じじらぎ

  

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おおみそか

006 (800x524)    気がつけば今年もおわり。 年をとると時間が早く過ぎる。 

大晦日の日の出は0716時だったが、この時刻にはお日さまが顔をみせない。 写真は0733時。 晴れたり降ったりの天気になった。



005 (800x533)    気温は0400時ごろから15度を超している。 暦は冬だが、島ではいろんな花が咲いている。 これはノジギク。 横瀬海岸の入り口のほか淡水化施設~発電所の道沿いに群落がある。

以下はテンニンギク、ハイビスカス、裏の畑のローズマリー、ピーマン、パパイヤ。 庭にいつもたくさん咲いているのは日々草だが、撮り忘れた。

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最後の船

043 (800x595)   ことし最後の船が0802時接岸、0809時に出港した。 次の便は年明けの5日に下り便が昼過ぎに入港する。


この日は荒れ模様。 小宝島入港が予定より約15分遅れ、鹿児島入港は20分遅れの2040時という。 

冬の海

下りの船は3~4㍍の波にもまれて小宝までやってきて接岸した。 波があっても接岸が可能な限り村営船は動く。 おかげで小宝の土を踏むことができた。

折り返しの上り便は名瀬停泊を1日のばした。 悪天候をしのぐためだが、1日遅れの小宝入港は1時間遅れた。 

名瀬停泊便は宝島折り返しとちがって、よく遅れる。 しかし、小宝に接岸できたする1時間も遅れのは珍しい。

 
十島村防災放送では鹿児島入港は22時20分ごろという。   

 

きょうは鹿児島港で折り返し出港しないといけない。 出帆まで1時間半しかない。しかし、 …おそらく日本一距離の長いピストン輸送。

七島正月

008 (800x533)   島にはクリスマスキャロルもミサもない。 25日は旧暦の12月1日、七島正月の元日。 

七島正月は1609年、島津の琉球攻めのさいトカラの男たちが水先案内を頼まれたのが由来という。 従軍する者が島を出ないうちに正月を祝うために、日程を1カ月早めた。 

島では七島正月、新暦の正月、旧正月と続けざまに3つの正月を祝う。 沿道の仏桑花(ハイビスカス) が街の花屋のポインセチアよりももっと赤く咲いているのを伐り折ることもせず、そのままにしながら3度餅をつく。 家ごとに3度、おやだま様や神々と向き合う。



014 (615x640)   七島正月の習俗については、あえて詮索もしなかったけれども、知らないことが多い。 不思議な形の細工物も今まで見落としていた。

「さねくの人形」 と呼んでいるが、名前の由来も分からないという。 ハマユウの茎に細工を施し、蜜柑の葉を挿したものをお供え物の脇などに飾る。

どんな意味があるのか分からないまま昔通りに細工し、飾る。


七島正月には松飾り・門松の類を門口に立てることをしない。 仏壇も飾らない。 1609年以前の古い祈りの形が律義に守られている。


009 (800x516)   亡くなった長老の家。 鹿児島市の病院にヘリ搬送されていらい人の気配が絶えた。 

庭の軽トラックは、この間まで島の道をゆるゆると走っていた。 チョー安全運転で、時速30㌔を超えることはない。 運転者の長老が予科練習生を志願し、空を暴走爆死する覚悟をしていた時期があったことは最近まで知らなかった。


028 (800x582)   七島正月の年賀にあがった家でとんでもない長寿者にであった。 

猫のパプ婆。 18年と6カ月とか。 犬のサン婆をしのぐ高齢。 足腰はまともに立たなくなったけれども、まだボケていないという。

帰還

19日朝、小宝島を発って24日昼過ぎ帰った。 往路、復路とも時化(しけ) 模様だった。 往路、復路とも船中で訃報に接した。

往路に金日成、復路では島の男の最長老。 

前者には一片の共感も同情もない。 島の長老には長生きしてもらって、いろいろと話を聞きたかった。 連綿と紡がれてきた島の歴史にひとつの区切りが画された。



005 (800x600)   19日0835時、十島村営船「フェリー としま」 の“サンライズレストラン” から。 小宝の島影が遠ざかっていく。
   
008 (640x480)    同1435時、同所。 船ではBSしか写らない。 そのBSでコマーシャルをやらない局が、北朝鮮のテレビが訃報を伝えたという話をくり返しくり返し流している。

金日成は民のため、国のため、世界のために早くくたばった方がいい人だった。


長老は86歳と聞いたのが去年だったか、ことしだったか、おとどしだったか、分からなくなった。 いつかゆっくりと話をきいて、生年月日も確かめるつもりがそのままだった。

時代の毒にも、生活の垢にもなじむ趣のなかった篤実の人。 哀惜の思いはやみがたいけれども、きょうのところはおしゃべりを控える。     

  

   

  
033 (800x609)   24日0751時、中之島を過ぎて平に向かう船上。 竜巻もでたらしい。

063 (800x600)   同日1248時、小宝島の足元のところから低い虹がたった。

かごしま詣で

朝の8時に小宝島に着く名瀬折り返しの村営フェリー「としま」 に乗ることにした。 病院詣でが主たる用件。 

直近の戻り便は23日金曜深夜に鹿児島港を出る。 鹿児島市内の宿に4泊、船に1泊の旅程。

病院を4軒まわっても時間が余るが、金曜の船も出ないかも…という声を聞いた。 となれば、なおのこと間がもたない。 簡易パソコンを抱えていくかどうか、ギリギリまで迷う。

053 (1024x523)    1459時、パパラギの前“パパパ通り” から北の空を望む。

025 (1024x606)   これは昨日0803時、同。 西の空。

不敬罪

不本意ながらも刻(とき) を忘れさせられた。 この10日いらい無為に呼吸し、徒食するばかり。 書き込みもサボりっぱなし。 

結果的に霜月祭りも忘れさせられた。 温泉場までの2分そこそこの道の途中にある権現さまの前を、何度も何度も通り過ぎながらながらも、お参りを思いつかない。 ボケも存分にすすんだ。

先に修正したばかりの島の暦では、おそれ多くも今上天皇陛下のご降誕の日も忘れていた。

宝島一周駅伝

046 (640x477)   1233時、子ども大人合わせて21人が下りの村営船に乗った。 宝島の本校と小宝島の分校、両島の自治会が合同でやる宝島一周駅伝の参加者たち。 島の人口の3分の1以上が動いた勘定。 


026 (800x533)   1852時、満月の月。 旧暦では11月16日になる。 あす17日は霜月まつり。

断水

水道が出なくなった。 海水から塩分を抜いて真水にする装置が故障したらしい。 

朝、放送があったというが、聞いていない。 1148時になって修理が終わった旨のアナウンスがあった。 

今から貯水タンクに水を溜めはじめ、十分な水圧になって正常に使えるのは夕方からという。

欠航

001 (800x524)   0705時、パパラギ食堂から。 空は明るいのにきょう出しの村営船「フェリーとしま」 は欠航になった。 夜半から天気がくずれるらしい。


008 (640x420)   0952時、分校で持久走大会があった。 写真は本番前の足ならし。 

冒険の日常化

008 (1024x685)   きのう3日1322時、1時間遅れの入港。 船は「減速運航」 で七島灘を乗り切って小宝に着くと、接岸を拒む執拗なうねりが待っていた。 

甲板が傾き、上下前後に揺れるなかで7本のロープを投げ、堤防につなぐ。 絡ませないように、切らないように順次張る。 

これが造作もない作業のようにも見えるのは、寸毫のしくじりも許されない緊張を日常化してきたせいだろう。 尋常の沙汰でないことをあらためて思う。 


012 (800x543)   きょうは未明から部屋を出ず、外の風景に目を向けたのはのは0718時になってからだった。 港にも行かなかった。  

上りの折り返し便も難渋したらしい。 1525時になって口之島を出たという放送を聞いた。 鹿児島着は予定より1時間半遅れの2150分とか。   


その後も終日こもり、庭にも出ない。 サン婆と女将のほかに人の顔を見たのは、飯食いにきた隣の少年ひとりだけ。 住民センターでは子どもの寄り合いがあったらしい。

権現さま

002 (640x421)    0900時から権現さまのまつりが小宝神社であった。 この神社は十柱神社ともいい、十柱の神さまがまつられている。

権現さまは横並びになった神々のいちばん左側。 不動産なら角部屋の人気物件だが、なぜこの位置なのかは不明。 儀礼の細かい作法も特に伝えられたものはない。 

もちと米を供え、神道式に2拍2礼する。  

それだけのことで気がすんで、なんとなくホッとするのはいわく言い難いところ。 

011 (640x455)   小宝には島一円に神域がある。 それを一つにまとめる考え方がどこから来たのかは分からない。

宮参りの合理化の意図があったのかどうか? 

しかし、信心と合理主義はなじみにくい。 しばらくて、島のあちこちに散らばったもともとの神域それぞれに鳥居が立てられた。

いささかチグハクな顛末。 しかし、小宝神社を拝殿とし、本殿はそのまま自然のなかにあるという考え方であれば納得できる。 


そこまで思いついて、権現さまの御座所を訪ねることにした。

早朝から止む気配のない土砂降り。 神社を退去したその足で鳥居をくぐり、独り濡れて帰った。



017 (640x411)   1400時から分校で授業参観があった。 人権週間に合わせた恒例行事。 

ことしは本音と建て前のズレに目をつむった「道徳教育」 ではなく、小中合同でポスターの合評会。 学校現場もウソを少なくしていく工夫にとりくみはじめた。 

島の暦、12月

063 (1024x741)   あわてて12月の島暦をつくった。 (………PDF文書をブログにのせる方法がわからないために、やむなく添付写真にしました。 マウス操作で拡大すれば読めると思います)


12月は旧暦しもつきで祭礼が多い。 旧暦の12月1日は、ことしは25日になった。 

耶蘇でもないのに喜び騒ぐ日がトカラでは“七島正月” の元日。 バター菓子を排して焼酎を静かに飲まなければならぬ。 

このところ天気ははっきりしない。 朝の室内は摂氏24.5度。 蒸し暑い。
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