じじらぎ

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沖縄慰霊の日

基地問題で首相がかわった。それで、日本はどうなるんだろう? 沖縄慰霊の日の報道と動きを目安に占ってみた。
卦(け) は「…望みかなわず」 と出た。どのような読み方をしても日本列島の植民地状態が変わる兆しが見えてこない。

宗主国にへつらう恥知らず、嘘つきの外交姿勢はこれからも護持される。それを目くらましするために基地を本土から遠い沖縄に封じ込める。火薬庫兼便所は不沈空母の艦橋・司令塔からは距離をおいた方がいいということか。



未練がましい話ながら、離れ島に暮らしていても新聞やテレビの報道は気になる。最新のニュースを知りたい…という殊勝な心がけがあるわけではない。

ニュースはつくられるもので、このごろは品質管理が一段とおそまつになった。そんな出来そこないのニュースに飢えるほど人間が素直に出来ていない。

それで、なぜにニュースが気になるか…といえば、島暮らしの閉塞状況の病理としか言いようがない。世間一般の不自由なく暮らしているごく普通の人たちが、普段にどんな情報に接しているのかを知りたい、どうでもいいと思いながらも、やはり気になる。


それで、腹が満たされるわけでもない。ならば、心が豊かになるか、といえば、むしろ逆。腹は満たされることもなく、ただ腹ふくるる思いがつのるのみ。

よくないことなんだけれども、一種の病気。情けない話ながら、悟りからはなお遠い。



愚痴が長くなった。ひとまず、沖縄慰霊の日の各紙の社説を見た。敗戦から65年、被占領区域の義務を定めた日米安保、日米地位協定の発効からちょうど50年の節目である。

悲しいことに沖縄決戦そのものが「ローカル」の扱いになっていた。…つまり、全国的な話題にするには普遍性を欠く一地域でのささいな出来ごとの扱い。…忘れてしまっても、これからの日本の若者の未来にとってかかわりのない、あるいは、かかわらなくてもいい話。

沖縄の地元紙2紙のほかに、慰霊の節目を社説のテーマとして論じていたのは西日本新聞だけだった。あと朝日、毎日、読売、産経、日経、それに頼みの北海道新聞、東京新聞、南日本新聞…、いずれも扱っていない。  (……朝日新聞は1日早い22日付で「首相慰霊の地へ」を掲載していました。南日本新聞は1日遅れ、24日付で「『捨て石』 の苦しみ今も」 と題する社説を掲載しました)

たしかに、党首討論があり、工場内の暴走殺傷という特異な事件も起きた。それでも、歴史感覚を失ったジャーナリズムは、いくら偉そうなことを言っても瓦版やエロ週刊誌に劣るというのが私の見解。…笑ってもらって結構、本気でそう思っている。


「琉球新報」 は「節目の年を契機とし、沖縄の過重な負担が県民の目に見える形で軽減されることを…」 と訴えた。そう、あんなに騒動し、内閣までつぶして目に見える形が全く現われてこない。

沖縄決戦のさい、米軍は前線の将兵を最長2週間で交代させたという。それ以上戦場におくと狂うという。当時の沖縄県民に交代はもちろん、逃げ場もない。ときに皇軍も悪辣な敵に変じた。

「沖縄タイムス」 は太田実海軍中将の遺言電報を再掲した。「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ 後世 特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。

さらに「抑止力という実態のない言葉」 が振り回され、国民が欺かれている現状を嘆く。菅内閣が発足して間もなくの世論調査では、普天間の移設先を沖縄県内にすることに国民の過半数が賛成したという。

沖縄の基地は抑止力どころか、世界史上もっとも好戦的な国家が常套手段とした先制攻撃を遂行するための装置であった。沖縄の人びとは過去も現在もそうであることをよく知っている。もし反撃があればかつての「鉄の暴風」 と桁違いの破壊力をもつ兵器の実験場になるという恐怖もある。


国民世論にたいする失望、というより絶望は、記念式典での菅首相のあいさつによってダメ押しされた。沖縄県民の尊い犠牲によって、今日の平和と繁栄がもたらされた…という。これは、今後も「抑止力」 という虚構のもとに米国に隷属し、沖縄に犠牲を強い続けるという宣告にひとしい。新しい首相は何も変わらない、何も変えないことを高らかに宣言した。



犠牲によって…と本気で思うなら、なぜこれから先も犠牲を強いるのか? その正当性を明確にしなければ、国家としての名分が立たない。有り難いと思うなら、戦場で奪われた沖縄県民4分の1の補償をなぜしない?

これ以上、政治はウソを言い続けてはいけない。東アジアの端の列島域に独自の文明をきづいてきた日本という人と文化の集合体をつぶしたくなければ、昔から子どもに諭してきた最低限の倫理を守るべきではないか。…ウソを言うな、弱い者をいじめるな。


テレビの報道では、久しぶりにまともなものに接した。日付はさかのぼるが6月19日夜放映された「NHKスペシャル--密使・若泉敬 沖縄返還の代償」。

佐藤栄作首相(当時) の特命を受けて返還交渉にあたった人は、核の持ち込みの実質容認、沖縄の基地の永続化をひきかえにする結果になったことを悔いた。沖縄の戦没者の碑の前になんどもひざまづいて謝罪の祈りをささげた後、自ら命を絶つ。当の佐藤首相はにこやかな顔をしてノーベル平和賞を受けた。

ついでながら、自衛隊に戦争の手ほどきをしたという功績で、残虐をきわめた日本本土無差別爆撃の最高指揮官・ルメイ少将(のち大将) に勲章を与えたのも佐藤首相だった。本来は天皇が親授すべき勲章は航空自衛隊の基地内で、当時の幕僚長によってひそかに伝達されたという。
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