じじらぎ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

3月

月が変わった。冬のオリンピックも終わったらしい。
朝のテレビが「けしからん!」 と怒鳴っていた。オリンピックの選手強化費用が40億も出ているのに、パラリンピックはたった2億というのは何だ! という。

はて? 40億円というのが果たして多い額なのか? 

確かに多いのかもしれない。しかし、比較する相手によっては、そうとも言えない。


韓国では入賞者に終身年金を支給するという話を聞いた。社会主義国家なみのテコ入れをしてメダルをかせぎ、国旗を揚げる。

日本もそうしろ…ということになるのだろうか?


爺の偏屈を言わせてもらえば、40億でも20億でも多い。冬季五輪の競技人口は国民の総人口に占める割合からすれば少ない。日本列島では冬でも雪が積もらない、氷が張らないところが多い。南の島に住んでいると雪や氷で遊べる人はうらやましいと思うばかり。


対象者が少ないのに高額の補助を出すのは公平の原則に反する。オリンピックの入賞者を増やすために原則を無視していいのだろうか?


失業者、生活保護世帯はどんどん増えていく。若者が希望を持てない。年寄りや子どもが虐待される…。


これら差し迫った問題の数々は、日の丸をいくら揚げても解決しない。現実から目をそらして国威発揚のために大盤振る舞いするのがいいのかどうかは、もっと議論していい。



だいたい、運動や遊びは個人々々、好き勝手にやればいい。お上からゼニがでないから体力づくりが出来ない、腕があがらない…などと不平を鳴らす手合いは嫌いである。



パラリンピックの2億円も高いのか安いのか? どっちでもいいこと。障害者差別の問題にして、怒って見せるのは底の割れた猿芝居であろう。



スポーツ大会というのは、もともと選別された若者の競い合い。本質的に区別、差別を含んでいる。


公平の原則から、競技人口の少ない種目に多額の公金をつぎ込むのは正しくない…ということは、ここでも言える。障害者人口のなかで特定の競技をして選手になる者の比率を考えると、2億円は安くない。



もう一つ、パラリンピックまで勝つのが主眼の国威発揚競争の場にするのには異議がある。

障害者のなかで選ばれた人たちのお祭りで十分。「参加することに意義がある」 というレベルで満足すべきである。参加するための費用は補助して当然だが、選手強化のための費用は無益無用である。


ハンディ、つまり障害の程度は人により千差万別、それを克服するのにどのくらい努力したのか本人しか知らないこと。同じ条件の人は一人もいない。ほんらい競争になじまない。


オリンピックにはショー、見世物の要素がやたらつきまとう。競技とは直接かかわりのない劇的な裏話がしきりに取りざたされる。「感動!」 大安売りの国際見本市。


爺ぃは、それがどうした…と、またひねくれる。野次馬になれるだけの体力もなくなった。




……偏屈がくすぶりだした。始まりは、カーリングである。あんなもの、と今でも思ってる。


だいたい、カーリングというのは年寄りの遊びではなかったか。それを娘っ子たちに盗られた。その恨みが根にある。


しかし、まぁ、現実を素直に見つめる必要もあるのかもしれない。

爺婆は人を弾き飛ばす手練手管には長じている。しかし、寄る歳なみで髪が薄くなり、顔も手も皺だらけ。テレビカメラのロングショットにはとても耐えられない。
関連記事
COMMENT
COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://jijiragi.blog105.fc2.com/tb.php/436-84d90103
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。