じじらぎ

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ヒチゲーのぼんやりした朝

★s-DSC02129      視界一面が白い靄(もや) につつまれた。島の古い人たちに聞いても靄の正体はわからない。黄砂なのか? 諏訪之瀬島、あるいは新燃岳の噴煙が流れてきたのか?

日の出の時刻には靄の奥に隠れて見えなかった朝日が村営船の上り便が入港するころになって顔を出した。天を覆うすりガラスの層がうすくなって朝日が確かに出ていたことを確かめることができた。

時間は日の出の刻限から30分以上も過ぎた7時44分。
きょうはヒチゲー。小宝では旧暦の正月7日を普段と違う日・ヒチゲー(日違い) とし、息をひそめて時の過ぎ去るのを待つ。

島に神々が降りたつ。この世のものどもはひたすら控え、戸をたてて家にこもる。夜は灯火をつけず、要らぬ物音をたてないようにする。


トカラ一般の習俗だが、小宝島での謹慎は2日間に及ぶ。旧暦6日の前夜が小(こ) ヒチゲー、本番の日は大(おお) ヒチゲー。


島の神々は原始キリスト教や旧約のヤーヴェに似たところがある。愛の神、守護神という存在だけではなく“怒りの神”“ねたみの神” の側面もあるらしい。

古老たちは「今どきの人間には、神さまの通る姿は見えなくなった」 という。あいまいな物言いしかしないけれども、山に降り、あるいは森からわいた神々は、辻々や庭を通りぬけて海に帰る…ということらしい。



島にいるのは人だけかと思うと間違いで、神々のたち現われる日もある。住み分けるのではなく日を違えることで穏当をはかる。

ヒチゲーの日には玄関口にトベラの小枝をさしておく。トベラのにおいを嫌って神々が家に入り込み、悶着が生じないようにする。


年寄りの暮らす家には玄関口だけでなく、勝手口や窓の下、車にもトベラをさしてある。昔は壁の節穴にもトベラをさして、そこから異界の者が入らないようにしたという。



近くのおばあさんから「刺身をとり来(こ) んか」 という電話があった。参上したら、魚の片身だけでなく餅の包みもいただいた。仏さまへのお供えのおすそ分けという。

ヒチゲーに仏壇にもお供え物をするのか確かめると、やはりそんな決まりはない。 

ヒチゲーで人の気持ちは神々の方にばかりいく。「仏さまは徒然(とぜん) なかろ、と思って…」。そして、「暗くせんないかんのだけど、街灯がいつまでも明るか」 と嘆く。



小宝でもヒチゲーに灯火を消す決まりは守られなくなった。世の中が開けてきて街灯の明かりもいつまでもギラギラまぶしい。自動点灯の街灯の光センサーは人の気持ちもヒチゲーも無視する。


ここで、物わかりが良くなろうとは思わない。

トカラの人さえも闇の中に身を置くことをしなくなった。日本人が闇の暗さを知らなくなった。その代り、やたら声が大きく身振りが派手になっていく。いやな世の中になった。




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トカラの闇
「トカラの闇」という言い方を聞いたことがあります。何の資料だったのか、どんな記述だったのか覚えていないんですが、言葉だけが妙に気にかかっています。日本人の心の奥をひらくキーワードかもしれません。
夜空の星
かなり前になりますが、中之島で、闇夜に満開の星空を見たのが、忘れられません。

祖母の黒島の星空もきれいだと思いましたが、灯台の灯りがあって、中之島で見たものほど鮮明では無かったように思います。

今年も、何処か星空のきれいなところに旅に行けたらと、思っています。


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