じじらぎ

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3.11

午後2時46分、はばかりながらも黙祷。年相応の知恵も悟りもない愚者の祈り。どこに届くわけでもない。無為の、らしくない振る舞い。しかし、怒りを封印する時間が1分ほどあっていいのかもしれない。
断言していいと思う。

……2011年3月11日は人類史に銘記される日になる。そうならなければいけない。


キチンとした説明や証明はあとから思いつくことにする。というより、そんなものは無用であろう。いささか傲慢なもの言いかもしれないが、歴史観の問題、時代にかんす基礎的なセンスの問題。

歯がゆいことに政治家やテレビに登場するおおかたの人に、それが欠けているようにみえる。目をショボつかせてばかりいる首相も自民党の総裁も木偶にしか見えないのはなぜだ…。

こういうときはヒトラーのようなデマゴーグの出番である。おなじみながら似たのはいた。東京都知事は人前で泣いて見せて、圧倒的な票差で再選をせしめた。今のところ政治の混迷がこの程度で済んで幸い…と思うべきか?



神戸震災はたしか1995年1月17日だった。この年、地下鉄サリン事件も起きた。和平に向けてアラファトとの話し合いを進めようとしていたイスラエルのラビン首相が暗殺された。

いずれも特筆される事件だが、日付けを覚えているのは震災だけ。


2001年の9.11は忘れない。今度の3.11はそれに続く事件、人類史の転換を画する事件だと思う。


これに比べると神戸、サリン、ラビンは事象の位置づけでいいのかもしれない。「事象」 というのは妙な言い方だけれども、福島第一原発で最初のころに起きた異変は「爆発的事象」 と呼ばれた。

ほんとうは爆発だった。しかし、その後に起き、なお続いている災厄を思えば「事象」 でも良かったのかもしれない。

そう考えると、誤魔化しのためにためにデッチあげられた“新語” は、それなりに使い勝手がある。



9.11は「パックス・アメリカーナ」(アメリカの覇権が仕切る平和状態) の終わりを画する日だった。

過去の「パックス・ロマーナ」、「パックス・ブリタニカ」 よりも強固にみえて、実はボロボロ。 第一次大戦を機に債務国から一気に債権国に転じて世界経済を支配してきたアメリカ…。 時を経て内政の矛盾は広がり、いつのまにか財政も巨大な赤字を抱え込んだ。

歴史上、財政が破綻状態のまま圧倒的な軍事力を擁し、それだけで世界を支配した国はない。古代ローマ帝国もかつての大英帝国も兵力だけが突出していたわけではない。好戦的ではあったが、無差別の先制攻撃を常套の手口にしていたわけでもない。

9.11は、虚妄の「アメリカ帝国」 がいつまでも続かないことを教えてくれた。


この日、アメリカは自国内が“戦場” になるという体験をした。それも無差別テロという、想定外の形。

全産業の4割の売り上げを占める軍需産業が際限なく生み出す膨大な兵器の集積も無力だった。先制攻撃もお株を奪われ、攻撃される側になって初めて、それがいかに非道なものなのか思い知らされた。


そのはずだった。が、厳密に言えば、アメリカ人のすべてがそれを認識したわけではない。帝国の準構成員である日本人も分かっていないままの人が随分いる。

それはそれとして、米帝国の崩壊は徐々に確実に進行している。


3.11は軍事力以前に、その前提になっている科学技術文明そのものが異常進化を遂げて奇形化してしまったことを知らされた事件だった。


この1カ月、自分の不明、愚かさを毎日のように思った。なんとも情けない。原子力発電についてあまりにも無知だった。

不確かな記憶だけで確認はしていないが、確か1980年までに原発の廃棄物を処理する技術が完成するとの見込みで原発の稼働がはじまった、と聞いていた。技術として未完成なままの見切り発車。

無茶苦茶な話だと思ったが、気がつけば、世界中が原発だらけ。不可欠のはずの“しりぬぐい”技術は置き去りにされたまま。


そう思っていたのも甘かった。廃棄物処理の技術が未完成というだけでなく、運転を停止しても燃料がもえたまま制御が効かない…という事態が起きることは知らなかった。…なんと、原発は人の意志で止められないシステムだった!


信じがたいことだが、それが現実。恥ずかしいことに、これほどまでにお粗末な技術だということは知らなかった。あり得ない話。これこそ今はやりの「想定外」。


ほんとうに、原発依存は考え直さないといけないと思う。ウソと隠蔽をろうしないと維持できないシステムに、なぜにいつまでもすがりつくのだ。

ほかにも電源はいろいろあるはずだ。多様な電源の域内生産を真剣に考えていきたい。生産効率はいずれ良くなっていく。

電力会社は一時的に収益が減ってもやむを得ない。だいたい、国家に独占を保証された企業がぼろ儲けしてきたのがおかしい。



3.11のもう一つの意味は、自然の力を知らないと生き残れないということ。当たり前のことなのに、すっかり忘れていた。

このことは、もっとつきつめて考えていくべきだが、とりあえずは言い捨てておく。



いずれにしろ3.11が画期的な日であることに変わりはない。この体験で人類が変わり、文明の軌道修正をした日になればいい。 示された道標を無視して過去の惰性に引きずられて間違った道をつき進んだ日として未来の人が悔やむ日になることだけは避けたい。










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COMMENT
ント
これ以上、つらいことにはなりません。進むべき方向ははっきりと見えているはずです。それにしても現地の状況をもっとキチンと知りたいですね。
コメ
先日は、お世話になりました。被災地にとって、これ以上、辛い日が続かないように祈るばかりです。
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