じじらぎ

« 島の風景③    晴れ »

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

島の風景…ついでに皆既日蝕

∇…赤立神023    島の風景…①赤立神

∇…036    島の風景…②接岸港の日没 
  




“海の宿 パパラギ” の我儘おかみが、気まぐれで出した業務命令にしたがって、島の絵葉書をつくることにした。きょうの散歩でひとまず2枚の原版候補らしきものを確保した。

きょうは当日ものでしのげたとして、その日に思うような写真が撮れなかったときは過去に撮影したものを引っ張りだすつもり。


毎日、なにごとか出来事がある。ブログは毎日書き込むのを目標にしている。

しかし、その日に起きた事柄を書きたくないことがある。書きたくても読まされる人はシンドイだろうと思って遠慮することもある。

放っておくと何日も書き込みをしないままという始末になる。

そんな事態を誤魔化すために絵葉書原版候補の披露を兼ねて「島の風景」 を連載しようと思いついた。 …あすはまた気が変わるかもしれない。




【島の風景①赤立神】 サン婆といつも通る南風原(はえばる) 牧場沿いの一周道路から見た風景。左寄りの奇岩は赤立神(あかたちがみ)。

港の際に目を引く岩がたっていると「たちがみ」あるいは「たてがみ」 と呼び、港をまもる神のよりしろとしてとして崇める心もちは内地と共通している。南薩摩では枕崎、坊津の湾口にある奇岩がよく知られている。


小宝の立神は普段は黄色っぽい色をしているが、夕日を浴びると赤く映える。珊瑚礁原が広がる波打ち際にそそり立つ火山脈の噴出物。安山岩の突起が潮風に矯(た) められてこんな形になった。

……パソコンで安山と打ったら「安産」 と変換された。 今はもう安産も子宝も産婆も死語になりかけているはずなのに。





【島の風景②接岸港の日没】 サン婆とふたり、接岸港の日没に立ち合った。串木野さのさには「夕日を拝む人はない」 という一節があるが、いちいち手を合わすことはしない。

ちょっと説明しにくいが、こういうときは古い日本人の「血」 のようなものを連想する。 

空の色の凄絶な変化に立ち合うと、拝む前に言葉を失う。このときの意識はモーゼの神による“みだりに主の名を唱えるな” という戒めにしたがうのと同じ心もちなのかもしれない。 

古代ユダヤ人と日本原人は同じ血をひいているのか、あるいは猿から進化してまもない現生人類共通の意識構造なのか…。

若い世代の人たちにはこんな奇妙な気持ちは理解を超えるのかもしれない。

ヒトの意識にも絶滅していくものがある。この手のものは、絶滅を危惧すべきなのか? 絶滅を期待し、喜び、面倒なものはふり棄ててズンズン先に進むのが正しいのか?





日が陰り、とうとう沈んでしまうと、自分を取り巻く世界に変化が起きる。

気温がガタンと落ちる。急に涼しく、寒くなる。


2009年7月22日、皆既日蝕のときもそうだった。耐えられないほどの炎暑がウソのように去り、急に風が冷たくなった。やがて大粒の雨が横殴りにたたきつけてきた。




太陽が隠れるとどんなことになるのか、ほとんどの人は知らなかった。知っている少数の人たちは知らないふりをした。そんな邪推をしている。

夏の真っ盛り小宝島では30度あった気温がアッという間に25度に落ちた。巨大な冷房装置がトカラ海域、島嶼域全体を数分のうちに冷やした。省エネなど考えない、ベラボウな冷房の効き過ぎ状態。


こういうときに南の島の天気はどうなるのか? 暑いところの海洋性の気象に詳しい人の間では急激に気温が下がると天気が崩れるというのが常識ではなかったのか?


広い海の中に生じた突起は雲を集めやすく、雲は気温変化にしたがって雨になる…。 「屋久島が1カ月に35日雨が降る」 と言われてきたのは、おなじような事情からに違いない。

小宝島でも夕方、スコールような雨に見舞われることがよくある。雨は夜のうちに降って、日の出とともに降りやむ傾向もある。


ということになると、疑念が生じる。 …村からツアー企画を請け負った旅行代理店は、太陽が隠れると天気が崩れるのを百も承知だったのではないか? 


旅行代理店が天文の専門家として島につれてきた人の発言にもびっくりした。「皆既日蝕の時間がいちばん長いのは、ほんとうは悪石島ではなくて諏訪之瀬島」 なのだという。



とすれば、ツアー募集の基本情報そのものに誤りがあり、それを承知で意図的な宣伝が行われたことになる。途中で気づいたのなら修正訂正すれば済むこと。なぜ、それがなされなかったのか?


話が愚痴めいてくるけれども、個人としては日蝕のことは総括が終わっていない。日本人が、とりわけ島にかかわる人たちが平気でウソをつくようになったことを思い知らされた事件。

だいたい、大事な情報を隠して何らかの利得を得るのは詐欺ではないか? そんな曲々しいものに地方自治体が関わってはいけなった。そう考えると、鬱になる。


十島村は今でも皆既日蝕ツアーの丸投げを「大成功」 としている。ならば、なぜ1年後の“メモリアル・ツアー” に七島全島で3人しか応募がなかったのか。

日蝕を成功と強弁しつづけるかぎり、十島村の行政は誤った道を今なおつき進んでいる。


私個人は、トカラ列島が皆既日蝕で失ったものを直視し、相応の反省をしない限り、先は見えてこないと思っている。そう考えると、自分の愚痴も必要悪かもしれぬ。

過去の話を蒸し返した後ろ向きの難癖というだけでもない…。言うべきことは嫌でも言わねばならない。


しかし、この先は辛気くさく、くどい話になる。続きはいずれそのうち…。

関連記事
COMMENT
COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://jijiragi.blog105.fc2.com/tb.php/604-9efb8894
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。