じじらぎ

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ビター・チョコレート

チョコレートの味は3歳の誕生日に知った。世のなかにこんな美味しいものがあったのか…と思った。味を教えてくれたのは赤い顔をした大男だった。
きょうはモロに私的な話。

ブログの書き込みをサボっている間に誕生日が過ぎた。2月4日、立春。うるう年だと節分になるが、節目のときに変なのが生まれた。

1942年、日本は戦勝気分に浮かれていたが、いつの間にか雲行きがおかしくなり、実家のあるあたりの空が真っ赤に燃えるのを疎開先から見た。やがて、片田舎の漁村まで毛色の違う大男がジープやボートに乗ってやってくるようになった。

実家を焼け出されて住んでいたところは、棟割り長屋の粗末な仮住まいだった。そこに米軍の将校が訪ねてきた。

どんな用事で来たのか、どんな顔をしていたのかは覚えていない。鼻たれ小僧が不意の訪問者の目にとまって、年齢を問われた父親が、きょうが3つの誕生日だと言ったらしい。

そんなわけで、見ず知らずの人からものをもらった。父親もそれをとがめなかった。今は、味だけを覚えている。


ついでながら、同級生の一人が、生まれて初めてこんな美味しいものはない…と思ったのは港にいた進駐軍の兵隊からもらったリンゴだという。


魚雷艇のような小型の船だったという。それに黒人の兵隊が乗っていた。人間の黒いのをはじめて見たが、鬼畜の感じはない。

陽気で屈託がない風。やおら甲板の樽に手を突っ込み。赤い大きな果物をとりだすと岸壁にいる彼にポンと放り投げた。

欧米の文明に肌で触れたのは彼の場合はリンゴ、私はチョコレート。戦争が悲惨なものであることを学ぶのはあとになってからのことである。


さて、チョコレート。

爺ぃには昔、娘がいた。仕事が不規則で同じ屋根の下にいても顔を合わせることがあまりない。たまたま娘が幼稚園に出かける時刻に起きていて、玄関口まで見送りにいった。

そのとき、娘が言った一言は忘れられない。「お父さん、また来てね」。


それが段々と大きくなり、同時に生意気になった。中学生になると、いっぱしの主張をし、理屈で納得できるまで譲らない。

しかし、父親らしいこともろくにせずに、余計な苦労をさせているという負い目があって、だんだんと憎らしくなっていくのを放置した。

完全な野放し放任をしたわけでもない。 勉強はできなくてもいいが、約束した食事当番はキチンとする、最小限の部屋の片付けはする…。それだけは守れ…と言いおいた。


ある日、珍しく早く帰ると、夕飯の支度に全く手がつけられていない。時間がまだ早いから、それは許せるとしても、カバンは散らかし放題の座敷に放り投げたまま。そして、なにやらチョコレートを溶かしてこねる作業に余念がない。


思いがけぬことで、不意に自分が父親であることを自覚した。…自分は娘の男親であったのだ。

そして、娘がかねてしないことに手を染めるのはバレンタイン・デーが近いせいだと思った。明確にそう思ったわけではないが、意識の底にはそんな驚きと嫉妬のような感情があったのかもしれない。


そこで、うかつながらも言葉遣いの品が悪くなった。「そんなお遊びは部屋を片付けてからにしろ! このクソ餓鬼が…」。

普段から口が悪いから軽口の気分だったが、娘はキッと向き直った。

そして一言、「黙れ! クソ爺ぃ!」。


ここまで激しい迫力のある反撃が返ってくるとは思わなかった。気合い及ばず無条件降伏の格好…。



バレンタイン・デーの菓子づくりと思ったのはクソ爺ぃの早合点だったことは後から知った。 娘は父親の誕生祝いのためのケーキを作っているところだったという。



ほどなくクソ餓鬼は米国に家出した。出奔したきり帰ってこない。それが先月初めて小宝島まで尋ねて来た。1月20日付のブログに写真で紹介したクッキー作り教室のにわか講師は彼女である。

 

はて、話はまだ本題に行きつかない。タイトルを「ビター・チョコレート」 としたのにはそれなりの理由があって、ことしも懲りずに苦いしくじりをした。午年爺ぃは馬齢を重ねるばかり、いくつになっても年甲斐がない。

顛末は後日。

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お噂はかねがね
やっと、たどり着きました。
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