じじらぎ

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自給自足…ではなくて足だけ自前の、不足自足

前回「トカラって何だ!」 の続きのおしゃべりです。何だか分からない話。

トカラが正体不明である理由はいろいろある。支配構造が定まらない。地理的な区域も一定しない。それに住む人が少ない。


人が少ないということは意外に大きな意味をもつ。

縄文時代には人ひとりが住み、生活の糧を得た空間は今よりべらぼうに広かったらしい。Ⅰ平方㌔のところに1人が住むぐらいの人口密度だったという人もいる。


となれば、珊瑚礁原を含めて1平方㌔の広さの小宝島で縄文時代並みの自給自足の生活をするとすれば、人口の適正規模はひとり。 たった、ひとり!

今は住民56人。それに無登録無認可無免許住民の爺を含めると57人。超過密である。


暇にまかせて学者の真似ごとをして「人口ストレス」 という言葉をでっちあげた。 つまるところは、以下の状況で、都市部でも現実にありうる話である。

…たとえば、定年間際の夫婦が3DKの家に住んでいるとする。 パラサイトのニート息子も同居している。そこで生じる緊張を無視・無関心・諦めをよそおう浅知恵でどうにかやわらげつつ、少なくとも外見上は平和に日を暮らしてきた。


そこに息子の恋人が転がり込んできたとする。そうなると家の雰囲気はガラリと変わる。

   ……念のため、これは絵空事ではない。想定しうる状況はいくらでもある。 息子が長い間かくし
   ていた親密な存在が生物学的には人間の女性で、いつのまにか受胎していたという事例もありうる。
   婚姻を明確な前提としないまま息子が女、あるいは男のつれ合いをひきこむ場合だってありうる。

さて、そうなった場合、初老の夫婦がいかに寛容で物わかりが良く、息子も息子の恋人も控えめで出来た人物であったとしても、かならず軋轢が生じる。


この軋轢、葛藤を「人口ストレス」と命名することにした。 この基礎にある物理的な概念は「人口圧」。これは軽視できない。

……人口圧に耐えられる物理的空間には限りがある。

哲学的な大発見のような言い方をしたけれども、これを発見と思うのは机上の空論と無駄飯で日を過ごしている職業的な学者先生だけで、日々からだを動かして自然から糧を得ている田舎の学歴のない爺さん婆さんにとっては、昔から重々承知の常識以前のこと。


この、常識以前のことをお役所の人たちも、政治家たちも知らない。たまに知っている人がいても知らないふりをする。それだけならいい。これによって不都合が生じると、僻地、離島の排他性、民度の低さ…としてなじる。


過疎地に住むと過疎がなぜ悪なのか分からない。どうやら、過疎地の基本的な条件を悪いままにして、つぎはぎの修繕を施し続ければ具合のいいことがある、それによって得をする人間がいるらしい。


本当に過疎が重大問題で、しんからの心配ごとならば、十島村役場は鹿児島市から管内7島に戻らないといけない。 人口620ほどの村に村長さんはじめ30余人の職員に島に住んでいただくと劇的な変化が生じるはずである。

  ……どんな変化が起きるか? 話が脱線して脱線した路線が本線になってしまう恐れがあるので、
  この話はいずれ。


早い話が、過疎がいけない…というのは国民の血税を費消する予算消化しか頭にない泥棒役人の考えることではないのか。

過疎地を過密化したところで地域・田舎の人の暮らしは良くならない。 このことを重々承知しているからお役人は過疎地に住みたがらない。過疎は飯のタネであって、過疎地は自分以外のダメな奴の住むところ。まともな人間が割り込む隙はない…。



小宝島ではカラスだって、この辺の事情を知っている。 古老に聞くと、広さ1平方㌔の島にカラスは昔から一つがいだけという。

渡りのカラスが20,30羽集団で通りすがりに寄ることはある。しかし、団体ツアーのカラスは、つがいのカラスが産み育てた若鳥をつれて、どことなく去っていく。

それでいい。ひな鳥は巣立ちの時期でもあった。 それと団体ツアーに長逗留されると良いことはない。作物が荒されるだけでなく、放牧している牛に妙な病気をうつしたりするという。

是非の問題ではない。これが現実。


“島おこし” などと鳴りもの入りで騒動する手合いがいるけれども、新しいものが必ずしも人を幸せにするとは限らない。行政のテコ入れでその場限りの賑やかさが演出されるかもしれない。一夜明ければ宴のあと…。


宴のあとの侘しさは、行きずりの自称“事情通” や、もの好きな“リピーター”にとって知ったことでない。そんな人たちと付き合わされ、ご機嫌を取り結ぶのに精力を奪われるのは空しい。それよりも爺婆とバカ話をして、昔ながらの心のおき方、生き方に触れる方が楽しい。



昔の島びとは過疎も過密ものみこんで、自給自足よりも高い生活文化をつむいできた。よんどころないことながらも、それはそれで悠々とした「不足自足」の暮らし。


これがなぜ悪い! 学歴や社会的な地位は高いかもしれないが、品性は無学の爺婆に劣る訳知り顔の“よそ者” に下知をされる筋合いはない。


人の少ないところにすむ人間も同じ人間である。過疎は過疎のまま、そこに住む人間を人間として扱えば済むことではないか。 それを手抜きしながら、頼みもしないことを押しつけてきたりして恩着せがましい顔をされても困る。


すみませんm(_ _)m! 飲みながら書いていたら、自分もよそ者であったことをうっかり忘れた。それだけでなく、だんだんと剣呑な雲行きになってきた。続きは酔いがさめてから…。
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