じじらぎ

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島は4月末に梅雨入りした。しかし、雨が降り出しそうな風向き、気配になっても降ってこない。ここ4年、島の梅雨どきを過ごしたが、小宝の梅雨はいつもこんな具合だった。

おしめりがなかなか来ない。水不足の梅雨。

何度も裏切られて不貞腐れていたところに雨が来た。曖昧な、気のないような雨がしとしと。どうせ、長持ちはすまいと思っていたら、やみそうでやまない。

やがて風景全体が存分に濡れてきた。野菜や花の種まきが、やっとできる。
急に思いたって庭を開墾したのは3日前だった。

4カ所を畑にした。…といえばカッコいいが、一カ所あたりの広さは畳半分ほど。

4つ合わせて1坪。児戯にひとしい。

 
昔、「串木野仕明け五郎どん」 という特殊技術集団がいた。串木野というのは薩摩半島の西岸にあった町で、いまは「いちき串木野市」 という変な名前になっている。爺の生まれ在所。

仕明け…というのは開拓、開墾のこと。五郎(ごろ) は鹿児島ことば独特の接尾語で、特段のはっきりした意味はない。人の態様、行動を語る語彙のあとにくっつけて音の調子を整えて景気づけをしたり、親しみ、揶揄、侮蔑の気分を加えたりする。

あまいごろ…と言えば暴れん坊、朝寝ごろ…といえば朝寝坊、焼酎(そつ) のんごろ…といえば酒のみ。

薩摩の風土は、どちらかといえばだらしがなくて、たいていの五郎さんは許される。困りもの五郎さんがゴロゴロいて、それでどうにか許し合い助け合って呑気に暮らしていた。

しかし、許されないのは「嘘ひいごろ」、つまり嘘つき。 たいていの不始末、しくじりは咎め立てしないけれども、嘘だけは断じてゆるさなかった。それも遠い遠い昔のことになった。
 

さて…。話は串木野仕明け五郎どん。

たぶん江戸後期から薩摩大隅のあちこちに出没し、中国やアメリカとの戦争に負けるまでは噂があった。しかし、文書による記録はない。

身体が頑強で土木技術についての知識もあって、自らは土地をもたず、他人の土地を開墾して口すぎをしていた集団…といえば、朝鮮半島から渡って来た人たちを連想する。

島津義弘が連れてきた陶工の集団は美山に住む前、薩摩半島に上陸して最初に窯をかまえたのは串木野だった。土地の言い伝えでは、木工技術に長けた集団も串木野に移り住んだと伝えられている。

実は、父方は代々船乗りで、おじもいとこもみんな大柄だった。昔の船乗り・漁師は装具、漁具は手づくりするのが基本的な心得だったが、祖父はいい加減な船大工や指物師よりはずっとましな器用さで知られていた。

どうやら、今で言えば“不法移民” の一党。そんな感じである。 先の戦争では男手のほとんどは帝国海軍の軍人軍属になって、遺骨すら帰ってこなかった。



またまた話が脱線、漂流した。

言いたかったのは開墾のこと。 串木野仕明け五郎どんは2日で1反歩を開墾したという。

今どきは、1反の広さを知らない人の方が多いかもしれない。1反は農作業の真似ごとをしてみるとベラボウに広い。

おそらくパパラギの庭と建物の敷地だけでは足りない。土地の人からから借りている裏の畑まで入て、やっと1反になるかもしれない。

そんな広さの荒れ地を筋骨隆々の裸に汗を光らせて2日間で開墾した。 …2日で1反!

仕明け五郎どんには済まないが、爺は1坪。


その1坪が大変だった。珊瑚礁の岩と庭を整地したときにダンプカーで敷いた礫、それに雑草の根がからまっている。篩(ふるい) をかけて、土を選りわけると土の1.5倍くらいの分量の石ころと珊瑚礁の塊と草の根が廃棄物として出てくる。

それと日がな一日格闘して、畳半分の4カ所、計1坪。

自分で自分をほめて、雨模様の日を待って種をまこうかと構えていたら、いっこうに降らない。ここ2,3日、悶々として過ごした。


そんなわけで4カ所に分散した“圃場” に待ちに待った種まき。 

まいた種はインゲン、キュウリ、シソ、ニガウリ、トウモロコシ。 ミニトマトもまきたかったが、まく場所がもうない。


まかぬ種は生えぬという。しかし、まいた種が必ずはえるとは限らない。それは分かっている。しかし、まいた種のいくつかは出来心で芽をだす気分になるかもしれない。

思い焦がれるのは雨。 雨、雨、降れ降れ、もっと降れ…。


島にいるカラスは、昔から2羽に決まっているが、なぜか今は1羽しかいない。その1羽も、どこか遠くに出向いているらしく、姿を見なかった。 

カラスは爺が種まいたのを知らないはず。種はほじくり返されることもなく、きっと芽を出すに違いない。




雨が降らない間に何をしていたか、何を考えていたか…について、今から語ろうかと思ったが、息切れした。

それにしても、原発。これも語りたい。

福島では3人の人が亡くなって、怪我をした人が19人という。それなのに、NHKはどこかで助かったという犬の話をくり返しくり返し放映する。民放は芸能人とその家族の葬儀のことを大仰に報道する。

原発でなくなった3人の人たちの葬儀は行われていないのか? とり行われても、犬の話やや芸能人の親族の葬儀にくらべたら報道の価値がない些事…ということか??


ついでながらサン婆は、いくらか元気を回復しました。m(_ _)m!

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