じじらぎ

  

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迷走

065∇…  …名瀬市街

049∇…  …奄美・大浜海岸   

5日の昼前に小宝島に着く「フェリーとしま」で帰還。  しばらく島にとどまるつもりが奄美大島を経由して鹿児島に舞い戻った。

心ならずも迷走した。  普段にない連れがあって、途中で弱気になったりして能率の悪い動きをする始末になった。



連れというのは生後10ヵ月の乳児と、その母親。   個人の事情を申せば、娘と孫を連れていた。


前からわかっていたことだが、今月後半は「としま」が定期点検のためドック入りする。  三島村の「フェリー みしま」が代船をつとめてくれるけれども、三島航路と十島航路は海が違う。

長い長い道のりに慣れていないということだけではなく、「みしま」は七島灘を乗り切る設計にはなっていない。   ドック入り期間中週2回から1回になる運航も、時化になると延期、欠航になる。 トカラの島々の孤立感はいっそう深まる。


乳児はぜんそく気味で、自然の空気を吸わせたいというのが母親の願望だった。 

ただし、トカラ列島、とりわけ小宝島では保養療養と生命の保証は両立しない。  このことをあまり考えずに島に連れて行き、海の空気をいっぱい吸わせて喜んでいるうちに、だんだんと不安になった。 


万が一のことは滅多にないから万が一なのだが、考え出すとやはり最悪の事態を想像してしまう。 爺だって去年のドック入りのときは鹿児島に避難した。 今年に限って脳梗塞、脳出血、心筋梗塞を起こさないという保証はない。



孫を口実に、「としま」が最後に奄美に下る便に乗った。 

奄美では3泊した。 爺娘孫三代がそれぞれに良い経験をしたと思っている。
 

ゼロ歳児の記憶はほどなく消えてしまうだろう。 しかし、トカラの海の空気を吸い、奄美の人たちの善意と歌に包まれた体験は意識の深いところで息づいていくのかもしれない。


27歳のときに初めて沖縄に渡った。 パスポートの要る時代だった。 米兵は殺気立っていて傍若無人の振る舞いをしていた。

夕まずめの繁華街には路上に「歌舞伎」の舞台が組まれていた。 そこで聴いた沖縄民謡の響きは忘れられない。 

初めて聴くのになつかしい。 

故郷に帰った、あるいは本当の故郷を見つけたような思いがあった。



実は18歳まで生れ在所を動いていない。 薩摩半島の西海岸の漁師町で、ハンヤ節やさのさは幼いころからなじんでいた。 

沖縄の歌と、聞きなれた故郷の歌とはリズムが同じである。 が、そのリズムが沖縄の音階で歌われたとき、血がさわいだ。
 

先祖に奄美・琉球の人がいたという話は聞いたことがない。 いても、いなくても一緒。 琉球も奄美も薩摩もない、同じ海の民である。 必ずどこかでつながっている。



ご先祖は畿内・太宰府からも鎌倉からも関東からも離れたところで、海を向いて生きてきた。 この先、まともに生きていけるか分からない乳児も、ご先祖が生きてきたように気ままに正直に暮らしていけたらと思う。 





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古都探訪

大阪に病気見舞いに行って、元気を装う病人のすすめにうかうかと乗り、病人は女将に任せきりにして、あたり一帯を遊山した。 ほとんどが初めての街。 

いずれも東京京都にくらべれば田舎。 しかし、日本人の心持ちの良質な部分は地域性・ローカリティによって支えられてきたのでは…とあらためて思う。 権威権力に媚び諂わなくても人は正直に元気に生きて行くことができる。

大阪のホテルのテレビで天童よしみが「負けたらアカン、負けたらアカンで東京に」と歌っていた。 この歌に込められた思いが、東京を出、南の島を出て初めてわかる気になった。

  



080.jpg 067∇… 078∇…∇…
姫路は若いころ通り過ぎたことがあるが、印象に残るものはなかった。 今度は2泊して当地の空気を吸った。 

城は思いのほか大きく、堅固なつくりだった。 修復工事中で、天守閣を見下ろす視角で瓦屋根を見ることができた。 甲冑の居並んだ部屋があって、威容に言葉を失う。   





124∇…   金沢は雨だった。 城も町のたたずまいも見ない。 21世紀美術館の車椅子に乗って、現代美術の迷路をさまよう。


142.jpg   富山の城壁の内側につくられた天守閣の中は歴史博物館になっている。 係の人の好意に甘えて車椅子を押してもらう。 押してくれた人は、秀吉の薩摩攻めに加わった将兵の末裔なのか、一向宗徒の末裔なのか?




 377.jpg   大阪城。



……知らない街を訪ねたら、まず高いところに登って街のたたずまいを俯瞰するのが若いころからの旅の手法。 
城に特段の興味があるわけではないが、図らずも天守閣を見下ろしてまわることになった。

鳥の目から虫の目になって地上を這いまわると、今回訪ねた土地の人たちはみんな穏やで柔らかさのようなものをもっていた。 福井は雨に降りこめられて駅周辺の人としか接していないが、心に残る街だった。 この街を筆頭に北陸一帯はもう一度訪ねなければならない。

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