じじらぎ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

“風” について

∇…034 ∇…025    小宝島の港から集落に向かうところに牛の放牧場がある。ここを土地の人は「はえばる」 と呼ぶ。村や県が立てた島案内の地図では「南原」となっていた。ところが、「十島村誌」 の字(あざ) にかんする記述では「南風原」 となっている。 はて?

 
 
昨年、皆既日蝕を前に新しい案内板が4枚立てられた。これの“はえばる” の表記は「南原」。古い案内板の表記を踏襲したらしい。

しかし、古い案内板は誤記が目につき、位置の示し方も大雑把という印象であった。随分とお金をかけた新しい案内板は面目を一新すべきであろうと考えた。

そこで、島の総代さん(今では自治会長と呼ばれる) に表記の再確認と、誤っているところは改めるようお願いした。よそ者がいらぬ世話を焼いた格好だが、聞き入れてもらった。

それが余計なお世話だった。


島に暮らしている年寄りで「南風原」 は間違っていると言う人がいると聞いた。今月に入ってからのことである。

すぐに訪ねて行って話を聞いてみた。すると“はえ” は風の方向を示す言葉としてではなく、単に方角を示す語彙として用いてきたという。

…ヤバイ!

実は、総代さんに訂正方を申し入れたときには、ひとりの話だけしか聞いていない。あらためて聞きまわることもないだろうという、横着な思い込みがあった。

今にして思うと、当のお婆さんも自信がないところがあった。念のため…と、地籍図を引っ張り出してきた。それにも「南風原」 と明記されていた。これで決まりと思ったのが、今にして思うと浅はかだった。


もちろん、よそ者の分際で島の人に下知できるはずはない。再確認と必要に応じた訂正をお願いしたつもりだった。それなりの手間と時間をかけて「南原」 は「南風原」 に改められた。よそ者の爺ぃが余計な風を入れて改悪したような顛末になった。




くり返すまでもないが、ここで何らかの見解を示すことのできる立場ではない。私には権威も見識もない。調べてくれと頼まれれば、普通の人よりはそのへんの手立てを知っているくらいのこと。口出しは控えないといけない。


ただ、個人としての思いを率直に申せば、「村誌」 や「地籍図」 よりも、土地の人が昔から言い習わしたことの方が正しい。それが基本。文字として残されたものは、たとえそれが公式記録でも、後からつくられたものに過ぎない。


となれば、なんとも面目のない話である。もう一度、島の人たちで確認し直し、元の「南原」 に戻す作業が必要になりそう。



ただし、微妙な部分も残されている。

最初に話を聞いたお婆さんをのぞいて、島にいる80歳以上の3人に聞くと、2人は「“はえ” は方角の意味しかない」 という。念のため67歳の島の民俗に詳しい人も同意見だった。

ただし、古老のひとりは、本土と同じく方位方角を言う場合もあるという。


念のため国語学の資料を漁ってみた。もっとも詳しい記述は小学館『日本国語大辞典』だった。「はえ」 は「沖縄で南の方位をいう。また西日本一帯で南風のこと」(第16巻139㌻) という。

方言調査の記録では、宝島で南の方位…とする記録がある。

しかし、沖縄県でも宮古島では風。宮崎県一帯と肝属郡、種子島、奄美の喜界島でも風の意味で使っている。少し、ぶれる所もあって、三島村の硫黄島では西南の風。東南の風をいう所もある。

ちなみに私の育った薩摩半島西北部、それと長い間住んだ鹿児島市一帯では南風を指す語彙だった。とにかくややこしい。


小宝島の方言については宝島と同じとする考え方がある。しかし、実際に住んでみた者の感じでは微妙な違いがある。細かい仕分けは手つかずだが、語彙にも違いがあっておかしくないと思っている。



それにしても、今度の“はえ” の件で思ったのは、村の文化行政の貧しさである。

中之島にある歴史民俗資料館は調査研究機能をもたない。その前に人もいない。

十島村管内、いわゆるトカラ列島は琉球文化と本土文化の接点、複合地帯で、民俗学だけでなく考古学でも未調査の部分がある。そんなところに歴史、民俗、考古の学芸員がひとりもいない。

人によっては中之島の本館だけでなく、できれば残り6島のすべて、それが無理なら口之島、平か諏訪之瀬、宝島のせめて3島だけでも分館を置くべきだと言う。大げさな話ではない。それだけの文化内容をもつ地域だと思う。


この辺の話をすればキリがないが、地名の表記ひとつとっても、疑問のあるところを引きっとってキチンと調べてくれる機関がない。


こんなとき、突拍子もないことを考える。村の教育委員会を解体する!

その代わり、文化行政は文化庁直属にしてもらう。トカラの文化歴史はそれほど実質をもっている。トカラが分からなければ、日本も日本人も分からない。来し方が分からなければ行く先も分からない。



“はえ” 騒ぎのおかげで、新しく学んだこともあった。昔、宝島の人びとは小宝島を“神島” と言っていたという。

今、小宝神社、こと十柱神社には十柱の神さまが祭られている。島の神さまはこれだけではない。ほかにも“集合住宅” に入居しなかった神さまもいて、神々の頭数を人の数と比べればベラボウに多い。…人口過疎、神々過密。

島のいたるところ、人の息づかいよりも神々の気配の方が濃い。宝島の人にとって対岸の小さな島は島全体が祭壇のような存在だったとしてもおかしくない。


我とわが身を振り返ると、うかつなことに行きがかりで神島に足を踏み入れてしまった。後で悔やんでも遅い。身のすくむ思いをすることが、この先何度もあるのかもしれない。
関連記事
COMMENT
COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://jijiragi.blog105.fc2.com/tb.php/656-449215f9
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。