じじらぎ

  

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冬の神々

DSC05321 (1024x768) DSC05491 (640x465)  12月(旧暦11月) は神々の季節。  小宝神社(十柱神社) では10日権現の日のお参りがあった後、19日には霜月祭りがあった。 


権現さまには特別な思いがあって、小宝神社(十柱神社) に行く代わりに、昔から権現さまのおわします所とされる窪地に水と花を供えに行く。  花はノジギクとテンニンギク、水は海水をイオン交換で淡水化した高コストの飲み水。


左の写真の一部壊れた鳥居越しに見えるる石碑は「ごんげん」 の場所を示す案内。  この裏の深く落ち込んだ窪地に「権現堂之跡」 というやや古い石碑がもう一つあって、本尊を示す形のあるものは見当たらない。 


権現さまは十柱の一つとして小宝神社の方に移られたという考え方かもしれない。 しかし、もともと形はなかったのでは…と推測している。 

それはそれで、特段の不都合はない。 島に来た当座から神域として畏れ、節目にお参りする流儀をたった独りで守っている。

なんとしても、権現さまの有り難いところは近いこと。 湯泊の露天に行く道の右側にありパパラギの門を出て80数歩。 庭先の氏神さまのような気分で気安く接している。




霜月祭りは来る年の家内安全と豊穣を祈る祭礼で、最後に「お百度参り」 をする。 略式で済ませるための計算式があって今年は13回境内を回ることになった。 

自分も加わるべきだが、かなり歩けるようになったとはいえ歩調が合わせられない。 途中で休むわけにいかない。 やっぱり遠慮して見物に回る。 婆さんたちもご同様で、参列者9人のうち、代表でお百度を踏んだのは4人だけだった。





DSC05489 (640x480)   師走も残りがなくなったが、神々には伺いたいことがいろいろある。 このところの島の変わりようが気になっていて、良くない方向でなければいいが…と気をもむ。


人は減っていく。 年をとって抜けていく分は止めようがない。 若い者が新たに来てくれないという現実については役所もあれこれ思案しているようだが、盲点もある。 若い者は工夫次第で一時的にでも来てくれるかもしれないが、亡くなった爺婆の補充はきかない。

それがどうした…と言われるかも知れない。 ただ、それに伴うコミュニティの空気の変化について、もっと関心が払われてもいいのかもしれない。 島の民情は恣意的に変わる。 数百年数千年の時をへて安定した自然の形状まで、思いもしない変わり方をする。 

 
爺婆がいなくなると分からないことが増える。 小宝島のような記録をとる習慣のない島では忘れられてしまったものが年を追うごとに増える。 忘れられるだけならいいが、下手をすると事実が歪曲される。




半端な年齢のよそ者の爺が嘆いてみてもどうにもならない。 埋め合わせにはならないけれども、せめてもの気休めに、この1年、気づいたことの断片を権現さまに報告しておく。

【気象】 荒かった。 台風の直撃はまぬかれたものの休む間もなく塩風に襲われ、裏の野菜、庭のパパイヤに被害が出た。 去年もほぼ同じ状況だった。 村の観測では気温、気圧とも小宝島が七島でいちばん高く、湿度はいちばん低い。 この傾向はことしも変わらない。 

【火山脈】 湯泊温泉の泉質は良好。 湧出量の変化は確認できない。 もう少しほしいところ。 はしけ作業をしたスロープの右手にある「ネブリの湯」 は温泉センターに引き込むほどの湧出がなかった。 「マショの湯」 は上中下3つの湯ぶねのうち上槽の湯量が減り、このあおりで中槽も冷えて使えなくなった。 最下槽は冷水のまま。 
 隣の村営住宅の敷地から噴気が出た。

【鳥獣虫魚】 5,6月に庭や道に這いだすトカラウナギ(トカラウミヘビ) の子をほとんど見なかった。 ハブは去年1匹も視認しなかったので、要所では注意して観察したつもりだが、今年も死骸を見ただけ。 しかし、減ったという声はなく、小さなハブにかまれた事例が3件あったという。 

 害虫類はすくなく、カナブンの大発生もなかった。 カナブンは体育館の街頭に集中したという話もあった。
 アルゼンチンアリが3年前から這いまわるようになった。 南の集落では以前からいたというコバエ(ショウジョウバエ) は去年からパパラギでも飛び回るようになった。 今年は去年ほどひどくない。
 
 アマサギは群れの飛来を確認するが、島に逗留する事例はほとんどない。 ツバメ、渡りのカラスも例年より少なめ。 メジロ、ヒヨドリは結構な数が飛ぶ。 多いのか少ないのか分からない。 希少種の飛来は目につかない。 1羽単位の迷鳥は結構いて、きょうはチュウサギがパパラギの前庭に舞い降りていた。 

【植物】 牧草地の造成、体育館建設に伴う道路工事などで植生の変化があった。 テンニンギクの群落が激減、代わりに温泉センター以北では少なかったシロノセンダングサ(方言名・ヘンボングサ) などの進出が目立つ。 
 テンニンギクについては島民有志が発電所周辺などに植栽したという人がいる。 今は「牛のえさにならない」 として有害植物扱いする声もあるが、実際にはシロノセンダングサなどの雑草の勢力にかなわない。
 小宝島で圧倒的な勢力をもち、駆除が厄介なのは竹、クサギ、カラムシ。 さらにカタバミ、コウライシバ、ヨモギ…。 このいずれよりもテンニンギクは弱く、除去に手間はかからない、というよりパパラギの庭では増やすのに苦労している。 小宝では環境庁が侵略外来種ワースト100に指定しているオオキンケイギクも他の雑草より弱い。


………写真は、パパラギの前の小路に進出したシロノセンダングサ。 一帯はテンニンギク、レインリリー、スイゼンジ菜などを植栽したが、なかなか根付かない。 遠景の白い花はガザニア。 これは繁殖力が強く、シロノセンダングサの侵略に必死で耐えている気配。









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村営船 入港

DSC05473 (1024x768)   19日0759時、小宝港。 16日2300時に鹿児島を出港した村営船「フェリーとしま」 が3日後の朝1時間遅れ(運航ダイヤからは25時間遅れ) で入港した。 悪戦苦闘の航海。 

名瀬に2日間避航碇泊した村営船は小宝を出た後も荒波にはばまれて遅れに遅れた。 鹿児島港帰着は午後6時50分の定時を大きく逸脱し、2300時。 港を一つとばしながら丸3日間かかった計算。


こんな難儀な定期航路は我が国はもちろん世界にもないに違いない。 もしあるのなら教えてほしい。
 


DSC05379 (1024x768) (1024x768)   2日前の17日1200時。 小宝港はうねりが堤防を洗い、下り便は抜港した。 

船と陸では「着けたい」「やめて!」 という押し問答もあったと聞く。 船の上からは港内の荒れようを直接見ることは出来ない。

皆殺し記念日、あるいは売国の日

IMG_2628.jpg IMG_2620 (1024x683)    12月の日の出。 左は7日07時36分、右は6日07時06分、いずれもパパラギ食堂から。




あっという間に師走になって、きょうは7日。 

真珠湾攻撃の日…。 ここまでは誰でも思いつくだろうが、現代の日本を考えるうえで、もう一つ忘れてはならない日である。

ナントカの日とか、××記念日とかいう言い方はされない、屈辱の日、売国の日。 今に続く政治の虚妄、戦後の日本人の卑屈さ、情けなさを象徴する出来事が、この日あった。


1964(昭和39) 年12月7日、航空自衛隊の入間基地で勲一等旭日大綬章がある人物に授与された。

勲一等を受けたのはカーチス・エマーソン・ルメイというアメリカの軍人。 米国空軍の大将である。 功績は“航空自衛隊の育成に協力があった” ということらしい。 


航空戦力は破壊の効率性に優れ、防衛よりも奇襲や報復に向いている。 

それを平和憲法下の日本、専守防衛を至上課題とする日本で“育成” する。
 
一筋縄ではいかない難題である。  独創的な思想と戦略、それを紡ぎだすことのできる天才的な頭脳が求められる。

 

はたして、ルメイなる人物には「専守防衛」 という難題に取り組める能力があったのだろうか。 戦中の日本の状況をいささかでも知っている者は、暗澹たる思いにならざるを得ない。

実は、太平洋戦争中からルメイ少将(当時) は日本でも知られていた。 マッカーサーほどではないが、知名度は抜群。 

「鬼畜ルメイ」「皆殺しルメイ」 と呼ばれていた敵国の軍人と同一人物である。 

一夜にして十万人以上の命が奪われた3.10東京空襲を指揮し、終戦間際の原爆投下を断行し、数十万の非戦闘員を虐殺した。 


ルメイは猛訓練と果敢かつ常識はずれの戦術で爆撃精度をあげた。 これが評価され、米空軍内では破格の出世をする。 

空襲、米側からいえば日本列島の都市爆撃、でも持ち前の爆撃精度の高さで「戦果」 をあげた。 8,500~9,500㍍の高度でB29の乗員の安全を確保しながら軍事目標を爆撃する従来の戦術をルメイは変更した。 1,500~3,000㍍まで高度を下げて精度の高い爆撃に挑む。

目標は軍事施設ではなく無差別。 

爆撃精度の高さは無辜の市民の虐殺に最大限の効果をもたらすことになった。 東京大空襲では一通りの爆撃がなされたあと避難する市民の退路を断つために風下に油がまかれた…という証言がある。

まさに「皆殺しルメイ」。


この人物を戦後19年、航空自衛隊創設10周年にあたり、日本政府は顕彰した。 当時の佐藤栄作首相は、大国の民たるものはいつまでも過去にとらわれず「今後の関係、功績を考えて処置していくべき」 と語ったとか。

嗜虐もここに極まれり、すさまじい倒錯である。 


沖縄をいけにえにしてアメリカへの隷属状態を固定化し、ウソ瞞着を糊塗して騙し取ったノーベル平和賞を返還しない元首相の甥っ子がいま日本の首相をしている。 

羞恥心、知性、とりわけ歴史観は乳幼児以下、大伯父も真っ青になりそうな蛮勇をふるって売国に余念がない。


お揃い…テロ

島を長いこと空けてブログの書き込みもサボった。 何をしてもおわび” の代わりにはならないが、列島徘徊のときの見聞の報告とおしゃべり。   
 


IMG_2324 (800x532)    10月28日0811時、大阪ビジネスパークの地下鉄駅から地上に吐き出される人の衣装は黒ずくめだった。 朝の歩道の乾いた敷石のうえを音もなく移動する黒い隊列。

号令の声はない。 沈黙の分列行進。

それぞれ別の仕事場に向かっているはずだが、不本意ながらも、みんな同じところに行き着くようにも見える。





IMG_2441 (674x402)    文化の日の11月3日1631時、鹿児島市いづろ通り。 おはら祭りの踊り連の一つ。 子どもたちが揃いの服で踊っていた。


県外から団体で乗り込んでくる子どもの踊り連も多いとか。 

テレビでも少女が団体で踊り、それを見て大人が喜ぶ。 これが今、21世紀初めの日本の文化状況!?


うかうかと戦争中に生まれた世代の爺は、未成年まで巻き込んだ扮装や振りの統制を、面白いと思うことができない。 みんなが同じ格好をして張り切ったり、頑張ったりするときは、何か大事なものが失われていく時なのではないか…。 そんなことを思って鬱になる。


今、喪失のとき。 国会では、外国と特権集団の恣意に日本の未来を委ね、70年近く続いた平和をおしまいにする画策が進められている。 

特定秘密情報保護法はかつての治安維持法と同じ。 狂気の沙汰だが、そう思わない人も多い“振り付け社会”。 この程度の生ぬるいおしゃべりも「テロ」 扱いされ、封殺される時代が、程なくやってくる。 



帰還

2日、鹿児島港を出る村営船「フェリー としま」に乗った。 久しぶりの帰還。

11月はほとんど島におらず、大阪から戻ると息をつく間もなく奄美大島に下り、空路鹿児島に移った。 鹿児島では、のんびりしすぎた。 「育爺ィ」に残り少ない時間をとられたりした。 


孫の守などという恥っかき行為は想定外のことで、不覚であり、無念であった。 反省の念があってしかるべきではないか・・・とおもうべきだろうか?


島には島を出た時と同じ海と空があった。 日の出の位置は南に動き、権現様の道ではノジギクの蕾がはじけていた。

IMG_2573 (1024x710)   3日0704時、中の島から平島に向かう船上

IMG_2584.jpg   5日0942時、パパラギから湯泊温泉に向かう路上
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