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観光の夢と嘘…民宿って何だろう? の1部書き直し

民宿は法律上、旅館業ということになっている。不特定多数の旅行者に寝る場所と食事を提供する点では都市部や観光地などにある旅館・ホテルと変わらない。それでも、どこか趣を異にしているところがある。

成り立ちから言えば、土地々々で農業や漁業などの生業を営みながら、空いた部屋を旅行者に提供したのが始まりらしい。事業として体裁をととのえているはずの旅館・ホテルよりも宿料が安いというのが一般的な通念。

トカラ七島(鹿児島県鹿児島郡十島村) の宿20余軒はいずれも「民宿」という呼称でひっくるめられている。島ではボランティアの「民泊」、村営宿泊所の時期があった。それが旅人宿としての構えになった。本土の旅館・ホテルのように、いわゆる「心のこもったおもてなし」(!?) を付加価値として宿賃に上乗せようとする意識は薄いようにみえる。

うち中之島の1軒は「旅館」と称している。ほかの「民宿」と宿賃に大きな差をつけるようになったとは聞いていないので、それなりの心構えを示したのではないか…と考えている。宿賃が安いことこそ実のある「おもてなし」かもしれない。

中之島にもう1軒、今年から宿料を1万円余にあげたところがあると聞いた。ここも宿に直接確認したわけではないが、事業としての意識が他の「民宿」より明確なのだろう。鹿児島県が出している宿の紹介には資料を出さず、自前のホームページをもっている。

七島の宿の宿料は、1泊3食7000円前後と思っていて差支えない。県のホームページでは6000円から…と表示しているところもあるが、相部屋を想定した最低料金ではないかと推測している。

部分的に耳に入る情報では、今まで6500円でやってきたところが7000円になっている事例もあるし、7500円に値上げしたところもある。村のホームページでは宿料は表示せず、直接問い合わせろ…という形。横着なようだが、この方が良いかもしれない。

1泊3食になっているのは昼食まで押し売りしている訳ではない。どの島でも食堂や居酒屋の類はない。商店があっても扱っている商品は限られており、時間営業。保存のきく好みの食糧を持ち込まない限り、客に胃袋を自主管理する自由はない。

この辺の事情を考えると、宿代1万円でも高くはないだろう。宿代7000円で、客に最低限の便宜を提供しようとすれば赤字になる。村の基幹産業の3本柱のうち2つは畜産と漁業だが、牛は鹿児島市場に船便で出荷し、肉類は鹿児島市内の商店や生協に注文して船で運んでもらう。七島灘では船を出せる日が少なく、漁獲は不安定。

本土の民宿の強みは、食材を流通機構を通さずに低コストで確保できることだが、島で漁業を兼業している民宿は少ない。大量仕入れで、コスト削減をはかるのも難しい。潮風にさらされて、施設、機器類の劣化は早い。冷暖房の室外機の類は手入れを怠れば3年、貴重な淡水でマメに洗っても、せいぜい7,8年の寿命。

村の基幹産業3本柱のもう1つは「観光」という。しかし、村内の民宿は観光事業として認知されているのかどうか? 産業としてなりたっているかどうかも疑わしいところがある。さらに民宿経営の内側に視点をおくと、もう1つ疑念がわく。

村は「観光」をただのうたい文句にして、真面目に考えていないのではないか? 特段の支援を望んでいるわけではない。せめて実態を知ってほしい。民草が働く姿が見えまいまま杓子定規の扱いをしてしまうと、結果的には侮蔑や邪魔だてと受け取られても仕方のない様相を帯びてくることがある。

私が投宿している小宝島の「パパラギ」の創業者は民宿が産業としてなりたちにくいことを承知していた趣がある。14年前に6畳の和室3室を建て、2階には広い調理場と食堂を造った。当初の宿賃は8000円。ほかの民宿は6000円が相場だった。

客が来る来ないということより、施設をつくることが念頭にあったようだ。図書室をつくり、いい加減な公立図書館をしのぐ蔵書と、大きな借金を残して1年後に亡くなった。今となっては本人に確かめる術(すべ) はないが、宿を情報機能をもった文化施設にする意図があったらしい。

小宝島にも文化・情報機能をもった施設として村営住民センターが出来た。が、ここには人が常駐しない。今なお、生きた文化施設は唯一、分校である。

創業者夫婦は小学校の教師をしていた。分校が閉鎖したときの悲しさ、淋しさ、その後に分校を再開にこぎつけるまでの大変な苦労を知っている。

生前の創業者とは離島の教育と暮らしぶりについて語ることは何度かあったが、「島おこし」などという大仰な物言いを聞いたことはない。事業をおこすということより、孤立した島の侘しさをいくらかでも癒す条件をととのえたかったのではないか? 僻遠の地が必ずしも文化果つる地である必要はない。

創業者の死後、「パパラギ」 は長い間空き家になっていた。昨年4月に再開、女将は民宿を建てるときに猛反対したという未亡人である。

何のために宿をやるのか、本人もまだ分からない風である。操業以前から行き掛かりでやっていた「民泊」 の気分を曖昧なままひきずっている観もある。

創業者の精神を漠然と継ぎ、 客が来なければそれでもいいという構え。客がいないとたしかに寂しいけれども、客が来れば来たで、いろいろと気を使う。客は2人くらいがちょうどいい、3人泊まって3室が埋まると、収支上は具合が良いが、疲れる…。

どうにも見ていられないので、ボランティア三助の分際で値上げを提案した。かくて、ことしから創業当時の8000円に戻すことになった。更新した冷暖房機器や調理場の設備などの費用の一部でも回収できたらという程度のことで、どんぶり勘定。赤字の構造自体は変わらない。

島外で暮らしている女将の親族たちの意見を聞いたところ1万円という金額を示したという。そうすれば客がいっそう少なくなって彼女の心も体も休まるというのである。これも一理あるが、実際には1万円を超す経費と労力を費やす顛末になるのは目に見えている。

それでも民宿をやるのはどうしてだろう…というのは長い間の疑問であった。ようやく一つの答えを思いついた。どうやら、島と島の暮らしを自慢したいためにやっている。営業目的が自慢ならば収支はどうでもいい道理である。

そう考えると、料理をガツガツ食って一言も声を発しない客、島を見下したような言動をする客に遭遇すると、とたんに不機嫌になるのもよく理解できる。

間に立つ三助見習いとしては余計な気をもむことになる。しかし、基本的には我儘宿の我儘女将に賛同している。「あの客が今度予約を入れてきたら断る」という女将の意見に異を唱えたことは一度もない。

三助だって、島に観光に来て島を見ない客、島に暮らす人間の苦労をわかろうとしない客の顔は見たくない。辺地の民宿だから宿代が安くて当然、宿賃さえ払えば客だ…といった心得なら島に来てもらわなくていいと本気で思っている。

7月の皆既日食では「基幹産業」の実情を知ろうとしない村当局と、それを存分に承知しいるために島の民宿と一切接触してこなかった旅行代理店が結託した。宿賃は普段の倍請求してもいいから協力してくれという。

この話が持ちかけられたとき、女将は即座に断った。30数万円もの旅行代金を払って来る客の面倒は見切れない…という。1旅行会社が村営フェリー「としま」を押さえて、客が来られないなら期間中休業の覚悟である。

我儘の筋を通して村にたてつく格好になった。どちらの我儘がよりタチがよくないかは、このブログを読む人それぞれの判断に任せる。 とにかく今は、「世紀の宇宙ショー」を島まで見にきた人たちの間で、島の悪い印象が語り継がれることにならないか心配している。
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