じじらぎ

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秋の行方?

DSC01684.jpg    7月22日、昼日中に気温が5度あまり下がった。あっという間に暗闇になり、寒暖計をみると25度。雨が本降りになって体感の温度はそれ以上に冷えた。

夕方になってヒグラシが鳴きだし、トンボの群れが沸いてきた。 昼日中に島と一帯の海を冷やしすぎるほどの冷房温度にすると、一気に秋が来る。

そう思ったのもつかの間。その後は梅雨末期のような雷雨、豪雨がきて天気が定まらない。トンボの群れも23日まで所狭しと飛び交っていたのが、24日には姿を消した。

それが今朝、戻ってきた。しばらくは島にとどまって蚊やアブ、ハエの類を退治して欲しい。【写真は日蝕翌日の事故死(?) または老衰死した固体】
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人口26人

∇…038     前の便とあわせ島民30人が鹿児島港に向かった。 日蝕特別期間ということで、およそ半月身動きが出来なかった人たちが、まとめて動いた。小宝島の人口は26人になった。

お婆さんたちは鹿児島の病院での検診を引き延ばしていた。教員9人、家族をあわせて16人も今は島にいない。残留組は男の単身世帯が中心。村営船の接岸に必要な人員は残っている。

すっぴん

∇…022     日蝕がらみで夏休み中も島にとどまっていた教師たちとその家族が、26日朝の上り便に乗った。先発1家族を含めて先生8人、妻子5人、総員13人が島を去った。

島の人口はこの4月に急増した。主勢力は先生たち。赴任する先生に学齢期の子どもがいて、分校の子どもが増えるのに伴い教員定員も増えるという仕掛け。「社会増」 と言うより「制度増」。

品の悪い言い方をすれば、お手盛り増。 「山海留学」 という半端な制度による増員もある。 …とにかく、どんな形にしろ、島に人が増えるのは有り難い。子どもの遊ぶ声を聞くのはいい。

ただ、制度増の人口は本土に帰るべき家があり、折りあるごとに抜ける。 そうなると寝起きの“すっぴん” と同じ…。島の素顔がさらされる。 27日朝のラジオ体操は参加者がグンと減った。


宴のあと

コメントで「宴のあと、寂しくはないか…」 とのご懸念があった。 寂しい…って?   まぁ半分くらいはそう。 

人恋しいという気持ちはもともと薄いから、どうだっていい。 それと別の寂しさ、侘しさ。これに思い当たると、きつい。

もともと寂しいのが島です。 島が賑やかになったり、妙に活気づいたりするのはウソ。どこかで無理をしている。

島の寂しさを知ろうとしない人たち、そんな人たちが島のために働いているような顔をする。振りをするだけでなく、振りをしているうちに本気でそう思っていると錯覚するようになった気配の人も。

妙に賑やかになって、そんな人たちがはしゃぐ顔を見せつけられるのはつらい。

心安だてに“島おこし” などと口走ってもらいたくはない。やっていることは大方“島つぶし”。いやなことを言うようだけど、島に住んでいるときれい事を言う人がうとましくなる。

……確かに。宴のあとはひときわ侘しさがつのります。



日蝕

∇…149   昼ひなかに暗くなった。時ならぬ雨にびっしょり濡れた人が右往左往する。 と思う間もなく元の明るさに戻った。

午後6時、村営船「フェリーとしま」が再びやってきた。テント組のツアー客24人を乗せて、あわただしく出港。宝島に寄って名瀬に下る。


忙しい一日だった。島でいちばん怠けていたはずだけど、妙な疲労感が残る。

午後7時、ことし初めてヒグラシの声を聞いた。やがて梅雨末期のような雷雨になった。 とうの昔に北に上がったはずの梅雨前線がトカラまで降りてきていた。

∇…236     村営船がまた来た。きょうは沖縄、奄美経由のツアー客24人を波しぶきで濡れた岸壁に降ろした。ツアー客は旅行社が用意したミニバス(大型ボンゴ車) で宿営先の分校の庭に向かった。テントで夜を明かし、あすの日蝕を校庭から観察したのち、帰途につく。

!!

∇…113    この先危険 !! 進入禁止…。 この手の看板が島のあちこちに立てられた。死にそこないの爺ぃがプカプカ浮いて遊んでいた湯泊♨の入り江も「遊泳禁止」 になった。

∇…058     村営船「フェリーとしま」 は沖縄・奄美経由で小宝島に入る近畿日本ツーリストの客16人を乗せてきた。船はいつにないうねりと波をおして接岸を敢行した。




旅びと浄化

沖縄から来た夫婦が今朝「フェリーとしま」 で名瀬に向かった。


この夫婦、最初は悪石島にテントを張って野営していた。それが小宝島に移り、旅の日程を切り上げて奄美に向かうことになった。

小宝島に来たのも、小宝島を出るのも当人の意志ではない。きょうの村営フェリーに乗ってトカラを離れるのも不本意。


夫婦の話では、いちばん最初の計画は悪石島に居続けるつもりだった。トカラ列島の唯一の足である村営船「フェリーとしま」 の席が自由にとれる“日蝕特別期間” が始まる前にトカラ列島に入り、期間が過ぎてから出る計画。



悪石に入るときは問題がなかった。やがて、島おこしグループを名乗る人たちがやってくるようになった。「テントを撤収して次の船便で出て行ってほしい」 という。


法律に触れることをした覚えはないのに犯罪者を見るような目つきで退去を迫る。ケガをされたら困る…と言ったりもする。 
              
やむなくテントをたたんで小宝島に移った。宝島の民宿を予約してあったので、その間のつなぎである。

それも土壇場でご破算になった。予約しておいた宝島の民宿から急に電話が入り、泊めることが出来なくなった…という。

どうにも話が分からない。部屋が塞がっているわけでもない。


よくよく聞いてみると、近畿日本ツーリストから指示があったらしい。宿のご主人は「ツーリストに貸し切り扱いになっているのを知らなかった」 と平謝り。


夫婦は、宿の人は良い人で、気の毒がっていた…と繰り返す。 爺ぃは爆発寸前。「人の良いのもいい加減にしなさい」 と怒鳴りたくなった。


中之島では連日の退去勧告に辟易して姿を消した旅行者を山狩りして、フェリーに乗せた…というウソのような話も聞いた。

これが根拠のない風聞であればいい。が、本当かもしれないと思わざるを得ない雰囲気が今のトカラの島々にはある。




旅行斡旋業者に高額な旅行代金を支払った客しか島に立ち寄らせない。この措置のおぞましさを日々思う。




旅人を差別する思想も習慣もトカラにはなかった。 

普段してこなかった行き過ぎともいえる大掃除を炎天下にやって、“無断立ち入り者” に目を光らせる…。 ケガをされては困る人と困らない人との区別をする…。 

日々刻まれる島の歴史のなかで、今までにないことが起きている。孫子の代になって、かつてこんなことが島であったと語る時に、果たして誇らしい気持ちになれるだろうか?



念のため、先の夫婦は浮浪者ではない。

彼らとは島の通りで出会った。沖縄で旅行ガイドをしており、自然との接し方についてはそれなりの知恵と技術をもっていた。いろいろと教わるところがあった。


別れ際、不愉快な思いをしただろうけど、日を改めて出直して…と言うと笑って返事をしない。その代わり「ぜひ沖縄に来てください」 と繰り返した。

おそらく、彼らがトカラを訪れることはもうない。沖縄で案内した旅行者にトカラの島々すすめることも多分ないだろう。









7・17の発見

しばらくサボった。おかげで、日付けをさかのぼる話になる。

2009年・平成21年7月17日は特筆すべき日になった。大事件があった。この件は今も動いている。




皆既日蝕とかで島は今、騒乱状態にある。村と旅行斡旋業者が結託した結果、島の人たちまで妙に浮わついた言動に及ぶようになった。 


悲しい、情けない、これまでならあり得ないようなことが毎日のように起きる。 


こんな時には、静かにしていた方がいい。 だから事件の公表はもちろん、全容をつかむための活動もしばらく控えることにする。


日蝕で島に来る客が島を気に入ってくれるかどうかは確かに気になる。かといって、無理したり媚びたりすることはないだろう。

島そのものが気に入ったから来るわけでもない、いわば行きずりの客。その人たちに媚びて、島の化粧直しや泥縄で掃除の真似ごとをして、神さまが喜ぶとは思えない。

それどころか、変につくろったり、造作を変えたりしたら神々の怒りに触れるのではないか? 情報についても同じ。島にお客さん、つまりよそ者がひしめいているときに、心安く島のことを言あげすれば神々の機嫌を損じそう。


必ずたたりがある。 ……信心の問題ではない。神がかりというわけでもない。むしろ願望に近い。この期に及んで神々が黙ったままでいるのでは、神々など初めからでっち上げだった…ということになりかねない。 


もったいばかりつけて、わけの分からない話になった。続きはいずれ。

ペン口

ペン口、ぺんぐち……。初めは「天口」 と聞こえた。長いこと日本人をやって、日本語を常用語としているが、初めて聞いた。まだまだ知らないことが、いっぱいある。

教えてくれたのは、島の植物や昆虫が面白い、と言って宮崎からやってきた「トモさん」。5月に初めて小宝島に来て、間をおかずにまたやってきた。





愛用の自転車がパンクした。子どものころ、鮫皮のやすりやゴムのりを使って直した経験はある。しかし、島には用意がない。

そもそも、ただのパンクとは違う背景があった。雨ざらし日ざらしにして、タイヤには面白くない形状のヒビがはいっている。チューブも存分に劣化しているに違いない。

パンクは、以上の背景、歴史を踏まえたものだった。 空気を入れすぎてはじけたのである。 チューブをとりだしてみると、縦に裂けていた。ゴムのりでは手に余る。

自転車を鹿児島まで送ることになるのか? 島への運び賃は1,700円かかったから、往復だと3,400円…。運び込むときは運転者つきで、そのまま転がしてきたが、付き添いなしとなると梱包もめんどうそう…。

出入りの電気屋さんに相談しているうちに、タイヤだけ外して送る方法を思いついた。一件落着。妙案を電気屋さんに披露したら、ほめてくれない。

チューブを注文すればいいじゃないですか…。 なるほど!





14日に接岸した「フェリーとしま」 には「小宝島 民宿・ささらぎ荘」 宛ての小さな小包が積まれていた。冷凍扱いで送り主不明。

開けてみたら上等そうなプリンと一緒にチューブが入っていた。送り主は中身で判明した。今はほかの島で仕事をしている電気屋さんが、鹿児島市にいる奥さんに手配していたらしい。

今どきは仕事を気さくに手早く確実に片付けてくれる人は珍しくなった。奥さんも偉い。電話1本の連絡で、正確なサイズのチューブを調達し、お土産までつけて直近の便で送り届けていただいた。

宛先が「ささらぎ」 になっていたのは、ペン口を天口と聞いた爺ぃなんぞよりもましな錯誤。「パパラギ」 などという名の民宿があることを考えないのは奥さんが健全な常識人であることを物語っている。



さて、話はペン口だった。

電気屋さんの奥さんの心配りで、ひんやりと冷えたチューブを取り付けにかかった。チューブとタイヤをリムに押し込んだところで、空気の注入口にあったコマのような部品が失踪しているのに気付いた。

汗だくの大捜索をしているところにトモさんがやってきた。「なにか、お手伝いしましょうか?」 。

当面の捜査目標について説明を試みたら、すぐに分かってくれた。「ああ、ペン口のところですね」。トモさんは爺よりは若いけれども、自転車のことは詳しかった。自転車の不具合を自力で解決した経験も豊富な様子。



この人には、島の植物について色々と教えてもらった。なかに和名として教わったものが宮崎の方言名だったものもあった。

ひょっとしたら、ペン口も宮崎方言ではないかと疑った。ネットで調べたら、全国共通の名称。おかげでチューブの部位であるペン口に納まっている部品に「虫ゴム」 と呼ばれるものがあることも知った。



実は、虫ゴムが問題だった。ペン口、虫ゴムがきっかけになって想念は広がる。仕事をするということは一体なんだろう。 そう考え始めると妄想がとまらない。…これについては後日。



一斉清掃

∇…004     「皆既日蝕にそなえて」 と称する島内一斉清掃が始まった。午前9時に住民センター前に集合せよ…との放送が昨日あった。要領をえないまま鎌一丁かかえて行ってみた。

やはり人が集まっていて、作業が始まっていた。出がけによんどころのないことがあって、10分ほど遅刻したが、みんな気にしている風はない。

来ても来なくてもいいのが来て、「やぁ、お久しぶり」。そんな自然体がいい。 ……と思っていたのが、あとで「出席」の扱いにされ、ひとり前に遇されているらしいことが分かった。これは気になる。

まともに歩けない病気もちの爺ぃが、邪魔をしない、ケガをしないことを戒めとしてノコノコ出てきた。みんながやっていることを自分も真似してみたかっただけのこと。

それを「出席」 扱いは身に余る。というよりも、公序良俗に反する不当な扱いではないか? 

どだい、出席、欠席にこだわるのがおかしい。島の清掃というのは、自分の家の周りの掃除と一緒。出席も欠席もない。

しかも、1週間続けるのだという。掃除なんてものは毎日のようにするのが当たり前。そして、気が向かないときはサボっても差し支えはないといった塩梅のものだ。

七島めぐりマラソンが島に来るときは1日だけ一斉清掃があった。皆既日蝕だと、1週間! ……この調子だと天皇行幸ともなれば、炎天下に毎日1カ月ということになるんだろうか?
 





∇…005   行幸といえば昭和2年8月の奄美行幸の際、トカラに小学校令が施行されていないことが天皇の耳に達したという。

まさに驚天動地。「早く実現するように」 との鶴の一声があって、昭和5年に十島村立宝島尋常小学校小宝島分校も開校した。

校庭の片隅に「初代 水間先生記念碑」 が残されている。近くの木陰で作業をサボっていたら、道路向かいの教員住宅の方から女将の声がした。

行ってみると、記念碑と同じような作りのサンゴ礁をコンクリートで固めた石板が藪の陰にあった。苔が生えて、文字は「小宝…」 というところまでしか読めない。

上の方に島と波の絵が描いてある。思い切りのいい伸び伸びとした線。素朴ながらも絵心のある人の手に違いない。

昔、分校の養護教諭をしていた女将によると、昔は「初代 水間先生」 の碑と並んで立てられていた対のものという。

初代・水間竹六先生について、奄美出身だったらしいというほかは女将も消息を知らない。とにかく小宝島に正式の学校が出来、先生が赴任した。

それまでトカラでは、島で読み書きのできる有志が教え、報酬はその時その時に獲れた魚、および何かにつけて労力を提供することで済ませたという。

分校を建て先生を迎えることになっても、初年度の先生の給与は島の人たちがお金を出し合ったという話も聞いた。うろ覚え未確認につき、続きはいずれ。


∇…007   分校の校庭にある記念碑。対なのか、裏なのか表なのか、今は分からなくなったもう一つの碑は、道路向かいの教員住宅の隅の藪影にある。


出帆

∇…049 12日、名瀬から宝島を経由してやってきた村営船「フェリーとしま」 には鹿児島にのぼる島の人5人が乗った。

ひとりは消防団長。皆既日蝕で島が過密になるため、その対応を最終的に確認する。 あと4人は宝島小中学校小宝島分校の若い先生4人。鹿児島市である教員採用試験を受けに行く。

帰りの便は日蝕特別期間にひっかかる。旅行代理店と村がフェリーの席を管理する“戒厳令” 発動期間。 …ということで、日蝕が済んで何日かたたないと帰れないという。

島民の生活には支障をきたさないようにする…はずだったが、実際には話が違った。先生は島に住みながら島民の扱いではなかった。普段は子どもたちと一緒に島の自然と触れ合ってきたが、日蝕のときは余計者 扱い。

このことは前にも触れた。土壇場になって、どうにかしてくれる…との期待はあった。この期待に特段の根拠はない。いくら“戒厳令”下でも、こんな理不尽が通るはずがない…と思っただけ。

最終的には日蝕前に島に戻れることになった。それで万々歳というわけにもいかない。いろいろ考えさせられた。

「キャンセルが出た」 という。 ならば、キャンセルが出なければ帰れなかったということ?

思いのほかキャンセルがあるということは前から聞いていた。しかし、キャンセル分の島民枠への振りかえ作業の経過をみると、教師たちへの配慮がされなかった。どうしてそうなるのか? 今もモヤモヤした気分が残っている。

念のため、先生が偉い人だとは思っていない。大きな使命を課された存在だとは思うが、それで特別扱いすべきだとも思わない。話はそれ以前のこと。若い教師も島民ではないのか?

島に住んでいる人間を島民扱いしなかった張本人は島に住まない町役場の職員たち。なんとも妙な構図である。



海中温泉

∇…027    きょうも湯泊♨に潜った。水中で初めてフラッシュをたいてみたら気泡がいっぱい写っていた。温泉のせいだという人がいるけれども、藻が一面に生えていて景色が黒っぽく写る。水温はかなり暖かい。

陸上の温泉にはまだ夜が明けきらない午前4時前にも入った。おうし座が小島の上にあった。α星・アルデバランの真下あたりが、きのう温泉が見つかったというあたり。

温泉探検隊はきょうも、城之前漁港で海中温泉を2つ見つけたという。

写真に写っている縦縞の魚はオヤビッチャ。形は手のひら大。やや磯臭いけれども、白身で味はいい。塩焼きか煮つけにする。


秘境の湯

∇…057 小島に温泉があった! 島の南南東、海寄りの珊瑚礁原のなか。おとな3,4人はゆったり入れる広さで、温度は40度。硫黄の香りの高い塩湯という。

秘境などというこけおどしは嫌だけど、この際は「秘境の湯」 といってさしつかえないだろう。小島はお日さまが出るところ。ほんの目の前。 毎日拝むけれども行ったことがない。

島の人も立ち寄らない。例外は、頼まれれば瀬渡しをする漁師がひとり。瀬渡しといっても釣り場は周辺にたくさんあるので、わざわざ上陸することはないという。

小島に温泉があるらしいという話は女将の記憶の片隅にあった。きのう投宿していた温泉ハンターの前で、あいまいな話をあいまいなまま女将が口をすべらしたのが発端。

……どこかの漁師の親子3人が冬のさなか遭難し、流れ着いた島で見つけた温泉で体をあたためて命をとりとめた。 古い時代の伝説なのか、30年、40年前のことなのか?

そんな話があるなら放っておけない…と言いだしたのは、横浜からきた湯達入郎さん(ペンネーム、ゆったり・はいろう…と読む)と岩手県から来たTTさん。いずれも温泉マニアの世界では著名な人らしい。

探検隊の上陸部隊はゆったりさん、TTさん。支援・瀬渡しは長五郎(本名はもっと短い) 船長。情報収集、周辺調査は女将。

実動隊は午前10時前城之前港を出港、午後1時前に帰還した。小島海岸はのこぎりの刃を一面に植えたような珊瑚礁原を1時間ほど探し、あきらめかけたころ温泉に行きあたったという。

20年ほど前までは年に一度立ち入っていたという古老は、見たことがないと言っていた。それがあった。詳細は湯達入郎さんのホームページで近々に発表の予定。

【写真はおなじみ湯泊湾から望む小島。探検隊が炎天下の珊瑚礁原をさまよっていたころ、爺は湯泊で水中温泉を探索していた。エラブウミヘビ2匹と遭遇しただけで特段の成果なし】



湯泊の魚

∇…041 ∇…042
久しぶりに湯泊の入り江に潜ってみた。魚影は思った以上に濃い。去年まではモンツキハギが一大勢力を張っていたが、魚種が豊富になった。素性は未調査のうまそうな魚が悠々と泳いでいた。


∇…065   エラブウナギ(エラブウミヘビ) は別々に行動している個体2匹がいた。いずれも底にいて、行きあたる魚にじゃれかかるような行動をとっていた。


夏の海

∇…010   船に乗ると寝坊する。目が覚めたの時はすでに5時を回っていた。 甲板に出ると屋久島の上から日が昇っている。

この島はいつ見ても雲がかかっている。1,900㍍を超す高峰がハスの花弁のように連なっているはずだが、一帯の雲を集めて、それが隠れている。しかし、見るからに大きい。


∇…017   6時前になって口之島入港を知らせる汽笛が鳴らされた。返事はないが島の人はみんな聞いているに違いない。

∇…031   正午を5分ほど過ぎて、小宝島への入港を知らせるj汽笛。 船はとり舵。大きく左にまがって、いつになく静かな小宝港に入った。海は夏の色になっていた。



樋之口

6日(月) 午後11時50分発の「フェリーとしま」に乗った。 10日あまりの鹿児島滞在だと思っていたが、実際には先々週の金曜日に鹿児島入りしている。よほどペースをおとして暮らしていた。

船に乗る前に樋之口町 (てのくちちょう) の居酒屋に寄った。ここにも不義理を重ねている。

生きていたことの申告を済ませて、カウンターに座ると、女将が焼酎の五合瓶を出した。 

瓶には、探す時に便利なように下駄の絵を落書きしておいた。近くに住んでいて、着流し下駄ばきで通っていたころの名残。

キープした日付は2月になっている。 5か月も前…と思ったのは、まだ甘かった。 良く見ると「08」 と書いてある。我ながら判読の難しい汚い字だが、「09」 にはどうしても読めない。 

2月でも存分に古いけれども、去年の日付。本物の下駄ならすりつぶれている。 

この店は一視同仁、客をわけ隔てしない。女将は客を姓、または姓の短縮形に「ちゃん」 付けで呼ぶ。客もそれにならう。

私のここでの通り名は本名と違う。最初に名乗ったときに、女将が聞き違えた通りの名前になってしまった。今では本名を知っている人も知らない人も、間違ったままの名で呼ぶ。

ついでながら樋之口は湧水を町なかまで樋(とい) でひいていたころの、くみ出し口のこと。井戸端とでも呼べば分かりやすいのだろうが、井戸じゃないから樋之口。

トイノクチをテノクチというのは鹿児島語式の訛(なま) り。今はテノクチが正式町名なっている。

女将はタイノクチという。これは間違い。

魚の鯛も、桶(おけ) より目立たず黙々と働く樋も、訛れば同じ。いずれもテになる。 元にもどすときに全部タイで片付けると、話が通らない。

自分の名前はどう呼ばれようと構うことはないが、地名町名が粗末にされるのは困る。そういえば、樋之口の上手の水源に当たるあたりには冷水町(ひやみずちょう) という町名があった。

鹿児島の旧市街は、ほとんどが寺社と武家屋敷だが、ここいらは商家につづいて職人が住んだという。鯛よりも鰯、ガランツの類が似合いそうな町。

船に乗るまで、井戸端会議の雰囲気を残した居酒屋で過ごした。たまにきて、クドクドとお説教をしたのに下駄の更新も認めてもらった。



天文館の朝

∇…022    きのうの朝の話。  天文館に隣接する呉服町に宿をとった。鹿児島市のはずれの山の中までタクシーで帰るよりも、ビジネスホテルの宿賃の方が安い。

宿をとったのは銭勘定の問題だけでもない。不義理を重ねた店もあるから帰りの時間がいつになるか分からない。それと、あまり大きな声で言えない趣味がある。

どこの街にいっても歓楽街の朝の風景は面白い。旅に出ると、着いた日はまずその地域を俯瞰できる高いところに行く。 翌朝は、市場をのぞく。 その足で寄るのは“おもしろうて やがて悲しき”歓楽街のゴミだらけの辻々。

明るくなってから仕事が終わり、家路につく女性もいる。どんな家に帰るのか、だれが待っているのか…そこまでは考えない。失礼ながら、今どきはみんなそんなもの。興味をそそらない生活感のない後姿だった。




∇…029    昭和40年、1965年ごろ何回か遊びに行ったことがあるキャバレー「エンパイヤ」 は店をたたんで、跡は更地になっていた。

∇…035  キャバレー跡に朝早くからたむろしているのはタカ、ハシボソガラスがそれぞれ10羽ほど、ハト類およそ30羽。 タカは高いところからあたりを睥睨している。力の弱いものほどせわしなく動き回っていた。




ウインブルドン!?

ずいぶんと書き込みをサボった。おかげで、鹿児島燻製クラブの起汐会長の顔を冒頭にさらしっぱなし。 m( _ _ )m! この次はもっといい話で登場してもらいます。



テレビの電源を入れたら、今夜午後10時からウインブルドンの男子決勝の生中継があるという。島では、放送予告など目に入らない。たまたま目に触れても「おやま! そうかい!」 といった気分で流してしまう。

島には何もない。特段のことは何も起きない。それで、ウインブルドンの決勝戦などどうでも良い気分になる。だいたい午後10時というのは寝ている時間である。

鹿児島にいると、そんなこんなで忙しい。きのうは、さる組織の準構成員の扱いにしていただいて節目のパーティーの末席を汚した。楽しかった。

どちらが良いとか悪いとか…そんなことを問題にする気はないのだけれども、島にいたらアメリカの独立記念日について考えていたに違いない。7月4日。向こう式に言えば、ジュライ・フォース。

……アメリカについてはさんざん悪口を書いた。こんど行くときは“非米活動” で入国を拒否されるかも? でも、ほんとうは、アメリカをつくった人たち、つくろうとする人たちについては敬意を抱いている。

勝手に恋慕して、裏切られたと思うと憎くなる。 …いずれ、また、ストーカーのつのる思いを語りたい。




きょう奄美地方は梅雨明けしたという。ならば小宝島も梅雨明け。

名瀬市から100㌔ほど離れているが、天気予報は「十島村」 として伝えられる情報より「奄美地方」 として発表されるものが当たる。

とにかく、梅雨明け。帰れば夏の海が待っている。 月曜日夜出港の船を予約した。


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