じじらぎ

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終戦記念日

夏になると、いろいろ思う。一つはお盆。逝った人、生き延びている人…、どんな因業因果でこうなっているのかと思う。

もう一つは、終戦。

戦争体験はない。まだ幼かった。しかし、国と親たちが戦争にかかわることが、銃後の子どもの心にも消し難い影を落とすことは体験している。

戦争になると、戦場でも銃後でも人間が卑しくなる。お国大事の建て前がまかり通って、おとなたちは心にもない言動に走る。

快活だった人が無口になったり、これまでは人前でまともな口がきけなかったような人が急に威張りだしたり…。

なにか、理不尽な力がおとなたちの心の世界に暗い影を落とし、頑是ない子どもまでも巻き込まれる。銃後にも戦場とはまた別の悲惨があった。



このことにはっきり気づかさせてくれたのは、俳優の吉永小百合さんだった。 昔、地方新聞の記者をしていて、彼女が新作の映画の宣伝のために鹿児島に来たときにインタビューした。

映画の話はそこそこにして、かねて抱いていた疑問をぶつけてみた。


…戦争を知らない世代のあなたが、なぜ戦争に反対するんですか?



彼女は眼を丸くして絶句した。予想をしていなかった質問であ。まともに答えだしたら、ひと言ではすまない厄介な話。


当時、サユリストと称する人たちがいた。同年輩を含めた青年層、中年層にマニヤックな吉永小百合ファンたちがいて、自らそう称して恥じない。

若いころからひねくれていた爺ぃは、アホかお前ら! とミーハーぶりを揶揄したりした。いい若い者が、ほかに目をむけるもの、語るべきことがありそうなものではないか…。

しかし、この時から“隠れサユリスト”に転向した。君子は豹変せねばならぬ。



予想外の質問に一瞬、目を丸くした(今風なら目が点になった…というべきかもしれない) 吉永小百合さんは、その後ですぐ気をとり直した。そして、自分なりの戦争体験を静かに語り始めた。


彼女は昭和20年(1945) に生まれている。終戦のときゼロ歳。戦争の記憶があるはずはない。

私は彼女よりも何年か年長で、疎開の体験、空襲の記憶もある。生を受けて初めての記憶は、はるか上空をB29が2機飛んでいる光景。音の記憶はない。それを怖いというより美しいと思った。家の方角が焼夷弾を浴びて真っ赤になった夜景にも妙な美しさを感じた。

その後の物不足、飢餓はおとなと共有、共通の体験だった。食べる物がないということがどういうことか分かるほどの分別は十分ついていた。

わずか数年の差だが、終戦の年に生まれた人の厭戦気分、戦争にまつわる嫌な記憶で、ほんとうに血肉化した実感があるんだろうか?


彼女によれば、もの心ついてから男たちが酒を飲んで軍歌を歌ったり、戦争のときの話をするのを傍から見ることが何度もあった。

やたら陽気で、威勢がいい宴席。青春の輝いていた日々の思いで話に花が咲く…と言えば言えなくもない。しかし、表面が闊達、ときに野放図に見えれば見えるほど、表に見えない影の部分が浮き出して来るようなところがあった。

彼女は男たちの酔いっぷりに屈託のなさよりも虚勢、独善を感じた。戦争は終わった後からも男たちから理性奪い、人を卑しくする!?

よちよち歩きを始めたばかりの幼女の感覚は私と同じだった。この感じは、その後に意識的に収集し、読み漁った戦記物、戦争体験の回顧などと重ね合わせ、自分なりに検証した結果、実感として補強されてきた。



この話は、いずれ長い長い補足を加えないと分からないと思う。とにかく、戦場にいた者がいちばん苦しい、厳しい体験をしているかと言えば、そうとは言い切れないところがある。



戦場の様相を後々の記録で見ると、軍隊が住民国民を守るために動くことはほとんどなかった。抽象概念としての皇国、さらに軍という組織を守るためには死力を尽くした。そのためには国民はもちろん兵をも犠牲にした。

…無茶苦茶なことを言うようだが、ウソではない。この話も語りだすとまた長くなる。


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