じじらぎ

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日の出

∇…003      水平線上に薄い雲の層がたくさんあるらしい。お日さまの輪郭が見えない。

雲がないときの日の出の空はおそろしいぐらいの真っ赤なんだけれども、雲の層があると光が乱反射するらしい。青系の色もまじって、そのぶん色層が豊かになる。

瞬時の顔。ちょっと視線をそらすと空の色が変わっている。

デジタルカメラの自動露出装置は出来過ぎていて、某国国営放送風、および政府管掌民間放送風。ものごとを明るく明るく表現しようとする。

爺ぃは、現実は暗く、暗いものを敢えて明るくするのは、ウソだぁ…と思ってこだわる。暗い偏屈な餓鬼がおとなにっても暗いまま、偏屈にもいっそう磨きがかかって、無用に明るいものに接すると、いちだんと暗くなる。


……というのは、どうでもいい。まともに聞いても腹の足しにも、金儲けにも、島おこしにもならない冗談。


とにかく、朝の光を明るくしてしまうと、心底つまらないと思う。夜明けは、あくまでも夜と昼の境目であって、空の成分は闇を含んでいる

だから美しい。こんな色彩が現実にあるのか、と思うほどに摩訶不思議な時間が朝である。


昼はすぐ来る。

昼の空は真っ白。都会では灰白色。トカラでは、天気が晴れれば青の世界。海は琥珀色、エメラルド色に発色し、空はガラスの切れ口のようなどこまでも深い青。



昔の日本人は凄かった。群青を通りこして黒にも見えてしまう領域から、緑、黄緑のところまで、ごっそりひっくるめてアオと呼んだ。

「古代の日本人は色彩感覚がとぼしく、色に関する語彙は少ない」 という人がいる。

違うと思う。

めくるめくような色層の重なり、変転をしっかり見て、言葉を失ってしまう…。色彩感覚が豊かだから言葉がすくなくなるのではないか。

室町から江戸期になると、色を表す語彙はべらぼうに増える。これは色彩感覚の優劣の問題とは別のことだったのかもしれない。

布や工芸品など、ものを売り買いすることが多くなって、現実の必要から言葉が増えただけのことではないか?



というわけで、古来の日本人は言葉は少ないが、心は豊かであった…ということにする。

となれば、よほど上等な遺伝子を、つい最近まで営々と引き継いできたのだ。

日本人(ジャップではない、ヤポネシアン) は詩をかかない、文学にかかわらない正直いっぽんやりの者でも、詩人の心をもっていた!




話が脱線した。

爺がさいきん奮発して導入した初めてのデジタル一眼レフは性能が良い。その、良いところを補正して、常時、やや暗いレベルのところに露出を設定し直した。

それでも、朝の空はうまくいかない。

やむなく、コンピューターにとりこんでからもう一度暗く修正し直す。それで本当の色に近づく。

実は、コントラスを強くする補正を加えることも多い。そうして初めて、ちょっと気障な言い方をすれば、自分の肉眼で見た風景、および心で見た風景に近づく。

いけないのかも…と、気が咎める。しかし、色即是空 空即是色。この世のものの形は本当に見た通りにあると思うこと自体間違いではないのか…?         


へへへのへ、へい!  m(_ _)m!   ……年をとると、すぐ言い訳をはじめる。




色をいじろうとしたこともある。しかし、色を修正すると、そのときは良くなったと思っても、後で落ち込む。色をもてあそぶと必ず良くないことになる。

だいたい、色にかまける年齢でもない。 …色即是空、空即是色!






∇…013    2階ベランダの柵にネットを張ってみた。グンバイヒルガオのツルを受け入れるための造作。

ツルはいい加減にしなさい、と声をかけたたいほどに伸びて伸びて、行きつくところまで昇って、右往左往している。あとは天に昇るしかない。

天に昇るのは俺が先じゃ…と言ったわけではないが、ツルの心映えは立派だった。高いところでキッチリ花を咲かせた。

2輪とも、なぜかこちら側を向いている。人ならば挨拶しないで黙っているわけにいかない間合い。


背後に見える赤い花は地表に生えている。門のわきに挿し木で植えた仏桑華(ハイビスカス)。冬の間、潮風にあんなに痛めつけられたのに、ことしはめっぽう勢いが良い。
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