湧出量が不安定なので、水を大量にかき出すと水量が元に戻るのに時間がかかるという。

三助みならいが、まだまだひとり前でないという身分を忘れて暴走したらしい。しょげかえっていたら、島の総代が宿にやってきて、しばらく手入れをしなかったから全部かき出して大掃除をするという。

海水をくみ上げるポンプは建設会社から借りる算段がついた。還暦間近の「青年」が3人すぐ集まった。宿の女将も三助みならいの監督責任を感じたのか加勢に加わった。

暇な人が集まったわけではない。それぞれ仕事を中断して炎天下にかけつけた。牛の愛子(名前は違っていたかもしれない) の出産予定日が過ぎて一刻も気を抜けない人、けさ塩釜に火を入れたばかりの人もいる。

あとで聞くと、露天の常連のご婦人も来たが、人手は余っているから、と遠慮してもらったという。この人、元気なことは誰も否定しないが、実年齢は80歳に達しているはずである。
人手が足りているというのは嘘ではなく、作業は1時間そこそこで一段落した。

有り難いことである。夜になるのを待って宿で慰労会を開くことにした。掃除に加わらなかった人も、声をかけると来てくれた。それぞれに自分の飲む分の焼酎やビール、つまみを持参した。

宿の女将は島の寄り合いは昔からこうするものだった…と懐かしがる。みんな顔を合わせて本音を語り合う機会は昔に比べると少なくなってきたという。


∇…2008年10月24日_DSC06540

翌朝、5時台には中の槽と下の槽が水面下に隠れるところまで水位は上がっていた。海水を入れた分だけ黄色がかった乳白色の硫黄の成分が薄くなっているようだ。あとしばらくするともっと温泉らしい色になるはず。温度はまだぬるめ。湯上りのべとつき感はない。写真は実際の色より青味がつよく映った

∇…2008年10月20日_DSC06467

トカラ列島の宿は1泊3食が原則である。食料雑貨を扱う店が時間営業する島もあるが、扱う品物が限られることが多い。小宝島のように店が一軒もない島もある。客がサバイバルの達人でない限り、昼食まで宿で用意しなければならない。

逗留している宿では、女将が痩身願望をかなぐり捨てた日にはおやつも出る。お客を共犯にして後ろめたさをいささかでも和らげようという魂胆か? おかげさまで甘い物を食う機会が増えたが、前述したように島では太らないという未解明の現象の恩恵に浴している。

基本的にはおやつも手づくり。今どき流行りの「こだわり」などという大層なものではない。足で料理を作るわけにいかないから、やむなく手づくり。宿の畑が無農薬であるのは、どんな農薬を使えばいいのか分からないのと、お金を出したくないというのが理由のようである。

先日、女将が唐突に尋ねた。「最近は毎日、魚ばかりだけど飽きませんか?」という。豚、鶏なら解凍すればあるし、次の船の便で生肉を届けてもらう方法もある…というのである。異なことを聞く。顔を見返したが冗談を言っている気配はない。

私の場合は年をとってから先祖がえりした。基本的には菜食、焼酎を飲むときはダラダラ時間をかけて食べるが、分際をわきまえて少食になった。その分、いい加減なものを口に入れたくないという気持ちがつよくなった。

魚は餓鬼のころから主食であった。イワシが肥料にするほどとれた漁村の育ちだが、肥料になりそこねて食膳に乗った魚の骨までしゃぶりつくす。人目がなければ、残った骨をもう一度あぶり直して食う。倹約ということではなく、骨についた肉はおいしい。骨を焼くと香ばしい、また別の味がある。

肥料のなりそこね…と書いてしまったけれども、これは言葉のはずみ。魚は獲れた直後からの扱い、やかましいことを言えば、その前の獲り方によっていい加減な肉よりもはるかにおいしい。値段が安い高いは問題ではない。

体裁だけとりつくろって店頭に並べられたものでも、肥料にした方がいいものもある。生鮮食品に限らず食品の「賞味期限」は消費者の味覚、嗅覚が貧弱なところに合わせたものが目につく。

わざわざ高い税金を払って買い求める嗜好品の場合は特にひどい。煙草は賞味期限の幅をうんと長くとって、風味の飛んだ代物も売られている。どうせ毒なんだから毒として効けば良ろしいということか。

酒類の場合は製造年月日しか表示しない。私の基準では店頭には「古酒」の類もかなり紛れこんでいる。思えば、酒も毒の一種。命をかけて嗜好品を求めながら文句を言わないのは、どこか気が咎めるところがあるんだろう。確かに、酒煙草の消費者運動は起こしにくい。かりに起こしても幅広い賛同は得られそうにない。

米軍の占領時代、人種改造計画にお役所や御用学者が全面的に協力して嗜好を変えた。米国でだぶついた脱脂粉乳をドラム缶に詰めて津々浦々の学校に配置し、黴臭い小麦でつくった「パン」がのどに詰まるのを防ぐのに用いた。

敗戦直後の飢餓をしのぐのには一定の役割を果たしたのかもしれない。しかし、飢餓状態から脱したのちもアメリカの脱脂粉乳とボロ小麦の余剰は続いたらしい。「米を食うとバカになる」と国民を最初からバカにした大ボラを吹く栄養学者も出てきた。

作家の井上やすしさんあたりが「米を食おうよ」と言いだしたときは、すでに手遅れ。日本人の家畜化は完成し、嗅覚音痴、味覚音痴だらけになった。

グルメを気取る今どきの娘っ子たちはその第二世代。我が祖国は食に淫する国になって食糧を自給せず、残飯の生産量だけを増やす。

宿の女将の意識は、日本が戦争に負ける前の時代に属する。農家の出のくせに魚の扱いなどは爺よりも心得ている。ただ一つだけ、爺に一日の長があったのは残飯を出さない技術くらいであろう。

この点に関しては彼女は不利な条件と有利な条件を一つずつ抱えている。この16年余、3食の賄いを自分でし、孤食してきた爺の場合は、朝食の残りで昼食をすませたりする。それでも残ったら、少し手を加えて夜も食べる。客商売だとそんなわけにいかない。

有利な条件は三助頭のサンの存在。サンは残飯整理の重責を一手に引き受けていた。小さい頃からそうだったとかで、私以外に客があって鶏の唐揚げなどをつくると、残った骨を処分する。これは犬族としては特殊な才能らしい。ニガウリ(ゴーヤ)や沢庵もポリポリ音を立てながらうまそうに食う。

彼が本来は犬族であることを、自身も飼い主も長いこと忘れてしまっていた。しかし、いつ往生してもおかしくない年齢になった今、彼が人間とは違うことを人間もどきの人間の方で、思いだしてやらないといけない。

ねぎ類が入っている残飯をサンにやるのは控えるようになった。いきおい残飯よりも高齢犬向けのドッグフードに依存する比重が高くなる。サンが頼りにならないとなれば、残飯を生じない食事量の算定に高度な計算が必要になった。

お客のなかには「私は少食ですから…」とわざわざ宣言する人がいる。こういう人に限ってトカラの潮風の持つ食欲増進効果について無知である。女将は釜の底にこびりついた飯粒を拾い、パパイヤの漬物だけを菜にして夕食を済ませたりする。

有り難いことである。女将の痩身修行はこんなお客がいるおかげで格段に進む。 …と思うのは一夜の夢。こういう日の翌日には頼みもしないのにおやつが出る。

【客がほかにいないときは揚げ物はしない。残滓として鶏の骨も出ない。サンの食後の歯の手入れは出来合いのものになる】

温泉三昧

∇…2008年10月21日_DSC06481
∇…2008年10月21日_DSC06483
【朝5時台、サンに誘われるままに暗い島道を散歩に出た。最初の目的地はいつもの湯泊♨ サンも海中温泉に入ればいいんだけど、彼は水嫌い。昔、船をもやったコンクリートの構造物を台座にして渋谷の忠犬の如き姿勢でじっと待つ。(上の写真では画面左上の隅に小さく映っている)】

∇…2008年10月21日_DSC06487
【サンを存分に待たせて海の方を見たら、いつの間にか日は水平線から離れていた。波は前日までよりも少し穏やかになった】

未明に表に出たら月とオリオンが隣同士で輝いていた。月は下弦の半月。これから新月に向かい、星はいっそう輝きを増す。

湯泊温泉はこの上ない状態になっていた。これまで手を突っ込めないほど熱かったいちばん上の浴槽が適温。温度を測ってみたら47度。このくらいになると、腰の痛みと虫刺されのあとの痒みにてきめんに効くのが実感できる。

きのう初めて温度を測ったら朝が46.9度、夕方は48度あった。普通のお湯なら熱いというより痛くて入れない。薩摩大隅の方言で風呂の熱いのを「痛い」というが、温泉なら48度くらいまでは痛くならない。すこぶる良い気分。

若いころ通った東京の下町の銭湯では、近在のご隠居さんたちと一番風呂争いをした。これがまたベラボウに痛い。それでも水をうめてはいけない。あとから湯船にはいる人が「冷えもんでございます」と発する挨拶がまだ残っていた。

鹿児島の銭湯はこれに比べるとよほどぬるい。ぬるい湯にゆっくり入るという人が多数を占める土地柄なので、湯泊の露天でもついでに真ん中の槽の温度を調整しておく。奉仕の精神なぞさらさらなく、三助見習いとしては初歩的な修行。

初め、宿から鉄の取っ手のついたバケツを持ち出して使った。ほどなく硫黄と塩にやられて取っ手は腐食した。取っ手までプラスティックのバケツにしたが、これは堅牢性に問題があって、付け根からヒビが入り、使用不能になった。

落ち着いたののがアメリカ渡りのプラスティックの食品入れ。頑丈さだけが取り柄で、食品にプラスティックの臭いがつくのが嫌われ、蓋も行方不明になったのでゴミ箱に身を落としていた。これを使ってみたら、取っ手がない方がここの三助作業ではかえって能率が上がる。

写真に写っている黒い半球形の物件は、もとはプラスティック製の浮き。だれが持ち込んだのか分からないが、これも厚みがあって堅牢である。洗面器がわりに重宝されている。コンクリートの壁の上の石は、脱いだ衣服が風に飛ばされるのを防ぐための重り。24時間ただの露天。備品にもコストがかかっていない。

ガンギイ猫

∇…2007年06月04日_野良2

「ガンギイ猫」…。そう発してみて「あ、それそれ。昔そんなのが居たな」と、懐かしがる振りをする人がいたら、見栄っ張りの嘘つきである。落語の「酢豆腐」といっしょで、そんなものはない。

私の祖父母の世代で、港に出入りする人びとの事情を知っている人なら「ああ、ガンギイ鼠(ねずん)と言うのが居たな」と思いだすかもしれない。「ガンギイ猫」というのは、寝起きの朦朧とした頭のなかで、ふと浮かんだデッチあげ。

脳の具合がまたおかしくなったらしい。「昨日の」と言うべきときに「キニョニョ」という音が響いてくる症状がぶり返したらしい。今朝方、頭のなかで「ニャー」と鳴いたのは「ガンギイ猫」であった。なにごとか腹に蔵して、鬱屈している。

小宝島に居を据えてみようと思いついたときに決意したのは三猿、三猫に徹することだった。目的は養生だからカリカリ、セカセカしてはいけない。見ニャイ、聞かニャイ、言わニャイ…。風と波の音、海と空の光はやむを得ないとして、外界からの刺激を一切断たなければならぬ。

島いちめんに群生している竹がリュウキュウチクなのか、メダケやただの笹と混じったものであるかを考え始めたのが間違いだった。おいしいタケノコがとれる場所がある、ただそれだけを知っていれば良かったのだ。

竹の詮索のほかに、島にわらじを脱ぐにあたって役所に問い合わせるべき問題が生じた。小宝島から330㌔ほど海を隔てた鹿児島市にある十島村役場に電話した。交換嬢(今どきは差別用語かな?)に用件を伝え、担当の人につないでくれるよう頼んだ。

間をおいて男の声がして「担当者はいません」という。帰る頃合いをみて電話をかけなおすことにして、いつ頃帰るか聞くと「わかりません」。役場自体が小宝島からみれば「海外」にあるのに担当者はどこかに「外遊」されている気配。

ならば課長はいるか聞くと、こんどは外遊に名目がついて「出張中です」。管内、つまり有人7島の見回りか聞いてみると「いえいえ、違います」。滅相もないという声である。

実は以前にも同じようなやりとりをした。外出、出張がそんなに多いのなら、小宝島で「本庁」職員の姿を見ることがもっとあってもいい。 

用件は日を改めるとして、なにか手がかりはないか村のホームページを開いてみたら「秘境 吐●喇」という文字が飛び込んできた。なるほど「秘境」なのか。秘境の未開状態を保存するために役場職員はみだりに管内に立ち寄らず、島の住民に文明の恩恵を与えることも控えているらしい。

もっと詳しい話をすべきだろうが、今日のところはひとまず三猫状態に戻る。竹の話もいずれ。

ガンギイ鼠というのは港湾で荷役作業にかかわる人たちのこと。並みの神経、体力ではつとまらない。
ついでに「セナハゲ」は狭い穴を何度も通り抜けているうちに背中の毛が剥げた狡猾老練の鼠のこと。この頃は嘘つきやケチな悪党は多いが、セナハゲを見ない。国の政治もつまらなくなった。


【写真は鹿児島港にいた野良猫。これまで登場してもらってきた耳の聞こえない白ネコとは面構えが違う】

温泉あれこれ

∇…064
現在、お休み中の温泉をとりあえず3つ紹介する。まず、湯泊温泉の入り口、右側の無名の温泉。そこで工事をしたら熱いお湯が噴き出したので、コンクリートで囲いを3つ造ってみた。

ところが前触れもなく熱湯が噴き出したかと思うと、突如湧出量が減って真ん中と最下段の槽は冷たくなったりする。制御不能。いちばん上の槽はいつも熱すぎて入れない。槽の境目に細工を施したり海水をくみ上げて調整したりする手もありそうだが、すぐ目の前に湯泊の露天があるので今は打ち捨てられたかっこう…。

∇…∇…2008年10月15日_DSC07802
民宿パパラギの近くにあり、これも今は無名。枯れた暗河だと思いこんでいたが、ここでも湯と噴気が湧き、昔は利用していたという。いつ頃から、なぜ出なくなったのかは未調査。分かれ道の三叉路から海岸道路にはいったところ、道路沿いにある。
 
                                     
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いちばん新しく。かつ最も神秘的(!?)な温泉。称して「小宝島温泉センター」。下はその内部、空の浴槽。未開発の自然温泉がいっぱいある島に村が整備した「センター」だから泉質、使いやすさも断トツかと思うと間違いだった。

お金がかけられ、なおかつ今も金がかかっている施設なので、有料で200円ナリ。24時間ただで営業している露天に比べれば高いが、事情を知れば高くもない。小さな料金箱が置いてある。

初めここで三助修行をするつもりだったが、三助どころか客として入る機会もついにない。実はお湯が湧かない「温泉」。そのかわりシャワー施設があり、これを使う人はいる。

このシャワーは海水の塩分を取り除く淡水化施設から水をひき、あちこちに未利用の地熱がある島で、敢えてこれを使わず油を焚いて加熱している。

200円で引き合うのか気をもんでいたら、早い者勝ちの定量制(?)。念のため、出血サービスを自動的に制御する装置が取り付けられたわけではない。加熱装置に限界、または故障があるらしく日に2人も使うと息切れするという。

島の自然は神秘的である。このおかげで長年悩まされてきた不眠症、神経過敏症状が快癒した。そして村の行政も果てしなく神秘的。ただし、これに治療効果はない。

自然の神秘と違って、行政の神秘性を詮索し、行く末を思うと精神衛生上のぞましくない状況に陥る。しかし、小宝組の準構成員として、これに目をつぶるのは卑怯ではないか…という思いがわいてくることもあって、不眠症がぶりかえす。温泉は湧かないのに鬱の気がわく。

∇…2008年10月18日_DSC06444
話ついでに「塩湯地獄」。ちゃんと名前がついていて、島の案内地図にも載っている。湯泊温泉の入口にある。灰色の泥があぶくと熱気を吐きあげている。

奇観としての価値は認められているようだが、未利用。宿の女将は鹿児島から長い柄杓を取り寄せてくみ上げ、顔パックに使っていた。それが、いつの日からか柄杓は干上がり、物置にしまわれた。美肌効果は確かにあるけれども、日焼けで黒くなった顔の漂白には効かないらしい。

観光案内には紹介されていないが、噴気で料理を蒸す釜と岩盤浴に好都合の場所があり、時どき利用されている。いずれも湯泊の露天へ行く途中の坂にある。

窯は坂の一角を穿って簡単な木枠をつけた地下式。指宿市山川の鰻温泉で「スメ」と呼んでいるのと同様の方式である。ここにカライモ(サツマイモ)やイセエビなどを放り込んで蓋をし、頃合いをみて引き揚げると蒸しあがっているという寸法。

岩盤浴は宿から近いので、女性の客があるときは女将が誘いだしている。先日は出かけたきり、いっこうに帰ってこない。探しにいくべきかどうか悩み始めたころ、呑気そうな顔をして帰ってきた。岩に寝転んで良い気分で星を眺めているうちにお客さんが眠り込んで帰るに帰れなかったという。

さて? その前に女将の方が先に眠り込んだ経過があったことも十分に想定されるが、糾明は控えた方がいい。

宿には温泉通を自称する人がときどき泊まりに来る。彼らは特殊な触角をもっているらしく、小宝島に泥の噴気まで数えると数えると7つの自然温泉があるという人もいる。温泉熱中人種の世界では温度が摂氏25度以上あれば温泉というこのなので、この尺度をあてはめると海中温泉も2つあるという。

「海中温泉」は海上浮遊体験から知ったものもあるが、爺は温泉熱中人としては無資格、無所属なので、これを入れずに合計してもざっと10カ所。うち浴用の露天温泉として村の観光案内で紹介されているのは湯泊温泉の1カ所だけ。モショの湯は認知はされても養育はおろそかにされたまま。






モショの湯

∇…2008年10月16日_DSC06406
この3日ほど湯泊に東の風がまともに吹き込み、温泉のある入り江は荒れていた。ちょっとオーバーな言い方をすれば湾が沸騰している。場所を移ると波はそれほどでもないのは島の形が丸いせいであろう。

温泉はいくらかぬるくなって、夏の間は手も突っ込められないほど熱かったいちばん上の浴槽が熱めの適温。爺ぃ好みの湯加減である。風が強いと温泉の温度が下がる現象がある。

久しぶりに入ってみると以前より、硫黄の臭いが濃くなっている。泉質も爺好み。もともと強い塩分を含む温泉だが、なぜか湯あがりはベトベトしない。

理由は知らない。宿に立ち寄った温泉通のおじさんやお兄さんたちは「そこが温泉の温泉たるゆえん」という。なぜそうなるかはキチンと説明してくれない。「熱中人」を自称する人たちは、なぜか「トーシロー」には冷淡である。


∇…217
ついでに湯泊温泉のすぐ奥、北寄りの海沿いにあるモショの湯を紹介しておく。ここは湯泊よりも温度が高い。足場が悪いのが難点だが、湯泊がぬるくて物足りないときは、転がっている珊瑚礁の岩をかき分け踏み越えして、ここにたどり着く。

先日、様子を見に行ったらまだ熱すぎて、一番下のぬるい浴槽を掃除しながら入る羽目になった。三助みならいが本物の湯屋の三助になりそう。「奥さま、ちょっと肩につまからせてくださいナ」とお決まりの挨拶をして背中を流せば、いくばくかの心づけをいただける筋書きだが、残念なながらムサイ男さえ入りに来ない。

ここは冬場に向かって湯泊で満足できないときの取って置き。成分は湯泊よりさらに濃い感じで、入りごたえがある。それでも、湯あがりはベトベトしない。

モショの湯がなぜモショの湯であるかは分からない。説明してくれる人がいなくなった。モショと称するモショモショした(?)爺さんがどこからかやってきて、柔らかい岩をくりぬき浴槽を3つ掘って、いつの間にか居なくなった…という。モショが湯とも言ったらしい。

おいどんナ猫じゃ

∇…2007年10月27日_san-jin1居眠り

鹿児島市の借家よりも小宝島の宿にいるときが長くなった。このところ宿代もとどこおっている。金がないわけではないけれども、鹿児島でないと預金を引き出せない。いつの月だったか、とどこおった分を労役でごまかそうと謀った。

自称「三助みならい」。しかし、腰と頭の病気で養生に来ている病人なので、お客さんの荷物を持つなどという荒業(?)はとてもできない。女将は見て見ぬふりをしているが、キリのいいところで宿代を清算したつもりでも身分は変わらないままになった。

ある日、女将から突如「辞令」をもらった。「仲居頭に昇任する」という。

物わかりのいいお客には自分の荷物までもってもらうインチキ三助を昇進させるなどというのは理不尽である。これでは、穀つぶしが穀つぶしのゆえに出世するお役所といっしょではないか。

いたく傷ついたが、三助の分際をわきまえぬわが身を振り返ると泣き寝入りするしかない。かくて三助みならい兼仲居みならいの身分に甘んじることにした。

三助の分際については説明の必要があるかもしれない。客に荷物をもってもらうだけではなく,お客さんに向かってついつい説教を始める癖がある。

この癖は、生れついての癇性に後天的な獲得形質が加わった気配。学校の授業を手伝った前科があり、ここで自信のないことでも断言し、おしつけがましい物言いをする手口を習った。

「ああでもない、こうでもない。分からない」と言っても若い人は納得してくれない。「私が教えたいのは真実は一つではないということだ」と念をおしても要領を得ない顔をしたまま。

ひとまず断言し、折りをみて「前にこう言ったけれども、実はこういうこともある」と言う。学生のほとんどは,前に言ったことを聞いていなかったのか,忘れたのか,困惑した顔である。しかし、前に教えられことが記憶にないのは自分の責任だから、分からなくても今度は不満げな顔をしない。

模範解答しか求めない訓練を受けながら、叱られた経験があまりないのも今の若者の特徴。ひょっとしたら,ないものねだりで、叱られるのを待望する気持ちも意識の底にあるのかもしれない。意外に素直に説教を聞く。体罰と暴言によって人間がひねくれていった爺の世代とは違う人種が育ちつつある。

うかうか説教を始めるのは、若者が「自分さがし」などと気取るときである。失せものを探すような言い方が気に食わない。勉強にも遊びにも身を入れなかったすっからかんの「自分」はひっくり返して振ってみても何も出て来ようがない。初めからないものを探してどうする?

なかには「遊びではない。旅をしているんです」と言うのもいる。命をかけろとまでは言わないが、遊びをバカにしてはいけない。遊び半分でしか遊びができないのに限って、船に乗れば寝たきり。

寝たきりは老人や病人の領分だ。若者は人の縄張りを侵さず、しっかり眼を開けて海の荒さ広さを見てほしい。本当のところは旅はつらく、さびしいものだ。それが旅なのだ。

親も子も互いに親離れ子離れしないで、「かわいい子には旅をさせよ」などと言って悦に入っている。しかし、この場合の「旅」は違う。のんきな物見遊山やナントカ講のような買春旅行ではなく、幼いうちに家を出すこと。家元に置いたままでは甘えてキチンとした丁稚修行ができないので、他人の釜の飯を食い、敢えて難儀をさせることを言った。

しかしまぁ、三助風情にさんざん説教をされた揚句、宿代は宿代でキッチリ請求される。たまったものではないはずだが、それでも「また来まーす」と言って船に乗り、にこやかに手を振ってくれる。心にもない挨拶かもしれないと疑いつつも、こちらとしてもまた来てほしい。説教の続きがまだある。

もちろん、説教ばかりしているわけではない。若い人たちから教えられることの方がむしろ多い。だから三助、仲居のインチキ兼業を辞められない。

話が妙な方向に行ってしまった。本題は「猫」だった。爺がトカラに来て、「また来ます」と言って鹿児島に上る船に乗ったのは29年前のことだった。いろんな人に説教されて、まだまだ叱られ足りないと思っているうちに小宝組の準構成員のような存在になってしまった。

来月、島の文化祭があるから出てくれという。光栄の至りだが、人前で歌を歌うな…というのは親の遺言のようなもので、この心得は堅く守っている。お経でも読んでごまかそうかとも思ったが、辛気臭くなる。その前に、坊主のいない島で坊主の真似をするとインチキ商売の兼業がまた増える。

思いあぐねていたら、書庫に漱石全集16巻があったのを思いだした。その第1巻の第1㌻を方言訳して朗読することにした。

以下は試作。嫌らしいとは思うけれども、このごろのことは何が起こるか分からない。自分の手すさびをいつの日かまた使うことがあったとき、とんでもないところから使用料を払え…と言われたら困るので、原文の格調を汚す不祥事は小宝島在のじじの犯行であることを声明しておく。


「吾輩は猫である」(薩摩半島方言訳・2008年10月14日小宝島在じじ)

吾輩(おいどん)ナ猫じゃ。名前はまだ無か。
どこでケレたか、さらい見当(けんと)がつかん。何んでん 薄暗れジッタジッタしたとこいで ニャーニャー泣(ね)ちょったこっばっかいは覚えちょっ。 
おいどんナここで初(はひ)めっ人間つもんぬ見た。しかも 後かい聞(き)たや そや書生つっ人間のなかでんイッバンおろえたっのし じゃったげな。こん書生つた マイケンおいども捕(ち)かめっ煮て噛(か)んちゅ話じゃ。
じゃっどん そんころあ 何とん考げんかったで べっだん恐(おとろ)しとん思わんなった。ただ わろんテンヒレ乗せられっスーっち持っちゃげられたとっ ないかフワフワした感じが あったばっかいじゃった。
てんひらん上で ちっと落(お)てちて書生んツラをみたっが、そいこそ人間ツもんの見始(はひ)めじゃったろ。こん時(と)っ つがらんねもんじゃチ思(おも)た感じが今でん残っちょっ。ないよか毛をおやけっ飾らななあんはっのツラがつるつるして まっでヤクァンじゃ。
そいかい猫いもてげー逢(お)たどん こげなナイガネいにゃ一度(いっど)でか出おたこたなか。 そいばっかにじゃのして、ツラん真ん中があんまい突っ出ちょっ。
そんスかあ マイケンぷーぷー煙(けむ)ゆ吹っ。どもこも煙し、まこてノサンかった。こいが人間の飲ん煙草じゃ ちゅこた よいなこて この頃知っちょった。

トカラウナギ

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【宿の近くの燻製小屋で作業が始まった。画面が煙っているのは獲物を煮る釜の湯気。燻製用の煙を焚くのはこれから】
∇…2008年10月11日_DSC06305
【トカラウナギの繁殖期はまだ先かと思っていたら、もう獲れている。かなりの数が揚がっていた】

小宝島では朝晩の風が日ごと冷たくなっていく。秋の気配が近づいてきたという感じはない。アダンやトベラ、土地でクロキといっている照葉樹の灌木類、それにニガ竹 (これは自己流の命名、リュウキュウチクかと思ったが、タケノコが苦くて食用になりにくいので、ひとまずニガ竹) に覆われていて、あまり紅葉を見ない。果樹はアダンの実が熟するほか、季節を思わせるのは島バナナくらい。

日が高くなると相変わらずのカンカン照りで、キセルの如く朝夕の雁首・吸い口だけが静かに冬に向かっている。きょう13日は旧暦の9月15日、大潮。ただし満月は15日(旧9月17日)になる。日の出は南側の水平線に動いている。
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【12日の日の出。水平線の左端にみえる突起は、小島にくっついている干瀬で左から「中の門」「沖の門」】

宿の南側はうっそうとしたアダンの林が迫っている。これを幾らかでも伐れば風通しが良くなるが、この木は1階の屋根・ベランダ部分よりは伸びないので、そのままにしてある。風通しを良くし過ぎると台風の時が怖い。

アダンの林の奥には珊瑚礁を積んだ石垣の跡が隠れている。漁期になるとどこからか人がやってきて住んだという。その痕跡は崩れかけた石垣のみ。何の漁だったのか、どこから人が来たのかは民宿の女将も知らない。

島の歴史は、古老たちのかすかな記憶に部分的に残されているだけで記録がない。「昔、どこからか人が来た」というが、時間軸もあいまいである。

海賊がトカラの島々を荒らしたという話もある。よほど古い話かと思ったら、ひょっとしたら御一新後のことかも知れない。西南戦争直後には鹿児島市近郊でさえ治安の乱れた時期があった。 

海賊の頭目は日向の油津出身ということになっている。これは少しヤバい。じじのご先祖も代々船乗りで、油津と全く縁がなかったわけではない。古老に確かめようと思うが、ためらいも残る。

宿の際の石垣から一周道路に向かう方角は、2年前に来た時はただの荒地、竹やぶだった。そこに、いつの間にかプレハブ小屋が立てられ、牛の飼料置き場に使われていた。本来の目的は燻製小屋だという。この小屋のわきで作業が始まった。

ここでトカラウナギを煮て、乾燥したのち煙をかける手順のようである。大きな籠の中は1㍍50㌢ほどのトカラウナギが数十匹クネクネと絡み合っていた。漁法を聞くと、潮の引いたあと珊瑚礁の石垣の穴に素手を突っ込んで引きずり出すという。

このウナギ、なんとも哀れな生き物である。実はウミヘビで、ハブ以上の猛毒をもっているという。毒牙は小さな口の奥にあって人にさんざんなぶられてもなすがまま。見事な長躯はいかにも力がありそうだが、攻撃性がない。

お手軽な漁法で捕えられた後、生きたまま煮られ、干しあげられ、煙をかけられて鰹節状になったものは、煮物の出汁になる。島ではあまり使われないが、薬効があるとして沖縄では珍重されるらしい。

小屋には沖縄からきたという青年たちが手伝いにきていた。大隅半島の辺塚、大浦あたりでは糸満からくり舟で漁師がやってきて、浜辺で火を焚き、風のように去っていったという。追い込み漁で近辺の魚をごっそり捕り、その手際の良さに土地の漁師も舌を巻いたという話を聞いたことがある。

島に来ている青年たちは糸満の系譜ではない気配。漁師はほんらい、もっと無骨、無愛想である。時が移り、人も変わったということか…。

続・日の出食堂

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省庁名の4文字化の主たる目的は、「行政改革」はやりましたデ…というカッコつけであった。省庁を積み木を重ねるようにくっつけただけ、中身は変わっていない。

4文字化に伴い、タライ回し人事ですぐに首をすげ替える木偶(でく)の如き大臣を2人から1人に減らした。これを2分の1の省力化と思うと大変な間違い。

少なくなった分は特命国務大臣を置く。つじつまを合わせたという訳ではない。麻生内閣の特命大臣を数えたらなんと兼務2人を含め8人。木偶の頭(かしら)の数はむしろ増えている。

見え透いた子ども騙しの手口と言えば、今どきの気の利いた子どもたちに失礼である。本当に財政支出の無駄を省き、規制緩和したいのなら、まず労働省と文部省を全廃の方向で徹底的な見直しをすべきであろう。

乱暴に聞こえるかもしれないので、蛇足を承知で説明を加える。労働省にはそれなりの長い歴史があるが、その間に国民の労働事情がどのていど改善されたか考えてほしい。職安を「ハローワーク」と言い換えても切迫した求職者はあてにしない。

その証拠に昔の口入れ屋(人材派遣業)を復活させてみたら大繁盛。これが少々あこぎなことをしても労働省は手をこまねいて見ているだけ。 それでも、身内の役人、職員、および関連団体の穀つぶしの「雇用保障」だけは恥ずかしげもなく続けている。働くことを軽ろんじ、自身も働かないお役所が必要だという国民がいたら、顔を見てみたい。

今、いちばん気がもめるのは働く若い人たちがまともな扱いを受けず、将来に希望をもてないでいることだ。「ワーキング・プアー」というのは人類史上最悪の劣等国・米国の話かと思ったら、今や身近なところにごろごろいる。

これを、労働省が働きがないためだ…という人はいない。初めから当てにしていないのである。 実のところは労働省だけを責めるのは酷な話で、真面目に働こうとする人たちに最小限の希望をもたせる仕事は1省庁の手に余る。

それは国家の自壊防止、および国の未来設計の根幹にかかわることだ。少子化対策などという国民を種馬扱いする欺瞞的、かつ政策になりえない政策などどうでもいい。汗水たらして働く者がバカをみる現実を見て見ぬふりをする国なら国自体が要らない。

文部省も要らない。政治家や自称アメリカ通の評論芸人や御用学者は「アメリカではこうしている。そんなことも知らないの」などと傲岸な物言いをしていた。挙句に米国の悪いところの真似をすすめる。

実は、米国にも良いところがあって連邦政府に教育省はない。国家は教育に口を出さず、金さえだせばいいという考え方である。文部官僚や準構成員、関連団体の退役組は色をなして「無責任!」というかもしれない。

無責任で結構。バカ正直な納税者が生活を切りつめ、高い教育費にあえぎながら納めた税金を、自分で稼いだお金のような顔をして無駄遣いの限りをつくす役人たちに、子どもの将来について責任を持ってもらおうとは思わない。

文部省管理の長い歴史の結末がどうなっているかは周知のとおり。優秀な研究者が米国の大学や研究所に流出する。大学教育の水準でも日本の方が米国より上、と思っている人はあまりいまい。ノーベル賞だって、受賞者でないと学者ではないと言うつもりはないけれども、米国には一つの学部だけで何人もいる大学があるという。

何も偉そうなことを構えて言っているつもりはない。話は単純至極なこと。民間企業なら無駄飯を食っている穀つぶしの組織機構は即刻整理する。それが国だとなぜできないのか? 

労働省、文部省だけをやり玉にあげた。でも、ほかに要らない省庁、組織はいくらもありそう。公社公団の如きは、無駄も無駄、税金泥棒の巣窟と言うべきだ。それに手をつけないで省庁名を改悪しただけで事足れりとする…。

もう一つ、省庁の名称変更には隠された意図がありそう。私自身、日本の官僚は清廉で優秀であると信じていた時期があった。無学歴、無資格のままお手伝いを頼まれた時期もあるから役所の内情を全く知らないわけでもない。それが近年は失望に次ぐ失望。

さすがに横着な政治家たちも、国民の大多数がそれに気づき始めたことを無視できなくなった。それで「イメージ一新」をはかったのではないか? それだけのことだから、一貫性がなくても平気の平左。「大蔵」を廃し、「文部」を残す。

「厠」や「便所」を「トイレ」と言い変えるのと一緒。呼び名を変えただけではどうにもならない。やはり便所は掃除をしないときれいにならない。

しばらく間を空けて防衛庁は防衛省に昇格した。鳴り物入りの「行政改革」で、強引に省庁名を言いにくくした。国民の反発がそれほどなかったとみて味をしめたところで、本音を出す。まるで、こそ泥の手口である。

詳しい経過は知らない。下司の勘ぐりを許してもらえば、省昇格前の防衛庁広報官たちは「優秀」(!?)だった。省に昇格したとたんに防衛庁内の不祥事、醜聞の数々がなだれを打つように噴出した。このタイミングの絶妙さ!

これ以上書くまい。書く本人が気分が悪くなる。 でも、たまには良いではないかという気持ちもある。わが日本国は言論の自由が保障された民主主義国家のはずだった。公論は聖徳太子もすすめていた。その建て前だけでも守られることがあっていい。

【日の出食堂から望むきょうの日の出。前回のものは実は1か月前の撮影。最近は向って右寄り、南側の海面から日が昇る】



日の出食堂

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宿の食堂は小宝島では唯一、2階にある部屋で眺めはいい。2面ある窓のうち東側の正面の窓からは小島にのぼる日の出を望むことができる。

村営船「としま」の食堂にあやかれば、さしずめ「コダカラ サンライズ レストラン」。カタカナを多用するのは嫌なので、「日の出食堂」と命名しようとしたら、女将から即刻却下された。「ダサイ!」

まぁ、自分でもカッコ悪イかなと思っていたので、すごすご引っ込めた。かくて、元のまま、ただの「食堂」。変な名前をつけるより、名前なんぞない方がいい。

自分には命名(ネーミング)の才能がないことは得心したが、ものの名前は大事だと思っている。実体のあるものでも、ないものでも名前の付け方によって生きたり、死んだりする。記号抜きで公式は成り立たない。概念規定をキチンとしないままの理屈は屁理屈にもならない。

農林省が農林水産省になったのにはびっくりした。先祖は代々船乗りで、曾祖父と祖父の代は漁業を営んでいた。しかし、水産にかかわる仕事を農林省が担当していることに不満をもらしていたなどという話は聞いたことがない。

だいたい就業人口からいって漁業は農業より少ない。農林省が農林水産省になってから水産業に力を入れるということはなく、就業人口はさらに減り、漁村はさびれた。

もともと、沿岸漁業は森林と切っても切れない関係がある。この説明をするには西南戦争のころにまでさかのぼってしまうので控えるが、魚はいけすで養殖する方が効率が良いということになった。薬漬けの施設園芸とたいして変わらない。農林省のままでも不都合はなにもなかったのだ。

だれかが勝手に看板を書き換えた。そう思って、いつまでも根に持っていたら、とんでもない世の中になった。

大蔵省は律令制度のころからの古くさい名前だから…といって財務省になる。ならば文部省は教育省になるのが筋道だが、文部科学省。国土庁は運輸省とくっつけて国土交通省。あと経済産業省、厚生労働省…。

2文字で済ませていた役所名を4文字にした。音節が長くなった分をどう始末をつけるのかと思っていたら、国会あたりでは文科省、国交省、厚労省などと言っている。初めのうちは違和感があっても、アホな国民のことだからいずれ慣れるだろうということか。この点はすでに農水省で実験済みだった。

言葉が変わることに寛大なアンジさんも日本語がこんな変わり方をすることをに納得できるだろうか? 爺ぃは、畏(かしこ)きあたりから大命を戴いた大臣(おほおみ)たちが、言霊(ことだま)のさきはふ厳(いつく)しき国を汚したことを許せないと思っている。

どうして、こんな命名をしたのか? 動機は2つあると推測する。いずれも不純かつ不遜。それを語れば気分が悪くなる。それに耐えられる元気が今ないので、続きはのちほど。

【写真は小島の日の出。食道からは電柱と電線が邪魔になるので海岸まで降りて撮った】

眠り

∇…2007年09月18日_目こすり

4月以降、島にぐずぐずと居続けることになった。鹿児島には月に一度、3つの病院、医院の検診を受け、薬を補給するのが原則だが、今回は9月も半ばになってようやく腰をあげ、1カ月半も留守にしていた借家に戻った。いったん帰ると台風で船便がなかな出ない。

こうなると感覚が転倒する。心ならずも鹿児島にずるずると居続けてしまった気分。ストレスに悩まされる状況はないはずなのにいつの間にか眠れない状態に陥った。よほど夜更かししたつもりなのに夜中の1時台、2時台には目が覚める。2度寝が出来ない。

24時間痛みが続く状態では鬱が心配ですね、と手術をしきりに勧める整形外科のお医者さんに異変を訴えると、それ見たことか…という顔をした。1日に3時間がせいぜい、と言うと、「ああ、3時間も眠れれば十分です」。

あっさりいなされてムッとしたが、有効な反撃を思いつかない。下手にたてつくと、戦争をしていたナポレオンでも睡眠3時間ですませたのに、何もしないあなたの3時間は寝過ぎ…などと言われかねない。患者の甘えを冷たく突き放してみるのも医者の職業的手練なのかもしれない。

それが急転回。村営船「としま」に乗って波に揺られたら午前零時半にはストンと眠り込んだ。「まもなく口之島に着きます」という船内放送で5時半に目が覚めるまで前後不覚。爽快な気分で毛布をはねのけた。

島に着いて初日の晩は午前3時半まで熟睡した。翌日は4時半、そして今日は5時半。寝起きはすこぶる良い。睡眠持続記録を更新した今日は、おまけがついて昼寝にも時間をかけることが出来た。

今はやりの「癒し効果」などという言葉で片付けたくないから、島の空気のもつ自然治癒力を科学的に解明しないとならない。眠りの達人、サン婆さんならヒントを知っているに違いない。残念ながら彼が語る犬語はまだ習いたてで、この手の複雑怪奇な現象についての説明を理解できる域にはまだ遠い。

小宝への帰還

∇…2008年10月04日_DSC06231
海の天気は予報にたがわず曇りがちだった。ときおり粉のような雨が風上から舞ってくる。見晴らしはあまり良くないが、小宝島に近づくと面白い発見があった。
以前、小島は小宝島に似ていると書いたが、裏側から見てもひな形のように見える視角がある。一卵性親子のような島が二つ並んでいた。

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右下に飛ぶ鳥はミズナギドリかと思ったが、形がやや大きい。この視角に達する直前に写真に写っていた別の個体を拡大してみたら、この方はどうやらカツオドリ。

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島に降り立つと、渡りのアマサギがもう来ていた。7月初めごろまではサギ類が残っているのを見ている。とすれば小宝島はサギ類の渡りの休憩所ではなく、逗留地と言った方がいいのかもしれない。宿の女将の話では遠くの空で円柱を描くような勇壮な飛び方をする鳥を2羽見たという。渡りのタカ類が立ち寄ったものに違いない。

冬の旅

停泊中の村営船「としま」を城山から眺めたら、また乗りたくなった。村役場に問い合わせると「きょうは出ます」という。私ひとりが乗る乗らないは船にとってはどうでもいいことだろうが、私としては船がせっかく出るのに、そのまま見送るのは惜しいような気分になった。

鹿児島での用事はまだまだ片付いていない。しかし、暇があったのに片付けないままの用事を、これから精をだして片付ける心がけになる見込みもない。ひょっとしたら島に戻れば、島から遠隔操作で出来る用事だけでも片付ける気になるかもしれない。とまぁ、理屈にならぬ理屈をつけてみた。

乗船切符を買いに行くと、運航時間は冬ダイヤに変わっていた。出港は9月までの夏ダイヤよりも50分遅い午後11時50分。「としま」は日付が変わる寸前に錨をあげ、向かい風の暗闇をひたすら南下する。明けても曇りで見通しは悪いに違いない。無責任で少々の難儀は厭わぬ目的不明の漂泊の旅がまた始まる。

錦江湾の船

∇…2008年10月02日_DSC06156
2日夕、久しぶりに城山に登った。錦江湾(鹿児島湾)はラッシュだった。今しがた奄美航路の船(中央付近、堤防のすぐ上を行く喫水線から船腹にかけて青い塗装がほどこしてある)が出港した。それに種子島航路のプリンセス「若狭」(船腹が黒く見える船。実際は濃紺?)と、それを追うようにしてフェリー「屋久島2」(白い船体)が行き交う。右下隅に停泊しているオレンジ色の煙突が二つ並ぶ船が、我が村営船「としま」。七島灘は格段に荒れるので、この一週間釘づけになっている

∇…2008年10月02日_DSC06158
それからまもなく「若狭」と「屋久島2」が接岸を始めた。屋久島2は昔は全体が鮮明な黄緑で、遠くからでも識別できたが、「としま」の前隣の岸壁に着けたのでようやく確信をもてた。荷降ろし、停泊する場所は船ごとに決まっているので間違いようはない。

島津の居城の西側の擁壁・防塁になっている城山には時たま登ってみる。ここも原風景の一つ。気が塞いだときは「湯の山」か「長寿湯」のかけ流し温泉につかり、その足で城山に上ると時を忘れさせる展望がある。

下の写真は安カメラの性能いっぱいの広角で撮った。右側(湾口・南側)を行く垂水航路(大隅半島と鹿児島市を結ぶ)と左側を頻繁に行き来している桜島航路は視角外にはみ出している。

錦江湾は水深が深すぎて錨をあげるのに時間がかかるため軍港には向かないとされてきた。今は海上自衛隊の潜水艦が出入りしている。イルカはもちろん、小型のクジラもいるらしい。よくも事故が起きないものだと思う。

種子島航路と屋久島航路の船は、ゆっくりと時間をかけて岸壁につけた。身びいきがあるかもしれないが、「としま」ならおよそ半分の時間で接岸するのではないか? ずば抜けた操船技術をもつ「としま」も台風の影響で2回続けて出港を見合わせた。きょうも出ないとなるとトカラの島々は干上がる。




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