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空襲

原子爆弾の被爆だけでなく、空襲の被爆体験も忘れてはいけないと思っている。

古い話ながら学生のころは、高校教師になって若い世代に歴史を教えたいと思っていた。最現代、きょうの歴史から古い時代にさかのぼる。

伝えることの柱のひとつは戦争。 支配構造の変遷とか、社会経済史的な要因とか、そんなむずかしい話でなく、人がどんな気持ちで、どんな武器をとったのか、病気や負傷をしたらどうしたのか、子供・女・老人はどうしたのか…。

その時、その時の戦争をそのまま見る。そうすれば時代が分かる、人間が見える…。 教壇に立つ夢はかなわなかったけれども、今でもそう思っている。

余計な前置きをした。伝えたかったのは、きょう6月17日が鹿児島市でいちばん大きな空襲があった日だということ。

東京大空襲に比べればケタが違う。 ローカルな話。自分とかかわりの深い土地だから、というだけの鹿児島の話。

当時の鹿児島市の人口は今の3分の1にもならない19万7千人余。そんなところが、前後8回にわたって空襲を受けた。

死者3,329人、傷者4,633人。3万9千戸近くあった家のうち、2万2千戸が焼けた。市街は焼け野原になった。

いちばん大きい空襲は1945年(昭和20年) 6月17日の夜あった。この日2千人を超す人が亡くなった。老若男女の別なく、当時の人口の200分の1が殺された。

空襲を指揮したルメイ少将のことは前に書いた。戦後の日本にできた航空自衛隊に戦略空爆の戦術を指導した功績とか(!?)で勲章を贈られた。

時の首相はノーベル平和賞受賞者・佐藤栄作。 きょう現代からさかのぼると、ほとんどの人が忘れてしまった歴史が浮かびあがってくる。

恩愛執着煩悩やみがたい祖国ニッポン! 来し方はアッサリ忘れられても、情けない現実が改められたわけではない。 改められないまま今がある。





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COMMENT
アメリカのため、そして自分の功績の為に
何十万人もの民間人の命を虫けらを殺すごとく
奪ったルメイ将軍。そんな男に、
昭和39年、時の総理佐藤首相は勲一等旭日大勲章をおくった。
紙と木でできた民家一軒一軒を武器工場とみなし
女、子供も容赦なしに殺戮した男に対して、
よくぞ勲章など贈ったものだと。
戦後日本人の多くが戦争犯罪人として処刑されたにもかかわらず、…。
民家を焼き払って何が悪いと言った男に対して、
勲章を贈り、ノーベル平和賞。
戦争は勝者が正義なのか…
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