じじらぎ

  

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上り抜港

jul,31湯泊   0552時,湯泊港。 台風9号が南,10号が西から近づいているという。 

明日の折り返し上り便は抜港,つまり小宝の港に接岸しないことになった。 東京から遊びに来ていた高校生3人は帰りの予定を1日早めて,きょうの下り便に乗った。 名瀬まで降りて,遠回りして鹿児島港に向かう算段。
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鹿児島詣で

DSC01896 (800x600)  例によって鹿児島詣で。 22日0801時、港を出た村営船「フェリーとしま」から小宝島に別れを告げる。

DSC01924 (800x584)  海は凪。 船は休まず急がず一心に北に上る。 1714時、三島村の三つの島が並んだ形で一望できるところまで来た。 左から竹島、たかい山がみえる硫黄島、右端が黒島。



鹿児島は4㌔の海を隔てた桜島が夜も昼も、雨の日もカンカン照りの日も間断なく噴火していた。 灰まみれの毎日。 大噴火の前触れでなければいいのだが…。


 
DSC01978 (800x600)  復路は27日深夜乗船、夜が明けるとべらぼうに明るい空と海があった。 帰りは行きにまして見事な凪。 1146時、右から宝島、小宝島、小島、中の門、沖の門が並ぶ海域に達する。

DSC01994 (800x600)   1159時、船が接岸を知らせる汽笛を鳴らした。

断水

きのうから島の放送塔が繰り返し水不足を訴えていたが、朝方からついに断水した。  


島の上水道は油を運び込んで火力で起こした貴重な電力を放出し、イオン交換で海水から塩分を抜き取ったものをつかっている。 産油地域の中東あたりで採用している方式。

川や湖を水源としている本土の上水道と同じくコックをひねれば水が出る。 しかし、蛇口から出る水は、天からの貰い水でなく、昼夜をおかずせっせとつくった水。 使う量があまり増えると つくる方が間に合わなくなる。 
   

水の一滴は血の一滴。 …とまでは言わないにしても、たまには昔の島の暮らしを思い出したい。 

かつて小宝島が涸れたとき村営フェリーが水を運んできた。 水は湯泊と小島の間に錨をおろした本船にハシケで向かって積み込んでもらい、何度も何度も往復した。 このために宝島入港は夕方になったという。 

宝島の人に迷惑をかけたが、水を運ぶ労力は大変なものだったに違いない。 


いまパパラギの客は一人だけ。 もったいないという心持ちが息づいていた時代と環境に育った人らしく、多くを語る必要はない。  風呂場にためた水は裏の雨水槽からホースでひいたもので、余計な気遣いは要らない…と言っておいたのだが、大事に使っていただいた気配であった。

台風7号

やり過ごせるかもしれないと思っていた熱帯低気圧が台風7号になった。 

16日、鹿児島から折り返してくるはずだった村営船「フェリーとしま」は再度延期になって18日に出港するという。 このため17日に予定されていた日赤巡回診療と子ども病院の小宝島訪問はお流れになった。

長いこと書き込みをサボったままになっている。 この間にあったことはまず宿の車のエンコ。 

アクセルを踏み込むとエンジンが止まる。 走行距離はおよそ14.8万キロ。 両サイドのドアと後ろのドアのたてつけも悪くなっていた。

車検証を見ると13日が車検切れだった。 14日土曜日の下り便で名瀬の自動車整備工場に送る。 航送料は往復およそ3万2千円。 


15日日曜日、小宝島自治会総会。 年に一度のことなので洗いざらい聞いてみた。 会の雰囲気を妙に重くしてしまった。

16日月曜日、港に朝寄る「としま」上り便で、熊本から来ていた山海留学生が帰った。 

中学3年生になった図体の大きい少年。 夏休みにはまだ間があるのだが、熊本の高校の入学希望者見学会に合わせて早めの里帰り。 思えば、早めのというより早すぎる里帰り。 女将は港まで見送りに行くのを拒んだ。

梅雨の戻り

もとい! 6月30日に勝手に梅雨明け宣言したが、梅雨前線が戻ってきたm(_ _)m! m(_ _)m!


昼間から雲行きがおかしかったのが、暗くなるとすさまじい豪雨と稲妻になった。 その中を人の家にあがり込み焼酎などかっくらって深夜の帰還。 

人と人が年齢立場を超えて善意のみで接し合う場に久々に臨んだ。 そして、雷雨の合間を縫うようにして無事帰還。 神々の沈黙と恩寵の間(はざま)、不信心不届き者の無事息災。 

進水

携帯電話の進水式を挙行しました。 式場は城之前漁港。 列席者は約2名。



ただし、携帯電話は船と違って水に浮かない。 そのまま塩水になじんで気がついたときは液晶画面が真っ暗になっていた。

いまは電池を外して真水で洗い乾燥中。 回復の見込みはない。

当分の電話連絡は宿の固定電話のみ。 おカミの固定電話(宵になったら酔わなければならぬ…という古文の言い回しをそのまま数字にした番号) を使わせてもらう手もある。

顛末は後日。




サンダンス

DSC01616 (640x480)     テンニンギクに盛りの時期は特にないのかと思ったら、今まさに真っ盛りだった。

そこそこ島に暮らしていてテンニンギクのことをあまり知らなかった。 本当のところはまだ知らない。 今なお謎の花。



北米原産という。 ならば、だれがいつ持ち込んだのか? 

小宝島が北限という。 ならば、なぜ南隣に位置する宝島でみられないのか?


何とも間の悪い話で、テンニンギクの花の美しさを教えてくれたのは宝島の人だった。 どこかしこ、むやみに生えている草の花として見過ごしていたが、「たまに小宝に来るとテンニンギクのきれいなことに、来るたびびっくりする」 と他人に言われて、目から鱗が落ちる思いだった。


 
なるほど、そう言われてみると、花の見事さに驚嘆する感覚の方が正常。 花に囲まれて暮らしてそれを粗末にしている感覚は鈍である。 豚小屋に暮らせば臭さになれるように花に囲まれて目が曇る。


テンニンギクは英語でインディアン・ブランケットというらしい。 この場合のインディアンはインド人ではなく、北米の先住民。 西部劇の斬られ役。 …“インディアンの毛布”

サンダンスという呼び方もある。 陽光と戯れて踊る花…。

北米インディアンの連想でダンスといえば、部族の危機に際して踊られたという救いのない“ゴーストダンス” が思い出されるが、サンダンスなら明るくて良い。



このところテンニンギクが少なくなっているのでは…と心配する声を聞いた。 確かに、西原牧場の南隅に広がっていた群落が消滅しているのには前から気がついていた。

そんな目であらためて島内を見回すと、あちこちにまだかなりの群落が残っていた。 はびこりすぎて嫌われ者になってしまった特攻菊(オオキンケイギク) と違って、控えめに領分を守りながらもしっかりと息づいている。


変種に矢車の花弁のものもある。 突然変異だとすれば劣性遺伝らしく、あまり増えない。 野っぱらから株をわけてもらって、庭に移し替えたのが冒頭の写真。

 

7月

DSC01625 (1024x734)    例によって小宝島の暦をつくる。 村営船「フェリーとしま」は1便欠航が予定されている。 プロペラが故障したためドック入りするのだという。

写真は湯泊温泉から望む日の出と横瀬海岸で撮影した日没。 蝶は庭先のハイビスカスにやてきたアゲハ。 いずれも昨年7月に撮影したつもりだが、おとどし7月のものが混じっているかもしれない。
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