じじらぎ

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鹿児島も雨

∇…010   鹿児島も雨模様だった。ずるずるダラダラ降って、メリハリがない。こんな日は外に出る気がしない。

仕方なく部屋の片づけ。昨年暮れに引っ越しして部屋の隅に積んであったいろいろな物を仕分けした。ほとんどが捨てそびれたゴミだが、ときどき大事なものも出てくる。片付けというより発掘作業。

部屋がザラザラしているのは、1カ月分の埃、塵かと思っていた。 それだけではなく、桜島の灰が20㌔ほど距離があるここいらまで降ってきたらしい。  車の屋根が白っぽいのは積もった灰。光の具合で写真ではよく見えない。



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郵便箱

∇…012 郵便物を局留めにする手続きサボって島に渡ったら、門口のポストが破裂寸前になっていた。なにしろ1カ月分。時期もよくない。外側の封書は一部が濡れていた。

書籍小包もあった。植村雄太朗著『種子島語のゆたかな世界』(2009年7月1日、南方新社)。 

ありがたいことに水濡れからは免れていた。 「著者 謹呈」のしおりに、ゆったりした筆跡の添え書きがあった。「届いてくれよ ト祈りつ ゝ」。

私の生存、消息にいささかでも関心をもつ因業な人たちは、再々おもしろくない思いをしている。 

年賀を出してもウンともスンとも言ってこない。電話は出ない。やがて「この電話は使われていません」という機械の声。

人づてに聞けば、まだ生きてはいるらしい。また引っ越したという話もあるらしいが、手元の控えの住所が転居前のものか転居後のものか分からない。  

とにかく著書や論文の抜き刷りなどを送ってみる。そうすれば、転居先に転送されて、ひとり前の礼儀をわきまえているなら現在位置から何ごとか言ってくるはず…。

そんな期待を何度も何度も裏切ってきた。手紙はめったに書かない。せめて本や品物を届けてくださる人にはお礼を言わないといけない。それが出来ない。

最近では本4冊、宅急便1件を受け取った。実は、たいていその日のうちにお礼状を書きはじめる。 途中で、電話があったり、何かほかのことを思いついたりしたら中断する。

いったん中断して、あとで仕上げるべく読み直すと、乱文乱筆が紙の上で踊っている。なんとも見苦しい。 いちど嫌になると続ける気がしない。

本の場合では、ひとまず電話でお礼をいうべきだと思う。それをしないで、決まり文句の賛辞ではなくキチンと読みとおしてから便りを出そうと思う。そんな殊勝な心がけを起こすと却ってダメな結果になる。

今度の植村さんには四国の自宅に電話した。出ない。翌日も電話したが、応答なし。そのうち斜め読みながら目を通しはじめた。

著者は学会では知られた方言学者である。研究室にも残らず、教職に就いてからは現場一筋。それと何より生活人。

キッチリ、真っ正直に生きている人の吐く言葉はそのまま詩になる。そういう意味でも、ほんものの詩人。田舎で生きたきたせいか、忘れられかけている日本人の諧謔味が身についている。

こんな人が書く本が面白くないはずがない。 困ったことである。ほかにすべきことがたくさんある。



鹿児島へ

∇…011   雨が降っても船は来る。湾内はうねりがあったが、外はべた凪。小宝以外の港はどこも穏やかだった。

∇…027   午後7時過ぎ日が薩摩半島の山並みに沈む。船は奄美航路。

∇…046   鹿児島入港の少し前。陸には電気仕掛けの信号や色とりどりの看板がひしめく。空には三日月。船の上からだとブレて月が太って写っていた。





【棟梁の車屋さん】
午前7時50分に「フェリーとしま」は小宝港を出港した。鹿児島港に錨をおろしたのは午後8時30分過ぎ。

しばらくやんでいた雨が、「としま」に乗り込んだとたんに降りだした。あと降ったりやんだり。昼過ぎからようやく降りやんだ。

海は凪。タクシーで鹿児島市のはずれの空き家にたどりついたのは午後9時半。1カ月前に散らしたとおりの形で、数々の物件が1カ月分の埃をかぶっていた。なぜかかび臭さを感じない。

道々、タクシーの運転手さんから話を聞いた。あいかわらず不景気。運転手さんの声にも力がない。もともとは運転手ではないのだという。

木材を相手にしてきた昔ながらの大工だった。建築会社が支店を出すので仕切ってくれないかと頼まれて、弟子たちもろとも傘下に入ったのが間違いだった。

前触れもなく本社が倒産した。後始末に追われているうちに気がついたら、昔からのお得意さんとの縁も薄くなっていた。

職人の働く場がなくなった。棟梁は、客に道を聞きながら車を転がす。頭を下げ下げ、客の下知を仰ぎながら辺鄙なところまで車を乗り入れてくれた。

あたりは、ありふれた田舎のたたずまいである。伐期を過ぎた杉林が近くに迫っているんだけれども、暗くて見えない。 木があり、気もあるのに仕事がない棟梁は、そのまま街にとんぼ返りした。



雨がやんだ

∇…031

∇…027

雨は夜昼となく降った。 やんだのは25日も午後6時を回ってから。

西の空の色が普段と違っていた。上空に煮えたぎっているような雲があった。

島の人は台風のせいで次の船便は出ないかも…という。次の便が出なければ、帰り便は日蝕特別期間の入り、島に戻れなくなる。

こんなに早く鹿児島に上るつもりはなかった。 止むを得ない。あす鹿児島に上る便に乗る支度にかかった。


停電

∇…006   皆既日食でおおぜいの人が来るから発電所の機械を取り換えるのだという。それで、午後11時から明朝6時まで停電。 

宣告、じゃなかった、お知らせ。 お知らせは3日ほど前に“小宝島防災放送” でなされた。当日も繰り返し放送があった。

ありがたい話である。発電機の性能が良くなるのかどうかについては説明がないけれども、更新が行われる。なぜ更新か…ということについては説明がない。金科玉条…「皆既日蝕のため」。

去年の11月ごろ以来、島ではひっきりなしに工事がある。皆既日蝕のため…という工事だけでない。なぜか集中している。

側溝整備、道路のコンクリート舗装、インターネット通信の高容量化のための光ファイバー敷設、村営住宅の増築…。

不意の訪問者も多い。県警察本部、自衛隊施設部隊、航空自衛隊、海上保安部。この間は村長ら村の幹部と議員8人。

村長さん、議員さんが来たのは、前々から決まっていたという通称「移動村議会」のため。 不意でない…という見方もできる。しかし、自分にとってはやはり不意。

ことし小宝島で移動村議会があるらしい…というのは日程が押し詰まってから聞いた。それから、取りやめになったらしい、という噂が流れた。

それが根も葉もない噂ではないことが、村役場の人に聞いてみたら分かった。 分かってしばらくして、やっぱり小宝島で開くから宿を予約したいと言ってきた。

島には人がたくさん来た。これからもやって来る。 そして、みんな帰って行く。




それにしても、この島では情報が伝わりにくい。 上意下達ということではない。それ以下の段階。まして、ものごとがどんな議論や手続きを経て決められたかという細かい点になるとさっぱり。

さっぱり村さっぱり島のブラックアウト。 7時間ということだったが、実際には午前2時半に電気がついた。実質3時間半の暗闇。

来月22日の皆既日蝕も6分9秒でなくて、2、3分でいい。 昼間に星がでるというのは凄いことだと思うけれども、夜にもちゃんと暗闇があって星がでている。 夜、星がでるのも凄い。


【写真は起きて半畳、寝て1畳よりもほんの少し広い、広大無辺、頑固偏狭の偏屈部屋。 停電の間、太陽電池の小さな明かりが立派な働きをした】



98%

蒸し暑かったというのをサボりの言い訳にした。もっと真面目にやれ…と、お叱りをうけるのではないかと覚悟していたが、そんな声は聞こえてこなかった。有り難いことである。

蒸し暑さというものは、体力、気力をことごとく奪ってしまう。そうなる前に海に飛び込んで、プカプカ浮いたり、沈んだりして、体が冷えたら今度は温泉に飛び込めば具合が良い。

おとといきのうは、気がついた時は手遅れ。体も頭もくたびれきっていて、なにもできなくなっていた。

けさもまた一段と蒸し暑い。ただ、きのうまでと少し違うのはテキの正体が見えている。くたびれそうになったら、とりあえず雨水槽の水を頭からかぶればいい。

午前零時に98%と予想されていた湿度は、朝方96%。正午に向けていくらか乾いてきそう。

“防災小宝島” が今晩から停電する旨の放送をしている。なんで、夏のさなか、工事の人がいっぱい立ち入り、島の人口が一時的に増えている時に停電なのか? 

この話は、もう少し湿度が低くなってからしたい。


蛇足・全文表示の中身は蒸し暑いのが大好きなエラブウナギの写真。 どうということはない。 足のない長いものが嫌いな人は、わざわざ見ることはないかも。

夕景、2日分

∇…016    日記をサボった。言い訳の材料はいろいろある。忙しかった。皆既日蝕がらみで、本来ならしないですむ用事が舞い込んだ。それと、3つ目の言い訳。……なんといっても、べらぼうに蒸し暑かった。

そんなこんなで、話せば長くなる話が溜まった。いちいち吐き出すのも面倒。読まされる方にとっても迷惑。 ……とまぁ、そんな風に考えることにして、夕景3つで誤魔化す。

最初は、きのう20日、宿のベランダで飲みながら見た夕焼け。 

台風3号が近づくという。女将によると、島の人は今度は危ないと言っているという。せっかくみずみずしさをとり戻した野菜も、諦めないといけないのか…と思うと残念至極。

しかし、この夕焼けなら良いのではないか…と思い直した。台風が来るときの夕焼けは、もっと大きく、言いようもないほど不気味である。

きのうの夕焼けには、そんな恐ろしさはなかった。きょう午後、台風情報を見ると、どうやらトカラは避けてくれそう。生れ在所での観天望気で、小宝島でも通用する部分があるのかもしれない。

∇…029

∇…040   2枚目、3枚目はきょうの夕方。なんということもない。取り立ててなにごともない、いつものところの、いつもの風景。 南風原牧場では鷺の姿が見えない。時間が遅かったので、ねぐらに引き揚げたあとだったのかもしれない。



∇…049
 
 雨がやんで星が降った。 シャッターを押せばなんでも写るというお手軽なやつをテーブルに載せて、セルフタイマーをかけた。シャッター速度、露出がどうなっているのかは分からない。

重くて難儀な写真機は現在修理中。鹿児島市に、メーカーに送る場合の3分の1の費用でなおすというところがあった。危うく廃棄処分にするところだった。



 

雨がやんだ

∇…005  午前5時45分ごろから蝉が鳴きだした。そとはまだ暗い。湯泊♨よりも南の珊瑚礁原・家の下(えのした) 海岸まで下っても波はよほど穏やか。やがて青空が広がり日が差してきた。

移動村議会の議員、執行部の人たちは朝8時前に宝島から折り返してきた「フェリーとしま」で引き揚げた。議員はそれぞれの島に帰る。

村長、副村長、各課の課長ら村役場の職員たちは鹿児島港まで。

帰るところも、村にたいする思いも人それぞれ。見送る人、見送りに行かない人の思いも人それぞれ。でも、この場合、金子みすずの詩のように「みんな違ってそれがいい」 という訳にはいくまい。

みんな違うのは、それぞれの事情のせい。せめて村長か副村長のどちらかでも無理にでも島に住んでほしいと思うのだが、嫌と言われたらそれまで。

まぁ、いわく言い難いところ。それにしても、それぞれの思いの違うところの最大公約数とも言うべき村の施策は、どうしてこんなにも冷たい、血の通わないものになるのだろう。

皆既日蝕の期間中、10日あまりにわたって島の人は自由に島に出入りできない。この期間中村営船の席はくじ引き。自分の家に帰りたくても帰れない人が出てきた。

この決定にかかわった行政の要員は村から給与をもらいながら村に住まない。村営船に乗らなくても自家用車や電車で家に帰れる人たち。

なぜ、どんな経過でこんな冷たい決定がなされたのか議員の人たちに聞きたかった。3日間、島にいて住民と議員が顔を合わせたのは最後の晩の飲ん方だけだった。キチンと話を聞けないうちにみんな船に乗って帰った。
 
小宝島にはこの12年ほど議員はいない。各島に村議会が巡回するようになったのは9年前から。小宝島がいちばん最後。去年は何かの都合でとりやめになり、ようやく一巡した。



雨、雨、雨

∇…018   昨夕から激しい東風が雨に変わった。降って降って、まだ降りやまない。夜が明けて風はいくらかおさまったが、雨の勢いはとまらない。なにもかもぞっぷり濡れて水の底に沈んだよう。

南風原牧場では牛舎におさまり切れない牛が“きのこ岩” に殺到していた。数が多すぎてほとんどがはみ出している。はみ出しながら、岩の周囲から離れようとしない。

“きのこ岩” というのは勝手にそう呼んでいる。波の浸食から免れた上部分が茸の傘のように残った奇岩。珊瑚礁がだんだんと隆起して、海のなかにあったはずのものが、今は山際に近いところ、一周道路の脇に立つ。


∇…024   雨の中、村営船「フェリーとしま」 がやってきた。午後零時7分に投錨した。錨を降ろしたあと、ゆっくりと岸壁に幅寄せする。頃合いをみて、太いもやい綱をつなげた“道縄”が甲板から投げられる。

きょうはもやい綱6本。これが船を支え、錨綱と、船尾のスクリューの推進力のバランスを測りながら手早く客の乗降、荷物の積み下ろしをする。うねりが高い時は、もやい綱7本で岸壁と船をつなぐ。太さは10㌢近いが、それが切れて飛ぶこともある。

∇…026  接岸まもなく、波とうねりの中でランプウエー(車両乗降用の斜路) が降ろされた。 防災無線放送では「ランプウエーの使用制限」、つまり、使えないかも…と言っていた。 工事用のトラックとコンテナ車の計2台が降りてきた。

∇…027    午後零時15分にランプウエーを降ろし、随分と長い間積み降ろし作業をしていたように思ったが、実際にはその6、7分後にはもやい綱を解いて離岸した。行く先は停泊地・折り返し地点の宝島。



空襲

原子爆弾の被爆だけでなく、空襲の被爆体験も忘れてはいけないと思っている。

古い話ながら学生のころは、高校教師になって若い世代に歴史を教えたいと思っていた。最現代、きょうの歴史から古い時代にさかのぼる。

伝えることの柱のひとつは戦争。 支配構造の変遷とか、社会経済史的な要因とか、そんなむずかしい話でなく、人がどんな気持ちで、どんな武器をとったのか、病気や負傷をしたらどうしたのか、子供・女・老人はどうしたのか…。

その時、その時の戦争をそのまま見る。そうすれば時代が分かる、人間が見える…。 教壇に立つ夢はかなわなかったけれども、今でもそう思っている。

余計な前置きをした。伝えたかったのは、きょう6月17日が鹿児島市でいちばん大きな空襲があった日だということ。

東京大空襲に比べればケタが違う。 ローカルな話。自分とかかわりの深い土地だから、というだけの鹿児島の話。

当時の鹿児島市の人口は今の3分の1にもならない19万7千人余。そんなところが、前後8回にわたって空襲を受けた。

死者3,329人、傷者4,633人。3万9千戸近くあった家のうち、2万2千戸が焼けた。市街は焼け野原になった。

いちばん大きい空襲は1945年(昭和20年) 6月17日の夜あった。この日2千人を超す人が亡くなった。老若男女の別なく、当時の人口の200分の1が殺された。

空襲を指揮したルメイ少将のことは前に書いた。戦後の日本にできた航空自衛隊に戦略空爆の戦術を指導した功績とか(!?)で勲章を贈られた。

時の首相はノーベル平和賞受賞者・佐藤栄作。 きょう現代からさかのぼると、ほとんどの人が忘れてしまった歴史が浮かびあがってくる。

恩愛執着煩悩やみがたい祖国ニッポン! 来し方はアッサリ忘れられても、情けない現実が改められたわけではない。 改められないまま今がある。





夏の日の出

∇…037   またまた日の出。この時期がいちばん北寄りの海から日が昇る。日の出時刻は午前5時24分、入りは午後7時25分。昼間の時間は14時間1分で一年中で今ごろがいちばん長い。

梅雨のさなかだけど、雨が降る気配はない。住民センターでは昨日に続いて巡回村議会がある。2日目。きょうも傍聴席はガラ空きなんだろうか?

人がみていなくても日が昇る。傍聴者がいなくても議会は開会する。




黒ぢょか

∇…094 一期一会の補足、炭の話のついでの話……。

いつのころからか、焼酎は黒ぢょかで飲むようになった。若いころはまどろっこしいと考えていたが、明日は飲めない体になっているかもしれぬ。きょう飲む焼酎は念をいれて飲まなければならぬ。

職場の先輩に「焼酎には黒ぢょか」 と主張して譲らない人がいた。「コップに湯を注いで焼酎を割るのは“乞食の飲ん方”じゃ」 と断じる。

思えば、この人には事あるごとにたてついた。今は遺訓(?) を守っている。

黒ぢょかでぬる燗で飲むのが、やはりうまい。焼酎はがぶ飲みするのではなく、ジカ火でゆっくりあたためてチビチビ味わって飲むのがいい。

そこまで勿体をつけていいほどの上等の格別の酒が芋焼酎である。 値段が安いかどうかは知らない。ただ、民衆の酒ではあっても乞食の酒ではない。

それにしても、わが身の暮らしぶり、暮らし向きはいつの間にか乞食と区別がつかなくなってきた。せめて焼酎の飲み方くらい乞食の皆さんと違う作法にしたいではないか。

……今どきは金持ちでも乞食がいる。嫌な世の中になった。



先日、十島村の各島の学校の先生たち数人が宿に泊まった。いつもの黒ぢょかと猪口(ちょこ) を持ち出して焼酎をすすめたら、口をそろえて「うまい!」。 わが生涯で稀有のことで、先生方に褒めてもらった。

なかで黒ぢょかを手にとってじっと見つめる人がいた。やおら手にとり、底まであらためて、炭焼きの人と同じ言葉を発した。 「やっぱり」。 

…実家の窯で焼いた黒ぢょかだという。

黒ぢょかは鹿児島市の寓居に3つあった。パパラギにも亡くなったご亭主が残した、値の張りそうなのが2つある。これを使わせてもらうのが供養かなとも思ったけれども、寓居にある3つのうちのひとつをもってきた。

大きさが手ごろで、持ち重りのほどがいい。色はただの黒。妙な気配のない無愛想といっていいくらいの本物の黒。焼きはかっちりしている。

使いやすいから島までもってきた。あえて美術品的な価値を認めるとすれば、饒舌なところがない。その分、品がある。やはり、沈黙は金。

その先生の実家の窯元については聞かなかった。調べればすぐ分かること。今はやりの自称「作家」や偉い芸術家たちには求めがたい本物の職人の技と心を代々伝えてきた家のひとつに違いない。


ちょっと変に思う人がいると困るので念を押す。私は、芸術家よりも職人の方が偉い…と本気で思っている。ここで句を思いついた。

…職人のせからしいのが芸術家。 もうひとつ同工異曲。 …職人の出来そこないが芸術家。




一期一会

一期一会というけれども、人の存在はもっと濃密に絡み合っているのかもしれない。

宿の手伝いをしているといろな人に会う。みんな初対面。しかし、話をしてみると行きずりの他人でなくなってくる。

知り合いの知り合い。遠い親戚の知り合い。 姓の由来の話になって、ひょっとしたらご先祖が同じでは? ということになったりすることもある。



きのうは工事関係の人たち4人と語った。雨があがったので、庭で炭をおこして、好みのものを勝手に焼いて食らう。

この方式だと食事はいつの間にか始まり、いつまでも終わらない。口々に、「島に仕事にきて庭でバーベキューをやるなんて思いもしなかった…」。 

宿の手抜きをなじっているのではない。喜んでもらっている。夕食をとるのに、遊びの気分が加わる、こんなことは何年ぶりという人も。

外の空気には不思議な解放感がある。口が軽くなり、お里が知れる。 知れたお里はみんな同じ。それぞれに格好をつける必要のない気楽な出自であることを確かめ合う。

いずこも同じ馬の骨。馬の骨にはおおむね2系統あって、平家か源氏。 ありがたいことに皇族方のご臨席をたまわったことなんぞない。そうならなくて幸い。失礼の段に及ぶかもしれぬ。

爺ぃの父方は、熊襲・隼人の血をひく非民。一時のスケベ心のために女装したヤマトタケルに刺されたカワカミノタケルの子分、あるいはそのまた子分の末裔。

系図なんぞない。それが有り難い。おかげさまで、ここらあたりでは皇族よりも古い家柄、女装趣味なんぞない家系と大ボラを吹くこともできる。


しかし、平家源氏の末裔も今どきはみんな苦労している。それぞれに家族と離れて遠い島での下請け、孫請け。

年を食ってからようやく嫁のきてがあって、4歳の娘が可愛くてならぬという人。同じ年齢の人は、89歳の母親を置いて働きに出た。さいきん妻と離別したという。

どうにか人並みの家庭を構え、子どもがやっと独立したという人は、ひと回り若い。しかし、子がいったん他所に出ると電話一本くれぬと嘆く。すかさず、俺んとこも一緒、と合いの手がはいる。

それぞれの分野で地道な仕事をしてきた日本の職人たち。とりたてて趣味や芸はないが、一通りのことはさりげなくこなせる器用さを珍しいこととしない。

使っている炭の燃え具合のおとなしさ確かさを自慢したら、お株を奪われた。炭袋をあらためていた人がさりげなくひとこと。 「やっぱり、そうだ! これは俺が焼いた炭だヨ」。

∇…002  【宴のあと】


雨があがった

∇…065  予想していたよりも早い時間に雨があがっていた。午前5時、湯泊♨にいくと蝉が鳴いていた。のんびり湯につかって、上がったところでお日さまが顔を見せた。きょうの湯泊湾はどこまでも穏やかである。

金正日の国際見本市

雨はいっこうに止まない。夕方になって、小ぶりになって、暗くなってようやく小休止。

タイミングを見計らって庭に出た。出しっぱなしだったビーチパラソルをたたんで、空を見上げたら闇の一角が割れて星が出ていた。 この分ではあすは雨もひと休み。

ほかに何事もない。テレビをつけたら、金正日の核開発のことを繰り返し報じていた。一度聞けばわかることをしつこい。せからしい。

核開発が悪い、ミサイル発射実験が悪い、というのが前提で、なにやら勿体ぶった話になっている。

まぁ、悪いことは確かに悪い。悪いけれども、それがどうした。

北朝鮮はアメリカほどないにしても、武器輸出を基幹産業にしている。人さらいを含めていろんなビジネスに手を染めている一党が、なかでいちばん有望な事業の宣伝をしたがるのは当たり前。

それを日本の政府やマスコミが協力してはやしたてる。 ひょっとしたら裏で通じているのではないか?

北朝鮮のミサイルの精度が悪くて、日本の自衛隊の追跡能力がこの間のようにお粗末なままで、太平洋に落とすつもりが霞が関や永田町に落ちればもっけの幸い。

核爆弾を間違って積んでいたら、もっと幸い。これで人類は救われる。

人口が50人ちょっとしかいない小宝島あたりに落ちても何にもならない。広島、長崎にモロに落としたのを何十年もの間けしからんと言ってきているのに、世界は動かない。やはり東京・千代田区。

ここらに立ち回っている偉い人たちは、お国のために粉骨砕身すると自称し、それなりの覚悟も出来ているはず。潔く殉じてもらえばいい。

しかし、現実にそうなる確率は低い。騒動する理由はないのである。

武器の開発、売買、公開実験がけしからんというならば、みんなでキチンと話し合って、あっさり止めてしまえばいい。内需をほっぽらかしにして、この方面に血道をあげ、生身の人間の頭上に爆弾を降らせているアメリカと、尻馬に乗っている日本が騒いでも話はおさまるまい。

山賊や海賊がのさばっているのはけしからん、と言う。ならば、アメリカという国家ならのさばっていいのか? このへんをあいまいにしたまま、お隣の親子2代、いずれ3代にわたるかもしれないゴロツキ渡世にケチをつけてみたところで説得力はないだろう。

……焼酎をすすりながら独りぼやいて、うかうかブログをのぞく善良なひとたちまで巻き込んでしまった。もうじき日付が変わる。

 

雨水タンク

∇…032  一夜あけて雨はやんでいた。午前9時になって朝寝坊の蝉がようやく鳴きだす。鳥が鳴きださないのは、しばらく様子見か?

島じゅうがぞっぷり濡れた。貯水タンクも、とうにオーバーフローして、所在なげ。タンクの端にひっかかったところで土にかじりついているピンク色の虫は、実は霊長類。宿の女将が土が柔らかくなった瞬間を見逃すまいと這いずりまわっている。



臨時ニュース

午後8時10分過ぎ、島の拡声器がいきなり声をだした。「防災十島村」 でも「防災小宝島」 でもない。前おきなしの“臨時ニュース”。

「現在、断水の状態です」 という。 「使用量にたいして供給が間に合わない状態です。節水をお願いします。 繰り返します。現在、断水の状態……」。

雨はしとしと、ほとんど休みなく降った。全島がうるおい、湿気でなにもかもふやけたような…。それなのに「断水」。

女将に聞くと、宿をたたんで鹿児島市にいる間に話に聞いたことはあるが、島にいてジカに断水の知らせを聞くのは初めてという。 なぜ、今ごろになって断水? 

小宝島は長い間、日照り続きだった。すでに梅雨入りしているのに雨らしい雨が降りだしたのは、やっと昨日になってから。

待ちに待った慈雨。干上がっていた畑もようやく生き返った。しっかり締めていた蛇口のコックをついついゆるめてしまったのか、どうか? とすれば、各戸ごとに雨水を溜めていた感覚が残っていたということ?

実は小宝島の上水道に降雨量は関係ない。1990年(平成2年) 11月、海水淡水化施設が完成した。水源は海である。水資源は無尽蔵。ただし、資源を生かす施設に限界がある。

雨水溜めをまだ使っている家は島内にもほとんどない。槽を残しているところも灌漑用、あるいは防火用? 雨水を生活用水にしているのは、今はもうパパラギだけかもしれない。

きのうの朝、ひとりだけいた客が帰って、宿は全館休業状態に戻った。そのさい女将は1階の洗面所、および玄関の蛇口まで、すべて淡水化の水から貯水槽の水に戻すよう導水管のレバーをひねった。

「断水」の報を聞いて、1階まで降りて、あるだけの蛇口を開けてみた。 切り替えはうまくいっていて、すべて雨水槽の水に切り替えられていた。

思ったとおり、コックを目いっぱい開けても水が一滴も出ないのは2階の流し1カ所だけ。出ないのが正常。あとのコックは出るのが正常で、すべて順調。 

時ならぬ断水のおかげで、切り替え操作がうまくいっていることを確認できた。それだけではない。おかげさまで、雨水溜めの威力を実感することができた。

雨が降りだした

雨が降りだした。朝、7時半に宿から「フェリーとしま」のつく岸壁に行くとき、フロントグラスを雨粒がたたいた。いよいよと思ったら、止む。

止んだと思ったら、思いだしたようにポツリ。ポツリポツリまであと一息、まだまだ風の方が雨に勝っている。

それでも、夕方になるとコンクリート舗装の路面がすっかり濡れていた。物足りないけれども、ひとまず雨模様。

昔の話だが、北米西海岸に半月ほど滞在したことがあった。雨がない。一度だけ、雨粒が落ちたことがあった。粒が落ちたところに埃が舞って、それだけのことで終わった。

気持ちまでカラカラに乾いた。乾き過ぎて妙に攻撃的になってしまう気がした。ギスギスして、どうということもない、些細なことなのに電話口で大声をあげて相手をなじっている自分に気づく。

帰りは太平洋を一気に成田まで飛ぶ便だった。房総半島が近づくと日本の森が雨にうたれていた。杉の人工林をこれまで好ましいと思ったことはないのに、ぞっぷり濡れた緑の色相の広がりを飛行機の窓から見て涙が出た。

先祖代々、海と森の中で生きてきた。世界のいろんな種族のなかでも、とりわけ湿り気の多い血筋であったことを思い知った。

∇…018 ……雨のことばかり考えているところに、干上がっていて当たり前のところからメールが届いた。発信地は北米東部ニューヨーク市。ルームメイトを探しているという。

呼びかけ人は鹿児島県出身の30代女性。11畳敷きほどのベッド付きの部屋を提供するので家賃のうち月700㌦をもってくれる人は居ないか…という。 

リビング、キチン、バスは共同使用という、いわゆる“ルームシェアリング” の一般的な形。もし興味のある人がいたら、爺がボランティアの“千三つ屋” をあい務めます。

もちろん、千に三つくらいしか話がまとまらない不動産仲介をこなす才覚はない。連絡先を紹介するだけ。あとは直接にビジネスライク、かつドライな交渉をどうぞ…。

【写真のカニは雨と無関係。かわいたコンクリート道路の上を平気で歩いている。島には海から出て陸地で暮らすようになったオカヤドカリもいる】


雨!

雨が降らない。降りそうでなかなか降らない。朝方、ぱらついたと思ったら、雨は風にかわって、蝉が鳴き出した。

きのうの夕暮れ時、東から南の洋上に入道雲に似た雲を見た。夜になるとこの雲から海に向って稲妻が光るかもしれない、梅雨末期の豪雨が来るかもしれない…と思った。

それを見届けるつもりでいたのが、いつの間にか寝込んで、目を覚ませば雨の跡などはどこにもない。日付が変わっても蝉の声ばかり。畑の野菜はくたびれ果てた様子。

元気なのはピーマンとトマトだけ。ナス、オクラ、キャベツ、キュウリは息絶え絶え。「水くれ! 水くれ!」 といううめき声が聞こえてきそう。

雨水溜めのタンクから長いホースをひきずって水をまく。なかなか終わらない。ズボラしてむき出しのままだった二の腕は、藪蚊に食われてデコボコになった。

水をまきながら、妙なことを考えた。作物より先に土が死ぬということがあるのかもしれぬ…。そうなれば島はただの珊瑚礁の突起に戻る。そうさせてはならじと、水まきと蚊への餌やり。二つの仕事を同時に片づけるのはやはりキツイ。

蚊は血を吸うとき、血液を溶かしやすくする成分を注入し、仕事を終えたら回収してから飛び立つ…という話を聞いたことがある。だから、痒みのもとになる血液溶解成分を蚊が回収し終わるまで待ってやれば、痒くないという。

小宝島の藪蚊にかんしてはこの話は当たらない。蚊に好き放題のことをさせて、無事にお引き取り願っても痒みは残る。生きているものを無暗に殺さないという殊勝な心掛けが報われない。

今どきは善を施したり、真っ正直に事にあたったりしたということで報われることはない。正直を張るにはバカを見る覚悟がないといけない。

話はさかのぼるけれども、8日月曜日は畑仕事をしてはならぬ日だと聞いた。どういうことか分からないまま水まきだけはした。ほんとうは、これもいけなかったのかもしれない。

きょう下野敏見さんの本(南日本の民俗文化誌3-トカラ列島) が宝島経由で届いた。これを見たら旧暦5月16日はトキノカンマツイ(トキの神祭り) なのだという。この日は死人が土のなかから出てくる。

島の人口がいっときでも増える…と喜ぶのは早い。よみがえるときに必ず人の形をとるとは限らないのだという。

親やご先祖が虫になっているかもしれない。畑をいじると虫を殺すから、畑仕事を控える。

それはいいとして、海の虫になっているご先祖がいるという想定がなされているかどうか? 折りがあったら古老に聞いてみたいと思っている。

というのは8日、学校水泳のために供されている珊瑚礁の入り江の掃除があった。自分は遅れた上にうんと遠回りして図らずも小宝大環礁の探検に挑む結果になった。海水浴場にたどり着いた時は作業は終わっていて、先生と子どもたちが初泳ぎをしている。

それは良いんだけれども、土地の人が珍しく加勢にきていなかった。トキノカンマツイでみんな謹慎していたのかどうか、まだ確かめていない。

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