じじらぎ

  

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朝焼け…大発見2つ

DSC02329_20090930093221.jpg    日の出前の小島水道。南の海に台風が2つ。週末から荒れるという。

テレビ報道によると、大演説集「パパラギ」の大酋長・ツイアビがいたサモア諸島付近で大地震があった。トカラ列島には午後1時ごろ高さ50㌢の津波がくるらしい。

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忠犬珊  長いこと日記をサボった。しかるべき弁明をすべきなんだけど、まだ鬱の気が抜けきっていない。

こういうときはくどい話はしないほうがいい。理由もなく幸せな気分になったつもりになって、自己愛の世界にこもってみる。

アルコールや覚醒剤などの助けなしに多幸症状態をつくりだすのは難しい。ここは連れ合いのサン婆さんの出番。

誘われるまま、暗いうちに外に出て、顔は温泉場で洗う。サンは水嫌いだから波打ち際から相応の距離をとったところに鎮座する。

渋谷の忠犬の形。姿勢を変えないで待つ。辛抱強いということではなく、海の景色を見つづけて飽きる様子を見せない。

“ネガ・トーク” あるいは“ぼやき”

以前に、ネガティブな話だけでなく、もっと明るい話題を提供して…というコメントをいただいた。励みになった。

そして、ずっと根に持っている。良い意味でも悪い意味でもいい。根に持ち続け、内にこもって根暗になり切らなければ、明るいものも見えてこない。

黒瀬の荒波[6]   この写真は3日前に黒瀬の海岸から撮った小島水道。波頭が風に引きちぎられる様はスゲーと思った。これを見ているから天気のいい日の海の青さが目にしみる。

虫除けに部屋の窓を閉め切っても外の風の音と怒涛の響きが部屋に入ってくる。ほかに音はない。電撃のように“小宝島はほんとうに良い島だ” という思いにうたれた。

天気が戻る?

20日のsr1     風がややおさまった。これなら船が出られるのかもしれないが,早くても23日(水曜日) までは「としま」 の勇姿を拝めない。

ドック入りしている三島村フェリーの代わりに黒島,硫黄島,竹島に行く仕事がある。それを済ませ,次の出港は22日(火曜日) 。三島航路,十島航路のどちらかが荒れれば,翌23日という。

前回「としま」 がドック入りしたときは三島村営フェリー「みしま」 が来てくれた。「みしま」 は優雅だった。

そのぶん,小回りの良さにはやや不足がありそう。 きびしい小宝の港に慣れていないこともあって接岸にたっぷり時間をかけた。

接岸港

接岸港の荒波    接岸港という呼び方は小宝島に来て,はじめて知った。舟が風をよける籠(こもり),泊(とまり)と呼ばれる入り江は8つあったという。うち村営船「フェリーとしま」が接岸できる港は昔の“つくり泊”。今は「接岸港」と呼んで間違いようはない。

ご覧の通り。接岸港がいちばん静かな港かと思うと間違い。「フェリーとしま」が着く七島の港の中でもっとも荒れやすい。



P1040648.jpg   日の出時刻の小島の水道も荒れていた。はしけのころは,この水道に村営船が錨を降ろした。

欠航

P1040244.jpg     久しぶりに小宝島の日の出を拝んだ。小島の水道は荒れていた。天気は晴れだが,終日,北寄りの強い風が吹いた。

未明に鹿児島港に着いた村営船「フェリーとしま」は,きょうの夜“入れ出し”出港する予定だった。それが荒天のため欠航。次の便は22日か23日の出港という。

これが「としま」

平島から乗船    船に乗った。鹿児島港から小宝島港まで12時間半。そこそこの所要時間だが,これを長いと思う人は,まだまだ修行が足りない。

平島には午前10時前に接岸した。およそ1時間の延着。うねりの高い満潮時をやり過ごすために諏訪瀬之島から先に接岸したせい。

歯科検診の一行が平島の岸壁で船待ちしていた。仕事を終えて鹿児島に帰るのだが,上り便が平島に接岸しないことになった。船は悪石,小宝,宝までいったん下り,そこから折り返し北上する。

本来の予定ではあすの上り便でまっすぐに北上し,9時間ほどの旅程。しかし,いったん下ってから折り返すと,所要時間は22時間ほどになる。鹿児島港着はあすの午前2時ごろという。



小宝港では,鹿児島日赤からやってきた内科のお医者さんが岸壁で予防接種の注射をして,そのまま船に戻った。小宝島診療所で住民を診た後,あす帰る予定だった。やむなく,島の土を踏まないまま鹿児島に帰る。

七島灘の船の旅は予定通りにいかない。波まかせ,風まかせ。いろんなことがある。



P1040158.jpg     この写真は事情のわかる人が見たら奇異に感じるはずである。村営船「フェリーとしま」が小宝島港に向かっているのに岸壁には誰も人がいない。

この船,いったん小宝島に入港し,人と荷物を降ろして宝島に向かったのが引き返したのである。綱とり(接岸作業) の“青年団” はひと仕事終えて家路に向かうところに再招集がかかった。もう一度配置に着いたのは,この写真の直後。


小宝島着の貨物コンテナのなかに,鹿児島行きの段ボール箱が1個紛れ込んでいるのが見つかった。出港したばかりの「フェリーとしま」に無線で連絡したら,船の方では即座に再入港敢行の断を下した。

おそらく10㌔もない荷物1個のために1400㌧の巨体が,再びうねりのなかに乗り入れ,接岸を試みる。20歳代のときからトカラ列島で暮らす女将に聞くと,こんな現場に居合わせたことはないという。

しかし,驚いた風はない。そして,やおら一言。 …「これが『としま』。だから『としま』」。

無暗は困ります!?

006.jpg    きのう鹿児島市の隣町・姶良郡姶良町まで買い出しに行った。空を見上げたら雲の形が面白い。

気づいたことが3つ。夕暮れ時の空には、小宝島でなくとも見事な雲が湧き上がる。意外な共通点。

ただし、空の色が変わり始めたと思うと、その後の変化は島よりも街中が早い。すぐ暗くなる。お日さまの光をさえぎるものが多いせいだろうか?

もうひとうつ。小宝島随一の高層建築(実は木造2階建て) 民宿パパラギの2階の間からの眺望を電線などが邪魔するのには毎日、憮然としている。ただ、島では痛い腰を励まして少し移動すれば、架線が引っ掛からない視角がえられるが、都市部では車で移動しても上空を這う架線から逃れられない。

お寺に駆け込めば電線から逃げられると思ったけれども、甘かった。…右の梵鐘は浄土真宗本願寺派・満徳寺のもの。

鹿児島へ

∇…299   村営船「フェリーとしま」 は午前7時13分に停泊地・宝島を折り返し出港した。30分後,小宝島に接岸した船に乗る。ウソのような凪だった。

船が来た

入港  やっと船が来た。ありがたい。

網鎮まる    湯泊一帯の海が静かになった。村営船「フェリーとしま」 はきょう午後11時50分に鹿児島港を出港する。

ケッコー,バッコー

コメントがあった。発信元がはっきりしないので,公開しないまま。ただ,質問そのものには悪意を感じない。お答えした方がいいと思った。

「物資が来ないと,島の人の生活はどうなりますか?」 とのお尋ねである。 真剣に思案,熟考した結果は,質問の調子と同じ簡単な答えになった。

……「どうにもなりません」。

また,波

波シャープ修正 水泳シャープ    

同じ島,同じ時刻。 左は湯泊の露天風呂から小島を望むところ。右は分校の海水浴場。9月恒例の水泳大会があった。

BLOG4006_20090907090506.jpg   湯泊の入り江は荒れていた。これでも,おととい昨日よりおとなしくなったのかもしれない。

撮影場所は湯泊露天温泉。ここは微妙な位置にあって,ハエ(東風) にあおられた荒波をいなすのに具合がいい位置に岩礁がせり出している。

怒涛の音さえ気にしなければ湯加減は極楽モード。波しぶきも不思議とここだけはよけてくれる。

村営船「フェリーとしま」 は,そろそろ動いてもらわないと困る。午前9時をまわってもきょう出港するかどうかのアナウンスはない。

とり舵いっぱい

抜コー     宝島を20分遅れて出港した村営船「フェリーとしま」の上り便は荒波の中を小宝島に向かってきた。午前7時47分,目前まで来て左に大きく旋回した。

島びとたちは堤防を洗う波を避けて港の入り口に集まり,成り行きを見守っていた。船は,きのうの下り便で降ろせなかった食糧品などを積んだまま鹿児島に戻る。

やはりバッコー(抜港)…。 しかし,島の人たちはむしろ,ホッとした様子だった。不満の声は出ない。

しばらくして島内放送があった。「………船長の方からもご理解をいただき,よろしくとのことでした」。船は荷を降ろせなかった代わりに抜港のつらさを積んで小宝島を通り過ぎて行った。

台風12号

湯泊の波    フィリピン近海にあった熱帯低気圧が台風12号になった。まだ遠いけれども,湯泊の入り江は煮えたぎったような荒れよう。

村営船「フェリーとしま」はボゼ特別ダイヤで出港を1日早めた。きょう昼過ぎ小宝入港の予定だが,接岸できるのかどうか? どうにか着けても,あすの上り便は望み薄。

時化模様

∇…061   海はきのうから荒れ模様。日が昇りなおしても波はおさまらない。温泉だけが良いあんばい。

お盆

∇…031    9月2日は二百十日の次の日、何もない日かと思ったらお盆だった。旧暦7月14日。きょう夕刻から祖霊がよみがえってくる。

小宝島のお盆は格式が守られている。お盆の準備はきのう(旧暦7月13日) から始まり、あさって夕方の“ホーネンマネキ” まで、日によってお供えのつくり方も決められている。

平家の末裔という民家を昼過ぎに訪ねると、祖霊を迎えるためのお供えがととっていた。屋外にもお供え物を置く祭壇がこしらえられていた。

∇…038   早い時間から御霊においでいただくために、盆の入りの墓参りは早めにするときいていた。 テラ(墓) で待っていると一族一党連れだって午後5時半ごろから次々にやってきた。

ものの15分もすると、島の生え抜きが顔をそろえた。 姓はみんな岩下。遠い岩下も近い岩下も順々に同じ墓を拝む。   

9月

∇…012  9月…。 2009年8月は去った。もう戻らない。サンばあさんもヨンゴ爺もすこしずつ年をとる。

国会議員の顔ぶれが少し若くなった。オナゴ議員の衆は、女のいやらしさムキ出しのヒエくさい面々が落選した。

かわりに、いかにも素人っぽい若い娘さんが増えてきた。このまま清新さを失わないでいてくれるのかどうか…。
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