じじらぎ

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最後の航海

∇…053 船長さん最後のおつとめの仕事現場に押し掛けた。海はそこそこに荒れているのに艦橋にそれほどの緊張感はなく、むしろ静穏なたたずまい。

船長(写真の左端) は略装で、船は次席船長が動かしていた。舵をとっていたのは、どこかの街道で暴走行為をして顰蹙をかっていてもおかしくないような年代の青年。どこか少年の面影さえ残している。

二等航海士なのか、次席二等航海士なのか? ひょっとしたら、見習いをはじめたばかりの三席二等航海士?  「みんなしっかりしている。私のすることはない」と船長。

外国航路に乗っていて、七島航路の船長は昭和60年(1985)からという。「第三としま丸」のころである。いまのフェリー「としま」には設計の段階からかかわった。

艦橋には先客があった。船の設計を手掛けたT博士で、最後の航海というのを聞いて駆けつけ、名瀬港まで同行することになった。違う立場ながら七島灘の荒波に一緒に立ち向かった、いわば戦友。

フェリーとしまの性能は、日本沿海最悪の航路、および港の条件の厳しさによってつくられた。設計の段階で博士とは何度も喧嘩をしたという。「日本一の船」は設計者と船長の合作だった。

それでも、港の前まで来て通り過ぎないとならないことがある。誰が言い出したのか「抜港」という。「なにが悲しいといっても、島の人が待っているのに港に寄れないことがいちばん」。

定年後、あちこちから誘いもあるらしいが、「今しばらく、ほかの船に乗る気にはならない」。「『としま』のことは、一日や二日では語りつくせない」とも。いずれ、じっくりおうかがいしたい。


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技術屋でなくても・・・
「最後」と聞くと「走馬灯」でしょうか。
職種に関係なく、まっすぐにがんばったなら、
最後は「万感の思い」
言葉に出来ない・・・・
「万感」
なんでしょうね。
河童
こんにちわぁ~^^
船長さんもジジさんもお疲れ様でした^^
いいたびになったみたいですごくよかった^^
長い間としまに乗って宝こそ当分は。。。。
って気持ちなんとなくですがわかります^^
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