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島流れ

ブログ開設の弁
 後期高齢者の烙印を押される年頃が刻々と迫る身で「女もすなる」ブログなどという手すさびが妙に気になりだした。これはあぶない。どこの誰ともわからない人たちに向けて顔が見えないままものを言う。やはりためらいが残る。

多少なりとも意味のある言葉を発するのは、恥をかさねてきた身にとっても「いみじき」振る舞いである。 …と言いながらも、腹ふくるる思いは日に日につのる。

 悶々としていたところに「そんなん簡単じゃん」と言ってくれる若者がいた。思い違いにあとで気づいたら訂正すればいい、「もとい!」などと怒鳴って居直らなくても素直に「ごめん」と言えばいい……という。

それで許してもらえる場があれば有り難い。国会や法廷などの神聖なところで偉い人たちがウソをついて平気な顔をしているのに比べれば罪は軽い。冥土のみやげに、せからしいカワズ合戦に身を投じてみるのも悪くないと考えてみた。

 ……前置きが長くなった。いま、鹿児島県鹿児島郡十島村の小宝島にいる。周囲4㌔、人口は40人そこそこ。トカラ列島の人が住む島ではいちばん小さい珊瑚礁の突起である。

友人知人は「命の洗濯だね。うらやましい」 と言ってくれるけれども、そんな簡単な言い方をされても困る。 垢と汚れは私の人格の主成分。垢を落とし、塵芥を洗い流すと何も残らない。洗濯不可の状況はみんな承知しているはずで、心にもないことを言ってくれる。

それに、島に身を置いたからといって心がきれいになるわけでもない。島暮らしにも、それなりの身過ぎ世過ぎがあって、生きている限り廃棄物を生じる。生ゴミがまた太る。自然も荒い。

でも、自然が荒いだけではないことを有り難いと思えるのは離島僻地ならではのことだろう。自然が厳しいからこそ、美しさも際立つ。

人が見ていようと見ていまいとお構いなしに、刻々と色を変える空と海。時におびえ、時に至福の思いに浸る。うかうかすると、それだけで日が暮れる。

 来年は皆既日蝕が見られると騒動している人たちがいるけど( 私も見てみたいとは思うけれども )、ここでは毎日、水平線から日が昇り、昇った太陽は律儀に海に沈む。そのあとに本物の暗い夜が来る。「皆既日蝕」は24時間周期で毎日起きている。普段に「日蝕」が起き、その見事さには息をのむ。

ダイアモンド・リングの類は一時の気の迷い。私もこれでひどい目にあった。だれがみても綺麗なもの、きれいごとの過ぎる出来事には毒がある。ひとり静かに時を紡ぐ暮らしを守りたいなら、係わり合いにならない方がいいのかもしれぬ。

 ……ここまで書いて草臥れた。飯も炊かねばならぬ。つれ合いのサン(柴犬の雑種、去勢ずみの雌犬) も散歩に誘っている。散歩道の紹介は次回からおいおいさせてください。

【題字の写真は小宝島の湯泊から望む小島の日の出。小島は無人島で小宝島に寄り添うような位置にある。形も小宝に似ていて模型を見るような感じも】
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