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としまむら

『十島村誌』 によると口之島以南のトカラ列島は昭和27年(1952) 2月4日に米軍政府から返還され、10日に地方自治法の適用を受けた十島村(としまむら) として発足した。
大島郡十島村…。古くからの「じっとうそん」 でなく訓読みの「としまむら」 に改められた。

奄美諸島の復帰は翌年、昭和28年12月25日だったから、大島郡といいながらも奄美から分離されての復帰だった。

おかげで「村」 の呼び方が変わった。


理由は分からないが、奄美では村を音読みにする。宇検村はウメンムラではなくウケンソン、大和村はヤマトムラではなくヤマトソンと言う。

鹿児島県本土の村は訓読みで「むら」 と言った。昔は里村、野田村などというのがあって、サトソン、ノダソンではなく、サトムラ、ノダムラと呼んだ。

奄美諸島よりも先に復帰した十島村は郡名に大島郡を残しながら「じっとうそん」 から「としまむら」 になった。

十島村のうち上三島…黒島、竹島、硫黄島は軍政下をまぬかれた。役場があった中之島を含めて下七島が分離されたため、上三島は鹿児島市に十島村(じっとうそん) 役場を開いた。当初は職員3人だったという。


しばらくの間、ジットウソン役場が2つあった。下七島が復帰してトシマムラが発足したのと合わせて、上三島のジットウソンも分割されたままの形で三島村(みしまむら) として出直すことになる。
 

有人島7つの村が「十島」 と言われるのは、上三島も一緒だったころの名残。戦争に負けたおかげで、ややこしくなった。



実は七島という数え方も、大ざっぱなところがある。もともとは臥蛇島(がじゃじま) が含まれ、小宝島は勘定に入っていなかった。

小さなサンゴ礁の突起に人がとりついているのは何かの間違い、本来は無人島でなければならぬ……ということだったのか?

そう思いたくもなるが、昔から小宝島は宝島の一部と見なす考え方があったらしい。15㌔も離れていて、海が荒れるとたちまち孤立することを考えに入れないところが、いかにもトカラ。

やがて臥蛇島が全島引き上げで無人島化した。小宝島が繰り上げられて勘定に入れないと七島にならない状況になった。

これ以上、無人島化すると語呂が悪くなる。トカラ六島、トカラ五島という事態は考えたくない。 

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