じじらぎ

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役場方言

十島村防災無線の拡声器は耳障りなことがある。

なんとしても音量が大き過ぎる。 聞かされる方では音量の調節はできない。 逃げ場はない。


拡声器は先方の都合で不意におらびたてる。

始まると対面の会話はもちろん、電話の通話も中断させられる。 電話してきた相手に 詫びを言って、かけ直す始末。


放送のなかには要らない情報も多い。 自分みたいなケチん坊にしつこく寄付の督促をするなどというのは、時間と労力の無駄であろう。


もっとも、放送は録音を再生しているらしい。 放送する側は無駄も迷惑も自覚しにくい環境。 人としての最小限のイマジネーション(想像力) をかなぐり捨てれば、臆面なく繰り返すことのできる仕組み。




時には人としての生き方、暮らし方についてのお説教が始まることがある。

刻限からおして、とうに退庁して自宅でくつろいでいるかも知れない人たちによるお説教。 それを録音再生で長々と聞かされる。


やっと終わったかと思うと、「繰り返します」 とくる。

何の罰だろうか?  いまの世だけでなく前世でも、よほどの悪行をしてきた報いなのか?


ジョージ・オーウェルの小説「1984年」 を思い出させる。 姿を見せない支配者による凄まじい全体主義の世界。




これに慣らされると、日本語の言語感覚もおかしくなってくる。 村役場方言とでも言えばいいのか、独特の言いまわしがまかり通る。


その一つが「留意」。

「台風は●●時ごろ最接近します。 十分にご留意ください」 といった使い方がされる。


「ご留意」 は去年ごろ出現した。 今では横行ばっこして台風がちかづくと、日に何回も「ご留意」を迫られる。



日本語の常識では生命、財産が危機にさらされる事態に際しては「注意」「用心」「警戒」 などの表現で気構えを促す。 「留意」 という日常的な心配りを求める程度の呑気な言い方はしない。 これではそぐわない、と言うより聞く人を小馬鹿にしているように響く。

……私はそう思っている。 間違いだろうか?



これが1年の余も訂正されずに毎日のように繰り返されるのは、おそらく村役場独自の表現として容認される雰囲気があるのだろう。 いわば「村役場方言」。



十島村役場は十島村内にない。 島々から遠く離れた鹿児島市内にあり、村の職員は鹿児島市や姶良市などの自宅から列車や車で通勤する。 

台風が島に近づいても実感がないのかもしれない。 いわば海の果てで起きている他人事。


ならば「留意」 は日本語として、そう間違った使い方ではない。 むしろ、本心とのブレがない、しっくりした表現!



しかり。 これが現実。

実際には、十島村の村民は、手をつくして必死に台風情報を集めている。 村ご自慢の「結ネット」 が通じなくても、それなりに知恵を絞る。


せっかく村民に拡声器で伝えるなら「留意」 などという呑気な気構えでなく、島民の気持ちを汲んだ、より高度で詳細な情報がほしい。

気に障る言い方をしたかもしれないが、いささかでも留意してもらえたら有難い。

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COMMENT
補足
長々と嫌みな書き込みをした爺ィの補足です。

最後のくだりで、はからずも「留意」 を願いする始末になった。 そこで思いあたったことがある。


「注意」 だと押し付けがましいのでは…と思う気持ちが働いて「留意」
に置き換えたのではないか? な らば同情の余地がないこともない。

ただし、その場合でも、「ご留意」 を「ご注意」 に言い変えてすむ問題ではない。

もともとが余計なお世話。 こんな時は、必要な情報だけを要約して伝えればいい。 おざなりな挨拶やお説教は要らない。

止む気配を見せない強風、暴風にさらされ憔悴仕切っている村民に、あらためて災害時の心得を説いても意味はない。


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