じじらぎ

  

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コンピューターの調子が悪いので、書き込みはスマートフォンでやっている。 十本の指でたたいていた文字盤を人差し指1本でつつく。

情けないけど、仰向けになったままで出来る。 近未来の寝たきり状態に対応していることを思って慣れていくことにする。

写真はカメラからの取り込みに挑戦すべきところをサボッている。 段階を踏んで、携帯電話の写真機能を使ってみる。

画像はよくない。


今朝方まで雨が降った。 風景をぞっぷり濡らして、なお降りやまない。

湯泊詣で は休み、湾の景色の代わりに部屋の窓からパパラギの庭を見る。

手前の木はアコウ。 台風15号、16号の連続パンチを受けて丸裸になった。

この木のすごいところは、ほどなく再生することで、そろそろ若芽をふく頃合い。 成り行きに任せて待っていればいいのだが、きょうの晩から強風、暴風が吹く。

右手前の鉄兜のようなものは前の台風で飛んだオンジョ鍋。 とりあえず伏せてあるが、どんな風に置いても外に出しておく限り飛ぶ。
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台風17号

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1808時湯泊。 まだ遠いはずの台風17号が海をかき回している。 サン婆が変な姿勢をしているのは、リードが足に絡まったため。




運動会

本文に書き込みをしたつもりが、追記の 「全文表示」 の方に書かれていた。

ネットにつなげない状態がここ4日ほど続いている。 ほかのことまで不具合のあおりがあって、難渋する。



メディア半盲の自分には原因の見当がつかない。 写真の添付はデータの移しかえがうまくいかずネグったまま。

起工式

防災無線のアナウンスがあった。 午後2時から体育館の起工式があるという。 あす、あさってのことではない。 きょう、あと数時間後の話。


分校の南側、ビロウなどの灌木や照葉樹の喬木が潮風と亜熱帯の日差しに坑して独自の生態を紬いできた森が払われたあとは、大小の珊瑚礁と石灰岩がかさなり合うガレ場になっていた。

そこに幾重もの紐やロープが張られていた。 工事用の区画と神事のための結界が交錯して、どこをとどう行けば紅白の幕が張られた式場に達するのか?

島びと7、8人が遠巻きになって紅白の幕のなかで式が始まるのを待っていた。

式は30分遅れて始まった。

神様も予定より遅れて降臨されたはずだが、姿は見えない。 見えないのは信心が足りないせいに違いない。 それはわかっているのだが、妙に落ち着かない気持ちがあった。



実は、これから造られるという体育館について何も知らされていなかった。

起工式の当日になっても何の説明もない。


工事はすべからく息災に、滞りなく進まないといけない思うけれども、どんな工事なのか分からないままでは祈りに心がこもらない。



あとで確認したところでは、これから造るものは「宝島中学校小宝島分校屋内運動場」。 先月3日に2億7千万円余で吉留建設が請け負い、来年3月25日に完成するのだという。

あと半年で、島最大の建造物を造る。 地盤はべらぼうに硬く、随所に空洞もある隆起珊瑚礁。

それに十数メートルの杭を24本ほど打ち込んで基礎を造るという。 それだけでも難工事である。

起工式には、もっと気持ちをあらためて臨むべきだった。





耄碌!?

★s-_MG_0720    0630時ごろから0800時ごろまで、竹の山の上空一帯でワシタカ類が乱舞した。 アカハラダカの渡りのシーズンだが、低空まで近づいて飛ぶシルエットは図鑑で見るハヤブサの形。 初歩的な種の特定ができない。 

幾層にも重なり、整列しないで勝手に飛び回るので数の見当も出来ない。 分からない、分からないでは困るから、ひとまず、数百羽…と言っておく。 

常用のインスタントカメラではとらえられないので、物置に安置されていた一眼レフと50ミリレンズを引っ張り出した。 

あろうことか、カメラ内の膜面かレンズにシミがついてしまっていた。 望遠レンズは鹿児島に置き忘れてきた。 情けないことで、きょうのところはこれが精いっぱい。 年はとりたくないもんです。 

遅ればせながら台風16号の報告。



メロン岩消失、渦巻き (1024x768)     17日朝、湯泊にいったら台風15号で“隆起” した「メロン岩」 が亡くなっていた。

メロン岩というのは、しばらくパパラギに滞在した「メロン」 という名のミニチュアダックスフントの顔に似ていたので名づけたが、つかの間のことだった。

今の岩はおそらく「メロン岩」 が反転したものらしい。 この形でしばらく地形が安定するのかどうか?


DSCF3424 (800x600) (640x480)    権現様の鳥居も傾いた。 

DSCF3413 (640x480) (640x480)    パパイヤも無残。 これは良い方で、庭に植えられたものは枝がもぎ取られて丸裸、ただの棒になった。

DSCF3343 (800x600)     17日明け方の庭の惨状。 外に置いたものはすべてロープで固定して置くべきだったが……。

ネット回復

夕食をすませてくつろいでいるとき村の小宝島出張員から電話があった。 “結(ゆい) ネット” が復旧したという。 16日いらい6日間、長いこと書き込みも思うようにできない状態がつづいた。

原因は落雷という。 宝島から無線を飛ばすルーターが本体、およびバックアップ用予備器ともこわれたらしい。 これは想定内なのか? 想定外なのか?  いずれにしろ自分にとっては覚悟の外のことだった。



スマートフォンでの書き込みは印字が難儀で、写真の添付がどうしてもうまくいかない。 とりあえず、たまった写真を日付順に整理しなおさないといけない。



……忘れないうちに今日の記録。 サギがわたってきた。 窓枠に区切られた視界に突如飛び込み、あわてて首を出したが羽数の確認はできない。 

7月の半ばごろまでいたので、およそ2か月間留守にした格好。 アサギマダラも3日ほど前から目につくようになった。

島の昆虫学者Hさんの観測では、アサギマダラは7,8月島から姿を消す。 サギ類も同じ時期に島を留守にするということか?

夕刻の湯泊温泉付近ではツバメが飛び交っていた。 種類はわからない。 不規則にてんでんばらばらの方角に飛ぶので数はつかみにくいが、12羽ほど。

秋分の日。 季節は確実に秋に向かっている。

ネット不通

長い長い夜が明けた。

台風16号は狼藉の限りを尽くして北に去った。

玄関の雨戸を開けて光を入れ、庭に出る。 いろんなものが位置を変えていた。

洗濯機はハンダマ畑まで動いて寝ころがっている。 いちばん飛距離の長かったのはオンジョ鍋。 直径1メートルほどのもので水を重り代わりに入れておいたのだが、10メートル以上飛んで車庫の前に着地していた。 なるほど改めて見ると空飛ぶ円盤に似た形をしている。

15号の被害からかろうじて生き延びて生気をとりもどそうとしていた野菜類も、ことごとくなぶり殺しにあった。 パパイヤも枝葉をもがれて丸裸。



……台風の被害は詳しく報告しないといけないのだが、村のご自慢の「結(ゆい) ネット」は肝心の時には通じない仕掛けになっている。

やむなく携帯電話からの書き込み。

人差し指で細かい文字盤をつつけば、液晶画面は過剰反応したり、反応しなかったりする。 なんとも もどかしい。

台風16号

★s-1329 (1)       900hPaという。 (゜〇)!!!????    17時ごろ? 最接近したころには930hPaになったが、それでもべらぼう。


18年前東向きに建てられた木造の2階はシケの七島灘を行く村営船のように揺れた。 小島に面した東側の窓は雨戸もろとも内側に膨らんで震えている。 これが破られたら屋根が飛ぶ。 自分も天空を舞うのだろうか?


台風はそろそろ遠ざかる頃合い…と思うのに風の勢いは衰えない。 まんじりとしない長い夜になった。

村政座談会

DSCF3110 (1024x768)     10日0608時、湯泊。 サン婆も風景に介入。

11sep616 (1024x783)      11日0616時、同。

★s-12sep615(1024x798)     12日0615時、同。 サン婆、今日も元気いっぱい。
   


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13sep (1024x779)     13日0621時、同。 タンカーが通る。 0600時には消えかかる月の下を飛行機が飛んだ。   1

★s-14seo609     14日、少し南に下って黒瀬海岸。 日の出の位置も南に動いている。




DSCF3249 (640x480)     これは同日1008時、住民センター。 年に一度、村役場の主だった人たちが島に来て村民と語る村政座談会があった。


役場からは肥後正司(まさし) 村長ら10人、島民は自分を含めて14人が出席した。 執行部席にもこれまでにない緊張感があって、出席しがいのある会合だった。

村長さんはこの5月に就任した。 総務課長をしていた人で、今年に入って誕生日が来ていなければ57歳。  前任の村長さんは3期12年つとめて78歳で引退した。 


会は台風16号接近のあおりで15日の予定を急きょ繰り上げた。 午後は悪石島に移る予定で、小宝島では2時間半しか時間がとれないという。 

少年Yのこと

06-0611 (1024x768)    6日06:16湯泊から。 以下場所は同じ。  

3052sep7_20120912030551.jpg    7日05:57。

3082sep8.jpg     8日06:32。

3092sep9 (1024x767)     9日06:08。 以上、日の出、あるいは日の出を拝めなかった日の東の空の定点撮影、9日まで。 




DSCF3034 (800x600)   ついでに、4日ごろパパラギの前の道路沿いで蕾がはじけ9日まで咲いていたアマリリス。 

アマリリスは沿道に10数株植えられている。 連日の暴風で季節の感覚がおかしくなったのか1株が狂い咲きした。 本来は5月の花。




この道は山海留学の児童生徒5人が通っていた。 今は3人。 

中学1年と中学3年の男の子は2学期からいなくなった。


私ごとを申せば、若いころ教師になることを考えていて土壇場で踏みとどまった。 

ひょっとしたら自分は子どもを好きではないのでないか…という思いにとらわれてしまったためである。 子どもが嫌いな先生なぞ、あってはならない。

自身を振り返ると、素直でない子どもだった。 小学3,4年ぐらいになると大人のアラ、嘘や卑劣さが目につくようになった。 

素直でない、というよりいやらしいガキである。 中学生になると周りには自分のようなタチの悪いガキがゴロゴロいることに気づいた。 

教師になるということは、かつての自分のような可愛いげのない悪ガキどもと毎日顔を突き合わせることにほかならない。 悪ガキのなれの果てに務まるはずがない。



長い間そう思ってきたが、島に来て大発見をした。 意外や意外、自分は決して子ども嫌いではなかった! 

子どもというものは、どんな子どもでもそれなりに可愛い。 他人の子は、他人の子だからこそなおさら可愛い。 


なぜ、そうなるのか…、これが良いことか、悪いことか…という詮索は今はしない。 


とにかく、島に山海留学でやって来た2人の中学生と付き合うようになった。 

というより偏屈な爺ぃが相手にしてもらえるようになった。 有り難いことである。



今は2人ともいない。

中学3年の方は1学期だけの滞在だったが、思いつくことがあったらしく親元に帰った。 何やかんや言っても親と一緒に暮らすのがいちばん。 他人の分際で、徒然なか…とは言うまい。


この少年は縁あって同じ屋根の下に暮らした。 爺の小言を良く聴いてくれた。 たばこを吸わないのにやたら煙たい爺ぃにたいして、あからさまに嫌煙権を行使することはなかった。 

孫ほどの歳の差があった。 育った時代と環境も違ったが、卑怯と嘘を排する…という志において同士であった。



もうひとりの中学1年の子は隣の村営住宅に住んでいた。 知識欲が旺盛で人の話を目を輝かせて聴いた。 

この子は2学期から宝島の本校に転校した。

 
分校から本校への簡単な平行移動…。 それで済むのかと思っていたら話が難しくなった。 この子を小宝島の分校にひきとめようとする動きが出てきて、署名運動まで行われた。  


署名しなかったのは里親とその連れ合い、隣に住むパパラギの女将、それに私の4人だけという。  

実は、この少年と向き合ってきた里親が宝島にあたらしい里親を見つけ、実母と何度も話し合いを重ねてきた経過を隣人の立場で見聞きしている。 実母と小宝の里親以上に、少年の将来について真剣に考えた者が他にいるとは考えられなかった。 

その結果が偏屈頑迷(!?)な少数派。

 


少年が島を出ると分校教員の定員減と、教員構成の再編成が必要になり、現場には多少のあおりが予想される。 それを最小限に抑えるのは教育行政の仕事。 現場の管理者だけでなく村教委、県教委のしかるべき立場の人のウデの見せどころで、いささかでも手抜きする風が見えたら黙っていてはいけない。

…などと暢気に構えていたら、話は妙にこじれてしまった。  
 

あろうことか、赤子の手を両方から引っ張り合うような、まがまがしい状況が島で現実になった。 

「大岡裁き」 なら、泣き叫ぶ子の声に耐えきれず先に手を離した方を子のためを思う本物の親と認めて、万々歳ということになる。  

しかし、なぜか今回は、教育関係者も含めて誰ひとり、越前守の役を引き受ける者はいなかった。 

それはいいとしても、常識では考えられない展開になった。 村の教育公務員のトップである教育長、管理職をはじめ、現場の教師までが、片方の手を力任せに引っ張る側に荷担した。

教室がなくなり、教員数が減る事態は避けたい。 しかし、それは、実の親と里親の意思を捻じ曲げる大義名分にはなり得ない。 こんな自明のことが無視されたまま、個人の願いにかかわる高度の私的情報が乱暴に要約され、分校の子どもまで巻き込んで署名捺印させる始末になった。 


私の人権感覚では尋常を欠く、いみじき振る舞いである。 

結果的にはなるようになった。 Yは実母、里親の希望通り、宝島に移った。 少年本人は、問いかける大人によっては小宝に残りたい…と言ったらしい。 

これを無定見と責めるわけにいかない。 大人たちの意に添って子どもの気持ちが一時的にブレただけのことで、定見も見識もないのはむしろ大人の方だろう。 


とにかく、済んでしまったこと。 伏せておくべきかどうか迷った。  

島の恥は内部に閉じ込めて忘却を待つのが穏当穏便である。 しかし、解決の手立てを時間に任せていいほどの基本的な“自然浄化力” が今の島にあるんだろうか、とも考える。 万が一失われているとすれば、この先はどうなるんだろうか? 

その後に、反省の声がどこからも聞かれないのも奇異である。 

教育界の体質に問題があることは以前から聞いていた。 しかし、不自然な傾き方をした際の復元力さえなくなってしまったのではないか?  この喪失の自覚がなくなったとするならば、同じようなことがまた起きる。 1件を揉み消して何もなかったことにして忘れ去ることこそ不穏当、かつ無責任なことではないのか?

猛省を促すなどというつもりはない。 自身が現場に居合わせながら非力であった。 このことへの自戒を含めて、最小限の記録は残しておいた方がいいと考えて、余計なおしゃべりをした。



少年はいったん福岡県の実家に戻ったあと、4日の下り船で宝島に向かった。 小宝島からは今までの里親が付き添った。

少年がこの日の船に乗っていることを分校の子どもたちが知らされていたかどうかは、確認していない。 
  

訃報

DSCF3019 (1024x768)     0606時、湯泊湾。

鹿児島市の病院に入院していたS媼(ば) が亡くなったという。 島のご婦人で古い時代の暮らしを知っており、○○媼(ば) と呼ばれてきた4人の女性が1人欠けた。 あとは年齢的な断層があって、アラウンド還暦かそれ以下。  

聖俗の境

DSC02533 (1024x631)      例によって小宝島の暦。 実は、第2版。 

迷惑メールを拒否しない心やすい人たちには第1版、というより原案のようなものを1日に送った。  いつものことながら修正、加筆がある。

まず、写真説明に間違いがあった。 ガジュマルの幹にしつらえられた竹組の祭壇は2年前の9月に撮影したものだが、お盆行事が新暦9月にまたがることをすっかり忘れて、彼岸の祭礼と勘違いした。  



台風で閉じ込められている間、島の古い家ではお盆の祭礼が静かに守られていた。 台風が去って、月が変わって1日は、旧暦7月15日でお盆も最後の日、お備えを下げる“棚おろし” の日だった。

この日、墓に参って島を去っていくご先祖の霊に別れの祈りをささげる。 夜になるとご先祖さまの霊は隊列を組んで浜に降り、海に向かう。
 

心の正しい人はそれが見えるといわれる。 私には見えない。 万が一見えたらただ事ではない。 家にこもって独りで祭る(焼酎をのむ) のに専念する。



翌日は“浜降れ”  ご先祖が海に戻ったあとに浜辺に出て月を見ながらささやかな宴を張る。


台風で延び延びになった子供会の主催の夏休みのこども大会もこの日にずれ込んだ。 2日までは学校の休みが続いている。 “精進落とし” を兼ねて間の良いことではないか…。

……と思っていたら、よそ者ながら20歳代から島で暮らしてきた女将に叱られた。 “浜降れ” は仏教儀礼の精進落としとは違うのだという。 

“晴れ” の時が終わり、普段の“褻(け) ” の時に移る。 時の流れの聖俗の境目。 刃物絶ちをしていて、肉魚の類をひかえたささやかな宴だったらしい。 昔なら、浜降れの日に肉をあぶる煙があがるなどという事態は考えられない…とか。


肉はあぶらないと食えないから、やかましことを言われても困るのだが、控えるという心持ちも分かる。 昔の島びとはこんなとき、どんなふうにして折り合いをつけてきたのだろうか?

聖と俗がせめぎ合うとき、聖の部分をあいまいにして俗の領分を増やしていく、それが時代に適合していく知恵なのかもしれない。 しかし、古来の心持ちが忘れられていく一方なのも落ち着かない気分である。




私自身は島暮らしが長いせいか、だんだんと神がかりになってきている。 さいきんは聖俗のけじめだけでなく“穢れ” の態様が気になっている。 

このへんのところはかなり保守的である。 風景の変造はもちろん、時への人為的な介入も“穢れ” の一種ではないかと考えたりする。 

夏は暑い。 クーラーも扇風機もないころの人は、どうしてしのいできたんだろうかと考える。  

しかし、頑迷固陋(ころう) なのは頭のなか、想念・妄想の領域のところだけのこと。 古来の暮しぶりを守るには体力と気力が要る。 実際にはクーラーも使う、扇風機も回す。

ただ、小宝島東北部の夏は都市熱のある鹿児島市街よりもしのぎやすいことに気づくことが出来たのは固陋さのおかげかもしれない。


足の遅い台風に耐える日々が続き、待つことの意味を何度も考えさせられた。 答えは見つからない。

穢れを祓う方法はもちろん、穢れと折り合いをつける知恵も見つからない。 


徘徊にくたびれて道端に座り込み、傍らのサン婆に聞いてみる。 もとより声はない。 ただ、波の音が渡り、浜風が通るにおいがするだけ。











 

 

またも、9月の日の出

DSC02522 (1024x737)     0606時、湯泊。  海は凪。 磯の湯は極楽。  瀕死のジジ、三助仕事を終える。  来るときは,すがるよいうにしてついてきた杖を肩にかついでサン婆と帰る。

お盆

★s-DSC02503     0605時、湯泊から見る9月の日の出。

★s-DSC02516    月が変わって朔日になってからあわてて9月の島暦をつくる。 なんとも面目のないことで、暦につけた写真説明でお盆と彼岸を混同して間違ってしまった。

きょうは旧暦7月15日。 悪石ではボゼ神が出る日だから8月末から島の盆行事が続いていた。 一昨年9月に撮影したという記録のあるフケ神(無縁の霊) の祭壇は新暦9月の季節感とはかかわりのない盆行事のものだった。
  

島の盆行事では、ご先祖の霊が冥界に帰る日、お供えものをさげる“たなおろし” をする。 ことしのフケ神の祭壇の写真を撮らせてもらった家ではサネンバナの葉でくるんだ餅をもらった。 “たなおろし” のおすそ分け。 もちは「トンビン」 と呼んできたという。

村営船「フェリーとしま」の欠航と事故で延び延びになっていた「夏休みこども大会」の焼肉パーティーは、あす開催することになった。 図らずも精進落としの“浜降れ” と重なった。
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