じじらぎ

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11月最後の日

056 (1024x768)   0713時、パパラギ食堂から。

067 (1024x653)  1733時、接岸港。 11月もおしまい、日が経つのがはやい。
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アルゼンチンアリ

0530時、居室の温度計の針は25度のところを指している。 

間違いかなと思ったが、無人のホールは24度余。 小宝島住民センターの観測点の記録では22.5度。
観測場所による誤差は普段とほぼ同じ。 暑いと思ったのは錯覚ではなかった。



ホールの洗面台では小さなアリどもが這い回っていた。 どうやら南蛮渡来のアルゼンチンアリ。
 

また村議会、というより、まだ村議会

このブログの日付は止まることが多い。 こわれた古時計!? あるいは、刻(とき) を忘れたブログ!? 

……と、気取るほどのことではない。 正直に言えば、ズボラのせい。


舞台裏を明かすと、日付が冒頭に示されるFC2お仕着せの書式にひきずられた結果である。 その日にあったことを記録する建て前にしたがえば日付はなかなか進まない。 

暗くなるのを待ちかねて焼酎なんぞかっ食らう。 いつのまにか轟沈して、意識をとりもどすのは日付が変わる寸前。 それから書けば最新の記事がきのうの話になる。   
 

村議会のことは忘れようと思ったが、やっぱり気にかかる。 26日未明になって、おとといの日記のつづきを書く。 


「吐火羅国」 幻想

臨時議会があるというので住民センターにテレビ中継を見に行った。 議題はまず人事院勧告に伴う職員給与の改定、午後から港の改築工事の件。

午後の質疑では土木技術にかんする専門用語が飛び交う。 討議資料がないので、音声だけでは何を言っているのか分からない。 

港湾土木、海洋土木のことも勉強しないといけないのかな…。 やれやれ、と思ったが、すぐに思いなおす。

そうだ! 勉強をしてはいけないのだ。
 

小宝島は日本でいちばん遅くまで艀(はしけ) のあったところとされる。 ようやく、平成2年(1990) になってフェリーが接岸できるようになった。 

それから20年余。 なお、風まかせ波まかせで船が抜港、通過する。 

勉強が何の役にも立っていないのである。 

おーい! もともとはみんな勉強嫌いのくせに、下手な勉強なんか止めれ! 

勤労感謝の日

019 (1024x683)

024 (1024x676)    勤労感謝の日の日の出。 0655時、湯泊♨ 

島の民家で祝日に日の丸をあげる風景をみない。 海からは本物があがっている。 これにかなうものはない。



044 (640x459)   0752時、小宝港。 昨日の昼すぎ旅行客13人の団体が降りて、折り返しの上り便のタラップをのぼる。 

なんともあわただしい。 磯の温泉の朝の湯加減の良いころにも本物の日の丸の海から出るころにも、この人たちの1人とも出会うことはなかった。

 

051 (640x451)   この風景に時間は重要な要素ではないけれども、いちおう0952時。 船が出、ゴミ出しも終わり、朝の片づけもそこそこに済んだ頃合い。 

場所は一周道路を北にのぼって“行き別れ”を右折して海と温泉場に向かう小路、つまりパパラギの前。 村道なのか里道なのか確かめていない。 

名前はまだない。 モーツァルトのオペラが好きだという旅行者が“子宝” の連想から「パパパ通り」 と命名してくれたが、広く認知されないまま。 通りの良くない名がつけられた、人が滅多に通らない通り。


ここで人が出遭うとこんな光景になる。 国家天下を論じている風にも島の未来を憂えている風にも見えない。 

ご婦人方がなにやら語り合っている情景を、声の届かないところ眺めるのも悪くない。 かしましいことなんぞなく、いたってのどかである。 普段おしゃべりをしないサン婆も加わりたそうな様子。 


島には「駐車」という概念がない。 駐車場の標識も駐車違反の取り締まりもない。 車のエンジンを止めたところが駐車場。

寒い!

022 (800x506)    0727時、黒瀬から。 気温はきのうの同時刻より3度ほど落ちて16.8度。 今季最低。

寒い。 北の方の人たちからは笑われそうだが、本物の寒さを忘れた島暮らしでは存分に寒い。 そろそろ冬支度にかからないといけない。  


019 (640x439)   ついでながら、おととい0753時の風景。 資源ゴミ回収が終わりかけた頃合いの分校前。 半袖と長袖が混在して、半袖がなお優勢か? これより7分後0800時の記録だと気温は25.4度だった。 
 

「刻を忘れさせる島」

出港延期になっていた村営船「フェリーとしま」 は欠航になった。 

宿の予約客は4人。 女将は予約取り消しの電話がいつ来るのか、ずっと気にしていた。 益体もない話である。


村役場の観光パンフレットは「刻(とき) を忘れさせる島」 とうたう。 よほど気にいったのか、手あかのついた決まり文句を毎年くりかえし使っている。 

しかし、島にいると、ほんとうに時がなくなったかのように思うこともある。 

それをひしひしと感じさせられるのは、船が来ないとき。


厳密に言えば、時を忘れるのではない。 時を奪われる…、あるいは時から見放される…。


船が来ないと観光も成り立たない。  

…時から忘れられた島。 そこに人が住んでいるのに、本土にある村役場からも忘れられていく気配。  

出港延期

“金曜出し” の村営船「フェリーとしま」は天候不良で出港を日延べした。 いちおうあす出港のつもり。

雨模様だったのが夕方になって本格的な降りになった。 蒸し暑く扇風機を回す。

温泉日和

125 (1024x683)   澄みわたった空が日の出時の温泉に誘う。 湯泊♨に行くと、水平線からお日さまが頭をのぞかせた。 写真機の記録では0647時。 

130 (1024x683)   これは0648時。 風は穏やかで、温泉は温めの適温。 久しぶりにゆっくりはいる。

番外(かごしま日記)…新婚旅行の像!?

151 (640x465)   鹿児島市の石灯籠(いづろ) 通りに工作物が据えられていた。 だれが何時、なんのために立てたものか?

016 (1024x768)   0635時、日の出前の朝焼け。

020 (1024x768)  振り返ると西の空に虹がたっていた。 月が小さくかすんで見える。 満月を過ぎて月齢は17日。


026 (800x534)   トカラ生き生き教室というのがあった。 月に一回、レクレーションと給食。 きょうは住民センターの座敷から外に出て接岸港で魚釣りを楽しんだ。

番外(かごしま日記)…墓

154 (1024x742)    墓参りは信心でするのではない。 信心の形をまねながらも、ほんとうは生きてなお現世にある者の慰み、娯楽。 

拝む時間よりも墓標の示す方角に向き直り、海を眺めている時間の方がずっと長い。

 
墓は滅法見晴らしのいいところにある。 広大な墓地のてっぺんにある古く粗末な墓標は、いつも海を向いている。

目の前に18歳まで生きた空間が広がる。 その先は果てのない海と空。 

故郷の風景は無限であった。 一所不在、住まいが定まらないのはそのせいかもしれない。 


高校生のとき、白寿の古老に「ゾヨンおじ」 という人物の話を聞いたことがある。 墓石に「惣右衛門」 と刻まれているのがその人。 曾祖父に当たる。

その先はどこの馬の骨とも分からない。 平家という話もあるが、代々の本当の墓所は壇ノ浦よりずっと前から海だったに違いない。

島の文化祭

宝島小中学校小宝島分校で文化祭があった。児童生徒12人、先生9人のほか島の人たちも参加する年に一度の発表会。 あいにくの雨のなか、広くもない分校がいつにない賑わいになった。


010_20111111011106.jpg   児童生徒による劇。 山海留学の子も増えて、近年にない大人数。 舞台がせまく見える。


015 (640x480)   先生たちによる模擬授業の寸劇。 「出来の悪い生徒」 もいて子どもたちは大喜び。




001 (1024x684)  11月の小宝島の暦。 月初めにブログで紹介すべきだったのを忘れていて気になっていた。 

文化祭の展示に何か出品して…と言われていた。 当日になって、暦も「作品」 のうちにはいるかもしれないと思いついた。 急に持ち込んだ迷惑作品に台紙をあて、簡潔なタイトルをつけていただき、立派な体裁で展示してあるのに恐縮する。 

展示の形のまま紹介した方がいいのだが、アップにしないと文字が読みとれない。 やむなく、いつもの形の接写になりました。 m( _ _ )m!

特定診療

内科や歯科は定期的に巡回するが、ほかの診療科の医師は忘れたころ一緒にやってくる。 ことしは耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科。 おとどしは確か皮膚科、小児科、眼科だったように記憶している。

きのうの昼過ぎに着くフェリーでやってきて夕方まで診療、今朝の折り返し便で帰るあわただしい日程。 

港まで送りに行く。 聞きもしないのに、また島に来たい…と言ってくれたお医者さんがいた。 ありがたいことである。


介護保険

介護保険のことで話があるので住民センターに集まれという。 きのう防災無線で告知があったが、何の話か分からない。

とにかく行ってみる。

1900時の定刻を少し過ぎて集まったのは13人、鹿児島市にある村役場からは住民課の職員2人。

話をきいて、びっくり仰天した。

1週間遅れの文化祭

コメントで京都のFJさんからご質問があった。 小宝島の文化祭は4日のはずだったのが、どうして10日に延期したのか…という。

ひとまず、分かりません…という横着な返事をしておいた。 「すごく気になる」 と仰るFJさんの気持ちが分かったのは2,3日後になってからのことだった。


まさに炯眼である。 にわか仕立ての官営記念式典が、年間計画で準備を進めていた島民手づくりの文化祭の日程を動かしたという現実。 遠い異郷で、それを見抜いていた人がいた。



60周年記念式典が来年の2月4日に行われずに、鹿児島市のおはら祭りの日程に合わせて繰り上げられた理由について役場には聞いたことがない。 聞いても納得できる答えは期待できないであろうから、聞かないまま。

要するに、あまり難しいことは考えないで、賑やかにやればいい…ということか?

品の悪い勘ぐりだが、式典の中継を見て勘ぐりをさせる方にも責任の一半はあると自らを慰めた。 

番外(かごしま日記)…名山堀

138 (800x552)   鹿児島市名山堀(めいざんぼり) の飲み屋街で古くからやっていた店が焼けていた。 天ぷら鍋の過熱が原因らしい。 火は両隣りに移り、道路向かいの2軒の2,3階まで飛んだ。

ここらは昔から馴染んだところ。 火元の女将(80歳) は昔からしっかりした人だったが、いっときの油断が大事を招いたらしい。 ご亭主は3年前に亡くなっていて、ひとりで店を切り盛りしていたという。

小なりといえども知る人ぞ知る名店だった。


新聞は1955年ごろ建てられた…と報じていた。 戦後の歴史についていささかでも心得があれば起こり得ない錯誤だが、これは間違い。

建築基準法施行(1949年) 以前でないと許されない木造の3階建て長屋造り。 度重なる空襲の焼け跡から復興していく過程を物語る歴史的な建造物である。 

復元したいという声もあるが、地権者があまりにも輻輳している。 建物も古くなったが家主も年をとり過ぎて独りでことを決められなくなっていたりする。 残念ながら難しい相談だろう。 


166 (640x419)  近くの通り。 1シーンでは分かりにくいが、右側の木造が砂糖屋さん、道路向かいの写真左の建物も実は砂糖屋さん。 今どき砂糖専門店というのも珍しいが、ここでは商売敵が向き合って並んでいる。 

少なくとも鹿児島でいちばん甘い通り。 

終戦直後、奄美の物資を扱う店がひしめいていた頃の名残りである。 近くにある瀬戸物屋さんを覗くと白髪のお婆さんが出てきて、商売そっちのけの昔語りになった。


名山堀といえば市役所本館の正面から海に向かうところ、今の港大通り公園一帯と思う人がほとんどだろう。 昔はもっと広く市役所前から鹿児島駅(鹿児島中央駅とは違う、昔の本駅) に向かう今の電車通りも名山堀と言っていた。

明治のころ、市役所が移転してくる前は郵便局があった。 郵便物を船で運び込むための立地である。 鹿児島市は昔、堀割りが縫う水の都だった。

訂正します m( _ _ )m!

間違っていました。 十島村本土復帰60周年記念式典の会場はホテルではなく、鹿児島市内の中華レストランの施設でした。 そう言えば式典行事にかんする話で「○○ガーデン」 という名前は聞いたことがありました。 ホテルと繋がった多目的のステージとばかり思い込んでいました。

村役場だけの本土復帰

009∇…   11月3日、文化の日。 昔なら天長節。 本土・鹿児島市では“おはら祭り”。 目抜き通りは踊り連に占拠され、おそらく歩道も身動きもならないほどの人出に違いない。

鹿児島市内のどこかのホテル【m(_ _)m! すみません! 4日付の訂正を見てください】 では十島村本土復帰60周年記念式典が行われた。 小宝島の住民センターでは式典の模様がネット中継されるというので行ってみた。 


画像、音声、カメラワーク三拍子そろって悪い。

お祝いの言葉で何が語られているのかジッと耳をすますと、決まり文句の羅列しか聞こえてこない。 こんなにも心のこもらない空々しい言葉の羅列が延々と続けられる場面も珍しい。


本土復帰したのは村役場だけだった…。  

壇上で次々に披露される代読の祝辞を聞きながら、そんな思いにとらわれた。 



番外(かごしま日記)…遊覧航海

10月26日の朝、名瀬・佐大熊岸壁から折り返してきた村営船「フェリーとしま」上り便に乗った。 船は予想したほど揺れない。 見晴らしが良かった。

104 (1024x768)  1716時、右舷に大きな島影を見る。 いつもは雲の層に幾重にもを覆われて見えない山頂の輪郭は思いのほかなだらかだった。 

屋久島をハスの花にたとえたのは作家の椋鳩十さんだった。 1、900㍍を超す高山群は中心部につらなり、海沿いを囲む「前岳」 に視界を遮られて海からは見えない。 盛りあがったハスの花弁部分は「奥岳」 と言われている。 

私事になるけれども、40歳代を終わりとする我が青春の見えない墓標は奥岳にある。 しかし、これから訪ねることはないだろう。


115 (1024x676)   1735時、水平線に沈む日を拝む。 

…「フェリーとしま」 “遊覧航海”のひとコマ。 

二等7,800円の料金で、たっぷり13時間も海と島影を見物できるのはベラボウに安いではないか…と思う。 口に出すこともあるけれども、まともに聞いてもらえない。   
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