じじらぎ

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憲法記念日の紙爆弾

DSC00702.jpg    きょう着く船には荷物がないはずだった。 念のため港には行ってみる。 ひととおりの確認をして帰りかけたとき書籍小包を渡された。 

中身は植村雄太朗編著『「昭和」への紙つぶて』 (2012年5月3日刊、西田書店)。


序文を読んで息をのんだ。 居ずまいをただして、もういちど読む。 

夕食の支度をしていた女将を無理やり椅子に座らせて、音読してみる。 強引な読み聞かせに、はじめ迷惑そうにしていた女将が無口になった。  

これほどに力強くせつせつとした言葉は、久しく聞いたことがない。 心の奥から発した生の声が修辞と感傷を排してそのままつづられる。 

小細工はない。 どまんなかに力いっぱい投げ込まれた直球。 今どきばやりのライターたちが逃げてきた力仕事。




それを紙に書きとめたものを編著者は「紙つぶて」というが、読む者が信管をつければ、いつでも爆弾になる。

人を殺さない爆弾。 殺してはいけない、と訴える爆弾。 



昭和87年の日本は昭和10年代と同じ轍(わだち) を踏んでいる。 殺さない、死なせないという願いと祈りを“凶器” のように危険視しして排除する…いつか来た道。 



 
編著者・植村雄太朗氏は鹿児島県の種子島出身。 高校の国語教師をつとめ、定年退職後は四国で暮らしている。 詩人、言語学の研究者としても知られる。


今回の編著は、実家の土壁が壊れたのがきっかけになった。 こぼたれた壁から出てきたのは、インパール作戦に動員され、死後2年して戦死公報が届けられた実父の書簡類だった。

それらを整理採録、若くして「未亡人」となり、87歳で没した母親からの聞き取り、編著者による時代背景の解析を加えた。 

「手紙と回想による或る家族の太平洋戦争」という副題がつけられている。 

ただの家族史とは違う。 銃後の視座から検証しなおした戦争の実録である。 感傷と修辞を排する真摯な姿勢が貫かれている。



戦前ならどこにでもあった田舎の貧しい暮らし。 そのなかで一家の大黒柱となった青年は、ものごとを曇りのない目で見る知性と朴直さがあった。 

できることなら戦争に行きたくない…。 そう願っていた青年に、国は執拗に召集令状を送り続ける。 そして、3度目の赤紙で、ビルマ、インパール作戦に動員され「戦死」する。 享年34歳。 妻は29歳、遺児は5歳だった。


なぜ死ぬ必要があったのか? かつて当然のこと、ありふれたこととされたこのような死にざまに、はたしてどんな意味があったんだろうか? そんな疑問があらためて湧いてくる。

復員した将兵の戦記物のたぐいは夥しい数が出されている。 ほとんどが私家版だが、古本屋めぐりまでして漁った時期があった。

しかし、自己弁護、誇張、独りよがりが目について、戦死者の死の意味について肉薄したものは意外に少ない。 たまに真摯な記録があっても、軍制、兵営の実態など分かりきったこととして扱われ、なにも知らない次世代に伝えるための配慮を欠くきらいがある。

多量の情報が流されながら、ついこの間あったことが分からなくなっている。 日本人は国が興した戦争にまきこまれて近隣に迷惑を及ぼし、自らも大変な思いをした。 それでいながら国民的な体験としては戦争は無かったこと同然の扱いになってしまった。

「紙つぶて」はそんな状況に向けて投げられた。 「敵として指定された人間を殺す」 ことが誰のために、何のために強要されなければならなかったのか? 

この疑問にキッチリ向き合わないと、今はもう戦後でなくなる。 能天気にうかうか生きている今の時代はのちの世の人たちから「戦前」と呼ばれる羽目になりそう。



   
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COMMENT
大切な本ですね。

読んでみたいと思いました。

今日も好き日に、、。
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