じじらぎ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

空襲

126∇…      3.10…東京大空襲の日。 鹿児島最大の空襲は6.17になる。 

甲突川左岸を歩いたら、お地蔵さんが目についた。 まだ新しい。 どんな祈りが込められているのか?


127∇…    上の写真の左下、青いシャツの女性が歩いていたあたりに近づくと、地神・水神、仏像の“墓場” のような区画だった。

“神々の墓場”。 自然石のものを含めて63柱を数えた。 

仏さまは2体、いずれも首から上がこぼたれている。


神々は黙して語らないが、明治以降のこの街のすさまじい歴史をしのばせる。


すみません。 よんどころない用事で、いったん筆を置きます。 


【m(_ _)m! お待たせしました。 本文からの続きです】
……東京大空襲から6.17鹿児島空襲、それから話は甲突川左岸まで飛んで、その説明をしないまま書き込みを中断する始末になった。



東京大空襲をはじめ鹿児島など列島各地の都市を照準とした空爆、さらに広島長崎の原爆投下を指揮したのはカーティス・ルメイという少将(当時) だった。
 

この将軍に戦後の日本政府は勲一等旭日大綬章を授与している。 

この話は前にも書いた。 クドクドと繰り返すのは控えるが、戦争の悲惨な体験を経た日本が、その後どのような道をたどっているか…ということを考えるうえで、忘れてはならないことだと思っている。 嫌な話だけれども、何度でも繰り返して胸の内に刻みなおしておかなければいけない。 

今に至る政治の貧困、社会上層部の骨がらみの癒着腐敗の病根は、世代を超えて世襲相続されている。



ちなみに、大虐殺の首謀者に勲一等を授与した時の政府の代表は佐藤栄作だった。 ノーベル平和賞をもらい、葬儀は“国葬”。

彼がもっとも恐れていたのは真実を白日の下にさらす言論だった。 この性向は権力と利権が世襲される政治構造のなかで、政治を代々の家業とする一族に相続されている。 この意味でも、忘れていい過去の話ではない。


さて、当時の防衛庁長官は小泉純也という人だった。 

首相をつとめた小泉純一郎の父。 養子に入って小泉姓を名乗るが、もともとは鮫島姓、父祖の地は薩摩半島南部の特攻基地から遠くないところである。

小泉純一郎氏は自分と同年、同じ薩摩の血を受けている。 しかし、加世田・万世の特攻基地跡を詣でて涙を流したという話を聞いたとき、彼の挙措動作・操行はほとんど絶滅した薩摩の魂から最も遠いものであることを知らされた。 

この人の本性はアジテーター(扇動家) だった。 それゆえに高い内閣支持率を得た。 このタイプの扇動家を待望する気風はいまなお根強い。



勲一等は親授と決められているという。 つまり、皇居に招かれて天皇が手ずから授ける。 

昭和天皇はルメイを招かなかった。 このため、勲章授与は航空自衛隊入間基地で行われた。 ルメイがどんな気持ちで勲章を受けたかどうかは知るよしもないが、日本政府から勲章を受けたことを誇るような言動はみせなかったという。



ここまで書いて、甲突川左岸の“神々の墓場” の話までまだ行き着かない。 しかし、また長くなるので続きは日を改めたい。
 


関連記事
COMMENT
甲突川左岸
甲突川左岸は西郷、大久保など下級武士が育ったところです。空襲で丸焼けになったのちの復興計画で防災の見地から川沿いを緑地帯としました。 桜はそれ以後に植えられたものですが、今は樹勢が盛んな頃合いでしょうか?

周辺は今も家が密集していますが、地神、水神の数の多さから、昔はもっと立て込んでいたことがしのばれます。 

仏像の数が少なく、2体とも首がないのは廃仏毀釈のためだと推測しています。
甲突川
甲突川沿いの桜はかなり大きな木があってきれいですね。
お墓のようなものは、昔は点在していたような気がします。
新しいお地蔵さん?に纏めてお祀りしたのでしょうか。
COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://jijiragi.blog105.fc2.com/tb.php/937-1d90ba80
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。