じじらぎ

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5月の憂鬱

14年前の5月、中国を旅していた。日本軍が爆撃した重慶市の中心街をはなれ西寄りの大足(ダーズー) というところを歩いていたら、身なりの良いお婆さんのふたり連れに出遭った。

ふたりとも杖をつき、足どりがたよりない。よく見ると足が異常に小さかった。清の時代に纏足(てんそく) という習俗があったのを思い出した。 大足で出遭った小足。

自分も小足で、小足のくせにあちこちで靴をはきつぶした。米国で買い替えようとしたら合う靴が一足もない。 靴屋をはしごした揚句、お子さま向けの店に行きなさい、と言われた。

大足が当たり前のアメリカで、ビッグ・フットという通り名の人がいた。ミネコンジュー ・スー部族のシハ・タンカ酋長。 

この人が雪の中で膝を折ったまま絶命している写真は本などで何度も見た。 自分にとって、アメリカの原風景の一つ。

1890年12月、サウスダコタ州で露営中の部族を第七騎兵隊が奇襲し、150人余を皆殺しにした。いわゆるウンデッド・ニーの虐殺。

無抵抗のまま多くの子ども、女、傷病者が殺された。 オグララ・スーの戦士、シッティング・ブルの配下をかくまっていると疑われたためとも言われるが、真相は不明。

分からないことを分からないままにして、無差別の人殺しは今も続く。イラク・ボディ・カウント(死亡者集計) というサイトを久しぶりに覗いたら、91,912~100,339という数字になっていた。

高めの見積もりの方をとれば民間人犠牲者はついに10万人。この数字は新聞、テレビ・ラジオなどの報道を集計した。墓掘り人からの聞き取りなどを積み重ねた命がけの実地調査では、この倍では済まないらしい。

よそのことで、面白くない話ばかりすると言われても困るので、話を身近なところに移して、やっぱりうっとうしい話をし直す。

おおざっぱな言い方ながら、東京で10万、広島で20万、長崎で7万、鹿児島市で3千…。 いずれも低めの数字だが、B29による空襲の死者である。

これを指揮したのは米空軍のカーティス・ルメイ少将(戦後、大将に昇進) だった。米国では「原爆投下で日本を救った人」という評価があるという。

日本では航空自衛隊建設の功労者!? これは出任せではない。1964(昭和39) 年の12月、真珠湾奇襲の日に、ルメイは航空自衛隊の入間基地(埼玉県) に招かれ、勲章を受けた。嘘のようなホントの話。

授与したのは小泉純也防衛庁長官。勲一等旭日大綬章。ほんらいは天皇が親授する最高の栄誉である。 当時の首相はのちの“ノーベル平和賞受賞者”佐藤栄作だった。

ついでながら、問題の防衛庁長官の息子が小泉純一郎元首相。父親の故郷・加世田に“里帰り”したことがある。その際、万世の特攻隊基地跡を訪ね、そこで感極まって涙を流したという。

小泉首相は、ブッシュがイラク爆撃を口走ったとき、真っ先に歓迎・支持を表明した。自国の利害にも人の道にも頓着しない親子2代にわたる忠義だて。こんな手合いを昔は売国奴と呼んだ。

それにしても、特攻基地をとびたって死地におもむいた若者たちの心と響き合うところが、どこにあったんだろう? 同年、同郷(!?) というこの人物、何度思いだしても不可解、不愉快である。

うっとうしい話を重ねた。14年前の5月、私が中国を歩いている間に亡くなった人とは、この手の話を始めたばかりだった。気安くするまで相応の時間をかけ、これから本当の付き合いが始まると思っていた。
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COMMENT
アメリカは欲望の塊

肉にしゃぶりつくけだものの様な怖さがありますよね。

イラク爆撃支持はほとんどの日本人が

アメリカ産の情報に踊らされました。

僕もその一人。

今は後悔してます。

分からないことを分かった気になって,しばらくすると本当に分かっていたかのような錯覚におちいる。分からないことを分からないままに生きることは大事ですね。

と思う私も5月の憂鬱か。ま,ブルース好きの私は憂う毎日が当たり前ですか。
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