じじらぎ

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成人式

041 (536x408)  十島村の成人式があった。 参列した新成人は女3、男3。 トカラ七島の中学校を卒業した若者が鹿児島市泉町にある村役場に集まった。 うち2人は元山海留学生。

進路も居住地もそれぞれ。 大学で畜産を勉強中で、卒業したら島に戻るという女性がひとりいた。 

村長挨拶の前に原口英典教育長が登壇し、はなむけの言葉をおくった。 図らずも新任教育長の顔みせ。


村ご自慢のネット生中継は有り難い。 リアルタイムで式が見られる。 それと、画像に強烈なボカシがかけられている。 おかげさまで、そのまま出して肖像権への気づかいをしないですむ。


写真のトリミングをするさい、マウスをもつ手元がすべって写真がモノクロになった。 元のカラーに戻すのは簡単なんだが、敢えてそのままにした。

悪意、というよりも、9億円余のお金をかけ「結(ゆい) ネット」 とかいう愛称までつけられた村のブロードバンド・システムへの失望の思いが意識の底にある。 

それはそれとして、白黒写真には不思議な味わいがあるのに気づかされた。 写真機の性能と撮影者の腕には致命的な欠陥があるけれども、もしキチンと撮影できたら白黒もまた面白いに違いない。



白黒ではないけれども浅田次郎原作の映画「地下鉄(メトロ) に乗って」 を見た。 ベランダに据えたパラボラアンテナで衛星CSの電波をとらえ、テレビ受像機に内蔵されている録画機能でとっておいたもの。

再生すると、東京オリンピックがあった昭和39年当時の東京の風景が画面に現れた。

当時、大学4年で、そのころの街のたたずまいは承知しているつもりだった。 ところが映画の背景に登場する街の看板、電話機、白黒テレビなど、べらぼうに古い。 モロに“昭和レトロ” 。



あまりにも古めかしい風景のなかで、成人してまもない鬱屈した苦学生がかつて暮らしていた。 

全共闘運動にも、オリンピックの熱狂にも背をむけ、暇があれば手製の真空管ラジオにかじりつき、落語と音楽に聞き入っていた。 ビートルズはとうに卒業して、独り室内楽の世界に耽溺、沈潜する。 内ごもりの暗い青年だった。


それが爺になってまだ生きている。 このこと自体、ひとつの不思議、不条理。

ひょっとしたら、ものの考え方もまだ“総天然色” に対応しきれていない。 アナクロ爺ぃがモノクロ思考にひたって愚痴をこぼす。 


庭に視界を転じると、サン婆が見えない目をジッとこちらに向けている。 「アホ!」 という声が発せられたような気がしたのはソラ耳か? 
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COMMENT
俄歩人さま
そのころ裏磐梯にサークルの合宿で行きました。 軟弱どころか放蕩無頼の美術部に籍をおいたことがあります。

それにしても、オリンピック以前の東京と以後の東京はガラリと変わりました。

ふるさとの環境の転換点は小学4年のときと5年のとき。5年生の夏から故郷の港が濁って海水浴ができなくなりました。このころ39トン型だった近海マグロ船が60トン型の遠洋マグロ船に変わった。多量の油を消費するようになります。

先祖代々、何百年何千年のあいだ一定の透明さを保っていた港が、たった1年で自然浄化力の限界を超えた。それを見届けたことを忘れてはいけないと考えています。

最近の転換点は3.11の地震と原発事故。2011年以後の日本、および世界はそれ以前と変わらないといけない。

新年早々むずかしい話をしてすみません。ことしは私も体を鍛えることをもっと真面目に考えます。
モノクロで浮ぶ青年時代
 こんにちは 島じじさん
この季節、山もまさに白黒のモノトーンの世界です。
たまに覗く蒼穹が清冽です。
 青年の頃の懐かしい東京オリンピック、福島まで夜行列車で往き、
磐梯山に登った夜、麓のユースホステルで日ソの
バレーボール決勝を見たものでした。
軟弱な文化サークル、大学二年の秋でした。
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