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不敬罪

不本意ながらも刻(とき) を忘れさせられた。 この10日いらい無為に呼吸し、徒食するばかり。 書き込みもサボりっぱなし。 

結果的に霜月祭りも忘れさせられた。 温泉場までの2分そこそこの道の途中にある権現さまの前を、何度も何度も通り過ぎながらながらも、お参りを思いつかない。 ボケも存分にすすんだ。

先に修正したばかりの島の暦では、おそれ多くも今上天皇陛下のご降誕の日も忘れていた。

島の暦の12月分で天皇誕生日が記載漏れになったのには特段の意味はない。 ただのボケ。

大和朝廷にたてついた隼人族の子孫としては、皇室への尊崇の念はあつくない。 かといって、あえて「国民の祝日」 を無視するほどのこだわりも根性もない。 ただのポカ。 


年式の古いポンコツ爺にとって、天皇誕生日といえば4月29日に決まっていた。 皇后陛下は、今でもうっかっり「美智子妃殿下」 と呼ぶ。 

ということは、明仁内親王もまだ皇太子のまま。 プリンスはおいたわしいことに年を召されてしまった…という錯覚が、どこか頭の片隅にある。 

年の瀬を迎えた頃にかしこき日を寿ぐという世の習いにも、今もってなじまない。


下旬に耶蘇の降誕祭があるのは承知していた。 これは意図的に黙殺。

イエス・キリストという現人神についてはある程度承知している。 おこがましいと思いつつも、崇敬の念をいだいている。 

実のところは、お釈迦さま、阿弥陀さま、島の権現さまよりもむしろ親しみが深い。 妙な縁で、キリストのすばらしさをそれとなく教えてくれたのは、なぜか魅力的で徳の高い人たちだった。 

合縁奇縁、とはいえ耶蘇の信者にはついになれなかった。 


だからこそ降誕祭にことよせて、バター菓子なんぞ食らってはしゃぐ気にはなれない。 かくて、クリスマスは意図的に無視。

 
そこまではいい。 最初につくった暦では「七島正月」 まで道連れにして記載漏れにしてしまった。

ほどなく旧暦12月の1日、七島正月の元日が25日だったのを思い出し、あわてて25日の空白を満たす。 これで満足したのは浅はかで、イヴのイヴにあたる23日も祝日であることを失念したままだった。



七島正月の由来については前に述べたことがある。 その前に、なんとなくサボってしまった霜月祭りへのこだわりについて説明した方がいいのかもしれない。

島の人にとって霜月・旧暦11月の17日は盆正月と並ぶ大事な日である。 この日、一家一族の息災と多幸を祈願する。

もともとは壇ノ浦から平家の一族が落ちのびて来た日という。 小宝の島びとにとってはご先祖さまが赤立神(あかたちがみ) のわきの珊瑚礁の磯に上陸した日。 あだや、おろそかに出来ない。

自分としても、その日の朝まで祭りに参列する心づもりだった。 それがうっかりスッ飛んでしまったのは、心の隅のどこかに祭式儀礼にそれほど重きをおかない無意識の意識があったのかもしれない。

この点については、もっと気持ちを整理しないといけない。 


神々や自然万物への尊崇の念は、棺桶に片足を突っ込んでから深くなった。 弁解ととられるかもしれないが、体が萎え心が衰えたせいで信心に頼るようになったのではない、と本人は思っている。 

土俗の儀礼も、神学の体系も立ち入らない大本のところにまで戻って、島で生きることをはじめとする一切のことを考え直す必要があるかもしれない。

偏屈は偏屈なりに極めないといけない。

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