じじらぎ

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村役場だけの本土復帰

009∇…   11月3日、文化の日。 昔なら天長節。 本土・鹿児島市では“おはら祭り”。 目抜き通りは踊り連に占拠され、おそらく歩道も身動きもならないほどの人出に違いない。

鹿児島市内のどこかのホテル【m(_ _)m! すみません! 4日付の訂正を見てください】 では十島村本土復帰60周年記念式典が行われた。 小宝島の住民センターでは式典の模様がネット中継されるというので行ってみた。 


画像、音声、カメラワーク三拍子そろって悪い。

お祝いの言葉で何が語られているのかジッと耳をすますと、決まり文句の羅列しか聞こえてこない。 こんなにも心のこもらない空々しい言葉の羅列が延々と続けられる場面も珍しい。


本土復帰したのは村役場だけだった…。  

壇上で次々に披露される代読の祝辞を聞きながら、そんな思いにとらわれた。 



細かいことを言えば、トカラ七島が米軍政下から脱し日本政府に帰属した特筆すべき日は、昭和27年(西暦1953) の2月4日だった。 

式典は本当の60年をまたずに、晴れの日が多い特異日に日付を移して鹿児島市でとり行われた。


なぜこんなチョンボが許されたのかは知らない。 


我が十島村では決定のプロセスが知らされない。  

物事はいつの間にか決まって、島のあちこちに立てられた防災無線の放送塔が突如告知する。 

大事なことはくり返し放送するけれども、2度、3度あった放送を聞きもらしたり、波風の音でかき消されて聞こえなかったりする。 

鹿児島市にある村役場に問い合わせしようにも、担当者がつかまりにくい。 閉庁後に録音を放送していることが多く、放送がある頃合いには担当者はすでに帰宅している。


村の出張所には人が詰めているのが原則だが、村役場の正職員ではない。 フェリーの接岸、“判取り” と称している金銭出納、郵便業務のほか、役所の窓口業務一切を臨時職員が仕切る。 

その出張所員も村が何をやろうとしているのか、逐一知らされていない。 

役場に知らせようという構えがないようだが、現実問題として知らされても困る。 仕事に追われている臨時雇用の出張所員に情報の過不足のない周知、補足説明までやれというのは無理な相談だろう。  



そんなわけで、何につけてもポカばかりしている耄碌のところでは、情報の伝達漏れがあった。

60周年記念式典が59周年の年の関係のない日に行われるのはなぜか…。 復帰記念行事がなぜ十島村でなく鹿児島市で行われるのか…。 


素朴すぎる疑問だが、素朴な島民に聞いてもだれも答えてくれないだろう。 必ずしも素朴とは言い難い役場職員に聞いても違う理由で教えてくれないに違いない。
 
かくて、島の耄碌爺ぃは、どこで、だれが、何のために、何をやるのか、さっぱり分からないまま住民センターに置かれた先端機器の大液晶画面にかじりついた。


やっぱり、やっぱり、さっぱり分からない。

分かったのは復帰したのは役場だけだったという悲しい現実。 


昭和31年(1956年) に庁舎を中之島から鹿児島市に移して55年、いつのまにか村役場は管轄、つまり島々の現場から逃げるのが習い性になった。 

ほんとうにやるべきことをやらずにパーフォマンスやイベントで誤魔化す。 それが失敗しても「大成功」 と強弁する。 式典で2009年の皆既日蝕イベントを壮挙としてたたえる祝辞があったのには、びっくり仰天した。


「60周年記念式典」 は島でやるのは面倒だったようで、鹿児島市でやった。 おはら祭りにも特別参加するという。   

賑やかなことは結構。 しかし「歴史と伝統のある島々」(!?) では役場が何ごとかやるたびに寂しい風景が広がっていく。 

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COMMENT
Re: 村役場だけの本土復帰(記念式典)
すみませんm(_ _)m! ご指摘があって初めて気づきました。 最初の予定は確かに4日でした。 その後に10日という案内が来ていました。 どんな理由で、いつ変更されたのかは分かりません。


村役場だけの本土復帰(記念式典)
こんばんは。
久しぶりにコメントします。

すごく気になる点がひとつ…
分校の文化祭も日程変更ですか?
予定では今日(4日)だったのでは…
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