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休煙

「禁煙」に挑戦しているブロ友がいて、80何日かまで続いたけれども、いまは「禁煙ゼロ日」という。それで、コメントを書きだしたら、ひとのブログを占拠しかねない勢いになった。これ以上迷惑をかけるわけにいかなので、続きは「全文表示」でクドクドとおしゃべりします。
ひところ、紙巻き煙草を日に80本煙にしていた。前科前歴を鼻にかけて、威張って偉そうなことを言います。

まず、「禁煙」はもたない。

なにごとも禁じてはいけない。どこかに無理がでる。無理の無理たるところをねじ伏せて、おさえ込んだままにするのには力がいる。いっときでも力をぬくと、無理が起きあがって来て道理も何も蹴ちらしてしまう。


だから禁煙は目ざさずに、ひとまず「休煙」。

表にあらわれた形は同じ。心がけが違う。休煙を休む、つまり再びタバコに手を出すのも構いなし。

いつでも吸っていい。そのための備えは怠らない。宿は冷蔵庫、冷凍庫の類は最小限にする方針で、6人定員の民宿としては食糧保管のスペースが狭い。その狭いところの一角を爺のタバコが占拠している。


物件はパイプ煙草のアンホーラひと包み。買ったままの包装をビニールで密閉し、冷凍庫の一角に安置してある。パイプ一式と紙巻きのピースひと箱は別の場所。食物にタバコの臭いがつくといけない。

置いたのは昨年の2月1日か2日ごろ。紙巻きの方はおそらく黴が生えているはずで、廃棄更新した方がいいが、島には煙草屋がないので、やむなくそのまま。

いつ休煙を休むかは未定。出来心ではじめた休煙だから、出来心でやめたっていいのだ。一つだけ、この時だけは絶対に吸うと決めている瞬間がある。

それは末期のとき。このときばかりは好きな煙草を思うさまに吸ってみたい。健康に悪い…ことは百も承知。枕元には死ぬのを今か今かと待っている者がいるだろうが、ちょっとじらしてやれば楽しいに違いない。


ここで大発見!

煙草をやめるのは意志の力ではできない。有効なのは想像力(イマジネーション)である。まず、いつでも吸える…と考える。

その場合、きれいな空気のところで吸いたい。風のない日の海辺。山に登り、てっぺんまで行き着かなくとも、適当なところで腰をおろしてうまい空気を胸いっぱいに吸いこんで、懐に大事にしまっておいた煙草をおもむろに取り出す…。

そう考えると、乞食のような吸い方はしたくない。(……念のため、乞食一般を差別する気持ちはない。乞食さんには卑しい乞食と高潔な乞食がいる。ここで言うのは通念にしたがって卑しい方の乞食のこと。この手の兼業乞食には金持ちで、社会的な地位の高い人もたくさん交じっている)


ヘビースモーカーであったころにも、空港などの喫煙ルームに駆け込むなどというはしたない振る舞いは控えた。あそこは空気が悪い。煙草臭いところで煙草を吸うのは嫌だ。身なりは良くても根性は乞食の人たちといっしょに一服してもちっともおいしくない。


禁煙したとたんに煙草をすう者を悪しざまに言い、人間の屑のようにそしる手合いもいるが、そんな裏切り者も嫌である。今まで好きだったものを掌を返したように悪しざまに言える人間は、どうにも気色が悪くて、まともにつき合う気がしない。

そう思いながらも、休煙中には周りの喫煙者に声をかけることがあった。

「お願いだから、僕の近くで煙草を吸うときはもっと美味い煙草にしてくれまいか」…。


言うことを素直に聞いて銘柄を変え、気持ちを入れ替えて上質の喫煙に専念してくれる人はいない。しかし、まずい煙草の煙から逃れ、いい加減な心がけの喫煙者を身辺から遠ざける効果はあった。


煙草をすう者は煙草をバカにしてはいけない。せっかく毒をすうなら、強い毒のほうがいいに決まっている。効かない毒を遠慮しいしいのんで何になる。


だいたい、低タール、低ニコチンを売り文句にしている煙草にうまい煙草はない。紙くさいのはまだ許せる。最初から何やら黴くさいようなものまで堂々と売り出されている。こんなものを近くでプカプカやられた日にはたまらない。


健康に未練を残しながらケチな振る舞いに及ぶ根性はあさましい。なんの因業因果で、あわれな乞食の真似をするのか! 

上から下まで税のごまかしにやっきになっている世のなかで、喫煙者は正々堂々の多額納税者である。もっと誇りをもってほしい。財務当局や煙草会社に良いようにあしらわれるのではなく、殴り込みをかけるぐらいの気概があってもいいのではないか。




個人的な体験をもうひとつ。休煙のきっかけになったのは想像力だけではない。怒りが動機になることもあった。


最初に休煙したのは20代のころ。島原半島をひとりで旅をした。

列車の窓から、先祖代々守ってきた見事な段々畑や棚田が見える。耕して天に至る風景。


水をはる時期になって棚田が田んぼごとに月を映す“棚田の月”はさぞ美しかろう…と思いながらよく見ると、植えてあったものは稲でなく、なんとなんと。植えてあったのは葉タバコだった。

タバコ農家には最低価格保証だか何だか知らないけれども、補助金がでるという話を聞いたことがある。タバコ耕作は農地の収奪が激しく、肥料や農薬にべらぼうな金がかかるとも聞いた。

もう一つ、農地収奪と奴隷いじめの大元締め・米国はバージニアあたりのタバコは日本でつくるものよりも上質で、値段は3分の1か4分の1、輸入量は日本のタバコ農家保護のために制限しているという話も聞いていた。


いずれも未確認の聞きかじりだが、棚田のタバコを見たとき、抑えようのない怒りと悲しみが込み上げてきた。ひょっとしたら、こんなのにも減反奨励金が出ているんだろうか?


……というわけで、初めての休煙は農政への憤りが動機。これは4年つづいた。その後、おおむね4年周期で休煙、休煙休止を繰り返してきた。



休煙を休もうと思った動機が、怒りだったこともある。

60歳の節目、人が健康なつもりで呑気にくらしているところに邪魔がはいった。健康診断をして病気を見つけ出し、不健康を自覚して病人らしく暮らせ…という病気関連業者のセールストークにうかうか乗せられて精密検査をしてみた。

自分の弱点は循環器系だということは認識していた。そのへんを重点的に検査した。

まず、2年前に修繕した心臓の不具合が完全に解決していることが確認された。予想していた通りである。

とにかく、有り難い…と喜んだのが甘かった。それと同時に、全く別の不具合が心臓にあることが分かった。
放っておけば何時くたばってもおかしくない状態という。


それを処置してもらって、間一髪で命拾い。晴れて非道不条理のはびこる日本国を脱出しようと思いついた。旅先で病気になると困るので、初めて人間ドック検診を受けてみた。

そこで再びガーン! リンパ腺まで転移した本格的な癌が見つかった。会社で毎年なされていた健康診断はいったい何だったんだろう!?  

即入院。心ならずも病室に坐臥し、不健康業界関係者の指揮監督拘束を受ける生活となった。


病気発覚のときは休煙期間中だった。それも4年目。好きな煙草を長いこと控えていたのが何にもなっていないではないか! 

この怒りをしずめる方法はただ一つ。休煙を休むのみ。

病室で煙草をのむわけにいかないので、退院をずっと待った。やがて待ち切れなくなった。医者どんが止めるのも聞かずに抗癌剤もやめて病院を脱走した。その後も逃亡者の生活。



再び休煙したのは加齢で気が弱くなったせいである。煙草を吸わないのもまた快適ではないか…と悟ることにした。言い訳はいくらでも思いつく。

島暮らしをすると煙草を船で運んでもらうのが面倒である。狭い部屋に灰皿がなければ、そのぶん広く使える。灰も散れない。煙草が占領していたポケットに双眼鏡などの遊び道具を入れる隙間ができる。

なにより、爺のようなヘビースモーカーには、煙草を買わないで済むことによる経済効果は劇的である。そのお金がどこに消えたのかは判然としないが、たぶんどこかで無駄づかいしている。それはそれで、また有り難い。


発見、その2。

休煙には養毛効果があるかもしれない。これは経過を観察中。もう一つ、若い人にはもっといい効果も期待できるのでは…とも思っている。続きはいずれ。

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