じじらぎ

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終戦

▼…16.aug   14日湯泊の入り江に潜った。15日接岸港で星を見た。記録はとらなかった。

この3日ほど希薄な時が過ぎた。ダラダラと読み継いでいた本を終わり、版元から送ってきた新刊本をパラパラめくって放り出す。ほかは何もしない。

気がついたら終戦記念日もお盆も終わっていた。


∇…039


8月は自分にとって終戦の月、戦争の月だった。振り返ってみると、20歳代のときからの習慣。戦争について調べものをした。

なぜそんな習慣になったかという話になると、私的なことにわたり、長くなる。


実は、父親は戦地に行ったことがない。その分、余計な苦労をしたらしい。 酔うと、天皇(昭和天皇) と、ついでに西郷隆盛の悪口を言うことがあった。

伯父、叔父は3人戦死した。ほかに印象に残る遠縁のおじさんがいる。朝鮮総督府の警官をしていて、ボロボロの体で復員し、そのまま寝たきりになって亡くなった。

しゃべれないはずはないのに口をきかなかった。西南戦争の賊軍(西郷軍) の兵士だった曾祖父も敗走したのち家にこもり、口を閉ざしたという。

今はなくなった古い家の柱には刀傷があった。曾祖父が一度、泥酔するまで飲んで、挙句に刀を抜いたことがあると聞いた。



生を受けてのちの一番古い記憶は空襲である。どこまでも青い空のはるか上の方にB29が2機並んで飛んでいた。

それを美しいと思った。そう思ってしまったことが心の傷になっているが、サイレンの音を聞くのは今でも嫌である。



鹿児島市にいるときは8月15日の正午にサイレンが鳴らされるのを何度も聞いた。去年と今年は小宝島にいてサイレンの音をきかない。

嫌な音を聞かなくて済むからよさそうなものだが、これもまた落ち着かない。戦争に負けたのに小宝島だけが“勝ち組” になったしまったような…。

昔は鳴らしていたという。 いつから、どんな理由でサイレン吹鳴をしなくなったのかは女将にきいても知らない。

ついこの間まで当たり前だったことが、いつのまにか理由もなく変わってしまう。どうでもいいことと言ってしまえばそれまでだが、なんとも落ち着かない。脈絡もなく、島の小ささを思ってしまう。


【写真は接岸港から仰いだ星空。はくちょう座だけでなくもっと広い視野で星を写し込んだつもりだったが、ご覧の通りのお粗末。写したのは翌日の16日】
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COMMENT
Re: 星空はよく写っているよ!
ご無沙汰してます。奥様にもよろしく。

ずるずると島に居続けて、お盆にも帰らずじまいでした。一日たいしたこともしないまま過ぎることが多くなりました。身体を鍛えないと…と思うだけで実際にはズボラしていますが、腰の痛みはそれほどでもなくなったような気もします。

写真はもし使えるのであれば、いかようにでも。光栄の至りです。
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