じじらぎ

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長崎は雪だった

∇…003   久しぶりの日の出。湯泊♨一帯はあちこちで熱い噴気があがっていた。温泉もきっちり熱い。形だけの三助働きのあと朝一番の旦那気分。
さて、長崎の続き。

地上デジタルはないけれども、島でもアナログなら写る。きのう午前中はテレビにかじりついて長崎原爆関連の番組を見ていた。

おかげで小宝神社恒例の“旧暦6月の祭り” があったのを忘れていた。気がついたときは、あとの祭り。来年の今頃まで生きて島にいて、つじつまを合わせるほかない。


長崎の式典の方は予定通り、予想通り。 式だから形式を無視するわけにもいかないのだろうが、もう少し簡略化できないものか。 とにかく虚礼は無用である。


虚礼のとびきりは麻生首相の挨拶だった。心のこもらない空疎な言葉の羅列、ウソ瞞着の繰り返し…。選挙を意識したのかどうか、ダメ押しのおまけもあった。

手帳交付手続きの改善や新たな援護措置についての説明まであった。おそらく関係者は周知のこと。年寄りや病人を炎天下に控えさせて一国の首相がくどくど語ることではなかろう。


次に壇上に進み出たのは国連総会議長という人だった。この人は意味のある言葉をキチンと語った。前置きも“締め” もない、いきなり本論に入り、世界に向けて具体的な提案を示して話を終わった。

「これまで通り非核三原則を堅持」 と臆面もなく繰り返した日本の首相の発言を糾弾する意図はなかったはず。 しかし、前の愚劣な挨拶の“お詫びと訂正” を買って出たような内容でもあった。


「いつも通りという惰性を打ち破るべきです」 と言う。そして「不誠実で偽善的な詭弁」 はいらない と強調する。 

「抑止力」などというのは虚妄、「安定」 というのも互いに対する際限のない恐怖感に他ならない…。いつまでもウソをついていては破滅を招くというのである。


人が公の場で何事かを語るとき、言葉が意味と力を持つ場面に久々に遭遇した。




この議長の名前は忘れた。国籍も知らない。話の冒頭、参列者に深々と頭を下げたが、そのとき僧職にある者として長崎の人々にお詫びします…と言ったように聞こえた。

神父さんであろうとなかろうと、どうでもいいようなことかもしれない。ただ、長崎の風景には、たとえ平服でも神父さんが似合うような…。



個人的な話をすれば、27前に初めて長崎を訪ねたのは坊さんの顔を見物に行くのが目的だった。ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が来日し、東京、広島についで長崎でもミサをひらくということだった。


当日はすさまじい吹雪になった。法王の到着は何かの都合で何時間も遅れた。吹きさらしの広い会場のあちこちで倒れる人が続出し、救急車のサイレンの音がひっきりなしに響いた。

その時、法王がどんな文脈で「戦争は死です」 と語ったのかは忘れてしまった。ただ、寒かったことと、たまたま隣に居合わせた家族から受けた親切は忘れない。



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