じじらぎ

  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

自治

住民センターで自治会の総会があった。

規約では4月に開かないといけないが、このところ5月、6月とずれ込み、去年は7月半ばに招集された。 この調子だと、今年は7月、あるいは8月になるのかなと観念していた。

それが6月末日の開会となった。 ひと月ずつずれてきた過去の流れが、どうにか止まった。 


ご同慶のいたり…というべきか。 ただし、決算報告は一部空白のままだった。


聞いてみると、これではマズイという認識はあった。 しかし、いつになったらつじつまを合わせられるか…見通しは立たない風だった。

とにかく、人手が足りない…。 忙しい…。


観光パンフレットには、刻(とき) の止まる島…とある。 だからといって、島民はストップモーション状態で、凍りついているわけではない。

現実には時は冷酷に刻まれ、うかうかすると、人も島も置き去りにしてしまう。 気ままに通り過ぎる旅人の独善的な感傷に調子を合わせて、浮かれていては食っていけない。



赤字になっていないから構うことはない…という考え方もある。 しかし、破産しても差し押さえられるものがない島で、知らない間に知らないところにお金がたまっていくのは恐ろしい。

サラ金地獄に堕ちたら破産宣告すればいい。 しかし、個人が手を出せないお金がどこかにあると始末に困る。 個人のお金ならパチンコ屋あたりで一気に決済出来るけれども、公的なお金は面倒な勘定の手間と最低限の倫理を要求する


どだい、金勘定などというような因業因果な仕事に、しろうとが気安く手を出してはいけない。 そのために安くもない給金をもらってもらって能のある人をお役人になってもらっている。

それが長い間、試行錯誤を積み重ねて来て産み出された知恵のはずだが、残念なことに小宝島には役場がない。 小屋のような出張所はあるが、村役場の正規職員の座る椅子はない。 

臨時雇いの出張員も公金徴収や村営船の乗船手続きだけでなく郵便業務、村営住宅の補修、海水淡水化装置の手入れ、村道の草刈り、村営船入港のさいの誘導、各種連絡…等々のために椅子に座る暇はない。


村役場は島から300キロ以上の海を隔てた鹿児島市にある。 村営船が来るのは週2回。

職員はたまに「出張」してくる。 来ても椅子の用意はない、宿舎もない、お客様扱い。


いつの頃からか、村がなすべき業務をことごとく自治会に丸投げするようになった。



住民の自治に委ねると言えば聞こえはいい.。 実態は、自治能力に欠陥を抱えた地方自治体が、自治の厄介さに根をあげている島の自治会に仕事を押し付けてきた。


凄まじい状況だが、この事態の打開策はある。 

よその自治体のようにやればいい。 管轄地に役場、ないし支所を置き、職員を配置する。 



それをしないで半世紀、53年。 こんな無体なことを続けていて、いったい誰が得しているのだろうか?

 


スポンサーサイト

婆さま奮闘

DSC04730.jpg     サン婆がついに寝たきりになった。

7日ほど前のこと。 一緒に散歩に出たら、5㍍ほどヨチヨチ歩くと立ち止まって、小休止を要求する。 

これまでにないことである。 爺も似たりよったりだが、足腰の劣化はついに婆さまに追い越された。


爺婆のくたばり先陣争いのレースは、予想に反して婆さまが一馬身ほど抜け出た。 …そんな感慨にひたったのもつかの間のこと。

婆は、その翌日から立てなくなった。 推定年齢19歳4か月。 今までよく歩いてきた。

夕方、女将が足腰を念入りにマッサージしてやり、腹を支えながら促すと、ふらつきながらも何歩かは自力歩行する。 しかし、その時だけのことで、しばらくするとヘタリ込む。

リハビリは確かに効果がある。 ただし、機能回復の見通しは暗い。



居所は車庫から2階の和室に移ることになった。 爺の寝台の足元にビニールシート、新聞紙を敷いた上に紙おむつを重ねる。

放っておくと、そのうえで1日中寝ている。 おもらしをしたときは、鳴かないのが身上の婆がキャンと一声発する。 頻尿の爺がのべつトイレに立つ寝台のかたわらで婆はひたすら眠り、日に2,3回声を上げる。


食欲だけは旺盛。 寝たままの姿勢で首をねじって器用に食べる。 このテクニックはしっかり観察して学ばないといけない。






 

沖縄

歩くのが難儀になって、横になったままの恰好でいる時間が長くなった。 起き上がって机に向かい、キーボードをたたいてみても長続きしない。

指先のしびれは無視するとして、肘の痛みがひどく我慢できなくなる。


今はやりのタブレットも使ってみた。 たまたまいちばん悪い機械にあたったらしく、これが欠陥だらけ。 なんとしても重い。 馬鹿にしていたスマートフォンを見直すことにした。


いっこうに慣れない。 ミスタッチばかり。 しかし、これに慣れないことには世間を知らぬ偏屈爺になってしまう。

スマホの小さな画面と格闘しながら、全国各紙の社説、コラムに目を通すのが日課になった。


つとめて見ているのが福島民報、福島民友、それに沖縄タイムスと琉球新報。

今や災害復興、原発事故、それに戦争はローカルの問題になった観があり、ご当地の新聞でないと分からない。


さすがに6.23は各紙が取り上げていたが、温度差は否めない。

なかで印象に残ったのは東京新聞のコラム「筆洗」。 琉球王朝の王族で彦根の井伊家にとついだ井伊文子という人の歌を取り上げていた。



血を吸ひし島の扶桑が焔なし 狂ひ咲くらむ夏のまさかり

扶桑というのは仏桑花、ハイビスカスのこと。 まさかりは真っ盛り。 小宝の島にも真っ赤なハイビスカスが咲いているが、時と距離の隔たりはどのようなものなんだろう。 










村営船「フェリーとしま」出港

朝、村営船「フェリーとしま」 が定刻に出港する旨の放送があった。  台風4号の接近で19日水曜だしの船は欠航していた。

湯泊の日の出

P1010738 (1) (1024x768)    0538時。 久しぶりの湯泊詣で。


P1010735.jpg   パパラギの向かって右側の門にある黄色い花。 いつの頃からか、ささやかな群落をつくっていたが、やむなく撤去した。

カサギクの仲間だと思っていたのが、どうやらオオキンケイギク(大金鶏菊)。

特定外来生物らしい。 繁殖力が強く在来種を圧迫するのだいという。


ここの小さな群落に限っては攻撃的なところは全くなかった。 珊瑚礁の小さな島で生態系を荒らすものは他にあるのだが、やむを得ない。

よそでは特攻花とも呼ばれているらしい。 罪はないのに、あえなく玉砕。


 


帰途

P1010472 (1024x748)    14日0520時、鹿児島市を発つ日の日の出。


P1010633.jpg    15日1107時、小島周辺まで伴奏してきたカツオドリ。 海は凪、イルカも飛んだらしい。

P1010707 (1024x768)    同時刻、島影は小宝島。 1108時に接岸した。 小宝島はすさまじい夏の日射、梅雨の気配はない。 

備忘録

いま鹿児島市にいる。 先月30日の夜着いて、きょう14日発の名瀬行き村営フェリー「としま」 に乗る。


なんと半月を超す滞在。 過去最大になる。 

用事はいろいろあった。 



思うようにはかどらない。 からだも気分も勢いをつけなければ動けなくなっていた。 


難渋したのは老々介護と病々介助。 

病々介助というのは病人が病人の面倒をみるということ。 今でっちあげた言葉だから辞書をひいても出てこない。

はからずも面倒をみる側にまわった。 このへんのことは一筋縄ではいかない。 面倒をみられる側の者たちより面倒をみる側が抱えた難儀が軽微ということでもない。 

巡り合わせの逆転劇。 

悪い籤をひかされたのにはたぶん理由がある。 こしかたの不孝の報いに違いない。 


もともと無理なこと、出来ないことをやろうとした結果、いろんな人たちに助けられた。 密かに徳を積んできた覚えなぞ全くないのに、有り難いことである。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。