じじらぎ

  

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かも?の葬儀

ダイサギ (800x512)     雨模様の一日。 サン婆との散歩もテゲテゲ(大概々々) にして、庭の開墾に精出す。 

腰が痛くなって屋内に引き上げたところで、珍客がやってきた。 コサギ、アマサギとは体格が全く違うダイサギらしい白鷺。


いま小宝島に来ているサギ類はアマサギが多いけれども、なかにコサギ、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギが混じることがある。


ダイサギといえば一週間ほど前に、死んだ個体を熊本から来た山海留学の少年が抱えてきた。 「この鳥はなんの鳥ですか?」 という。

大きさからコサギだと思ったが、足首まで真っ黒で体の特徴からすれば、どうみてもダイサギ。 幼鳥ならば小さくても差し支えないのかどうか分からないまま「ダイサギかも?」 ということで誤魔化した。 


島にはいろんな鳥が立ち寄る。 島と鳥は字の形からしても同族で、深い因縁がありそう。




島に立ち寄る鳥で多いのは、かも。 カモではない。 かも? 

北薩摩のツルの渡来地・出水にいたことがあって、ツルの消息なら分かる。 ほかは分からないから、たいていの鳥は「かも?」 になってしまう。



先の死骸は「ダイサギかも?」 のまま水葬した。

水葬が適切であったのかどうかは分からない。 少年は初め土葬と決めてかかっている風だったが、反対しなかった。


先月、少年と海に潜った。 その際、海の底で2.5㍍ほどのサメの死骸を見た。 無用に怖がらせてもいけないと思って、別の場所に誘導したが、後で聞くと少年もキッチリ見ていた。


島ではいろんな生き物の死にざまを見る。 生と死は海辺の日常的な風景として不断にある。



かも?の葬儀は水葬になった。 かつてい生きていたものをトカラの海に戻す。 妙に荘厳な思いになった。


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村営船が通る

★s-IMG_0567       0800時、村営船「フェリーとしま」 が湯泊の前を通った。 この5年間、小宝島に住んで初めて見る光景。 

1990年(平成2年) 今の小宝港に接岸するようになるまで、村営船は湯泊と小島の間の水路に錨をうち、人や荷物の積み降ろしはハシケ(艀) に頼った。 

日本で最後のハシケ…と言われる。 重労働というより、命がけの仕事。 ハシケ作業に使われた小舟2隻は、湯泊ではなく城之前漁港の方に保存されている。




★s-080     小島の水道は去年2月、代船の「フェリー みしま」が通った。 この時は抜港している。 顛末は昨年2月18日付に書いた。 この写真はその時のものの再掲。

トカラウナギ

0545時、雨でぞっぷり濡れた通りをサン婆と歩くと、トカラウナギの子30センチ余のものが道を横断中だった。 

これからの季節は道にも庭にもトカラウナギがあがってくるが、みんな殻を破ったばかりの子。 元気なころのサン婆なら放っておかなかった。

蝉の声

午前10時ごろ、セミの初鳴き。 一時40羽を超す数がいた南原(はえばる) のアマサギは、20羽ほどか?

金環日食

IMG_0535.jpg     0726時、金環状態が終わり、部分食に移ったところ。 雲の層が厚く難渋した。


小宝島では午前6時過ぎから8時40分過ぎまで、2時間半にわたって食が観測できる勘定。 この島は七島のなかでも晴れるときがいちばん多い。 必ず晴れると思っていたが、何事もなかったような顔をして、まぶしい太陽が顔を見せたのは、すべてが終わってからのこと。


この前の皆既日食は午前11時台に始まった。 とたんに風がまき起こり、雨粒が斜めに降りだした。 悪石島では竜巻騒ぎまであった。

日中の暑い盛り、30度だった気温が食になると25度にストンと落ちた。 一瞬にして島全体がクーラーの冷房温度以下に冷却された。 全天にわかにかき曇り、太陽も空も見えない暗闇のなかで雨と風が舞う。

この程度の気象現象の基礎知識は、中学、小学レベルの理科で習ったはずだが、皆既日食はトカラの島々でしか見られない…と喧伝した。 


きょうの日食は朝方の、まだ天も地もぬくもっていない時間帯だからキチンと見えると思っていたが、初めからお日さまが見えないのでは話にならない。




村をあげて詐欺行為に及んだのは3年前の7月だった。 そのとき、ついに役に立たなかった太陽を見るメガネは書庫の一角に安置したはずだった。

当日になってあわてて探しても見つからない。

書庫を総点検した結果、隅っこの書棚の陰に埋蔵されていたワイン4本を発掘した。 有り難いことだが、太陽観測の役には立たない。

やむなく、窓に張る紫外線カットの遮蔽シールをはさみで切ってカメラのレンズに張った。 4枚重ねると暗すぎるので、3枚にした。 

なかなかいい。 

…と思ったが、写った画像はひずみ、ボケていた。 色はケバい赤。 掲載の写真はコンピューター処理してモノクロ状態にした。




IMG_0475 (1024x683)     0534時、湯泊。

IMG_0460 (1024x699) (2)     0535時、湯泊。

ゴミ

DSC01006 (640x447)     小宝の接岸港には北ごちの風が吹きこみ、波立っていた。 

港内の一角にはゴミが吹き寄せられていた。 誰が捨てたのか、蛍光管まである。 ゴミ溜めのなかをウミガメが4匹泳いでいた。 

日没と朝の蝶、鷺

DSC01004.jpg     1825時、接岸港から。
 
DSC01056.jpg DSC01025.jpg    朝、パパラギの庭のハンダマ(スイゼンジナ)畑と南原(はえばる) 牧場。ハンダマが花を咲かせるとアサギマダラが寄ってくる。 島の蝶は人をあまり恐れない。

牧場には数日前からアマサギの群れが遊んでいる。 きょうは20羽ずつほどが二手に分かれていた。 合わせて41,2羽。 

アマサギは去年、おとどしと少ない年が続いた。 20羽を超す群れを見るのは久しぶり。  

アマリリス

DSC00964 (640x480)    表の通りのアマリリスがほとんど咲き終わったころに玄関わきのアマリリスが開いた。 この花だけは赤一色。 別種なのか突然変異なのか?

周りのピンクの花は月見草。 いま島のあちこちで咲き誇っている。 アマリリスと同じころ、昭和50年代に持ち込まれたと聞いている。

また日の出

IMG_0411.jpg   0541時、湯泊の露天から。 左手の岩の上の鳥はイソヒヨドリ。

 

日没と月の出

★s-DSC00946    1900時、接岸港から望む日没。

DSC00957 (1024x768)    1928時、方向を転じると入れ替わりに満月が顔を見せた。

日の出

IMG_0396.jpg     0545時、パパラギのベランダから。

憲法記念日の紙爆弾

DSC00702.jpg    きょう着く船には荷物がないはずだった。 念のため港には行ってみる。 ひととおりの確認をして帰りかけたとき書籍小包を渡された。 

中身は植村雄太朗編著『「昭和」への紙つぶて』 (2012年5月3日刊、西田書店)。


序文を読んで息をのんだ。 居ずまいをただして、もういちど読む。 

夕食の支度をしていた女将を無理やり椅子に座らせて、音読してみる。 強引な読み聞かせに、はじめ迷惑そうにしていた女将が無口になった。  

これほどに力強くせつせつとした言葉は、久しく聞いたことがない。 心の奥から発した生の声が修辞と感傷を排してそのままつづられる。 

小細工はない。 どまんなかに力いっぱい投げ込まれた直球。 今どきばやりのライターたちが逃げてきた力仕事。




それを紙に書きとめたものを編著者は「紙つぶて」というが、読む者が信管をつければ、いつでも爆弾になる。

人を殺さない爆弾。 殺してはいけない、と訴える爆弾。 



昭和87年の日本は昭和10年代と同じ轍(わだち) を踏んでいる。 殺さない、死なせないという願いと祈りを“凶器” のように危険視しして排除する…いつか来た道。 



 

村の2大失政

5月の小宝島はネット不通、通信途絶で明けた。



小宝島の「結(ゆい)ネット」は1日夕、突如切れ、間を置いて一時的に開通したのち深夜から2日午前まで不通状態が続いた。

この状態なら以前、鹿児島大学の共同研究機関などが実験的にやっていた方式の方がまだましではないか。


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