じじらぎ

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日本人は選民だぁ!

阪神淡路大震災から17年という。 17年前の朝、胸を焼くようないかりにさいなまされたことを思いだす。

以来、いかりの業火は胸の底で燻ったまま。 

三十代の青年だった宮沢賢治は「決シテ瞋(いか) ラズ」 と戒めた。 なのに、古希をむかえてなお、意識の奥から炎を上げようとする瞋恚(しんい) の火種を消し去ることはできない。


このままでは身がもたぬ。 寿命が縮まりそうなので、思いを建設的な方向に向けようと努めてみた。 



その結果、とんでもないところに行き着いた。

電撃的にひらめいたのは、日本人ほど優れた民族はいない…との想念。 

超国家主義とは、教師たちの嘘に気づく年頃、つまり小学高学年のころ“卒業”したのに、年をくってから揺り戻しがきた。 死ぬ前になってたどり着いたのは「チョー民族主義」 であった。 
チョー民族主義の話に入る前に、なぜハラカイタか、つまりはらわたを掻き毟るほどに怒ったか、という話をしておかなければならない。

ひとことで言えば、指導的な地位、立場の者がことごとく愚鈍であったことを思い知らされたためである。



17年前の朝、いつもの通り未明に目をさました。 まだ外は真っ暗である。

テレビの電源を入れて、つけっぱなしにする。 いつもの習慣。


6時のニュースの時間になって、NHK神戸支局の室内の様子が映し出された。 

ああ、地震か…、きょうはまた、やけに揺れるもんだ…と思う。 この段階では自分も存分に鈍であった。



しばらくして映像が変わり、窓越しに神戸市街の風景が写しだされた。 


それを見て飛び上がった。 

密集した市街のあちこちから炎が出て、のろしのような煙がいく筋もあがっている。 この光景を映し出しながら放送局の当直の若者たちはあいかわらず、のんびりおっとりしている。

思わず、獣のようなうなり声が洩れる。

バカか、お前ら! 




この若者たちはその後、眠るいとまもなく凄まじい取材を続けなければならなかったはずである。 バカ呼ばわりは酷かもしれない。 

しかし、独り品の悪い罵声を発したことを後悔はしていない。 その時は心底そう思った。 やはり、バカはバカだ! バカバカバカと連呼してもなお足りないと思った。  


その後につづく事態は、神戸放送局の若者だけでなく日本全体がバカであったことを証明する。 そして、その状態は3.11の三重惨禍のあともつづく。


 
地震の発生は午前5時46分だった。

ほとんどの人がまだ寝入っている。 そんな刻限に大都会の密集地のあちこちで火の手があがる。 

次々に起きる建物の崩落出火、瓦礫の下敷きになった人に火が迫る、逃げ惑う車や人で通りはふさがり、消防車や工作車が立ち往生する……。

NHK神戸支局の窓から俯瞰した午前6時過ぎの光景は、分単位の近未来を雄弁に物語っていた。 それを読み切れないほど日本人の想像力、砕いて言えば難儀に遭っている同胞に共感する能力が鈍麻していた。

未確認の断片的な情報ながら、当時の関係者の動静を見ると、反応のあまりのにぶさに絶望的になる。

村山富市首相は午前6時には起きていて、6時のテレビニュースで震災を知ったといわれる。 いったい何を見ていたんだろう。



この日、兵庫県知事の登庁は午前8時20分、村山首相が執務室に入ったのは同26分。 一方、民間人の中内功ダイエー社長は地震発生から30数分後の6時20分には出社したと伝えられる。 

村山首相は月例経済報告、定例閣議などの日課で時間を費やし、正午過ぎて官房長官から「死者203人」 と聞かされて初めて驚愕の表情をみせたという。

ちなみに、この時点の共同通信の速報は600人か700人台の死者を確認している。


自衛隊の対応もナゾが残されている。 伊丹の陸上自衛隊第36普通科連隊は300人が営内にいた。 警察などの要請で40数人の小規模の部隊が駅などに出動していた。 なぜか本隊は動かない。

連隊規模で動いたのは姫路の第3特科連隊。 午前10時ごろ要請を受け、渋滞に進路を阻まれながら午後1時過ぎに現場に着いた。 救援活動の場数はあまり踏んでいない砲兵部隊である。

派遣要請が遅れたと言われるが、海上自衛隊、航空自衛隊への要請は暗くなってから出された。 兵庫県知事が正式に要請を出したのは海上が午後7時50分、航空が午後9時ごろ。 


自衛隊は要請を待たずに訓練名目で出動することが可能であった。 過去にもそうした事例があった。 この日は妙に手続きにこだわり、腰が重かった。

 

事件・事故は大雑把に分けてふた通りある。

災禍が拡大の危険を孕みながらなおつづいている事案と、被害自体はおさまっている事案。 言いかえれば、動いている事件と、動きが一段落した事件。


前者の場合は、超法規的な措置がなされていい。 背中の衣服から髪の毛まで燃え上がって転げまわっている人がいる場合、子どもが急流にのみ込まれて流されている場合、いちいち救助許可の手続きをとるバカはいない。
 
しかし、国家規模ではあり得ないことが起きてしまう。



もう一つ重大な問題は、自衛隊のあり方。 

国民の生命と財産を守るのが使命だとするならば、世界に冠たる災害大国の自衛隊は、軍隊であろうとなかろうと、災害派遣を余技のような位置づけにしておいてはいけない。



ここまで考えて、選民思想にたどりついた。

なぜ、日本人は神に選ばれた民なのか?  答えは『旧約聖書』の「ヨブ記」 にある。

ヨブという老人が神に見込まれた。 おかげで、ありとあらゆる試練を与えられる。 襲ってくる外敵には武力で対抗できるが、神の与える試練にはただ耐えるしかない。

アジアの端っこにあって、ヨブに似ているのが日本人。

豪雨、日照り、冷害、暖冬に加えて暴風が忘れる暇がないうちに襲ってくる。 地震がある。 火山も時をおかずに爆発する。



こんな条件に耐えながらの幾世代もの人びとが独自の文明を紡いできた。 

これは稀有のことというべきだろう。 車の排気ガス規制が強化されれば、それをしのぐ技術を編み出す……、化石燃料がこの先心細いとなると低燃費の車を開発し、大衆化していく……こんなことをやってのける国民はそう沢山はいまい。

土臭い話をすれば、日本列島から琉球弧につらなるところで生きてきた漁師や農夫は、自然にいじめ抜かれながらも生き延びる術を知っていた。 それが、敬虔な心と優れた知恵にささえられたものであることは、もっと注目されていい。  


愚直に真面目に仕事をこなし「ほいきた!」 とばかり苦難を乗り越えてきた底辺の日本人・ヤポネシア人は今どきの半端インテリよりも賢い。

たとえば、労組あがりの能天気なトンちゃんの代わりに煤けたド田舎の老人が首相の座に座っていたらどうだったろうか。 午前6時過ぎの画像を見た時に飛び上がって、執務室に走ったはずである。

試練が厳しければ厳しいほど力をだす…。 そんな父祖の血はいまも私たちのなかで脈打っている。




こんな民族による、平和を建て前にしている国家はどうあるべきなんだろうか? 

すぐに思いつくのは防災、災害救助の能力がとび抜けた国家。 災害大国にふさわしい装備と組織をもった国家。 これは現代の要請でもある。


自衛隊は災害救助に特化した世界に類例のない組織に再編されなければならない。 これは専守防衛と矛盾しない。



お金はそんなにかからない。 現員24万人の人員も20万人をきるところまで削減して十分やっていける。

先制攻撃をお家芸とする米軍にしたがった過重装備や妙な配備、てんでんばらばらの陸海空三軍体制……いずれも国民の要請ではない。 これをやめればいい。      


またも伝聞ながら、最初に災害救助隊の派遣を申し入れてきた国は永世中立国のスイスだった。 なんと地震発生から1時間と少ししかたっていない午前7時ごろに在日大使館が打診してきたという。
 

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