じじらぎ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

授業参観

∇…035   分校で始まった新学期の授業を見に行った。先生たちが丹念に板書をするのに感心した。板書をテゲテゲにして脱線ばかりしていたらどうなるんだろうか?
爺が職業人であったころの前科前歴についてはいずれ語るが、本職のかたわら教師をしていた時期もあった。生徒は2年過程の短大と6年過程の医学系の学生。教師の免許も身分もない非常勤講師という肩書きだった。

いちばん最初に教えた短大では学生の評判が最悪で、1年でクビになった。

聞き取りにくい早口で息せききったようにしゃべりまくり、板書なんぞする暇がなかった。当人に明確な自覚はなかったが、分からない者はどんどん置き去りにしていくような授業だった。


あとで知ったが、優良可の成績評価もほかの先生より格段に厳しかった。自分が学生の頃の成績が悪かったので、みんなそんなものだと勘違いしていたのである。 

かろうじて可をもらって喜んでいたとき、同様の落第生だと思っていた級友たちはちゃっかり優、悪くても良をもらっていたらしい。そのコツを知らない落第予備軍のなれの果てが採点する側に回ったというお粗末。


その後に6年過程の学生を教えたときも、早口でまくし立てる癖と板書をしないモノグサはなおらない。しかし、以前ほどの悪評はなかった気配である。
 

このころになると、出来のいい学生でも昔の同年齢の青年の間で常識であった程度の知識がない、勉強以外の本はほとんど読んだ経験がない…という現実を認めるようになっていた。

その分親切になった。ほんものの教師に近づいたということかもしれない。


成績評価も甘くした。その前に、不可の学生は可にすべくそれなりの指導をし、良のレベルだった学生は優に上げ底ができる口実をさがすことにした。

つまり、できるだけ良をつけない。良という中間的で最大公約数的な成績評価は、実は評価として意味があまりないと考えた。教育・進歩の成果を示す評価は可か優しかない…とする構え。学生には2通り、不可が可になって喜ぶ者と可や良が優になって喜ぶ者しかいない…と考えた。

現実には、可が良になったので次は優を目指そう…ということにはなかなかならない。一歩々々階段を踏みしめて上がる構えが意味をもつのは、再挑戦のチャンスがある場合に限られる。

非常勤の教師と学生とはいわば一期一会。評価も敗者復活のゆとりのない一発勝負。その前に、評価評定そのものが客観性を貫けない性質を本質的にもっている。


というわけで、今でも優良可不可の4段階評価は細かすぎると考えている。ほんとうは、不可か可、つまり不合格か合格か…の2通りでいい。可に加えて良、優の二重丸、花丸をつけてやるのが意味があるのは小中学の初等教育の段階まででいいのではないのか?

そうなれば、気まぐれで偏屈な教師の顔色をうかがって学生が卑屈になったり、変に要領良くなったりすることを憂う必要もなくなる。


定年間際に新入社員の採用試験を手伝わされた経験からものを言わせてもらえば、学校の成績自体、あまり参考にならない。この先は脱線が行き過ぎて果てのない暴走になりそうなので、いずれ。



はて、授業参観の話だった。

板書のことのほかに、少人数の教育をうらやましいと思った。

かつて教えた医系のクラスは学生が60人近くいた。必修科目だったので、不可という評価を下せば落第になる。

そんなわけにもいかない。やむなく、個人指導に近い試みに挑戦した。しかし、多勢に無勢。やっぱり体力がもたず、病気が悪化したのを機に教師落第を申請した。


宝島小中学校小宝島分校はいま児童生徒9人に先生が8人いる。写真の3人学級は小学5,6年生の複式学級である。分校いちばんのすし詰め教室!?

あと小学は2年生がふたりいて、1,3,4年はゼロ。中学は1年と3年が各ひとり、2年がふたり学級。マンツーマンに近い形になっている。



関連記事
COMMENT
始めまして、ジャンルお隣さんからお邪魔しました
私にとっては遠くにある小島、いつか行って自転車で島中を回って見たいですね

島の名は聞いた事があります、TVで学校の事だったか

当地は今日は15度、20度になれば出歩きも爽快ですが

COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://jijiragi.blog105.fc2.com/tb.php/469-90062ba7
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。