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“最後の航海”上り便

∇…047 村営フェリー「としま」は悪天候のため出港を見合わせ、名瀬と宝島に停泊した。23日の上り便は一日遅れ。この便が船長の最後の最後の航海。夜、鹿児島の港に入り、船長は任務を解かれる。



∇…∇…050 往路、略装だった船長は、黒い制服で小宝港の岸壁に降りてきた。岸壁には綱とり作業の男手をはじめ老若男女30人ほどが集まり、別れを惜しんだ。

子どもたちは船長と並んで記念撮影、年配の島人たちは船長の手を取って別れの挨拶をした。いちばん年かさのお婆さん2人はハンカチで目頭をおさえる。

子どもたちは屈託がない。誇らしげに船長の横で直立不動の姿勢をとったり、Ⅴサインのポーズをしたりして記念撮影したが、昔のはしけ作業を知っている人たちは、船と船長には語りつくせない思いがある。

小宝港に「としま」が初めて接岸したのは1990年(平成2年) 4月のこと。それまでは湯泊の入り江からはしけを出した。日本最後のはしけ通船作業といわれた。

はしけ通船が楽だったから最後まで残ったのではない。湯泊と小島の間には珊瑚礁の複雑な海底地形を縫って速い流れがある。すり抜けるのにも並はずれた技術が必要だが、「としま」はここに停泊して人と荷物の積み降ろしをした。

風のない日でも波はたえず動く。本船とはしけでは揺れ方が違う。慣れた人なら間合いを読んでポーンと飛び移るが、荷物は自分で動かない。牛は海を泳がせて起重機で積み下ろしした。

宿の女将の話によると、この水路に「としま」が半日もの停泊を敢行したことがある。日照り続きで島の貯水槽がことごとく干上がったため、積んできた水を降ろしたのである。次の寄港地・宝島からはさすがに苦情がきたという。

風向きが悪いと湯泊の反対側、横瀬海岸の沖合に停泊した。ここにははしけが接岸できる大きさの入り江がない。「としま」本船に積み込んである小さなボートを出した。裏側の湯泊まで回るわけにはいかない。

横瀬海岸は波打ち際まで珊瑚礁原が広がる。のこぎりの刃のようにとがった珊瑚礁の起伏が延々と続き、道はない。四つん這いになりたいところもあるが、手袋をしないまま不用意に手をつくとケガをする。

リヤカーはもちろん一輪車も使えないから、燃料のボンベなども担いで運んだ。横瀬にしか着けない…と聞くと、それだけで腰が抜ける思いだった。 腰を痛め、膝を悪くした島人の生き残りたちが今、船長の手を握って放そうとしない。

船長はずいぶん長い間、岸壁に降りていたように思った。それは勘違いで「としま」の接岸時間は10分余。普段よりも早くもやい綱を解き、次の悪石港に向かった。
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