じじらぎ

   OLD »

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ハブ

∇…020  4月最後の日の日の出。気温は20度を超した。日中は半袖でも暑くなりそう。

宿の女将からは昨日、ことし初めてハブを見たとの報告があった。昼過ぎ竹ん山から下る道沿いの竹藪にいて、すぐに草陰に逃げ込んだという。

分校の近くでとぐろを巻いているのを理科の先生が確認したのは確か3日前。いよいよハブの季節に入った。

奄美では列をつくって藪にはいると先頭から2番目の人がハブに“うたれる”という。人が来るのに驚いたハブが戦闘態勢にはいって攻撃にかかるのは2番目あたりということらしい。

トカラにはそんな伝説はない。島のハブとり名人によると、トカラハブは奄美の怒りっぽいハブと違って、人に気づくと逃げるという。

とぐろを巻いて飛びかかる構えからの飛翔距離はおおむね45㌢とか。観察するのにどのくらいまで接近が許されるかについては自分では1㍍を目安にしている。過去の経験では、最接近の前に先方は静かに退散する。

1㍍という間合いには、一度くらいは噛まれてもいいという覚悟がある。耳学問によれば、トカラハブにかまれて死ぬことはないという。ならば、本土のマムシの方がよっぽど怖い。

スポンサーサイト

共生?

∇…096

29日夕方の南風原(はえばる) 牧場には10数羽の白鷺が来ていた。アマサギにコサギがまじる。前日あたりまでは牛と距離を置いていたアマサギがぴったりついている。

慣れるまで時間がかかるものなのかどうか? 去年5月ごろには1頭の牛に2羽、3羽ついている光景も珍しくなかったが、きょう見たところでは1頭に1羽ずつ。ほかの鳥はまだ遠慮している気配で、広い牧場に1羽づつ散らばっている。

鷺は遊んでいるわけではない。牛が草を食べようとするとき、草陰から飛びだす虫を狙っている。牛にまとわりつく蠅どもを始末する仕事もある。

これを共生というのかどうか? とにかく、牛の方にうるさ がる様子はない。

漢字検定に高いお金を払うような類の人が、“うるさい”ということで連想するのは鷺ではなく蠅の方だろう。 そういえば、天気が不安定だった4月も間もなく終わる。

相変わらず周辺ではツバメが超低空で飛び交っている。イワツバメかなと思ったが、普通のツバメとみてよさそう。北に渡る途中らしいが、これも長逗留している。

一周道路を北に回る途中、鍛冶場跡近くの藪から雀よりむしろ小ぶりに見える鳥が飛びだした。どうやらトカラ名物・村鳥のアカヒゲ。この先、気をつけると思ったより身近なところにいるのを確認できるかもしれない。

春の夜明け

∇…039

05:00…気温19℃、きのう06:00の17℃に比べると、ずっと温かい。日の出の位置が北側に動いた。鷲がとまっているように見える奇岩・中の門(なかのもん) の斜め小島よりから昇っていたのが、小島の上をかすめる位置にまで移動している。

竹ん山の中腹からふもとにかけて鳥の声が聞こえてくる。いろんな声が混じっている。爺ぃの浅い知識では識別不能。



間近でよく見るツグミ類らしい鳥はシロツグミと見当をつけて、ネットの写真を見比べてみる。むずかしく考えないで、普通のツグミとみていいのかもしれない。

スズメぐらいのふっくりとした鳥が電線にとまっていたり、団子状にかたまって速い速度に真っ直ぐに飛んでいったりする。いつも逆光で見て、姿形がはっきりしない。

数の確認は難しいが、団子になって飛ぶときの数は20羽ほど? 写真での記録は、お粗末な腕前と分解寸前の写真機では無理。

同じくらいの大きさの鳥で、単独で活発に飛びまわっているのはキビタキらしい。ヤマブキ色に近い鮮やかな黄色が目をひく。

日が高くなるにつれて竹ん山一帯の緑が映えてくる。


連休

∇…045

00:30…17℃、北国に住む人からは笑われそうだけど、冬が戻ってきたような肌もち(薩摩大隅地方の方言で、体感の天気のこと)。

天気はまだ回復しきっていない。星が見えてもいいはずだが、空は暗いまま。風はいくぶん穏やかになった。耳をすますと、竹ん山の一角がざわついている。予報通り北北西の風か?

鹿児島港で錨をあげた「フェリーとしま」には追い風。小宝島港には正午にならないうちに着きそう。早く着いたら少しの間でもゆっくりしていけばいいのに、船はそうしない。

村営フェリーが急きょ宝島便から名瀬便に振り替えになったことで、きょう悪石島(あくせきじま) からやってくる予定だった人からキャンセルの電話が入った。昨日の晩方のことである。

なるほど、天気のすぐれないところに1週間足止めを食ったら、トカラにもう1泊する元気がなくなって当然。そのまま名瀬まで下って飛行機で飛んで帰りたい気持ちになるのは分かる。

次の折りに必ず来ます…と申し訳なさそうな声だったとか。「次の折り」がそう簡単に訪れないことはご本人も宿も先刻承知。それはそれ、そう言ってもらうだけでもありがたい。

庭ではエラブユリの花が昨日から咲き出した。野ユリと姿は同じだがひと株の茎につく花の数が多い。色も心なしか純白の鮮やかさが際立つような…。

この花、奄美諸島の沖永良部島生まれというお客さんが「今度来るときは球根をもってきます」と言って、本当に宿を再訪し、大きな袋を抱えてきた。こんな事も珍しい。有り難い巡り合わせ。

内情を暴露すれば、連休中の民宿パパラギはガラ空きである。女将は、いっそ休みをとって遊びに行けば良かった…と言うが、あとの祭り。1人でも2人でも一度予約を受けた以上、宿の我儘でキャンセルはできない。

7月のかき入れ時に半月にわたり開店休業する問題については、条件の変化も、こちらの変節もない。この件については、いずれ。

とにかく、天気だけは快方に向かいそう。予報では、ここしばらく晴れ模様。きょうは中之島の天文台長さんが小宝島にやってきて分校の庭で星空の観望会をするという。

【咲きだしたエラブユリの花。サンは近くの草むらに牛脂でつくったおしゃぶり骨を隠していたのを忘れていなかった。島に戻ってボケ症状が軽くなった気配。この分では“くたばり競争”は私の方が勝って、お先に往けそう】

船待ち

∇…012

05:30…気温16℃。風はよほど穏やかになった。

09:00…日が差す。気温19℃、数日前よりはまだ低いのにポカポカと温かい感じ。

09:15…“防災十島村”「本日、フェリーとしまは、定刻23時50分に、宝島便にて、鹿児島港を出港します」。順調だと小宝島にはあす正午ごろ着く。先週、金曜日出しが欠航したので1週間ぶり。

16:15…“防災十島村”「本日、フェリーとしまは、定刻23時50分に、名瀬便にて、鹿児島港を出港します。当初、宝島便と案内していましたが、名瀬便に振りかえて運航します」

……このあと島の診療所から放送があった。5月2日に予定していた住民健康診断のための採血を急きょ、あすの午前6時から9時までに繰り上げるという。血液検査を名瀬の県立大島病院で行う関係か?

16:30…20.5℃、曇り、と思ったら時々日が差す。北北東の風。午前中、幾分穏やかになっていた湯泊、小島間の狭水路に時たま白波が立つ。

【写真は宿の玄関近くにいた何ものか。作りもののような金属質の色をしている……触覚や前後に伸ばした足を勘定に入れない体幹部分だけでも長さ8㌢ほどの大きさ。コオロギではなくイナゴの一族らしい】

夏の暗闇

∇…031

2009年4月26日、日曜日午前4時。気温が18℃に下がった。冬が戻ってきた。まだ風のうなる音がするが、予報では回復に向かうという。

先週は週2便のフェリーが1便欠航した。金曜日に鹿児島港を出るはずだったのが、土曜の朝まで天気を見て、とうとう欠航。

バッコー(抜港) というのもある。これは船がちゃんと出ても、港に寄らないこと。7つの島で、真っ先にバッコーになるのは小宝島、ついで平島。島の人が悪いわけではない。港の条件が厳しいのである。

欠航ならケッコー。岸壁から船の影を見ないだけいい。犬の鼻面に餌を突き付けてから、かたわらのドブに捨てるような仕打ちのバッコーよりもまし…。

しかし、ケッコー毛だらけネコ灰だらけ…と洒落る気分にはならない。島の民宿の予約は、出港延期だと半分近く、ケッコー、バッコーでは全部キャンセル。それだけでなく前便の延期、欠便の絡みで旅行日程が狂い、直後の便で来る予定の客からもキャンセルが出る。

これは天然自然のお天気のせい。宿の方も納得ずく。しかし、人が思惑でやることにはやはり不満が残る。

2009年夏、かき入れ時の7月16日から月末まで小宝島の民宿「パパラギ」には予約がはいるあてがない。船は出るが、切符を買えないのである。やむなく開店休業。

7月22日、皆既日食がある。そのせいである。小宝島も6分とちょっと、昼ひなかに真っ暗闇になる。「世紀の天体ショー」とか。

6分余が長いのか短いのかは分からない。これは取りようで、人それぞれ。

ただ、6分のために「パパラギ」の商売は半月間にわたって真っ暗闇になる。これは長い、と私は思う。なぜそう思うかを語ればまた長くなる。例によって、続きはいずれ。

【写真は26日正午過ぎの湯泊湾。接岸港ができるまではここから“はしけ”を出した】

閑中忙あり

「離島の暮らしは退屈でしょう」と同情してくれる人がいる。「うんにゃ」とも言えないで、テゲテゲ(大概々々) の受けこたえをする。

説明を試みても話がくどくなり、なにか勿体ぶった風に聞こえそう。相手の受け取りようでは偏屈者の屁理屈…、死にそこないの爺ぃの痩せ我慢…。

この場を借りて弁解をさせてもらえば、まぁ、そこそこに退屈なこともある。だから良い。要するに、暇と退屈と貧乏を尋常ならざる不祥事と思わなければいいのである。

この難儀な時代に、何にもしないでどうにか生きている。退屈に不平を鳴らせば罰があたる…と思うけれども、本当のところは、それなりに色んなことがある。

天気のいい日はサン婆さんに車椅子代わりの自転車を引っ張ってもらって、時間をかけて散歩する。風景は日々刻々と変わる。人も変わる。

学校と公園周辺では今どき稀有なことがある。子どもの歓声が聞こえるのである。 島ではよその子どもが成長していく過程を日々見届けることができる。

以下は分解寸前、ご臨終間際のネジなし写真機で撮影したある日の夕方の情景。
/span>
片耳のサン  サン婆さんの片耳の腫れは一向にひかない。気分だけは若く、人の顔をみると散歩に誘う。
 
岩盤浴  まとな足の人なら歩いて1分ほどのところに湯泊温泉がある。奥の階段をのぼったところの海側が露天風呂。この日は男4人が岩盤浴をしていた。普通の旅行者なら見落とすところ。温泉利用の達人とみえる。

一輪車  分校の子どもたちはみんな一輪車に乗る。4月に転校してきたばかりの子どもたちも、どうにか乗りこなせるようになっていた。
  
家の下の釣り  分校の脇を抜けると珊瑚礁原が開けている。ここで波の動きを見ていると、いつの間にか時間がたつ。よく見たら波打ち際で釣りをしている人がいた。ひょっとしたら…と期待したが、この日はおすそ分けするほどの釣果がなかった模様。

つばくらめ  天気が荒れるまえに北に飛び去ったと思っていたツバメが南風原(はえばる) 牧場の近くの電柱に戻っていた。どこかで風雨を避けていたらしい。

木イチゴ  牧場の道沿い、あちこちにユリの花が咲き、木いちごの実が熟れだした。口に入れるとなるほど甘い。甘みが物足りないともあっさりしているとも言える。

ヤギ しばらく見なかったヤギを南風原牧場のへりで見つけた。この写真でははみ出しているが、左側に大きなオスがもう1頭いる。見張りでもしているような恰好で立っていた。


遊女もねたり

∇…013

一家(ひとつや) に遊女もねたり萩(はぎ) と月

私の句ではない。芭蕉さんに無断で『奥の細道』から借用した。季節はずれである。これにも目をつぶってもらいたい。

差別の問題に季節はない。若い人から差別用語について質問を受けた。それで、この句を思い出した。

士農工商〇〇非民…と昔言った。爺ぃの出自は最下層の非民である。話が厄介になりそうなので、詳しいことは“いずれ”ということにして、最下層の賤民のくせに士族を小馬鹿にするような土地柄にそだった。

蜑(あま) 、海人が暮らす浜では肩書や生まれに殊更の敬意を払わなかった。突っ張っていたわけではない。差別、被差別の気分がなかった。海の色、風のにおいに触れて暮らしていると細かいところまで気が回らないのである。

芭蕉さんは「あまのこ」という言葉づかいをしている。「蜑(海人) の子」が「世をあさましう下りて」…つまり、みじめにも落ちぶれ果てて…因業な身過ぎ世過ぎをしているという。

彼は、途中まででもいいから後をついて来ていいか…という遊女の申し出を断っている。その言い訳、お詫びのかわりに、「遊女もねたり」と詠んだ。

差別感情を底に秘めた食えない男かな、と疑ったが、後で考えなおした。脂粉の香を漂わせた若い女性が視線の隅にまとわりついてきたら、自分だって気が散る。

振り返らなければいいではないか、というのも無理な話である。お色気の問題ではない。後を付いてくる者がいると、転んだり、蹴転ばかされたりして困っているのではないか…と気がもめる。

気にしないでもいいことをやっぱり気にするのが男、じゃなかった、人間なのである。差別の問題も妙に考えすぎたら、それがまた新たな差別を生じる。何ごとにつけ、ものごとは素直に考えた方がいい。

他人を正当な理由もなく見下す習性がなく、人の努力や誠意を無視する気持ちがなければ、それでいい。日本語として馴染んできた言葉を、適切な場面でブレなく用いることまで禁止したら身動きがとれなくなる。

日本語が制限されることは、そのぶん日本人が日本人でなくなることだ。それもいい。日本人、および日本文化は絶滅もやむを得まい。 …と言いつつも、やはり、哀惜の情はやみがたい。

何ごとにつけ、あとで言われて気のつくことがある。その時は己れの不覚不明を素直に認める。しかし、先回りして、要らぬ遠慮や気遣いをするのは却って失礼なことではないだろうか?

【写真は萩ではなくユリ。お盆の頃になると萩の花も島のあちこちで見られる】

お天気屋!?

小宝島の天気を記録してみようかな、と思ってみた。殊勝な出来心を起こして、実行したのはその日だけ。3日坊主にもならない。

かくて3日遅れの報告。おとといは未明から雨や止んでいた。午前9時ごろ陽が射し始めた。おおむね曇りだけど空はカラリと明るい。

村の住民センターに観測機器が置いてあるのを思い出した。気温はとっていないが、風向風速、雨量は克明に記録している。

20日1日じゅう吹き荒れた風がどんなものだったのか点検してみると、夕方から夜半にかけて瞬間最大の秒速19㍍台の風が吹いていた。最高は午後8時台の20.13㍍。風向きはおおむね南南東。

被害は1件。裏の畑を守るための防風用の工作が倒壊していた。これは、どうにか独りで起こす。あと、完全復旧は気が向いたらやることにする。

きのう22日も寝起きが悪かった。寝床の中でカラスのつがいのこと、老犬・サンの行く末のことなどを考えながら、いつまでも愚図々々した。

寒が戻ったような気配。観測点に決めた隣室の“日の出食堂”に出向くのも面倒になった。かくてお天気屋は、開店初日だけの気まぐれ商売になった。

いずれ、精度の高い湿度計を確保したら再開店したい。まるで、のべつ新装開店するパチンコ屋だが、お天気報告商売の屋号だけは決まっている。 「お天気屋」。

出航延期

久しぶりに寝坊したら、天気が変わりつつあった。空模様がおかしいと思う間もなく、たちまち荒れてきた。島じゅうの木々と草が騒ぐ。家もきしむ。

午前8時半過ぎ、村の防災無線が「フェリーとしま」の出港をあすに延期する旨伝えた。昼から風が吹きつのり、島は孤立して時化の海を漂流している趣。

朝いったん庭に出た老犬・サンを室内に戻した。サン婆さんは、天気の悪い日の過ごし方にも年季が入ってきて昼寝に余念がない。ジジも寝そべって、ゆうべから切れ目もけじめもない読書三昧。

ほかにもっと有意義なことをすべきかもしれない。しかし、頑張って何ごとか為になることをすると疲れる。疲れると怒りっぽくなる。余計なことを考えずに、気を入れて怠けることにする。

午後3時過ぎ、波浪と強風の注意報が出された。しかし、悪天候は長続きせず、明日午前には快方に向かうらしい。待てば海路の日和ありというが、1日ならば待つうちに入るまい。

島の日曜日

午後5時過ぎから老犬のサンと島めぐりをした。午前中、風が止まって妙に生暖かったのが涼しくなってきた。フェリーが着く港とっつきの南風原(はえばる) 牧場には鷺が3羽いた。

海側の柵の近くにジッと動かず、牛のいる所までは寄ってこない。アマサギが1羽、あとの2羽はアマサギなのか、コサギなのかはっきりしない。

去年の5月ごろには牛にまとわりついていたのが、遠巻きに眺めている格好。牛に馴れるのに時間がかかるのかもしれない。サギ同士も3羽それぞれに距離をおいている。

島北部の発電所付近では2羽見た。30㍍ほどの距離から少し近寄っただけで飛び去ってしまった。アマサギで、これはつがいらしい。

南風原牧場の電柱周辺に20羽あまりいたツバメは姿を消していた。きのうまでは島の東部にあたる宿周辺にも飛んで来るのがいた。それもなぜかいなくなった。渡り途中の短期滞在だったのか…。

ここ数日はブヨ(ブユ) がわいて、閉口している。網戸の目よりも体が小さく、蚊取り線香を24時間焚くより手がない。

ツバメが方角を定めず、しきりに飛び回るのは飛びながら虫を捕食しているのだという。ブヨやカ、ハエの類を食いつくしてもらうのを期待していたが、いっぱい食い残ししたまま。

カといえば、1カ月ほど前からサンの耳たぶが腫れて、片耳だけ垂れてしまった。蜂にでも刺されたのかと思ったが、いっこうに腫れがひかない。

どうしたのか首を傾げていたら、島の犬で一物が腫れているのに出会って納得した。犬のフィラリアの可能性がある。

フィラリアはカが媒介する。存分に刺されているから、自分がああなっても仕方がないが、有り難いことに人間向けのフィラリアは撲滅された。撲滅宣言が出されたのは昭和50年代の初めだった。

自然に消滅したのではなく、身を粉にして地道な努力を重ねた人がいた。その人は長いこと鹿児島大学医学部の講師をされ、定年間際にやっと助教授になって退官された。

気さくな人だったが、並みの教授よりも段違いに偉い人だと思っている。ただ、私などが褒めるのは失礼であろう。つまらない人間が人を心安く褒めてはいけない。

そういえば今時分、鹿児島市のホールではレバノン生まれのイスラム教徒、アブデル・ラーマン・エルバシャさんがピアノを弾いているはずである。

この人のことは以前、褒めたことがある。人種も育った文明も違い過ぎるから一度くらいなら、うかつな称賛もいいかもしれない。徳は上でも年齢は私より下だから、それに免じて赦してもらいたい。


絶好調、絶不調

良いことが1つ、悪いことが3つ…。単純計算では差し引き2コの“赤字”、不運強勢状態。良いことを大げさに有り難がって、心の中でつじつまを合わせるように努めてみる。そうしないと鬱の気が生じそう。

良いことは温泉、このところ絶好調である。 悪いことは写真機。同じメーカのものが3台あって、そのすべてに不具合が生じた。絶不調というほかない。

小宝島の泉源は不安定である。冬場は近くて足場の良い湯泊温泉が、ぬるくなって具合がよくない日が多かった。このため、昨年は珊瑚礁の岩を這うようにして奥のモショの湯まで出かけた。

ことしは原因不明の様変わりがあった。なぜか湯泊が好調。気まぐれな湧出量も最近は勢いがいい。ここは宿から2分も歩けば行き着くのでありがたい。

雨風にさらされて湯が冷えるのを防ぐために、ビニールシートで覆いをしてくれた人がいた。これでかなりの程度救われた。今、このビニールシートは熱すぎて入りにくくなったいちばん上の槽を2つに仕切るのに使っている。

いちばん熱い泉源槽の下部分だけを小さく区切って早く冷まそうという工夫。ぬるくなったら仕切りを取り払えばいい。かくて、コンクリートで仕切られた槽3つに、ビール仕切りを加えると、温度が違う4つの区画が出来た。

17日昼前、湯温を測ってみた。一番下の槽が摂氏41.5度、真ん中の槽が43.5度あった。真ん中の槽が万人向けの湯加減だが、私の好みでは物足りない。

ビニールで仕切った上の泉源槽を、栓を抜いて真ん中の槽とつなげ、お湯もバケツで移して46度ほどにした。自分にとっては、これが“極楽”。熱い湯に入ると長湯しないから、湯あたりもしない。

泉源につながるビニール仕切りの上の方に温度計を入れたら、すぐに50度に達した。手持ちの温度計では最高の目盛りが50度。それ以上は測定不能である。

とにかく良いあんばい。ぬる湯好きの人は最下段の槽を使えばいいし、50度以上ないと温泉にはいった気がしないという変な人(!?) はビニール仕切りの上の泉源槽で茹だればいい。

∇…010  写真は手前から泉源、ビニール仕切りの熱め、コンクリート仕切りの向こうが中くらい、さらにその向こうがぬるい槽。

海側の2本の柱はシャワー施設。突如つくられた。 頭を冷やすのに重宝しているので、予告なしに作られたことをとやかく言うのを控えている。そのかわり今日は写真機について小言を言う。

また壊れた。ご覧のとおり、海側の槽は下品な桃色がかかっているが、実際の色は硫黄の成分を思わせるモスグリーンである。コンピューターの修整でも、本来の色に近づけることは出来なかった。

このカメラ、液晶が妙な揺れ方をして、とんでもない色に写ることが前からあった。一定方向に思い切り叩いて衝撃を加えて正常に戻し、脅したり宥めたりして使ってきた。しかし、物理的な力による一時的な矯正はもう効かなくなった。

これより大きなツァイスのレンズを使った写真機は温泉場には持ってこれない。いつの間にかネジが2本飛んで、ガタついてきた。すき間から温泉のガスや蒸気を吸い込むと、それが致命傷になりかねない。

このカメラ、以前にはメモリーのチップを読み込まなくなった。メーカーに問い合わせたら修理に1万8000円かかるという。素人考えでは単純な接触不良以外に原因が思い当たらない。

故障の原因になりそうな衝撃を与えた覚えはない。大事に使ってきたカメラの不意不測、というよりも不当で理不尽な不具合。その修理に1万8000円とはあんまりではないか…と泣きついたら、そんなら半額でいい…という。

これがようやく現役に復帰、それほど日が経たないのにネジ2本が抜けて行方不明。レンズとボディの接続部分が緩んできてガタガタ揺れる。何とも落ち着かない。

やむなく同じメーカーのビデオカメラを静止画撮影に出動してもらうことにした。これでしばらくしのげると思ったのが大間違い。突如、液晶画面が真っ暗になった。どこにレンズを向けても闇夜のカラス。

ファインダーを覗けばほかの機能は正常らしいが、画像の削除やリモコン操作はファインダーでは出来ない。結局、手持ちのカメラ3台がすべて島では修理不能という情けない状況に陥った。

メーカーの名前は敢えて公表しない。もしメーカーの方がこのブログを見たら、そっと教えてほしい。…ひょっとしたら私によほど悪いところがあって、しかるべき罰を受けているところなのかどうか?

カラス2羽

カラス2羽 小宝島の野鳥についての報告を探しているが、綿密で系統的な記録は今のところ見つからない。詳しい人に聞くと、これから渡りの季節だからどんな珍鳥を見ても不思議はない…という。

一方で、珍しくもないありふれた鳥が島にいない…という現象もある。スズメはいない。ウグイスやヒバリの声もあまり聞かない。ウグイスの声を一度だけ聞いたことがあるが、本土のようにあちこちから競うように鳴くことはない。

∇…037 (2) 鳥の数は確かに多い。カラスの写真を撮るつもりでシャッターを切ったら、上空にツバメ2羽が飛行中なのが写っていた。 方向を少し転じると、もっと高いところでタカ類が飛んでいる。飛行高度を区分けした航空管制がなされているのかもしれない。

小島を見るカラス  カラスの写真ばかり3枚並べた。カラスがたくさんいるように思われるかもしれないが、実はカラスは希少種である。昨年4羽いたのを確認したのが最大。いつもはハシブトガラスが2羽だけ。写真3枚に延べ5羽写っているのは同じ個体のダブりで、実数は2羽である。

古老に聞くと、小宝島のカラスはつがい2羽と決まっている。どこかでヒナが孵り4羽になることもあるが、子ガラスはしばらくすると島を離れていく。中学を卒業すると出ていく島の子どもと一緒。

カラスの子は巣離れすると、小島の方に飛んでいくという。宿の前の放送塔は小島に最も近いところにあるが、用もないのにカラスが止まりにくる。小島の方を眺めて旅立った子どもを案じている図にも見える。

上の写真2枚は同じ場面で、鍛冶場跡に近い一周道路沿いの電柱。2羽が互いに意識して、しきりに動き回っている。今から子宝に恵まれるのかもしれない。


あさって

午前9時45分、防災十島村の放送があった。 「きょう出港予定の『フェリーとしま』は、あす悪天候が予想されるため、出港をあすに延期します」。

あすが悪天候だから、出港をあすに延ばす…という妙な話。これには解説が必要だろう。

「フェリーとしま」は午後11時50分に出港する。あすの天候の影響を受けるのは10分間だけ。あしたは深刻に考える必要がない。あさってが問題。

防災無線はコンクリートの柱に取り付けられた拡声器で伝えられる。今風のハイカラな言葉づかいをすれば「リアルタイム」。

数百㌔の海を隔てた村役場でマイクロフォンに向かう人の気分や体調もそのまま伝える。その日の放送者が寝起きが良いかどうか、風邪気味かどうかも分かる。

肉声がリアルタイムで伝わって、語るものと聴く者の心が通い合うかどうかは、また別。最初から、それを企図していない。それと、一方通行という宿命はいかんともしがたい。

島の事情に詳しくない者が聴くことも想定していない。分かる人にだけ分かる。それで不都合はないようなものだが、島暮らしがまだ浅いころには戸惑うことがあった。


日の出写真館

∇…036  日の出に向かってやたらにシャッターを切る、しろうとのインチキ写真館はやる方も飽きてきそう。そろそろ店じまいした方が良いのではと思っていた。 それが、今朝の日の出を見たら、やっぱり写真機を持ち出してしまった。

∇…039  振り返って西側の空にレンズを向けた。時刻は1分進んでいるけれども実際には10秒以内の時間差。きのうより月はずっと高い位置にあった。

日の出だけ示すと月と勘違いされても仕方のない写りになるのは、写真機備えつけの自動露出装置のせい。通常のオートで日の出を写すと露出はシャッター速度125分の1秒、絞りF4.0くらいになる。

焦点を合わせる範囲が中心部のやや広い区域になり、被写体の明るさはその平均のところを読み取って、太陽はまぶしいまま。いわゆる雪景色の白ウサギ状態になる。

私のカメラでは「P」、つまりプログラムという露出の選択肢がある。これは画面中心部の狭い区画に焦点と露出を合わせる。太陽の色と輪郭を鮮明にとらえるのには具合が良い。

暗い画面になり、夜の風景の様相。しかし、暗過ぎては困るので、コンピューターに記録したあとから明るさを少し加えて補正している。撮影時のシャッター速度は1600分の1、絞りF8.0。

写真に慣れた人には分かりきった無用のおしゃべり、慣れない人には訳の分からぬ念仏…。余計なおせっかいをしたかもしれません。

交代

∇…093  西の空に浮かんでいた月が竹の山(102.7㍍) の中腹に沈む。東の方角、小島の立神のような存在の中の門(もん)では日が昇ってきた。

∇…092  選手交代。時刻は午前6時5分。日の出はだんだん早まる。12日は予想していた通り強い日差しが照りつける夏のような天気になった。

島の飛行物体

4月にはいって鳥の数が急に増えた。天気の良い日の朝は四方八方から いろんな鳴き声が聞こえてくる。とんと不調法で、ほとんどが識別不能。

サギ類は26羽を数えた群れを確認して以後は、まとまった数を見ない。コサギ、アマサギが単独でいたり、2,3羽いたり。

10日の夕方には老犬のサンといっしょに島の隅々を見て回った。4羽の編隊が飛ぶのを2カ所で見たほかは群れているのを見ない。

∇…050 島の西側、横瀬海岸ぞいでクロマツの枝で休んでいたサギ。コサギのように見える。これと一緒に嘴が明るい橙色をしたアマサギも見た。近づくのを許してくれず、サッと飛び去ったので、やむなく後ろ姿。

∇…049  「フェリーとしま」が発着する小宝港に4羽の編隊が飛んでいた。3羽が黒く、1羽だけが白く見えた。めくら打ちの写真を拡大してみても、やっぱり白い鷺らしい鳥1羽と黒い鳥3羽だった。

∇…046  南風原(はえばる) 牧場の給餌場のあたりで燕10余羽が飛び交っていた。飛翔の高度、方向とも不定。 昨年はもっとゆっくり飛んでくれてイワツバメではないかと思ったが、今日の飛び方は速過ぎて識別不能。

……ことし渡ってきた燕が急に速く飛ぶようになったのか? 1年加齢された分だけ私の反応が鈍くなったせいなのか? とにかく燕返しに写真機を振り回して撮ってみた。

どうにもこうにも、あまり手がかりになりそうにないボヤけた写真だけになった。泰さーん! この頃どうしている? 何か気づいたことがあったら教えてください。

それから もうひとつ、未確認飛行物体の報告。4月10日午後3時3分ごろ国籍・所有者不明のジェット戦闘機が高度およそ100㍍で南の方に飛び去った。例によってすさまじい爆音。

いつも2機編隊なのに…と思っていたら、5,6分後にもう1機が飛んできた。これは小島寄りの水路の上だったので肝を冷やすほどの轟音は発しない。迷惑飛行の帰途は確認しなかった。

ピカピカのⅠ年生

入学式について、「懐かしい」というコメントを内地に住む“熊ちゃん”からいただいた。なるほど、若い人たちにとっては入学式の思い出が鮮明であって当たり前であろう。

小宝島分校の入学式を見ながら、自分のときはどうだったのか思いだそうとした。手がかりが何もない。ほぼ空白。

わずかに、学校には知らない子どもがいっぱい居たという記憶がある。それも映像的な鮮明さはなく、高ぶった気分があったような…という程度。

児童総数2000余、1学年10学級。間違えないで、どうやって自分の教室に入ったのか? 自分の教室が見つからなければどうしようと心配した思いの痕跡のようなものが残っている。

ということは、母親が付き添っていなかった可能性がある。親がついてこられなくてもおかしくない事情が当時はあった。そんな時は3歳上の姉が母親代わりをした。

年寄りの愚痴めいた昔語りだけれども、若い世代にぜひ知っておいてもらいたいことがある。日本は無謀な戦争を世界に仕掛けて、徹底的にたたきのめされた。

そのくらいのことは承知してるヨ…などと言わないでほしい。それで、どうだったか…ということを語りたい。

国家が無暗に増産を奨励して、あげくに戦争に負けた。そのままでは使い物にならない半端な“軍需物資”の在庫を大量に抱え込む形になった。

食糧や燃料などの隠匿可能な物資であれば横流しして儲けることができた。しかし、戦争に負けたとたんに、穀つぶしと化した“軍需物資”もあった。子どもである。

親たちにとって子どもが可愛くないはずはない。しかし、暮らしは逼迫していた。食うものがない。タッモンが無かれば、タッモンも無か…という状況。

……タッモンとは焚くものの訛り、前のタッモンは薪、後者は鍋に入れて焚くべき材料のこと。逆だったかもしれないが、同じこと。貧窮極まれる状況に変わりはない。

戦勝国のソビエトロシアでさえ、膨大な数の餓死者を出した時代。戦後まもなくの新入生は飢え死にこそ免れたが、次なる難題に直面した。衛生である。

とにかく汚かった。不衛生、不潔の見本のような餓鬼が白昼の公道を徘徊し、がれきと錆びた釘が埋まった焼け跡の空き地を飛び回っていた。

自身の体験を暴露すれば、目を覚ましても朝の風景をすぐには拝めなかった。膿とも眼やにともつかぬものがこびりついて瞼(まぶた) が封印されていたのである。

トラホームをやっと治したら、今度は訳のわからない結膜炎のようのものをもらって帰った。休む間もなく眼瞼再封鎖。 従兄は風眼にかかり、片目だけ牛乳瓶の底のような眼鏡を死ぬまで手放せなかった。

体内には虫がいた。検便の結果、回虫だけでなくギョウ虫までいたことがある。これは良い方。南国名物のフィラリアまでもっている者がいた。さらにご丁寧なのはサナダ虫まで飼っていた。

栄養不足でみんな青洟をたらしていた。たらしたままでは具合が悪いので袖口で拭うと、やがて半端に乾いたものがピカピカと光沢を帯びる。……ピカピカの1年生。

ピカピカは新入生だけではなかった。転勤族の金鉱山の子ども除いて上級生も全員ピカピカ。栄養不良で皮膚病のかさぶたを北朝鮮の高官のベタ金勲章のようあちこち張り付けた子もいた。

不思議なのは、そんな衛生状態の子どもがみんな丈夫だったことである。校長先生のありがたい訓示が果てしなく続いても途中で卒倒する子はいなかった。

話があと先になったが、12年後には取り壊すことになるすし詰め教室用の校舎は私が入学した年に建てられた。講堂や体育館まではとても手が回らない。全校朝礼は炎天下の校庭に裸足の子2000人を整列させて厳かに執り行われた。

それで倒れる子がいなかった理由については、いずれ考えてみたい。特筆すべきことは私が入学して4年後に母校が文部大臣表彰を受けたことである。栄えある「学校保健優良校」。

駆虫薬のマクイ(海人草) を何度も飲まされた成果があらわれたのである。海藻類は嫌いではないが、マクイはなんとも言えない味がした。回虫が大いに迷惑して、居心地の良かった腸から脱出を決意する気持ちも分かる気がした。

ともかく、ちょっとだけまともになって、校長先生が天皇陛下に拝謁を許されるほどの大手柄だった。それほどまでに“どん底”状態がひどかったということであろう。

自身では綺麗になったという実感はない。ただ、4,5年後に入ってきた、いわゆる団塊の世代が小ざっぱりした身なりをしているのにはびっくりした。後輩全員が金持ちの国から山海留学に来たという感じ。大げさな言い方かもしれないが人種まで違うような気がした。

日本という国が変わったのである。本当に豊かになり、ものに不自由しないことが当たり前になった。
それで、今どうなっているか…という話をするのが、実は今日の本題だった。

しかし、牛のよだれのように話はだらだらと尾をひいて、本番に入る前に書く方もくたびれてしまった。読む方はもっとダレているはずである。これ以上の長話は迷惑行為。区分けして続きはいずれ。

4月の日の出

∇…136 ∇…154  3月は荒天つづきだった。月が変わり、海はなぎた。梅雨が終わり、夏がきたような日和になった。

今週は鹿児島港を月曜、金曜の出帆のほかに「水曜出し」の便が設定された。翌9日(木曜日)には、これまでよりも1時間近く早い午前11時半に小宝港に村営フェリー「としま」が入港した。


「島の学校」に間違いがありました

小宝島分校の新しい構成について書いたきのう5日の書き込みに間違いがありました。児童生徒数は9人ではなく、実際には2人多い11人でした。申し訳のないことです。書き込みの訂正は今済ませました。

……子どもの顔を一人ひとり思い浮かべながら計算したつもりだった。それに漏れがあった。己のボケをもっと自覚しないといけない。

誤りはきょうの入学式に参列して気づいた。図らずも児童生徒の欠席が2人あったが、偶然の符合。これは私の責任ではなく、島が僻遠の地にあるという宿命のせいである。

とにかく、心のあたたまる入学式だった。初めて学校にはいった小学一年生の教室も覗かせてもらった。新入生は2人。ともに目が輝いていた。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。