じじらぎ

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新年宴会

002 (800x534)    日の出は0716時ごろのはずだが、きょうも確認できない。 0738時、雲の奥を昇った日が、すき間をやぶって水平線を斜めに照射しているのを見た。

終日、はっきりしない天気。 部屋にこもり、機嫌の悪い機械類とつきあってるいるうちに時が過ぎる。  

1000時から住民センターで新年会があるというので時間ぎりぎりに行ってみたら誰もいない。 1015時を過ぎた時刻になってから拡声器の声があって1100時からという。 会の名も「ケイガ」 という風に聞こえた。

「慶賀会」 のことか? 料理の各自持ち込みも不要という。


年をとると小回りが利かなくなって予定が狂うと修正はむずかしい。 

そのまま部屋にこもってやりかけの仕事に戻る。 日の暮れかかるころ、サン婆が「ダブル徘徊」 をしつこく催促してくるまで部屋を一歩も動かない。


島の東北部にはパパラギのほか村営住宅が5棟ある。 村営住宅はいま人の気配がなく、島の“極北” に住まいをなすものは棺桶に片足突っ込んだ婆犬と爺のみ。 鹿児島に行っている間に新年宴会の開会時間と会の名称が変わったのを知らないまま暮らしていた。

新年会は去年まで、思い思いに重箱をもちこむ習わしだった。 女将によれば昔は雑煮も各自持参だったという。 みんな、汁椀を運んでもこぼさない距離に家がある。

飲みものは自分で飲む分はもっていくのが基本だった。 アメリカ式のBYОB(ブリング・ユア・オウン・ボトル) パーティー。 米式を合理的でハイカラとするならば、小宝もそれなりにしゃれた島だった。



なお正月2日の宴を「船祝い」 と称すると聞いて、手製の暦にかっこ書きで記載しておいた。 しかし、小宝島で船祝いと呼んでいたかどうかは確認しないままだった。

船祝いは南薩摩、屋久島、三島村などで行われていたという。 「十島村誌」 には中之島の「船祝い歌」 が記録されているが、そこに正月2日に船祝いをしたという記述はなかった。 


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