じじらぎ

  

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梅雨明け!?

DSC01569 (1024x717)      0530時、湯泊温泉。 きのうまでの豪雨がうそのようなカラリとした天気になった。 久しぶりに日の出を拝む。 

島影は左から平島、諏訪瀬島、悪石島。


DSC01595 (757x1024)     1900時、パパラギのベランダから。 島は一日中いい天気だった。 水平線上には入道雲がたつ。 つい先ほどまで天頂にはうろこ雲が広がっていた。

公式に確認発表する機関がないから、自分で勝手にやる。 ……小宝島はきょうをもって梅雨明けした!


それにしても空を彩る雲の模様は多彩である。 うろこ雲と入道雲、それに真綿をのばしたような絹雲。 梅雨明けに続いてやってくる季節は真夏なのか? それとも秋なのか?

蝉はずっと前から雨のやみそうな気配を察して一斉に鳴いていた。 ウスバキトンボの群れもあちこちで飛びかう。  きのうまで南原(はえばる) の放牧場で牛にまとわりついていたアマサギは姿を見ない。 いつのまにか季節は動いていた。
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船上の診療

船上の診療    1235時、村営船「フェリーとしま」船上。 22日、23日小宝島の住民センターで行われる予定だった歯科診療は海が荒れたため船の上になった。

この際は分校の子どもたち13人だけが対象。 子どもたちはタラップを駆け上がり、船内の医務室の前に列をつくった。

軍神

67年前のきょう自害した牛島満中将に関して、32軍司令官として沖縄にいたころの私生活について聞き及ぶことがあって以前から関心をもっていた。

武漢作戦で名をはせた猛将、それでいて普段は物わかりのいい温厚な人だったという。 軍のなかでは教育畑を歩いた。 そのせいか師として仰ぐことでおさまらず、祀り上げて神格化してしまう手合いもいる。



実はもっと分かりやすい人柄だったらしい。 

当たり前の話で、偉さも度が過ぎてしまうとインチキの臭みをおびてしまう。 祀り上げられる本人だって迷惑なはずだ。

沖縄の地方紙によると、牛島司令官の孫で、東京の小学校の先生をしている人が先日、沖縄にやってきて子どもたちの前で話をしたという。 



司令官の仕事には戦争を始めることだけでなく、終わらせる使命もあった……と、孫の先生は語る。 後の方の使命を無視した国家がかつて存在し、沖縄では4分の1の県民を殺してしまった。

戦争に負けて、新しくできたはずの日本政府は戦勝国による占領を終わらせる使命をサボってきた。 これに多くの国民が疑問をいだかない。 

思えば不思議な国柄である。








 

また村議会、ついでにトカラ国会

風雨の間隙を縫って住民センターに行き、また議会の傍聴。 

日程最初のものは「辺地に係る総合整備計画の策定」。 道路などの生活基盤づくりを手助けする趣旨の国の事業らしい。 

小宝島は対象外になっていた。 事業開始年度の人口規模が50人に満たず、小さすぎて対象外になったという。 

辺地にも資格があって、人口が足りないところは入れてもらえない。 


近隣の集落と気軽に行き来できる陸続きの小集落なら域内で生活基盤が完結していなくてもそれほど困らない。 離島は別だ。 近隣との助け合いができにくい孤立した集落を50人という数字で機械的に切り捨てるという発想は冷たい。 

冷たいというより、ものごとをまじめに考えていない。



洋上の突起に張り付いている人間の頭数が少なければ切り捨てるというなら、もっと腹をくくってほしい。 国土として認めず、全島離村させる。 その方が効率的で、お役人も楽だろう。

それを簡単にやれないと言うのなら、簡単にやれない理由を真剣に考えるべきだ。




日程の2番目は「十島村課設置条例の一部改正」。 一部というのはどんな部分だろうと思っていたら、大掛かりな機構改革だった。

村役場の主要2課を4つにするするらしい。 従来の総務課、住民課の担当を見直して、新たに土木交通課と地域振興課を設ける。 それを正職員の増員なしでやる構え。


定住化促進、つまり村の人口確保と産業振興を当面の課題として前面に掲げ、行政の効率化を図るという。 



異存はない。 

理由は2つ。 一つは、これまでの長期停滞無為無策無責任村政から脱皮しようとする意欲の具体化なら反対できない。

もう一つの理由は、異議、異論をさしはさもうにも手掛かりがない。 村の現地、つまり島で写りの悪い液晶画面にかじりついている一般村民には議員に配られる討議資料が公開されない。 

はじめて聞く込み入った話のときは、せめて討議資料の要約だけでも用意しておくべきだと思うが、我儘な注文だろうか?


十島村議会は12人いた議員を10人にし、さらに減らして8人にした。 その分を補う配慮がなされてしかるべきだ。




……ここから先は根源的なところに引き戻した真面目すぎる話をしたい。 中途半端に真面目な人や損得勘定しかできない人は読まない方がいい。


無原則に減らすなら、議員定数を究極まで減らす。

つまり定数ゼロ。 選挙費用もかからず、選挙違反も起きない。 わざわざ遠く離れた鹿児島市に議場を設ける必要もない。


各島持ち回りで空き地に7島の選挙権者があつまって議論する。 つまり直接民主制!? 

人口が肥大化したよその自治体では出来ない、十島村にしかできない大実験。


体が動く村民が全部やってきても日本国の全議員の半分ほどの人数。 みんな衆院、参院の偉い先生方よりは行儀がよく、官界財界学界マスコミ界との癒着もないはずだから妙な議論にはなるまい。 

全員協議会では焼酎を飲みながら言いたい放題のことを言い合えばいい。 熱心のあまり喧嘩沙汰になっても、警察官は全村で1人しかいないから手が回らない。 少々羽目をはずしても、お目こぼしに預かれるかもしれない。  

ただし、討議資料は8部ではすまない。 物不足の島でコピー用紙代がかさむという難題が残る。 



村議会2

村議会2日目。  午後1時、中継を見に住民センターに行ったら、インターネット回線が切断されたままだった。 待つこと1時間余。 つながったのは午後2時18分だった。 新村長の所信表明演説はとうに終わっていた。


途中から見ることが出来た一般質問では、村役場の庁舎機能の部分的な村内復帰、村営船の航路の見直し、小宝島の抜港対策がようやく俎上に載せられていることをうかがい知ることができた。



台風4号

台風4号は東側をかすめて北上した。 村営船「フェリーとしま」 はあすには出港できるという。

DSC01486 (1024x768)   0932時、湯泊湾。

DSC01467 (1024x768)  1105時、西の空が明るくなってきた。


村議会

昨日午後8時台から不通だった“結(ゆい)ネット” は午前10時ごろになると通じていた。 昼からの議会中継にどうにか間に合った。

4月に改選して初めての議会。 8人全員が出席し、議長に有川和則氏、副議長に平泉二太(つぐひろ) 氏を選んだ。

委員会は総務が日高助広委員長、松下直志副委員長、経済が前田功一委員長、日高久志副委員長、議運が平泉二太委員長、前田功一副委員長。 詳しい構成はテレビ中継では分からない。



人殺しルメイ

衛星放送にチャンネルを変えてみたら、ワグナーのワルキューレを伴奏にしてヘリコプターが機銃を乱射する画面になった。 

前にも見たコッポラ監督の「地獄の黙示録」。 67年前、1945年6月17日の深夜、鹿児島市で繰り広げられた地獄絵図を思い出す。


……肥大化した経済はさまざまのものを生産するが、そのなかでコストは高いのに、廃棄と消費が同時に行われる妙な生産財がある。 銃弾、爆弾、ミサイルのたぐいの戦略物資である。

産軍複合体が開発し、大量生産した産物は国家的な使命を帯びて最優先の扱いで流通・輸送される。 消費地までの足場がいいところにひとまず物資を集積するところが、いわゆる「基地」。

太平洋戦争の後半期からアメリカ合衆国という国家は軍事的な優位を決定的にし、「物資」 の配送を効率化した。

消費地への配送は余剰生産物の投棄を兼ねる様相があった。 配送先は東アジアの住民の頭上、ベトナムでは人を殺すことで満足せず、森林をも破壊の目標にした。


「米陸軍航空隊公刊戦史」 によると、日本列島の大都市を照準とした焼夷弾攻撃は1945年6月15日に予定の作戦を終えたという。 3月10日には東京を空襲し、1日で10万人以上を殺しているから、無差別爆撃の戦略目標は達したとみなしていいはずであった。


日本の国土を焦土にし、日本人を殺せるだけ殺す…というのが戦争ならば、まだまだ爆弾は余っている。

6月16日、ルメイ少将は17日夜に大牟田、浜松、四日市、鹿児島を爆撃する命令を発した。 456機が7,000~9,000フィートの高度からレーダー爆撃した。 

地上の阿鼻叫喚は機上までは届かない。 爆弾は投下という消費の形をとると同時に、投棄・廃棄の様相を帯びてくる。


鹿児島市の空襲は午後11時5分に始まった。 寝入りばなである。 空襲警報はなかった。

つゆ時で、連日の雨のため防空壕は水浸しになっていた。 腰までつかっているうちに息苦しくなって脱出しようとしたが、外の熱風で戸が開けられない。 壕のなかで窒息死した人も多かったという。


「鹿児島市史」 によると、投下された焼夷弾は推定13万発、この日の死者は2,316人、負傷者3,500人。 8月まで8回に及んだ鹿児島市への空襲の死者は計3,329人、傷者4,633人。

広島、長崎の原爆投下も指揮したルメイ少将は、当時「鬼畜ルメイ」「人殺しルメイ」 と呼ばれていた。


1964(昭和39) 年、大将に昇進していた、かつての人殺し将軍は航空自衛隊の入間基地に招かれ、勲一等旭日大綬章を受けた。

ほんらいは皇居に招いて天皇が親授すべき勲章だが、鬼畜ルメイを皇居内に立ち入らせまいとする力が働いた。 しかし、戦後史の拭いがたい汚点であるルメイ叙勲そのものを阻止する力は当時の政治力学では働かない。

首相はノーベル平和賞受賞者・佐藤栄作だった。 防衛庁長官は小泉純也。 アンポ男の異名があった小泉長官は、旧姓鮫島で加世田市の出身、小泉純一郎首相の父にあたる。




127∇…      4月10日付の書き込みで紹介した地神、水神の写真。 鹿児島市武之橋のたもとに60柱余が集められていた。 

空襲で瓦礫の山になった鹿児島市の中心街を復興するとき大規模な区画整理が行われた。 区画が変わって地神、水神はどこに戻ればいいのか分からなくなった。 

お役御免になった神々は、緑地公園として残された甲突川沿いに集められた。 お守りする人もほとんど絶えた神々の墓場。 空襲は土俗の信仰をも焼き尽くした。














DSC01368 (1024x768) (800x600)       0529時、湯泊温泉から。 湯加減は極楽モード。

無為ネット

村ご自慢の“結(ゆい) ネット” は今日もつながらない。 これではズタズタ、ブチブチの無為ネット。

いつもは「ご理解とご協力を…」という出張所からのアナウンスがあるのだが、まだ朝が早いせいか、何の音さたもない。


なぜ切れるのか? どんな対応をすれば応急処置できるのか? どうしたら抜本的な修復ができるのか、その前に抜本修復をする気があるのか? ないのか?


これまでネット寸断について村から説明を受けたことはない。 出先の出張所の臨時職員が「今切れてます」 「つながりました」とアナウンスだけ。 


それでどうすれば、ご理解やご協力ができるんだろう。 その意味でも「結」と対極の「無為」ネット。



……この書き込みは、ドコモの無線を使った。 昔からある方式。 村のネットに比べると桁違いに安上がりのはずだが、雨の日も風の日も使える。 

DSC01352 (800x600)     0553時、久しぶりに湯泊の温泉に入って極楽モード。

お日さまは、かなとこの形をした岩の上に乗っていた。 海は荒れ模様。

帰還

今回の鹿児島滞在は長くなった。 用事は用事を呼び込んで増殖する性質がある。


用件の主なものは、島暮らしのための物資確保や諸手続き。 それといろんな診療科の治療施設回り。 今回は郡部の整骨院にまで足を伸ばした。

これまでなおざりにしてきた人に逢うという営みも、結構マメにやってみた。 郷里の人たちが並外れてやさしい……という思いをあらためて深くした。

これは風土的な特性と言っていいのかも知れない。 明治10年以降の歴史、時代の激動に振り回された寒村の人びとの厳しい生き方と関わりがありそう。


帰りの船は揺れた。 波の高さは3メートルを超しているのかもしれない。 中之島まで来て、多くの船客が降りた。 波もややおさまって船は一心に南下する。

波DSC01333 (800x)    0851時、中之島から平島に向かう海域。

小島DSC01333 (800x) (1)    1237時、双子の島を望む。 左が小島、右が小宝島。



朔日

月が変わった。 朝方、庭で目についた仏桑花(ぶっそうげ=ハイビスカス) の花を一枝摘んで阿弥陀如来に供えた。 

滅多にしないこと。 朔日(ついたち) に花を手向ける習慣もない。 

夕方になって、身近な者が今朝みまかったという知らせを受けた。 通夜はもちろん、葬儀にも間に合わないけれども、とにかく明後日の村営船に乗る準備にかかる。


下の写真は6月の小宝暦。 5月は掲載忘れで、月が終わってからになった。 m(_ _)m!

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