じじらぎ

  

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新月と海

午前1時に目覚め、そのまま床を出た。暦ではこの時刻が完全な新月・朔である。旧暦11月1日。雲がなければ満天の星を見ることができる。

空は真っ暗だった。音をたてて風が舞い、ときおり雨粒がまじる。内地とちがって風にそれほどの冷たさは感じないが、早々に部屋に戻った。

トカラには2月の極寒期に来たことがあるが、寒かったという記憶がない。寒くないはずはないので、これからじっくりと体験してみようと思っている。

昔、ツテを頼って米国のボストンとニューヨークの安アパートに転がり込んだことがあった。いずれも真夏だった。緯度は高いはずなのにべらぼうに暑い。それも、タチの悪い暑さで逃げ場がない。

その代わり、というのも変だが、冬はめっぽう寒くなる。28日午前零時現在の温度をみると、ニューヨークが5.6度、それより北のボストンは4.4度という。晴れているというのに結構な寒さ。

ちなみに十島村は17度。この村は南北に長く、小宝島は南端に近いから、これより高いはず。室内の温度計は21度を指している。熱源は足もとの毛布にくるんだ電気行火(あんか)だけ。気がついたら、それも電源が切ってあった。

温度は高いけれども、文化文明の程度は、ボストン、ニューヨークに比べて小宝島や南太平洋の島々の方が高いというわけにはいかない。なぜ、そうなるのか…。

やはり寒いということが刺激になっている気配。18世紀後半にいたると、「未開地」の寇掠にひと区切りつけた西欧人は自国内に産業を興すことに身を入れ、都市が発達した。都市のめぼしいところは米国東北部だけでなく、ロンドン、パリ、ベルリンなど、いずれも緯度が高く、冬は寒い。

何を好き好んで寒いところに住むのかと思うが、冬支度をするということが頑張りと知恵、および悪知恵の動力になっているらしい。活気のあるところには寒いのも構わず人が集まり、それがまた活気、喧噪を生む仕掛けらしい。

冬を越すためにはそれなりの蓄えが必要になる。最小限、周年で先を考えないといけない。ここで思いだすのは漁師であり、船乗りだった祖父のこと。漁具の考案、製作、操作はもちろん、海の気象の読み方、操船には高度の知恵と技術をもっていた。

欠けていたのは、ものを貯めるという心がけ。魚がたくさん獲れたときは手当たり次第に人に配る。それが当たり前、くれる方も貰う方も、特段のことと思わない。そんな世界で呑気に暮らしていた。

おそらく、先の見通しは月の満ち欠けが基本で、せいぜい29日先のことしか念頭になかったのではないか。魚が面白いように獲れることがあっても、図に乗ると恵比寿さまの機嫌を損じる。

いきおい、財をなすということに関心が薄くなる。この辺は来年の種籾の確保、不作の年の備えまで頭のなかに入れ、あわよくば農地を広げようと画策する農民と決定的に違った。

話が妙な方向になった。満月になると吠えたがる狼男とちがって、新月になって胸が騒ぐのは、ご先祖の血のせいかもしれない。







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小宝島帰還

順不同ながら挙措往来の報告。24日「月曜出し」の「としま」に乗り、25日正午過ぎ小宝島に着いた。しばらくは島暮らし。年末をどうするかはまだ考えていない。

宿について厚着のままでいたら、半そで姿の女将から笑われた。鹿児島から寒がり気分を道連れにしてして戻ったらしい。薄手の首巻きはさすがに珍妙なので、豆絞りの手拭いに変えた。

26日朝、見事な日の出を拝んだ。発つ前に植えたパパイア3本は根付いていた。季節はずれに種まきしたコスモスも一斉に苗になった。この先どうするのか、コスモスに聞いてみないと分からない。罪なことをしたのかもしれない。

観光・鹿児島

∇…2008年11月22日_DSC07435  ∇…2008年11月22日_DSC07428 ∇…2008年11月22日_DSC07431 ∇…2008年11月24日_DSC07438

島から内地・鹿児島市に着いて、まず目につくのは電飾看板と慌ただしく働いている交通信号機である。今風に言えばケバイ。方言で言えばせからしい。

街の風景と空気から伝わってくるせからしさは、それぞれの思惑をからめた情報の一方的な押しつけからくるのかもしれない。ソロバン勘定と管理意識が底にひそむ。

街の情報はときに人を否定する。島から鹿児島に戻って、身近なところでまず行き合うのが信号機。指示にしたがって長い横断歩道をヨタヨタ歩くと、信号の色は途中で黄に変わる。

ほどなく赤に変わると車はいっせいに突っ込んでくる。急加速しながら警笛を鳴らすのもいる。こちらからは運転者の顔がよく見えているのに、運転者にはたぶん歩く者の顔は目に入らない。

街には人の顔がひしめいているのに、その一つひとつは認識されない。やたら忙しい思いをしながら、何をしたのか分からないまま日が暮れる。日没も日の出も意識されない。

借家で身震いしながら目をさました。まだ暗い。テレビの電源を入れてみたら、ニューヨーク市=タイムズ・スクウェアに新しい看板が出来たという話を「ニュース」として流していた。

今さらなんだ…。思わず老人性の独り言がもれてしまったが、街の風景が変わるという見方をすればニュースなのかもしれない。本当は何も変わっていない。

携行用の写真機をポケットから取り出して目についた風景に向けたのが上の4点。桜島は変わらない。海を隔てた街は飽きもせず、せからしい変わり方を続けている。

続く二つの写真は鹿児島市役所前の「港大通り公園」。昔は名山堀と呼ばれる水路があった。今の市役所は郵便局で、郵便物は船で運んだから好都合の立地だった。

そこを埋め立てて、両脇のクスの並み木が大きくなりたがるのを絶えず刈りこんで、真ん中にフェニックスが植えられた。なんの変哲もない南国風(?)というだけの不細工な大木。

それに飽きて模様替えしたのが今のケヤキ並み木。今度は北国の木を持ってきた。いまは葉の色が変わりつつある。つかの間の輝き。すぐに枯れ枝の並み木になる。

葉を落として骨格だけになった北国の木立ちはいかにも寒々としている。ならば、と豆電球をいっぱいつけて夜だけにぎやかにする。「ライトアップ」と称している。それを「ロマンチック」と考える者が多数派ということになっている。

サルビアも外来の花。花期が長いので、カタカナ名の馴染みのない花の色があせるのを待ちかねたようにして絶えず植え替えるのよりはマシ。

ついでながら画面左端の黒い柱は空襲被害の死没者を慰霊するという現代彫刻。前からあった同じ趣旨の彫刻は人通りの少ないところに移された。爺の好みではこの方が良かった。

最後の写真は村営フェリー「としま」の停泊地に向かう途中にある「ドルフィン・ポート」。飲食店を中心にした新しい「観光スポット」という。

夜になって人通りが絶えると、電気仕掛けの装飾はかえって侘しい。住む人の汗と涙のにおいのしない超現実的な風景。それを「観光・鹿児島」の看板にする。本物の冬はまだ来ないのに、なぜか寒い。

∇…2008年11月16日_DSC07407 ∇…2008年11月16日_DSC07394 ∇…2008年11月16日_DSC07405 ∇…2008年11月16日_DSC07380

16日、村営フェリー「としま」に乗った。午前8時20分に出港、船は小宝島をうねりの彼方に置き去りにして、ひたすら北に向かった。

鹿児島港にもやい綱を投げたのは夜の9時前。機関音をたてながら一心に進んだのに、向かい風が強く冷たかった。いつもより時間がかかった。

転居先の借家は、真冬だった。「平成の大合併」で市域に組み込まれたところだが、鹿児島市になっても寒さは変わらない。いっそ雪でも降ってくれた方が格好がつく。

写真は左から小島(左) と小宝島。2、3枚目は海。右端は屋久島の西側の水路を通ったときに口永良部島に沈みかかる夕日。

バレンボイムとエルバシャ

2008年11月15日が過ぎないうちに「時間確認」をしておこうと思ったのが、うかうかしているうちに日付が変わった。トカラで時が止まるというのはウソ。

時間確認というのは押し付けがましいかな? 私がまだ生きているというだけの確認。ついでにずっと立派に生きている人のことを紹介しようか、やめようか…と迷っているうちに日付が変わったので、話をはしょる。

問題の人物はピアニストで指揮者でもあるダニエル・バレンボイム。1942年11月15日生まれ。「きょう」のつもりが、日付がかわってしまったから「きのう」が67歳の誕生日だった。

アルゼンチン出身のユダヤ人で、今の国籍はイスラエル。ユダヤ人、アラブ人のわけ隔てをせずに音楽を教え、混成のオーケストラを指導している。

話ついでに紹介したい人は、アブドラ・ラハマン・エルバシャというピアニスト。この人はバレンボイムよりずっと若い。レバノン出身で、イスラム教の信仰を日本に来ても静かに守っている。

ここまで書いてまだ逃げ腰の気分だけど、仕方がない。中途半端なまま押し付けを押し通す。いま世界中のピアニストでいちばんはエルバシャだと思う。その理由を書けば、長くなり、くどくなるのでやめる。

現代ピアニストのベスト3をデッチあげると、1位は空席、2位エルバシャ、3位バレンボイム。卑怯な手口ながら、あるヴァイオリニストの口を借りれば、エルバシャのピアノは「透明感を通り越して、音の宇宙が広がる感じ」。

バレンボイムがエルバシャより下位にあるのは相すまぬが、生演奏はエルバシャが断然いい。バレンボイムの生演奏は聞いたことがない。不戦敗の扱いで3位。

1位を空席にしたのは、昔の演奏家の、それもごく一部しか知らないため。今どきは、もっと凄い演奏家がいるかもしれない。いちばんの席は自由席。

とにかく言いたかったのは、会ったことも会うこともないバレンボイムさんに「誕生日おめでとう…」。ついでに、パリのエルバシャさんには「達者でね…」。16日の船で鹿児島に雑事を片づけに行く自分自身には「毎度ごくろうさん」。

バッコー

∇…2008年11月13日_DSC07085 ∇…2008年11月14日_DSC07170

荒波を写真で撮るのは疲れる。小型化だけが売り物の普及版の写真機には手ぶれ防止装置などない。そのうえ、そのままでは三脚にも取り付けられない代物。ふらついた腰で波のしぶきを避けながら頑張るのはおっくうになった。

13日は満月。夜が早くなってお日さまが現れる小島の左よりの空に月が出ていた。一人で見るのはもったいないので写真を撮る。そのあとで、やっぱり写真なんぞ撮るより、のんびり眺めていた方がいいと思う。

翌14日朝、西の空を見ると、月が丸い形を変えないまま浮いていた。これも見事。 手ぶれをごまかすために露出をうんと落としたら、空が夜の感じで写った。 

…ま、いいか。昼は夜の裏側で、夕まずめと明け方は夜の始まりと終わり。酔いはじめと酔いざめ。

待ちに待った「としま」に乗る前に、湯泊の露天に暇乞いに行き、絶好の湯加減に良い気分になっているところに、放送塔の拡声器が何事か言いだした。 「バッコー」と聞こえる。「小宝島はバッコーします…」。

まだ確かめていないが、おそらく「抜」と「港」の漢字二つを重ねた造語。沖を素通りして港に寄らないということらしい。

「抜港」なら4音節だが、いかにもなげやりに2音節で済ませて「バッ・コー」。なにかバカにされているような響き。…船が姿だけ見せるバッコー、…どうせ小宝はバッコー、…廃港よりはましなバッコー。

実は10日に鹿児島を出る便が3日遅れた。3日遅れで着く荷物を待っていたら、荷物を降ろさないまま宝島まで下り、待ちに待った上り便はバッコー。

鹿児島からはその日のうちに折り返し、14日夜半に再び南に下る。積んだままの食糧・日用品と工事用の資材は、片道300㌔余だから往復半1000㌔近い距離を航海して4日遅れで15日昼に届く。

ただし、小宝は「ランプウェーの使用制限」という。「ランプウェー」というのは、「としま」の場合だと左舷船尾に普段は畳んである、車両乗降用の取り付け斜路のこと。これも造語らしいが、深刻な意味を帯びるときがある。

取り付け斜路を使えないとなると、車も牛も起重機(クレーン) で吊り上げる。うねりが大きいと、それもむずかしい。乗降は人だけになる。それでも、バッコーよりはありがたい。

船舶用語には、何度聞いてもなじめないものがある。言葉の好き嫌いの激しい性分なので「これでは浅薄用語ではないか」と、憎まれ口の一つも言いたくなる。

そんな用語にもだんだんと慣らされて、12日に発つはずだった鹿児島上り便が13日も待ち、14日もバッコーで乗りはぐれて、船の着く日をまだ待っている。

民度って何だ?

嫌いな言葉はあまりないけれども、「民度」という言い方は気にさわる。「島は民度が低い」などと言う者がいれば、相手が政治家であろうと、偉いお役人であろうと、学者であろうと、それだけで人格を疑う。

念のため、この場合、政治家というはアンジさんが「半端者」のブログの追記で触れた人を具体的に指しているのではない。政治家一般のこと。

例の議員の視察の目的は知らない。ソロバン勘定だけでなく、人を人たらしめる好奇心をまだ失っていない人かも知れない。島の風景の美しさと貧しさを脳裏に刻んでおこうという出来ごころを起こしたことだけで「民度」問題を卒業しているのでは…。

「民度」の問題は、もっとあからさまに未開度、未啓蒙度という言葉に置きかえた方が分かりやすい。責任のある立場の者が特定の地域、集団を民度が低い…という場合、その責任は言われる側よりも言う側にある。天に唾する所業。

より具体的に言えば未開度は、提供される情報の質にかかわりがある。情報を読む力は教育の質の問題。そこに不足があるとすれば、特定の地域、集団を未開のまま放っておいた側に責任がある。

それ以前の問題もありそう。ほんものの知恵は、七光りの議員より辺地で暮らす人が劣るとは思わない。荒稼ぎしたり、上手に世渡りしたりする才覚や悪知恵は確かに劣る。専門的な情報を読む力も劣っているかもしれない。

しかし、自然が伝える情報を読む力や生活の知恵は、僻地で暮らしてきた人びとが高学歴の都市生活者より劣るとは思えない。本ものと偽ものを見分ける能力も、田舎の人の方が優れているフシがある。

西欧人のいう「旧大陸」にキリスト教の宣教師がやってきたとき、先住民(アメリカ・インディアン) は「彼らは神について口論することを教えに来た」と喝破した。

前に語ったように軍人がかかわると口論だけのことでは済まなかった。インディアンを野蛮人だと断じた白人のやったことは、野蛮の域を超えていた。彼らはインディアンにも詩があり、思想があることを知らなかった。子への情愛が深いことはすぐわかった。それで、子ども人質にとったりしたという。

違う生い立ち、異なった歴史、文化、生活環境で育った人々を「民度が低い」と嘆くのは、ただの独善では済まない。いま世界のあちこちで起きている紛争と虐殺は、これに傲慢さと貪欲が道連れになったことで止まらなくなった。

歴史は繰り返すという。これは歴史の法則でなく、人の本性が問題。歴史に学ばないことで、そのもっとも愚かな部分が繰り返される。過去の過ちを美化ししても甲斐はない。歴史はつくっていけばいい。

オバマ大統領の当確が決まったとき、米国のテレビまで「黒人初の大統領」というのを強調したのにはがっかりした。米国社会は異人種、異文化が重層し、まじりあって共存していることで成り立ってきた。なにを今さら…。

黒人層が喜ぶ気持ちはわかる気がするけれども、今回の選挙の争点は白人を選ぶか黒人を選ぶかということではなかった。もちろん男を選ぶか女を選ぶかということでもない。

女が大統領になれば、米国の女たちは喜ぶに違いない。なにしろアメリカの女たちは参政権を得るまでに凄まじい闘いをしてきた。人から何か奪おうとか、目立とうとか思って始めたのではない。1960年代の公民権運動の発端と似ている。

この話があまり植民地・日本に伝わっていないのは、女であることと利口ぶりだけを職業技能とする類の女評論家、女学者のせいであろう。政治の世界にも同類がごろごろいる。市川房枝さんあたりが化けて出て、一喝してくれないものか…。

ヒラリーはどこか生臭い。小ずるい顔をしているのが生まれつきの造作のせいなら、顔を責めるのは酷だろう。それで、彼女の政治家としての経歴、身のこなし方を調べてみたら、後天的な獲得形質だった。

ずるいのが顔に出ただけのこと。亭主がこの人と並べばアホに見えるほど勘定がお上手。得になるならどんな座敷にでも出る。悲しい芸者の定めを一身にひき受けた女が、政界で脚光をあびる現象は日米同じだと思った。

共和党のマケインはアメリカの名誉のためならイラク戦争を百年でも戦うと言う。百年かけて殺し合いをするほどの名誉がどこにあるんだろう。記者から、本気か? …と聞かれると、そんなときのために日本に60年も基地を置いている、と答えたという。

3人のなかで、いわゆる「イラク戦争」を批判してきたのはオバマだけだった。あまり嘘を言わないで、カッコイイことを言う。頼りないけれども、名誉のために人を殺す手合いを頼るよりましだろう。

オバマは親日、知日ではないという。それがいい。宗主国と植民地は対立、緊張するのが正常な関係。アーミテージのような植民地支配の手管に通じた知日家より、日本に利害も人脈もない相手の方がまともな付き合いができる。

3日遅れの出港

∇…2008年11月12日_DSC07008

おととい月曜日に鹿児島を発つ予定だった村営フェリー「としま」が荒天のため出港を翌日に延期した。きのう午後4時前になって、それも出ないという放送があった。きょうの出港もおぼつかない。

午前9時18分、放送塔の拡声器が「十島村防災情報」を伝えた。きのうの声と違ってはずんでいる。きょうは出るという。待ちに待った「としま」は深夜に錨をあげ、あす正午過ぎ、運航計画表より3日遅れて小宝島に着く。

今朝の湯泊港も沸騰状態だった。船の運航についての告知をいつのころから「防災情報」と言うようになったのか知らないが、きょうの出港に関しては「冒険情報」と言った方がふさわしい。

1990(平成2) 年4月まで小宝島に寄る「としま」は湯泊港からはしけを出して人の乗降、荷物の積み降ろしをした。時化の日は沖に停泊している「としま」に漕ぎだすはしけの姿が波の陰に隠れて見えなくなったりした。

日本で最後のはしけと言われた。今は島の南側、「つくり泊」のところに突堤がつくられ、「接岸港」と呼ばれている。


【12日日の出時刻の湯泊港。写真左隅のコンクリートの囲いが露天温泉。きのうまでは入れたが、連日の風と雨で今朝はぬるくなっていた】

漂流

湯泊の露天温泉に入りながら空を見上げると、低い位置にある雲がかなりの速さで南から北にうごいている。方言でいうハエの風。

しかし、温泉場に吹く風はむき出しの背中に当たる。ここでは風は西から吹いてくる。天気は雨模様が続いているが、前触れもなく晴れ間が出たりする。島の風は不時不定。

風が回っているというだけでなく、同時に二つの方向から別の風が吹く。やはり島は航行中なのだ。
最近は舵を失って漂流しているのではないか…という錯覚にとらわれるようになった。

漂流にも一応の方向があって、村役場のある鹿児島市からだんだんと遠ざかっていく気配。このままだと、宝島はもちろん奄美群島、沖縄列島の先まで流されて台湾にぶつかる。

ほどなくして天気が変わると雲と靄がはらわれ、南の水平線に宝島の島影がくっきりと浮かび上がる。北には悪石、諏訪之瀬、ときには平島、臥蛇島、中之島の島影が張りついているのを認めることができる。

やっぱり島は動いていない。村役場の方が漂流していて、果てしなく遠ざかりつつあるのかもしれないが、これも科学の常識に反する。漂流していると思うのは病的な幻覚にほかならない。

アホなおしゃべりを長々としてしまった。言いたいのはこの精神症状の原因のほとんどが村役場にあるということ。半可通のまま直接民主主義の提案をせざるを得なかったのも、これが背景にある。

鹿児島市にいる間は村役場が遠くなるという錯覚に陥ることはない。物理的な距離の問題ではない。ほかに気を煩わすことが沢山あって、住まいのすぐ近くにある村役場を意識しないだけ。

島で暮らしてみると、いかにも役場が遠い。この疎外感、わびしさは島に逗留してみないと分からない。なんとも気がかりなのは、村長をはじめ、村の職員が島で暮らしていないこと。そのために、島で暮らす人びとの気持ちが分かりにくくなっているのではないか。

島にいると村がどうなっているのか、役場が何をやっているのかが見えにくい。住民自治の大事な手がかりになる行政、財政情報が迅速に伝わってこないのである。

ブロードバンド化の工事は小宝島でも始まった。工事の概要はNTTの人から聞くことが出来たが、情報の回路がひらければ格段に便利になるといっても、村がどんな情報開示の取り組みをするのかが分からない。

村のホームページにはブロードバンド化計画について特別の項目がつくってある。これを開いても空白のまま。議会の報告を見たら、いちばん新しいのは去年の2月。おとどし12月議会の話。その後に定例議会は7回開かれたはずである。

議員に聞こうにも、小宝島からは長いこと議員が出ていない。島に村の職員がたまにやってきても、その時々の用事をかかえていて、慌ただしく帰っていく。

そこで思いついたのが、直接民主主義の提案。もともと人口が少ないから拡声器で放送すれば、いつでもそこそこの人数が集まるはずだ。ぜひ顔を出してもらいたい人がいれば、呼び出しに行けばいい。狭い島のどこかに必ずいる。

実は直接民主制の素地はすでにある。島の部落総代(今は自治会長と言う決まりらしい) が招集する寄り合い。随時、大事な問題が起きたときに開くという。

その場合、なにが緊要の問題なのかを判断する手がかりが必要になる。村の情報開示が迅速かつ綿密になされないと、ことが決した後にいくら議論しても後の祭り。

村の広報体制の強化、というより実態からいえば正常化が島民自治の必須の条件。それに、村当局が気がつかない問題を島の人が先に気づく場合だってありうる。寄り合いの回数は多い方がいい。

自治会も鹿児島市に議場がある村議会並みに、せめて年4回定例の会合をもつ。開いてみて議題がなにもなければ、そのまま酒宴に移ればいい。鹿児島の方言で焼酎を構えて飲むことをマツイ(祭り) というが、この場合の後の祭りは楽しいものになりそう。

伝統的な習俗も簡略化の傾向があり、昔に比べると島の人が集まる機会が少なくなったという。みんな顔を合わせて焼酎を飲む口実を探しあぐねている気配。ただでさえ孤立している島で人まで孤立すると、島の空気は重くよどむ。

島民になる資格、覚悟にまだ自信がないので、寄り合いをどう運営し、より有効な決議機関にするかについての発言はしばらく控える。議員を出せなくても、島民の意思を村政はもちろん、国政に反映させる道をひらくことが出来るかもしれない。

現憲法下の法体系はそれを保証していると思うが、あまり難しいことを考える必要はない。まず、風通しを良くするところから始めればいい。寄り合いの参加者は次の選挙の心配をせずにすむから、今どきの国会などよりもずっと格調の高い議論の場になるかもしれない。

代表民主制

オバマ当確のおしゃべりを受けて、アンジさんが代表民主制のもどかしさについて語っていた。気持はよくわかる。コメントでは語りつくせいないので、いずれおしゃべりの補足をしたい。

これより少し前、国政にかかわっている人と直接話をする機会があった。十島村の行政と議会のあり方に手抜かりが目につくという話をしたが、直接民主制の実験については触れずじまいだった。

これについては割と真面目に考えている。ひとまず議会と役場が何をしているのか分かりにくい現実を改めないといけない。財政破綻を既成事実、あるいは既得権益のように心得て横着を決め込んでいるとすれば、自由で自律的な市民の居住地としての七島は遠からず崩壊する。

これを救う手立ての一つとして直接民主制は考えられないか? 有権者は七島合わせて500人そこそこ。悪石島で会った老人は「どこを向いてもジジ、ババばかり」 と嘆息していたが、島で暮らす年寄りはそれなりに元気だ。少数ながら若い者もいる。島に子どもたちの歓声が響いているうちになんとかしたい。

法律をいじる面倒を避けて、現行憲法、地方自治関連法・施行規則の枠を守っていくにしても、十島村の現実に即した、いろんなやり方がありそう。あまり難しいことにはならない気がしている。七島が本土から遠く、それぞれに海を隔てているのも、あるいは良い条件かもしれない。

島にかかわる人たち、島で暮らす人たち一人ひとりのナマの声が伝わりにくい状況が続けば、県民、国民の支援が得られる保証はなくなる。このままだと、週2便の船が以前の1便に戻されても文句を言えない。

村長以下、役場の職員は島に住んでいないから痛くも痒くもないかもしれない。しかし、万が一そうなったとき、島の風景はどんな変わり方をするんだろうか。

きょうは今から忙しくなりそうなので、この先の話はいずれ。……とりとめのない「つれづれ草」を気取るつもりが、きょうも「いずれいずれ草」になった。


オバマ当確

オバマ当確のニュースが入った。そうか、そうか…と心のうちでつぶやいた。特段の期待があるわけではない。今の米国が抱えている問題は根が深すぎ、誰が大統領になっても手に余る。

とにかく、ブッシュの亜流でなければ誰でもいい。世界史上かつてない社会構造の矛盾と暴虐を、臆面もなく拡大してきた流れに「待った」 がかけられなければ、まっさきに植民地・日本が無理心中を強いられる。世界も破滅する。

大げさに聞こえるかも知れない。でも、自称他称のアメリカ通評論家のご高説を脇に押しやって中学高校世界史の常識の水準までもどって考えなおせば、アメリカという国の特異性が見えてくる。

財政と貿易収支の赤字を抱えながら覇権を思いのままにしている国は歴史上ない…とも言われるが、これは高校社会科の水準を超え、私にも分からないところがあるので触れない。国の指導者が歴史と政治思想を学ばないことでは日本と並んで双璧をなす国だと思うが、この話も控える。

かつて英国の植民地支配に抗して戦い、独立した。ここまでは、まぁ良い。途中を飛ばすとして、19世紀に入って悲惨な内戦を戦った。いわゆる南北戦争。50万とも70万人とも言われる戦病死者を出した。

ちなみに、これよりやや遅れて勃発し、曾祖父も賊軍として戦った西南戦争の死者は官賊あわせて1万2,3千人。気がついたら歴史の廃棄物と化していた不満武士層の処分は、西郷さんの人徳のおかげで最小の規模で片づいた。

しかし、米国の内戦では機関銃など最新の装備が実験された。すさまじい殺戮をともなう近代戦のはしりとなった。

この内戦の意味をどうとらえるかは難しい。奴隷解放のための正義の戦いであった…などという単純な教え方は昔の高校でもしなかった。あらためて思いいたるのは、米国が19世紀の後半まで奴隷制度をしいていた国であるという事実。国民の平等を認めたのは20世紀後半。後進国日本より遅い。

南北戦争のあと、北軍、つまり合衆国陸軍の将兵は余った精力を先住民狩りにふり向けた。日本でいえば明治時代、この国には正規軍が女子どもを分けない酸鼻を極める虐殺に手を染めた歴史がある。

これにかかわった軍人のなかには、自分がいかに勇猛であったかを際立たせる下心から敵の「インディアン」をことさらに美化する者もいた。実態は最新技術で装備し、物量にものを言わせた無差別攻撃であった。

一方で「良いインディアンは、死んだインディアンである」と言い捨てる将軍もいた。このころから米国は侵略と虐殺を恥とせぬ病理を慢性化させた気配。この病気は戦争で負け、無辜の市民まで虐殺されたはずの日本の軍人にも伝染して、航空幕僚長が迷論文を発表したりする。

米国は優位の構えの先制攻撃をこととし、国土が戦場になった体験をもたない。21世紀の幕開けに起きた国際貿易センターの自爆テロは米国民が初めて体験した国土内での無差別攻撃であった。これを千載一遇の好機ととらえ、安手の西部劇のような報復劇を自作自演したのがブッシュだった。

米国は今でも一般市民に銃器の所持と携行を認めている。これを憲法が保障した自衛権、抵抗権に基づく正当なものと大真面目に考えている国民が多数派を占める不思議な社会。

この国の建国思想には今でも学ぶべきところが多いと考えている。しかし、18世紀に革命の思想として実践された原理の末節の部分を拡大解釈して人殺しを正当化するのは本末転倒である。

ケネディが暗殺されたとき、議会は調査委員会をつくった。綿密な調査がなされたはずだが、なぜか報告書は70年間封印されることになった。人類史の視野に立って民主主義の理想の到達度を考えるとき、このことを忘れるわけにいかない。

しかし、米国民がすべて愚かだということはあり得ない。4年前の選挙のとき、投票実数は現職のブッシュよりも、どこか覚束なげにみえるケリーの方が30万票多かった。 この4年間、米国民の半分は鬱屈していたのである。

前回選挙の直後、米国の知人が鹿児島に遊びにきた。暇にまかせてあちこち案内したが、屋久島の山道を歩きながら、「アメリカがつくづく嫌になった。日本に移住帰化したい」 という。

こんな相談は請け合いかねる。英語の教師が英語をまともにしゃべれない時代の文部省特選英語で、「なにをおっしゃる。日本はアメリカの悪いところばかり真似をしている実質的な植民地ですよ」 と必死の説得を試みた。

彼は今も東部の都市にとどまって本来の仕事に専念している。白人だが、今度の選挙で誰に投票したかは聞くまでもない。米国の歴史は長い間の逆行から、ようやく踏みとどまった。

米国のすぐれた政治思想は、今なお実現されていないものが多い。当面の政治課題は、戦争依存の経済からの脱却。それと中流階級以上の富裕層と、その下層との断層をかかえた二重社会の改造。それだけでも大変な難題である。

オバマは公約を途中で引っ込めない限り、何度も壁に突き当たり、つまずきを繰り返すだろう。その際の衝撃と挫折感から米国がどう立ち直るかは、米国一国の問題ではない。

回線不調

無線LAN回線が時々途切れ、今朝方回復した。原因は不明。宝島小中学校小宝島分校の教頭さんの話だと、分校にある機械の接触不良らしい。

この学校、校長さんは宝島の本校にいて、島に住む管理職は教頭さんひとりだけ。事実上は、島の校長さん。

普通の管理職とは違って、島の文化・体育行事の主催者 兼 分校の小遣いさん 兼 村営フェリー「としま」の通船作業員 兼 荷役夫 兼 インターネット回線の保守管理係。今朝も早いうちから機械をいじっていたはず。

そんなわけで、アダンさんの島めぐりマラソンについてのコメントは今、確認しました。参加希望者数、抽選の仕方などは村から詳しい報告がないようなので分かりません。

参加者は100人余という。私が見た感じでは100人に足りなかった。キチンと数えたわけではないので実数は公式発表どおりかもしれない。

いずれにしろ、漠然と島の道を走ってみたいという「秘境」憧れ派と、万難を排して参加する断固実行派との数に多少のギャップがありそう。

小宝島、宝島を除けば急坂の多い厳しいコース。これを考えると、「としま」特別便は各島をゆっくり観光してもらう時間割を組んだほうが良さそう。船に思うさまに揺られたあと、気持ちのいい汗を流すところはトカラ列島深南部の小宝島、宝島に絞った方が楽しそう。

……これは単なる思いつき。でも、港から集落までは50ccのバイクでは思うように登れない急坂も珍しくない。これを、ジョッギング感覚で駆けあがるのは鉄人向けの苦行であろう。改善の余地はまだありそう。

マラソン

∇…11月01日_marathon
1日午後4時に着く特別便で七島めぐりマラソンの一団が小宝島にやってきた。よせば良いのにビデオカメラを持ち出し、回してみた。それだけのことで、おそらく録画したものを再生する気持ちには当分ならないだろう。

一周道路の風景は熟知しているつもりだった。しかし、撮影拠点に定めて車から降ろしてもらった所に立ってみたら気に入らない。少し歩くことになった。

不安は的中して腰が固まった。激痛をこらえながらカメラをいい加減に回して、この日二度目の温泉にはいり、しばし痛みを忘れるあんばいになった。

夜、焼酎でダイヤメ(晩酌) したら、進まない。夏いらい初めて心臓の発作が出た。飲むのをやめて舌下錠を口に含み、パソコン周辺機器なるものをいじくりまわしているうちに発作を忘れた。

その代わり三猫状態、つまり見ニャイ、言わニャイ、聞かニャイ…の戒めがよみがえった。これはまぁ良いことなんだけど、鬱の気がぶり返したということでもある。

だいたい、何が面白くて島の道を息せき切ってはしるのか? 高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」 を思いだしてしまった。 

島はのんびり歩いて回るのがいい。爺ぃのような病気もちは介護犬 兼 同伴者のサンに、車椅子代わりの自転車を引っ張ってもらいながら休み休み行くのがいい。

「島おこし」も良いけれども、火の車のはずの村はそれなりの出費をしたはずだ。それを承知で島の人たちは腹のたしにならない応援をする。なんでもいい、人が来てくれるのがうれしい…、ただそれだけのことで走る人に声援をおくる。

鹿児島市に役場があって、滅多に島にやって来ない村役場の職員たちもビニールの揃いの上っ張り(ブレーカーというのかな?) を羽織ってやってきた。電話で声しか聞かない人たちとは別人のように張り切って見える。

普段10分そこそこでもやい綱を解く村営フェリー「としま」は、錨をおろさないまま1時間ほど停泊した。 それだけのことで心が浮き立つ。

ほどなく島はもとの静けさにもどった。夢から覚めた侘しさと、いつもの安らぎがあとに残された。

マラソンのための島内いっせい清掃に出た晩に倒れ、ヘリで鹿児島に運ばれたオバァは思いのほか軽く、1カ月ほどの入院で帰ってこれそうという。なんとしても良かった。世はなべて事もなし…。

11月の日の出

2008年11月01日_DSC06691

月がかわった。
2008年11月1日
きょうも日が昇る。
毎日、日が昇るのは 
当たり前のことだけど、
当たり前のことが
また格別。


(……妙なはずみで、金子みす ゞ 調。古い奴だとお笑いください)
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