じじらぎ

  

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霜月祭り

DSC03589 (1024x768)     29日0723時、湯泊。

DSC03537 (1024x768)     旧暦霜月の17日、小宝神社(十柱神社) でしもつき祭りがあった。 みんな心を澄まし、善男善女に成りすまして無病息災を祈る。
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宝折り返し

妙な雲行きで温かい。 0645時の部屋の温度は、なんと22度。 東からの風が強い。

9時43分、放送塔のアナウンス。 今日出しの村営フェリーは名瀬行きを急きょ宝島までに変更、その日のうちに宝島から折り返すという。

!?

日記をサボって島に帰った報告もしていなかった。  以下は、さえない日々の断片。


DSC03436 (1024x763)   20日1209時、村営船「フェリーとしま」 甲板から。

19日深夜鹿児島港を出る船で下る。 翌20日は曇りがちの空だったが、海はそれほど荒れず定刻に小宝島についた。

DSC03458 (1024x775)   21日0744時。パパラギの食堂から。 このところ天気はすっきりしない。   つかの間の陽光。


DSC03474.jpg   22日1258時、接岸港の奥の岩陰から。 船は大きく迂回して港内をうかがうようにして入港した。 


せっかく船が来ても客は来ない。 来るのは、遅れて届く新聞と客が来るのを見込んで注文した食糧だけ。 


12月は中旬以降の予約がすべてキャンセルになった。 

予約は先着順に受け付ける。 独り1泊の客も断らない。 船便が乱れるとキャンセルになる確率は高くなる。


横着で宿をガラ空きにしているのではない。 ことさら怠けているわけでもない。 

客のない日は掃除、片づけ、庭や菜園の手入れなど、それなりに働く。 客のない日の方がなぜか精が出たりする。

さすがに、このごろは元気がなくなった。 天気のせいか? 年のせいか? 

丁か半か

ほんと! ひとつの選挙区からひとりだけ選ぶというのは無茶苦茶。 

賭博といっしょ。 丁半バクチの独り勝ち。



それにしても一票の重さの差はひどすぎる。 あんまり半端じゃないか。 

一票の重さに5倍の格差があるのなら、議員定数を5分の1にならせばいい。 チョンボなしの一律5分の1。


日本の国の小ささからすれば、そのへんのところが丁度。 

亡国への道

投票は自分の意思とかかわりのない事情で12日に繰り上げ投票の、さらに繰り上げの投票を口之島ですませてしまった。 

年寄りがウジウジするのはみっともないことだけれども、心残りがある。 

繰り上げの繰り上げ

不意の用事ができて12日朝小宝島をでて夜に鹿児島に着く村営フェリーに乗った。 十島村の総選挙は七つの島で13日いっせいに繰り上げ投票することになっている。 投票はいつ、どこですればいいのか?

村の選挙管理委員会に問い合わせたら、12日の船に乗った人たちは口之島で投票できるようにするという。

繰り上げ投票をさらに1日繰り上げ、4日も早い投票。 12人が十島村役場口之島出張所で投票した。


テレビの放送は本土一律。 投票は済ませたのに見飽きた顔が繰り返し登場して支持を懇願している。

嘘と勲章

DSC03361.jpg   1806時、NHK総合テレビの画面。 

19時20分に注意報、警報はすべて解除されました…というアナウンスがあるまで、ことさらに切迫した上ずった声で大仰な報道が報道が続けられた。
 

日本の國営テレビは3.11体験を忘れて、相変わらず白痴的報道をしつこく繰り返している。

思わず怒声を発した。 

かたわらで見ていた宿の女将はテレビの電源を切ってしまった。 血圧が上がって脳の血管が破裂するのを心配したのである。


12.7に3.11の後始末ができないまま、3.11の検証も反省もないことを暴露した“おおかみ少年” 報道。 真の抜けたニュースを延々と流して、その異常さに気づかかないほどNHKはたるみ切ってしまった。 

きょうの津波と3.11は規模が違う。 

3.11のすさまじさが身に染みていないからカラ騒ぎする。 そんな暇があるなら、被災地に行って復興の手伝いでもした方がましだ。





……津波報道で茶々がはいるまで、頭にあったのは12.7であった。

真珠湾攻撃と勲章。


12月7日…。 たいていの人は真珠湾攻撃を思い出すにちがいない。 

国民の多くは戦勝気分に酔った。 



内乱のほかに自国が戦場になった歴史のない米国民にとっては屈辱の日だった。 

リメンバー・パールハーバー!

真珠湾を忘れるな…。 四谷怪談のセリフなら「恨みはらさでおくべきか」 ということ。 いまでもアメリカ人は何事かあると、この句を繰り返す。



肉食人種の毛唐はしつこくて過去の恨みをいつまでも忘れない…という人がいる。 

もしそうならば、優れた資質でもある。 過去にあったこと、つまり歴史に関心がある民は未来を展望するときも現実的、建設的な考え方ができる。

恨みや悔いにも効用がある。

過去の間違いをなかったことにすることで愛国者をこしらえることができる…とまともに考えている人たちがいるらしい。 そんな手合いが「自虐史観を排する本物の歴史家」 を自称しても、真に受けない方がいい。 

人類の歴史は過失、しくじりの積み重ねだった。 過ちは歴史の、いわば主成分。 それを意図的に除去した歴史は真実とほど遠い。 カビの生えた脱脂粉乳ほどの値打もない。



脱線した。

話は「リメンバー」 のことだった。 

戦前戦中の日本は言論を統制したが、米国は世論を操作した。 


フランクリン・ルーズベルト大統領は、第一次大戦後の国民の厭戦気分を一掃するための画策を広告会社に依頼したといわれる。 なるほど、同じ句を繰り返すのは広告宣伝の手口である。 

リメンバー・パールハーバーのリメンバーは過去の歴史で繰り返されてきた。 リメンバー(恨みはらさでおくべきか) は米国民の意識の深層に埋め込まれた反復句だった。


前座に相当するのがアラモ、二つ目がザ・メイン、真打登場がパールハーバー。

「リメンバー・アラモ」 は1836年、アラモ砦の争奪戦で少数の志願兵がメキシコ共和国軍に全滅させられたときに叫ばれた。 これにより、テキサス奪取の野望が国民の悲願として正当化されることになった。

「リメンバー・ザ・メイン」 は1898年。 ハバナ港内にいた米国の軍艦メイン号が爆発沈没したとき、スペインの策謀が喧伝され、 仮想敵国が一挙に真正の敵国に昇格された。

米西戦争は、アメリカの圧倒的な勝利に終わり、キューバ、プエルトリコなどのカリブ海諸国、それにフィリピンまで米国の配下に組み入れられた。 メイン号の沈没が米国の謀略だったことは、現在では米西両国の歴史家の定説。 
盧溝橋のようなあくどいことを、モンロー主義を表看板にした米国もやっていた。


いまの米国民一般は、リメンバーの惹句としての歴史を知らない人がほとんどに違いない。 日本人も同じ。 

排外思想や、差別意識が意図的に作られたものだということを意識している国民は、どの国でも少数だろう。 

なかでもアメリカ人は厄介で、アメリカ以外に国はないくらいに思っている人が多い。 戦争に負けたことのない国の国民は、自分の国が間違いやしくじりをしたことを認めたがらない。



難物の米国民を勲章ひとつでたぶらかそうとする愚行が行われたことがある。 日付は東京オリンッピックがあった1964年の12月7日。 真珠湾攻撃の日である。


戦時中は人殺し、あるいは鬼畜と呼んでいた米空軍の将軍に勲章を贈ったのである。 これで真珠湾を忘れてもらって、恨みみっこなしにしよう…と考えたのかどうか?

人によって、いろんな考え方があるが、私は真珠湾攻撃と無辜の民の無差別殺人とを同列にしない。 人殺し将軍に勲章を贈るような手合いは「売国奴」 と呼ぶ。


勲一等旭日大綬章。 

勲一等は天皇が手ずから授ける神授のしきたりだが、昭和天皇は拒否され、授与式は航空自衛隊の入間基地で浦茂航空幕僚長の立会いの下で行われたという。 

推薦人は小泉純也防衛庁長官ら。 承認した首相は、沖縄密約を隠してノーベル平和賞を授与された佐藤栄作だった。 真珠湾攻撃の際の航空参謀・源田実上院議員が画策したともいわれる。

12.7は日本にとっても屈辱の日となった。 


米国民一般は勲章のことを知らない。 知っていても“恨みっこなし” を認めるはずはない。 相変わらず日本のことで何か気に障ることがあると「パールハーバー」 を繰り返す。


またも宝直航

DSC03339 (1024x768)   0712時、湯泊から。  

DSC03366 (1024x768)   1722時、ヘリポートから。 左の島影は宝島。 久しぶりに、終日晴れ模様だった。

水曜だしの村営船「フェリーとしま」 は出航延期となり、きのう6日木曜に鹿児島港を出て、正午前に入港した。 

昨日まで荒れていた海はおさまったが、それもつかの間のことで再び荒れてくるという。 

このため今回の便も上り便は「宝直航」 になった。 宝島に停泊せず、積み下ろしが終わりしだい引き返す。 小宝は抜港にならず帰りの「上り便は1325時に小宝入港」 とのアナウンスがあった。


上り便が小宝に寄港した

4日付の「小宝差別」 で正確さを欠く記述があった。 複雑な背景があるのをはしょって「特別な要請がない限り」 (…上り便は接岸しない) という言い方で片づけたが,結果的には不適切な表現だった。

その部分は書き直した。 

どこをどのように書き直したか,訂正,加筆の詳細を逐一説明すれば煩雑になって新たな混乱を招きそう。 細かい説明を割愛するのをゆるしていただければありがたい。


村営船「フェリーとしま」 の下りの船はきょう5日,定刻午後零時20分よりも早く正午ごろ小宝港に入港した。


抜港を覚悟していた上り便は午後1時には宝島を出港,半時間後に小宝に接岸した。 想定外のことだった。

宝島から乗船し,小宝で降りる乗客がいたためである。 

小宝港の状態は抜港しなければならないほど悪化していなかった。 乗客の“特別な要請” にこたえられる条件がたまたまあった。



宝島直行の場合,小宝から鹿児島に向かう人が下り便に乗り込むのは船の方からの要請によるものではない。 上り便が抜港になる恐れがあるため客の方で大事をとる。

もう一つ,上り便寄港の手間を軽減させたいという配慮も働く。 いわば自主規制。 自分ひとりのために今さっき出港したばかりの村営船に寄港してもらうのは心苦しいとして遠慮する。 


村営船は1,400トン近い巨体。 たいていは錨(いかり) をうたないまま7本のロープを張ってロープの張りとスクリュー操作でバランスをとり,すみやかに離岸する。

通船作業には人の少ない島で,70歳未満の体の動く男手を総動員する。 高度の操船技術だけでなく人手もかかる。 

 
くどいようだが,念のため。 船が横着するのではない。

そういえば,港を出て宝島に向かった船が引き返して再入港したことがあった。 ダンボール箱をひとつ小宝に降ろし忘れたためである。 

たった1個の荷物のために1,400トンの巨体が動く。 宝島停泊後の上り便で1日遅れで降ろしてもよさそうなものだが,そうしないところが我らが村営船。


乱暴な書き方を取り繕うのにわかりにくい事情をくどくどと説明する始末になった。 



ただ,おおもとの問題点は変わらない。

港の整備が遅れている。 そのために船も接岸作業にたずさわる人も難儀し,乗客は気遣いをする。


小宝島に限ってこれが当たり前のこととして諦めるべきだ…とは,やはり思わない。







小宝差別

きのう出航延期していた村営フェリー「としま」は1日遅れで、きょう4日に出港することになった。 

ただし、帰りの便は宝島直航という。 宝島に接岸したあと停泊せずに、ただちに折り返す。 その場合,下り便が寄ったばかりの小宝島には接岸せず,通過することが多い。 

おおむね,天候は悪い方に向かっている。 小宝から鹿児島に行く場合は、下り便に乗って用事のない宝島港までいったん下って折り返し出港を待ち、小宝の島影をかすめて鹿児島に向かうことになる。


折り返し地点の宝島港に近く、港の条件が劣悪なことによって通過地点・小宝がこうむる難儀。 それが恒常化し,島の人も当たり前のこととして諦めるようになった。


思えば小宝は哀しい島である。



1日遅れたうえに帰り便がこんな塩梅になったおかげで,宿の予約はすべてキャンセルになった。 

全滅!


いつもめでたい女将が、珍しくボヤいた。 
 悪天候続きのことしはキャンセルが当たり前のようになってしまって、先月までの客の実質受け入れは昨年の半分…という。

休む間もない台風の襲来で裏の菜園は壊滅した。 やむなく野菜までことごとく鹿児島に注文する。 あげくに、保存のききにくい食材がわんさと届いて、お客は来ない。


10年あまり都市部に暮らして独りで賄いをしてきた爺の目には、島の人は食材管理が苦手なように見える。 食糧不足の島で食糧を腐らせる。

しかし、島が長くなると、そんなしくじりを笑えなくなる。

次にいつ船が着くかわからない風まかせの暮らし。 ついつい物を余分に買い込んでしまう。 物がなくなることへの恐怖感が意識の底に巣食ってしまう。




それにつけても、キャンセルが多い島の小さな宿屋は哀れである。 荷物が岸壁に降ろされた時点で買いすぎを嘆かないといけない。


そんなときは天を恨むしかない。 誰が悪いわけでもない,天を仰いで嘆くしかない。 ……島の人たちには,それとなく,こんな心得を教えられてきたような気がしている。

最近は,年をとってボケがすすみ怒りっぽくなった。 

偏屈にも磨きがかかって,書生のような青臭い激情に駆られるようになった。 天が悪いのではない,悪いのは人だ…と思うようになった。

人が住んでいる島に人が通えない状況があるのは天のせいではない。 港の改善を怠ってきた人のせいだろう。


他の島にはあるのに小宝だけない…ということで,いま分校の屋内体育館を造っている。 結構なことだ。 しかし,優先順位を考えると少し違うような気がしている。 

小宝だけ…ということを問題にするなら,なによりも港の整備が先だろう。 小宝だけ…というなら,ここ数年の環境破壊のすさまじさは小宝島だけのことではないのか?


人の出入りの間口を半ば閉ざした状況にして「日本最後の秘境」 を“売り” にする行き方ではこの先,島は生き残れない。 

本物の自然保護の思想と技術をもった人材,地域振興の知恵と経験をもった人びとが気軽に出入りする環境をつくることを,もっと真剣に考えたい。

ケチな島の宿屋の下足番としては,秘境の土人の役を演じるのにそろそろ飽きてきた。



…ついつい愚痴っぽくなった。 まだまだ修行が足りない。





12月の花

DSC03317.jpg 12ニガ菜 12野地菊

左からノジギク,ホソバワダン,ブーゲンビリア。 

ノジギクはススキの穂が枯れ始めると同時に蕾をほころばせる。 権現さまの入り口をはじめ島のあちこちでひっそりと咲いている。 あらためて眺めると可憐である。


葉がヨモギに似ているので損をしている。 おおむね雑草扱い。 

しかし,ヨモギにくらべるとよほど控えめで分際をわきまえている。 栽培植物の領分を荒らすこともなく,畑のふちや道沿いで花を開いて,目にとめる人もあまりいない。

厳密には亜種で,サツマノジギクというのが本当の名前らしい。



30余年前,平島で遭ったウンドー爺ぃ,こと用沢重忠氏が「ニギャナ」 と教えてくれたのがホソバワダン。 ニガ菜はトカラ,奄美の方言名。 薬用,ときに食用にもする。

ウンドー爺さんはすでに故人。 前にも触れたことがあるが,トカラで最初の,そしておそらく最後のクリスチャン。 キリスト教の修行者,求道者で,沈黙の行を守って静かな生涯を終えたという。 仏教では,このような求道者を菩薩と言うらしい。 

この人の生き方を通して見直すとトカラの神々の姿がもっとはっきり見えてくるのではないか…。 トコロの神々は旧約の神と同じ愛の神,怒りの神だったのではないか…。 

今どきはトコロの神々を見せもの扱いしたり,こけおどしに使ったりする風潮もある。 辺境の古い神さまだからといって,あんまり見くびると罰が当たる。



ブーゲンビリアは小宝島では根付かないと言われていた。 そんなことは知らない鹿児島の花屋さんが,いきなり鉢や苗を送りつけてきたのが3年前のこと。 

潮風と旱魃の洗礼をうけてほとんどが討ち死にしたが,どうにかサバイバルを果たしたのが3株。 うち1株がことし正月に花をつけた。    

それが10月の台風連続パンチに耐えて,冬の訪れを知らせてくれた。

「魔笛」 公演

DSC03273 (800x550)    宝島小中学校小宝島分校の特別活動室で、モーツァルトの歌劇「魔笛」 が披露された。 

出演は写真の3人。 オーケストラを代行したのはピアノの伊地知元子さん、パパゲーナ役はソプラノの八木まゆみさん、パパゲーノ役はバリトンの巻木春男さん。 いずれも鹿児島ゆかりのプロの音楽家。


小宝島初のオペラ公演は、ひとまず“さわり” の部分だけ。 キャストふたりは舞台衣装で熱唱した。 ほか徳之島の子守唄や世界9カ国の民謡も。 

村教委が主催している年に一度の“ファミリー劇場”。 10月の予定が台風で流れていた。


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