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アラモ

いささか唐突ながらアラモ! 前回のおしゃべり「アメリカと戦争」の続きです。アメリカの戦争といっしょで、終わりのない話になりそう。
西部劇をよく見た。ジョン・ウェインやチャールトン・ヘストンがカッコよかった。…いまにして思えば若気のいたり。

ジョン・ウェインは1960年に「アラモ」 という映画を製作、監督している。脂の乗り切った時期に自作自演した名作…ということになっている。

偏屈爺にいわせれば駄作。ナルシズムとナショナリズム(国家主義) の臭みが鼻について、なんともあと味が悪い。

長年あたためてきた構想を私財をつぎ込んで実現させた大作で、国民的英雄、デビー・クロケット(ウェイン)、ジム・ボウイ(リチャード・ウイドマーク)、トラビス大佐(ローレンス・ハーベイ) が男ぶりを競う。米国人としてはこたえられないに違いない。いわばアメリカ版忠臣蔵。

それを駄作とした理由の一つは、史実に脚色を加えてカッコよさを強調した点。西部劇を見て時代考証にこだわるのは愚の骨頂かもしれないが、戦争でアメリカに負け、今なお隷属している倭人としてはあまり高い点をやりたくない。


「アラモ」は「真珠湾攻撃」とつながる部分がある。

戦闘そのものではなく、戦争について米政府の国民煽動の手口の巧妙さ…という点で特筆すべき共通項がある。アラモは「リメンバー・パールハーバー」の原点であった。

アラモの戦い(1836年) は単純な独立運動ではなかった。テキサスは本来は先住民がいたはずだが、ひとまずスペインの持ち物ということになった。メキシコがスペインから独立するとメキシコ共和国の領土となる。

そこに西部開拓の勢いに乗ったアメリカ人が入り込み“テキサス人”を自称する。それだけで話は終わらず「サンタ・アナ将軍の圧政」には我慢できないという勢いになってしまう。 

実際には新生メキシコは先住民とのごたごたに手を焼いていた。それに長引いた独立戦争で疲弊しきっており、辺縁部まではとても手が回らない。もしも圧政がテキサスまで行きわたっていたら、西部の荒くれ男や流れ者が立ち入る隙なぞなかったはずだ。


アラモ籠城組は3百人、あるいは2百人という。メキシコ軍は6100人。数のうえでは問題にならない。

それでメキシコ側がなぶり殺ししたかと思うと少し違う。イラクのファルージャと違って、退避の余裕を与えたうえで残った戦闘員だけを相手にして正面から攻めた。

メキシコ軍は殺しに慣れない新兵の寄せ集め。平均身長は155㌢だったという。それからすれば映画に登場するメキシコ正規兵は対等に取っ組み合いができる体格。いかにも強そうなのが籠城組に次々にやっつけられる。


アラモに籠った男たちの勇猛さが無双だったとすれば思いつくことがある。アメリカ人と弱小民族の命の値打ちの差。アメリカ人ひとりで桁違いの数の人を殺して、それで釣り合いがとれ、それでないと済まないということになっているのではないか?



とにかく、アラモの勇者たちの時間稼ぎが奏功してテキサスは「独立」宣言にこぎつけた。間をおいて、落ち着くところはアメリカへの併合。

しかし、当時のアメリカがほんとうに欲しかったのは海沿いのカリフォルニアとニューメキシコだった。メキシコ共和国に何度も購入を申し入れたが色よい返事をくれなかった。


ならば、というので国境線で紛争中の微妙なところに砦を築いて挑発し、メキシコの騎兵がアメリカ兵を捕捉するのを待ちかねたように宣戦布告した。これが1846-48年のアメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)。

この戦争については米国内の世論が割れた。北部の住民、当時のホイッグ党は名分がたたぬとして反対した。これにたいして政府、および南部住民ら開戦派らが唱えたスローガンが「リメンバー・アラモ!」

このフレーズはのち、「リメンバー・ザ・メイン!」「リメンバー・パールハーバー!」と反復発展していく。



「リメンバー・ザ・メイン」のメインは米海軍の軍艦(6,682㌧) の艦名。ハバナ湾で爆発沈没し、スペインに戦争を仕掛ける口実に利用された。スペインが機雷を仕掛けた、というのである。

後の米海軍の調査では、燃料の石炭の自然発火による事故の可能性が高いとされた。すでにスペインとの戦争(米西戦争)は終わり、戦利品として米国はフィリピンをかすめとっていた。



メキシコとの戦争に話を戻す。 

優勢に終始して講和に持ち込んだアメリカは、メキシコの国土の3分の1をわが物にした。カリフォルニア、ニューメキシコだけではない。ほかにアリゾナ、ネバダ、コロラド、ユタ、ワイオミング…。

当時は二束三文の荒れ地だったが、翌年カリフォルニアはゴールド・ラッシュに湧く。ほどなくテキサスでは無尽蔵とも言われた油田が見つかった。



メキシコから得た戦利品にはもう一つ意味がある。これによりアメリカは太平洋岸まで一気に版図を広げた。

つまり、西に向けて果てしなく広がるフロンティアを獲得した。別の言い方をすれば、先住民をおしのけ、土着文化を圧殺しながら自然資源を開発収奪し続ける膨張のエネルギーのはけ口が用意されることになった。


アメリカ史では、開拓者のマーキングが太平洋岸にまで達し、フロンティアが消滅したのは1898年とされる。くしくもスペインに戦争を仕掛けて太平洋へ進出しはじめた年である。



アメリカ式戦争の始め方には一定の形がある。相手がほんとうに悪党なのかどうか…、自分の方にも落ち度はないのかどうか…その辺のところを詰めないまま、挑発に挑発を重ねて決闘にもちこむ。

その際、相手に先に抜かせる。相手が先に仕掛けたのだからわが方は対抗して当然、正義は常にわが方のもの…。どうやらアメリカは、国際社会でカッコいい西部劇を演じていた。いま太平洋を越えて、イラク、アフガニスタンが舞台。





……おくめんもなく、おしゃべりの蛇足。アメリカ人といっても先祖の生まれ育ちは違う。すべて国家に忠誠を誓う均質、画一の集団ではない。それが救いにもなる。

対メキシコ戦争では聖パトリック大隊という一党がいた。元アメリカ兵だったという500人。アラモの籠城組よりも多い人数がメキシコを支持し、メキシコ軍とともに戦った。

本隊が降伏したとき、この大隊も投降した。米軍はこれを捕虜の扱いとせず、脱走兵として処刑した。



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COMMENT
こんにちわぁ~^^
ご無沙汰になってしまってすみません。。。謝 やっと復活して皆さんのところに来れるようになりました。。。これからもどうかよろしくお願いします。。礼 戦争って聞くと遠い話って思ってましたが。。家庭内での戦争とか身近で起こるのも似たように思ってしまいました。。。平和で毎日を過ごせれるようになったらいいですね。。切な思いです。。
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